袷から単衣に切り替わる今頃は、毎年手入れや直しの仕事が多くなる。春に使ったフォーマル着や、袷の普段着などの品物に目を通されるお客様が多いからだ。
そんな中で、ここ二週間ほどの間に、続けて数枚の加賀友禅をお預かりした。それも、30年以上前のものばかりである。しみや汚れを確認しながら品物を見ていると、改めて彩色の見事さやぼかし、虫食いなど加賀友禅にほどこされている細やかな技術に目を奪われた。
昭和時代に作られた加賀友禅を、バイク呉服屋一人で見ているというのは何とも勿体無い。ということで、ノスタルジアの稿として、これから何回かに分けて、皆様にご紹介していきたい。写実性に富み、上品で優美な加賀友禅の素晴らしさを感じて頂きたい。
今、手元に、1978(昭和53)年度版の加賀友禅落款名鑑がある。発行したのは、協同組合・加賀染振興協会。同じ年に石川県無形文化財に指定され、加賀友禅技術保存会が発足していることを考えると、この1978年度版の落款名鑑が、おそらくもっとも古いものであろう。つまりは、ここに登録されている作家達は、この昭和の時代、すでにその力を認められていた方々と言えよう。
落款登録されている作家を数えてみると、74名。登録者には、加賀友禅の先駆者と呼ばれている作家達が、ズラリと顔を揃えている。第一人者で無形文化財保持者(人間国宝)の木村雨山は、前年(昭和52年)の2月に亡くなっており、すでに登録されていない。
昭和50年代に、初めて加賀友禅の伝統工芸士として認定された6人の作家は、この時すべて健在であった。これまでブログの中でご紹介したことのある成竹登茂男・毎田仁郎・初代由水十久、さらに矢田博・能川光陽・梶山伸。
その他、押田正義(先年、加賀二人目の人間国宝に認定された、二塚長生の師匠)や、木村雨山に師事していた金丸充男や・松本節子(雨佳)・現在の第一人者柿本市郎の名前も見える。鶴見保次・百貫華峰・寺西一紘・中町博志らは、中堅から若手の作家であった。
第一回目としてご紹介するのは、百貫華峰の色留袖二枚。同じ作家が同じ頃に製作したものだが、構図も挿し色も印象の違う品物である。一人の作家の品物を二枚同時にお預かりすることはめずらしいので、今日は、その作風の違いもご覧になって頂きたい。
(松竹梅模様と春秋草花模様・色留袖 百貫華峰 1980年 韮崎市 S様所有)
百貫華峰(本名・俊夫)氏は、1944(昭和19)年金沢市の生まれ。現在70歳であるが、現役の加賀友禅作家として数々の作品を生み出している。最近、氏の作品で話題になったものに、出雲大社権宮司・千家国麿氏と婚約した高円宮典子妃が結納の席で着用していた訪問着がある。
氏は、ローケツ染めの修行を二年ほど経験したあと、加賀友禅の道へと進む。そして、木村雨山・毎田仁郎という、二人の巨匠から指導を受ける幸運に恵まれ、若くしてその才能を開花させた。1974(昭和49)年、三十歳で日展に初入選を果たしたあと、次々と作品を発表。時は昭和4.50年代で、キモノの需要が当たり前のようにあり、その上加賀友禅の価値が世間で認められ始めた頃と重なる。この頃の作家達は、仕事の量にも恵まれたことも相まって、個性的な作品を多く残している。
百貫氏は、三越・高島屋などで個展を開催するなど、順調に作家活動を続け、1994(平成6)年からは、日展の審査員に就任している。北陸新幹線の開業に伴い、改装された金沢駅。駅構内には石川県の伝統工芸品が散りばめられているが、百貫氏の作品は、中2Fに縦2m・横1mの大きなパネルとして置かれている。この中に描かれているのは、兼六園の花鳥風月。お出掛けのことがあれば、ご覧頂きたい。
今日の作品は、1980(昭和55)年頃、当店が扱ったもの。ということは、製作された時、氏は30歳半ばということになる。では、二点の色留袖を、見ていこう。
(薄鼠地色 連山に松竹梅・飛鶴模様)
まず、落ち着いた鼠地色の品物。上の画像で判るように、上部から裾に向かって順に、梅(桜)・松・竹の模様があり、それぞれ前身から後ろ身頃へ向かい、山が連なるように模様付けされている。裾に近いところに飛び鶴の姿がある。
一番上の桜は、枝ぶりで山並みを作り、真ん中は薄茶、一番下は薄鶯色で連山が表現されている。
柄の中心、上前おくみと身頃の上部。伸びやかな枝ぶりが立体感を増す。前身頃の花は桜だが、後ろ身頃で同じ位置についているのは梅になっている。画像の下の方に、楓の模様が見えるが、このキモノの上部模様は春のイメージ、裾は冬のイメージ、中間は秋をイメージして模様付けされている。
春から、秋へ移る部分。地色が薄茶へと変わり、花も桜から楓へと変わる。花びら一枚一枚の表情がそれぞれ違い、「ぼかし」の技術がふんだんに使われていることがわかる。
一番裾に近い部分。地は少しくすんだ鶯色に変わり、模様は松林と笹の中に舞う鶴が描かれている。挿し色も松葉色をメインにして、抑えられた色になっている。
色留袖は、裾模様だけで表現される品物。この限られた模様付けの範囲で、加賀らしい写実的な図案をどのように描くか、またそこに季節感をどのように取り入れ、どのような挿し色にするのか、一枚のキモノには、それぞれの作家の個性が詰まっている。
裾の最下部は、薄鼠色の地色に戻している。暖色から寒色への挿し色の変化が、そのまま季節の移ろいを表現している。桜と梅は優しいピンクと白で、松林は緑の濃淡で色挿しされ、そこに飛ぶ白い鶴の姿が印象的。一枚の絵を見ているような、優しい色使いで飽きの来ない作品である。
キモノの八掛部分に付けられている模様。訪問着や色留袖など裾模様の品物には八掛が付いていて、そこには模様付けがされている。裏地なので当然表からは見えることがないが、風などで裾が返りチラッと裏が覗いた時にこの模様が見える。
八掛けに付けられている模様。見えないところまで、作者の気配りが伺える。
もう一度、この品物の全体像をどうぞ。
では、もう一枚の色留袖を見て頂こう。こちらの方は、前の作品に比べて明るい地色で若い方向きの品。
(珊瑚色 春秋花模様 梅・桜と桔梗・釣鐘草)
こちらの作品は、全体的にふんわりとした印象が残る。地色ぼかしに濃淡をあまり付けていないので、春霞のような雰囲気になっている。あしらわれている模様は、上部が春花、下部が秋花のイメージですみ分けられている。キモノの位置で季節を分け、それぞれの花を使うというコンセプトは、前の作品と同じだ。
挿し色の色調は、前の作品と共通点が見られる。模様上部の春花は淡いピンクや白を基調にしているが、裾近くの下部の秋花は、藍や緑色の濃淡、さら紅葉した赤茶色などが使われている。両作品ともに、季節ごとに使う花の色がきっちりすみ分けられていることがわかる。
上前おくみ、身頃の上部に付けられた春の花。桜なのか梅なのか判然とせず、図案化されている。枝ぶりといい花の大きさといい、桜か梅を念頭においた花なのだが、はっきりさせないことで、少しモダンさが出てくるように思える。最初の品では、花が桜と特定できるほど写実的に描かれているため、模様はすこし硬いイメージになる。この図案化した花と写実的な花が、どのように違って目に映るのか、下の画像でお目にかけよう。
写実的な桜の花(最初の作品)。花びらの形や蘂、蕾の形など、実際の桜に似せて描かれている。
図案的で、桜とも梅とも付かない春の花(後の作品)。花そのものの形をかなり省略して描いている。
同じ作家の手による品物でも、対象となる図案の描き方一つでも、このように異なる。これはひいては、品物全体の印象を大きく変えることに繋がる。
後身頃の裾に近い部分に付けられた秋の花。藍色に色挿しされた桔梗と、茎の長い釣鐘草、さらに裾に近い下部には、紅葉した蔦の葉が見える。模様上部に挿されている暖色系の色と対照的に、寒色系の色であしらわれている。
さらに、深まる秋をイメージさせるために、所々に加賀友禅独特の技法である「虫食い」の姿が見える。
葉の変色とともに付けられた二か所の「虫食い」。葉の一部に黒点を入れて、虫に食われたような姿にする。より自然に近く、写実的に模様を表現するための技法。この品物の場合、葉が朽ちていく姿を、虫食いを使うことで、よりリアルに表すことが出来ているようだ。
虫食い葉を拡大したところ。黒い点が、大小不均一に工夫されて挿されていることがわかる。虫食い葉の葉先の色を、白く抜けたようにぼかすことで、この部分をより強調することが出来る。たった一枚の葉を、作者が繊細に扱っていることがわかる。
こちらの品物も、もう一度全体像をどうぞ。
百貫華峰という作家が、同じ時代に製作した二枚の色留袖を見てきた。両作品には、共通する部分と異なる部分があったように思う。
共通するところは、柄の位置により模様を替え、挿し色を変えることにより季節感を出している点である。二枚とも、春秋の花を一枚の色留袖の中で表現しているが、春の花は上部に、秋の花は裾に近い下部に配し、春は暖色・秋は寒色と対照的な色挿しがなされている。また、「ぼかし」や「虫食い」などの加賀独特の技法を効果的に使うことで、より模様の表現に深まりが出ているように思われる。
異なる部分は、地色の使い方と、一部図案化した模様を使っている点であろう。最初の作品には、変えた地色そのものがそのまま模様となっている(連山模様)ことで、かなりメリハリが付いているとともに、桜の花を始めとしてかなり写実的に模様が描かれている。
一方、後の作品では、明るく優しい地色を使い、あまり変化を付けないぼかし方をしているために、全体的に柔らかい印象を受けるキモノになっている。さらに一部図案化した模様を使うことで、堅苦しさを回避しているように思える。
こうして、改めて二枚並べて見ると、類似点と相違点の双方がよくわかる。加賀友禅の作家は、最初に図案を考えると同時に、そこに挿す色をも決めている。下絵を描く段階で、すでに最終形がわかっているのだ。
使う方の年合いに相応しい地色は何か、またそこに付けられる模様をどんなものにするか、その全てを勘案して作品を製作していく。一枚のキモノに対して、最初から最後まで自分の意思に従い、モノ作りを進めることが出来るからこそ、作家としての価値が生まれる。
(百貫華峰・落款)
この作品が作られた1970~80年代の加賀友禅は、写実的で優美な、いかにも「加賀らしい」品物が多く世に出ていた時代であった。上品で楚々とした着姿を映し出すことにかけては、今も、加賀友禅の右に出る品物はないだろう。
一輪の花びら、一枚の葉の中に込められている繊細な作者の心は、どんなに時が流れても、決して色褪せることはない。
手入れのために店へ里帰りしてくる昭和の名品を見ると、バイク呉服屋もこんな品物が数多く流通していた時代に戻って仕事をしたかったと、実感します。
それでも、作者の息遣いが聞こえてくるような作品を、今この時代に自分の手で触れながら見ることが出来ることは、幸運なことと言えましょう。
これからも、このブログを読んで下さる方々に、少しでも多くの「昭和の良品」をご紹介出来たら、と思っています。次回の作品は、柿本市郎氏の黒留袖を予定しています。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。