「青は藍より出でて藍より青し」。弟子が師の知識や技術を越えて、抜きん出ること、「出藍の誉れ」のたとえである。人は努力することにより、持って生まれた自分の資質を越えることが出来るということになろうか。
説いたのは、中国・春秋戦国時代の・荀子(じゅんし)。紀元前3世紀頃活躍した儒教思想家で、国の統治者には「礼」を重んじた政治を望んだ。人々が、礼を学んだ権力者の下、礼に基づき服従することで、社会に安定をもたらすとの考え方である。そして、国を治めるには、力を持って推し進めることを容認していた人物でもある。
また、社会には格差が出来ることを容認し、身分の差があるからこそ、欲望が抑えられ、人それぞれの身の丈に似合った生き方が出来ると説く。「出藍の誉」でもわかるように、人は努力することで自分の能力以上の成果を出せるとする。だから、人の評価は身分ではなく、その人本来の実力主義を取る。
このように考えれば、荀子の思想は現代社会に当てはまることが多いようだ。経済格差が無限の欲を抑えるとは、確かにその通りで、厳しい経済状況に置かれる者は多くを望まなくなるだろう。また、成果主義による人事評価は、今の企業社会では当たり前のことである。
ということで、今月のコーディネートのテーマは藍より出でる青。梅雨に入る前の五月晴れの空は、澄んだ青をひときわ感じさせてくれる。振り返れば、昨年の5月のコーディネートでも、青をテーマとしたが、やはりこの季節になると取り上げたくなる色である。品物に、爽風に映えるジャパン・ブルーを感じていただければと思う。
(藍、ユウナ草木染 久米島格子紬・阿波本藍染 藍地濃淡リバーシブル袋帯)
今日ご紹介するキモノ・帯は、いずれも天然藍を織り糸に使ったもの。藍は生きている染料と言われる。色の濃淡や微妙な違いは、天候や湿度に左右され、日々変化する。しかも、この二つの品物に使われている藍は、植物の種類も染め方も異なっている。
ジャパン・ブルーがどのように生み出されているのか、それぞれの品物を見ていこう。
(藍・ユウナ染 グバン文様 久米島紬 製織者・神里エリ)
前回のブログで取り上げた久米島紬。自生する植物から染料を抽出し、媒液で様々な色を生み出し、織られる草木紬である。代表的な植物はグールやティカチ(車輪梅)、ヤマモモなどだが、今日の品物で使われているものは、藍とユウナ。
沖縄の藍原料は、リュウキュウアイ(琉球藍)でキツネノマゴ科に属する。これは、東南アジアや中国南部、それに沖縄などの亜熱帯に適応する植物で、本州の藍原料とは違う。
藍は、世界中で染原料として使われてきたものだが、地域により種類が異なる。インド藍の原料は、熱帯に自生するマメ科のナンバンコマツナギであり、日本の本州や中国中央部などの温帯では、タデ科の蓼藍、さらにヨーロッパやアイヌ民族は、寒帯でも栽培できるアブラナ科のハマタイセイ(大青)。
琉球の藍染めは、植物の違いと同時に染料の加工方法も異なる。本州の藍加工は、葉を乾燥させた後、水を繰り返し打ち、「すくも」という藍原料を作るのだが、琉球藍の場合、一定期間葉を水に浸した後に石灰を加え、そこで生成される色素をそのまま利用する。この方法を取ると、藍の色素は水に溶けず底に沈殿する。これを染料として使うのだ。この藍のことを「沈殿藍」とか「泥藍」と言う。泥状でそのまま使う場合と、水分を蒸発させて乾燥させる場合があるが、後者だと保存が利く。
地のシルバー・グレーがユウナ染。縞の藍糸には濃淡が付けられ織り込まれている。
もう一つの染料はユウナ。日本では種子島以南の琉球地方、亜熱帯に自生するアオイ科の植物・オオハマボウ(奄美や沖縄ではユウナと呼ばれる)から抽出される。この植物は、海岸の砂浜の後ろに自生し、葵のようなハート型の葉で、南国らしい鮮やかなオレンジや黄色の丸い花を付ける。
染料に使われるのは幹の部分で、これを焼いて炭化させ、さらに粉状にして水でろ過されたものが染液となる。この液に糸を潜らせては水で洗い、乾燥させる。この一連の工程を日に5,6回繰り返し、それを一週間ほど続けたものを、明礬で媒染すると、柔らかなシルバー・グレーの色に発色する。
久米島紬としては、大胆なグバン(沖縄語で格子模様のこと)文様。地色はユウナ、縞は藍だけとシンプルさが際立つが、この色の組み合わせが爽やかさを呼び、大きい格子でモダンさを出す。南国らしい、スカッとした印象が残る品である。
この、すっきりした琉球藍の久米島紬に合わせる帯をどうするか。コーディネートを考える時に大切なのは、キモノの爽快さをそのまま残せるような、合わせにしなければならないことだろう。簡単なようだが、結構難しい。
(阿波天然藍染糸 藍濃淡グラデーション両面袋帯・トキワ商事 天然藍匠同人)
藍のキモノには、藍の帯でと意識した訳ではないが、キモノと帯双方の相対的な色の映りを考えると、同系の濃淡で考えるのが一番良いと思える。帯の中に柄など無いほうがよく、無地を意識したものの方が、キモノの模様を壊さないだろう。
藍の色糸の濃淡だけを使って織りだされたもの。そのままグラデーションとなって、模様付けされる。まさに、藍そのものを感じる帯である。この品物は、上の画像で判るように、リバーシブル(両面使い)で、片面は深い藍の濃淡、もう片面は甕覗きのような薄い藍糸を使用している。
阿波の藍は、琉球藍とは違い、温帯に育つ蓼(たで)藍を原料とし、染料の作り方も異なる。こちらは、乾燥した藍葉に水打ちと混ぜ(切り返し)を繰り返すことで出来る「すくも」を使用する。藍甕にこのすくもを入れ、そこに灰汁(あく)を入れる。この灰汁は、熱湯の中に木の灰などを入れて作ったうわ澄液である。
灰汁のほかに、石灰やふすま、酒、水などを入れて攪拌すると、十日から二週間ほどで、藍染料として使える状態になる。これは、すくもの中の有機物が木灰や石灰などのアルカリ剤に反応して発酵することで、「藍が建つ(染料として使える状態)」となる。
この藍が建つ頃には、藍甕の中に「藍の華」と呼ばれる藍色の泡が見られる。この藍甕に布や糸を浸して、染めていく。濃い藍色を染める場合は、何回も染付けを繰り返し、徐々に色の深みを出していく。一度に染まる色は淡い藍色なので、染を繰り返せば繰り返すだけ、深い藍となる。薄い藍色を出す時は逆で、一、二度だけ浸して染を終わらせる。「甕覗き」と言われる薄藍は、甕をほんの少し覗いただけと思えるような少ない浸しの喩えから、付いた言葉である。
薄い藍色糸を使い織り込まれた、もう片面。織り方が7:3の格子模様になっている。
この帯を製作した、京都のトキワ商事は染メーカーながら、もう30年以上前から阿波藍を使った品物作りをしている。徳島に天然藍匠同人と言う、灰汁を使った自然発酵にこだわる藍染職人の集団を取りまとめ、そこで生み出される糸や布を使い、モノ作りをしている。現在この集団を率いるのが、徳島県の無形文化財保持者の古庄紀治(としはる)氏と藍製造師の新居修氏である。
しかしこの伝統的な阿波藍染も、今や存亡の危機に立っている。それは原料となる「すくも」を作る藍栽培農家が激減したこと。今やわずか4戸である。原料がなければ染料は出来ない。すくも作りは、大変手の掛かる仕事である。今ある農家も高齢であり増産は出来ず、当然後継者の見通しも立っていない。藍そのものを育てるものがいなくなれば、終いだ。どうにかならないものだろうか。
では、キモノと帯の組み合わせを見てみよう。
濃いグラデーションの面を使ってみた。藍といういひと色の濃淡だけで表現された帯なので、久米島格子の爽快さが消されていない。やはり、藍色以外に組み合わせる色が浮かばない。
こちらは前の合わせ。帯の位置を微妙にずらせば、また違う印象となる。ランダムに藍色のグラデーションが付けられているので、これを楽しむことも出来る。
小物合わせをしてみた。帯揚げは、紋織生地でかなり薄い水色一色。帯〆は白と濃藍の染め分けになっている平組。(ともに加藤萬)
小物の色も藍にこだわり、濃淡を意識した組み合わせ。どうやら今日のコーディネートは、藍というひと色から離れられないようだ。
薄藍のもう片面を使って合わせてみたところ。キモノの格子の藍色と帯の薄藍が重なり、すこしおとなしすぎてぼやけたような印象となる。やはり、最初の濃い面を使ったほうがインパクトが出る。上品さを意識したい方は、こちらでもよいだろうが、やはりこの面を使う時のキモノは、すこし濃い目の藍や青系がふさわしいように思える。
最後にご紹介した品物を、もう一度どうぞ。
今日は、ジャパン・ブルーと呼ばれる天然の藍色にこだわってコーディネートをしてみました。澄み渡った空の下、さらりとこの色をまとえば、爽風が吹き抜けるような気がします。やはり涼感を求めるには、藍色ということになりますかね。
中国の春秋戦国時代には、諸子百家と呼ばれるほど沢山の思想家が現れました。その中で、荀子などの儒学者と、もっとも相容れない思想家に墨子(ぼくし)がいます。
墨子は非戦論者であり、博愛主義・平等主義を主張します。「普通、人を一人殺せば死刑になるのに、なぜ百万人を殺した将軍には勲章が授けられるのか?」 彼のこの喩えで考え方がわかります。また、天下の利益は平等思想から生まれ、天下の損害は差別から生まれるとして、全ての人が平等になるようにと説きます。
この「非攻(不戦)」と「兼愛(平等)」の二つをあわせた博愛主義的な思想は、当時群雄割拠して、相手の領地を侵略することばかり考えていた諸侯に受け入れられるはずもなく、当時の思想家の中ではかなり際立った存在でした。
憲法改正論議にきな臭さを感じている昨今、荀子と墨子の思想の違いが、憲法改正派と擁護派に当てはまるような気がします。私は、墨子が描く社会が理想ですけどね。
今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。