浴衣や、薄モノにあしらわれている夏の和花を考えてみよう。すぐに思い浮かぶのは、秋の七草。萩・尾花(ススキ)・葛・撫子・女郎花(おみなえし)・藤袴・朝顔。他には、鉄線や百合、つゆ芝、杜若(かきつばた)などがあるが、考えてみれば、盛夏に咲き誇る花が少ない。
万葉集の中でも良く知られた山上憶良の歌、「萩の花。尾花、葛花、なでしこの花、をみなへし、また藤袴、朝顔の花」が秋の七草の由来である。暦の上では、8月上旬に立秋を迎える。これを考えれば、少しこじつけのような気もするが、秋草が夏の文様に組み込まれていることは、不自然とは言えないだろう。むしろこの一連の植物群を使わなければ、バリエーションに富んだ夏の柄行きを構成することは困難だ。
そもそも、和を感じさせてくれる草花とは何だろう。それはやはり日本最古の歌集・万葉集に登場してくるものになろうか。先の山上憶良の歌は秋の歌。では、夏の歌の中で一番多く登場する花は何か。一番多いのが萩、続いて薄、撫子の順。夏といえどもやはり秋草なのだ。
七草以外の花を読み込んだ歌の数は少ないが、紫陽花や百合、杜若などが見受けられる。代表的なものを二首挙げてみよう。
紫陽花の、八重咲く如く、弥つ代にを、いませわが背子、見つつ思はぬ 橘諸兄 (巻20・4448)
天平期、聖武天皇の補佐役として政治の中枢にいた橘諸兄(たちばなのもろえ)は、万葉集の編纂者・大伴家持と親交が深かった。この歌の意味は、「八重に咲くあじさいの花のように、いつまでも栄えますように、私はあなたを仰いでお仕え申し上げます」。おそらく、彼が仕える相手・聖武天皇を詠んだものであろう。
さ百合花、ゆりも逢はむと、下延ふる、心しなくは、今日も経めやも 大伴家持 (巻18・4115)
この歌が入っている第18巻は、大伴家持本人が詠んだものが多く収められている。越中の国(今の富山県)に出向中の家持が、奈良の都で待つ妻・坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)を想い、詠んだ歌。万葉の時代、百合は「後で」という意味合いがある。だから、この歌の冒頭の「百合」と「ゆりも逢はむ」は掛詞のようになっていて、訳すと「あなたに後で会えることを考えなければ、今日と言う日は過ごせません」。「百合」=「妻」=「後で」という繋がりになる。
さて、前置きが長くなってしまったが、今日も、竺仙浴衣の夏姿を見て頂くことにしよう。万葉の時代から詠われた、沢山の和花を登場させてみたい。
今日ご紹介するコーマ地は、竺仙浴衣の中でもっともオーソドックスな生地。ケバを除き、長い繊維の綿糸だけを使って織り上げたもの。先日綿糸の質感についてお話したことがあったが(2015・1・31 綿薩摩の稿)、繊維の長い「細番手」の糸であればあるほど着心地は良くなる。長い間、竺仙の定番生地として使われ続けてきたコーマ生地は、こだわりを持って作られてきたものである。
今日は、主に挿し色の入らない品物を使ってみようと思う。白地に紺・紺地に白・藍地に白など、何れも浴衣のスタンダードとして使われ続けてきた配色のものを、見直して頂きたいと考えたからだ。
特に若い方には、帯合わせ次第で映りが変わるシンプルな浴衣姿を、知って欲しい。
(コーマ白地・石蕗 麻半巾帯・濃ローズ色市松ぼかし模様 竺仙)
白地に大ぶりな石蕗(つわぶき)の花が描かれた、清々しい模様。石蕗は、蕗に良く似た円形の葉を付け、小さい黄色の花を付ける。蕗より艶っぽい姿ということで「艶蕗(つやぶき)=石蕗(つわぶき)」の名が付いたと言われている。
このように、挿し色が入っていない浴衣でも、帯次第で十分若い方に使って頂ける。濃いローズピンクのぼかし無地麻帯は、シンプルだがかなり目を引く。柄が無く、市松模様の地紋だけなので、すっきり感が増している。
(博多半巾帯・極薄ピンク地に濃ピンク源氏香模様 織屋 にしむら)
こちらは、上の帯び合わせよりも、もう少し着姿が大人しくなる。帯地色は、ほんのりとピンクが感じられるような薄い色。源氏香文様とは、組香と呼ばれている、香の香りを嗅ぎ当てる優美な遊びに使われる「源氏香の図」の模様のこと。(詳しくは、2013・9・15 取引先散歩・紫紘の稿をご参考にされたい)。帯問屋・紫紘の会社ロゴマークは、この源氏香の図の「若紫」から取られている。
今度は、目の覚めるような藍地に紫陽花の模様。白抜きされた紫陽花の花がくっきり浮かび上がり、爽やかな印象が残る。紫陽花は杜若と並び、6月から7月にかけて咲き誇り、夏の始まりを感じさせてくれる花。うっとうしい梅雨時にこの花を見かけると、晴れやかな気分になる。
(コーマ藍地・紫陽花 博多半巾帯・白地に水色源氏香模様 織屋 にしむら)
先ほどの半巾帯とは色違いの、源氏香模様を使ってみた。藍地に合わせて、涼感が出せるような水色源氏香。浴衣に色が入っていない場合の帯は、シンプルな色使いの方が、馴染みやすい。キリッとまとめて、着姿を見た方にも涼やかさを感じて頂こう。
シンプルさを前面に出したコーディネート。どちらも若い方に使って頂きたいもの。なお、藍地に合わせた水色源氏香の帯は、昨年夏、婦人画報社・ヴァンサンカンに掲載された、女優・杏さん着用の絹紅梅・菊唐草模様に合わせたものと同じ品物である。竺仙のHPの中の「2014年・浴衣ランキング第8位」に取り上げられているので、参考までにご覧頂きたい。
次に、白いコーマ地にモチーフの特徴を生かした色挿しがされている品物を、二点ご紹介しよう。
杜若(かきつばた)と菖蒲(あやめ)、それに花菖蒲(はなしょうぶ)の区別はなかなか付け難い。杜若は青紫で大ぶりの花、菖蒲は紫、花菖蒲は赤紫と、わずかながら色の違いがあるように思える。杜若の文様と言えば、三河の国の杜若の名所、八橋にちなむ「八橋文様」を思い起こさせる。水辺に掛かる橋と杜若の組み合わせは、夏の意匠である。(詳しくは、2014.7.21 在原業平にちなむ八橋文様の稿を見て頂きたい。業平のプレイボーイぶりも合わせて書いてある)。
(コーマ白地・杜若 麻半巾帯・青磁色市松ぼかし模様 竺仙)
青磁色というより、ペパーミント・グリーンと表現した方が良いような、爽やかな麻ぼかしの帯。先ほど、白地の石蕗浴衣に使った濃ピンク麻帯の色違いになる。画像からおわかりのように、杜若にあしらわれている若草色とリンクさせたコーディネート。
浴衣の中の杜若の花は、若草色・橙色・藍色と分けられて付けられているが、涼やかな着姿を考えて、若草色の系統で帯地色を選んでみた。竺仙が扱っているこの麻半巾帯は、通常の博多半巾帯に比べて、2分ほど巾広である。僅かな差ではあるが、帯の色目がより印象に残る。
楓といえば代表的な秋文様のひとつ。描かれる時は、紅葉して鮮やかに色付いたところである。夏の楓は青々しているので、「青楓」と呼ばれている。この浴衣の楓も、少し深い緑色が付けられている。このように、紅葉していない楓の葉模様は夏の模様として使われる。
(コーマ白地・青楓に小萩 絽半巾博多帯・薄グレー地網代模様)
青楓の回りに散らされている小萩の赤紫色が、この浴衣のアクセントになっている。この色を生かし、淡いピンクの網代模様の帯を合わせてみると、優しい印象になる。
網代は、竹の皮などを互い違いに交差させて組まれたもののことで、笠・茶室の天井(装飾)などに使われている。この文様が、キモノや帯の柄になっている。細かい網代文様の小紋などは、さながら江戸小紋のようである。
若草色の杜若・赤紫色の小萩と、それぞれの浴衣の柄につけられた色から考えられた帯のコーディネート。白地と柔らかい地色の帯を組み合わせてみると、品の良い着姿になるような気がする。
最後に褐色・藍色地に白抜き模様という、もっとも竺仙らしい浴衣を見て頂こう。
竺仙の伝統色、褐色。単純な紺ではない独特の深みを持つ色である。この色に関して書いた稿があるので、ご参考までにお読みいただければと思う。(2013.5.21 竺仙の伝統色・褐色)。模様も古典的な薄(ススキ)だが、かなり図案化されている。
(コーマ褐色地・薄 琉球ミンサー半巾帯・白地)
褐色浴衣は、ぜひシャキッとした着姿にして欲しい。とすれば、やはり帯は白地ということになろう。大きめのミンサー柄模様で、少しモダンになるように合わせて見た。帯の中に織り込まれている二本の縞がアクセントになる。
ちょっと丸みを帯びた四つ目菱文様は、別名「猫足文様」と呼ばれている。その名の通り、まるで子猫が付けた足跡を、そのまま模様付けしたように見える。何ともユニークで、かわいい菱文様。爽やかなコバルトブルーの藍地色に浮かびあがる猫足浴衣は、ぜひ若い方に試して頂きたい。
(コーマ藍地・猫足四つ目菱 博多半巾帯・白地市松紋織に青磁色よろけ縞)
せっかく付いている猫の足跡を消さないように、帯は出来るだけシンプルなものを選んでみた。青磁色のよろけ縞が、波のようにも見える爽やかな模様。単純な組み合わせだが、着姿は目に止まるように思う。
褐色・藍色に白抜き模様の浴衣には、ぜひ一度白地の帯をお試し頂きたい。「涼やかさ」を表現するということになれば、やはりこの組み合わせが「鉄板」であろう。
今日は、色挿しが少なくシンプルな模様の浴衣を、ご紹介してきたが、如何だっただろうか。白地3点・藍地2点・褐色地1点のコーディネートを改めて見てみると、どれも帯そのものの色使いが少ない。やはり、シンプルな浴衣には、シンプルな帯が使い勝手が良いような気がする。
このような品物は、使う帯の地色を変えるだけで、かなり印象が変わるので、使う方の年合いに合わせて、幅広く楽しんで頂けると思う。
ぜひ一度、色の入らない浴衣をお試しあれ。
万葉集に登場する花の第一位は萩。次いで梅・橘・桜・薄の順です。面白いのは、控えめな小ぶりな花ばかりで、牡丹のように主張の強い花は入っていません。繊細な心を持つ日本人らしい、花選びですね。
特に梅の花は、天平の人たちに特別な想いを持って見られていたのではないでしょうか。遣唐使の停止を決意した菅原道真。藤原摂関家に疎まれ、左遷された大宰府の地で失意のうちに最期を迎えます。彼の徳を偲んで都より飛んできた梅が花を咲かせたとされる飛梅の伝説をみれば、彼が梅の花に寄せていた想いというものがわかります。
遣唐使を派遣しないということは、大陸の文化と決別するという意味になります。ここに、平安期の国風文化が勃興する礎があるのです。道真は、日本独自の和文化を導き出す先駆者の役割を果たしていたように思えます。
キモノや帯にほどこされる和花それぞれには、人々から愛され続けてきた歴史を感じることが出来ますね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。