バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

形骸化を容認できるか(2) 和裁職人存亡の危機(後編)

2015.04 26

将来に対して備えをするということは、難しいことだ。例えば、起こりうる災害に対して、飲料水や食べ物、携帯ラジオや懐中電灯などは、常日頃から常備しておかなければならない。

大きな地震や台風などの被害を目の当たりにしたときは、誰もが備えることを自覚するが、平穏な日常が続くと準備を忘れる。「喉元過ぎれば、暑さも忘れる」という言葉の通りだ。

 

専門店という意識を持つ呉服屋にとって、将来起こりうることは何か。それは職人の枯渇であり、商品の欠乏である。本当に困る事態が起こるとわかっていながら、備えをすることが出来ない。いや、方策が見つからないといった方が良いだろう。

前回、海外に頼るキモノ仕立の現状についてお話した。和裁士は減り続け、一枚のキモノを一人の職人が手がけるということが、いずれ出来なくなる時が必ず訪れる。

だが、本当に危機感を抱いているのは、一部の店だけであろう。それは、仕立という仕事に対する向き合い方が、店によりかなり違うからだ。扱っている品物や、商いの仕方が異なれば、自ずと加工に対する意識も変わってくる。

何故、専門店が危機感を持つのか。何が出来て、何が出来なくなるのか。今日は、その辺りのことを具体的にお話したい。

 

まず最初は、直す仕事に対する不安を考えてみる。

このブログでも再三述べているように、キモノや帯は使う人の寸法を変えながら、長く使える品物である。また、フォーマルモノや、良いほどこしの品物ほどその意識は強く、親から子、孫と世代を繋いで使うものだ。

先頃、寸法直しの限界について話したが、縫い込みを入れておけば、ある程度の長さまでは対応出来、直すことは十分可能になる。

海外縫製でも、縫い込みはされているだろう。(私は、海外で縫われた品物の実物を見ていないので、本当のところはわからないが) もし万が一、縫い込みの意識がなく、中揚げや袖の縫い込みがなければ、身丈や袖丈直しは難しくなる。

しかし、縫い込みの有無に関わらず、身近に和裁職人がいなければ、直すこと自体が大変になる。今はまだ大丈夫でも、将来、母親が使ったキモノの縫い込みを出して使おうとしても、簡単にはいかなくなるだろう。

 

寸法を長くするというのは、自分の体型に合わせて、1寸、1寸5分と微妙な直しをするものだ。通り一遍のの仕事ではなく、人により異なる。長くする場合、例えば、裄なら袖付と肩付をはずし、中の縫い込みを確認し、初めて寸法通り直せるかどうかがわかる。袷では、表地は入っていても裏地が入っていないこともある。また、前の縫い跡が表に出てこないように、スジ消しを先にしてから、巾を出す。

直しの仕事は、キモノの状態を見ながら、お客様の希望に添えるかどうか、店と職人との間で話を詰める必要がある。実際に品物を直す職人は、仕事を受けた店側から、具体的な話を聞かなければ、仕事にかかれない。直しこそ、店と職人が緊密な関係でなければ、受けられない仕事である。

今はまだ、店と職人の距離は近い。仕事もスムーズに依頼出来、代金も安く上げることが出来る。だが、職人がいなくなれば、簡単な直しでさえ難しくなる。お客様・店・職人、この三者の連係が円滑に取れないと、どうにもならない。

直しの内容について、自分の店から遠いところにいる(まして外国など)、顔も知らないような職人にどうやって正確に伝えるのか。お客様からの依頼を、正しく職人に伝えることが出来なければ、安易に直しの仕事など受けられなくなってしまう。この先、単純にキモノは分業で縫うことが出来ても、直しを外国で出来るようになるとは、考えられない。直しの出来不出来は、店と職人の距離に関わる問題なのである。

呉服屋にとって、直し仕事が受けられなければ、致命的になる。長く使うもの、というコンセプトでキモノを考えることが、不可能になるからだ。もちろん、こんな事態になれば、バイク呉服屋も店を閉めることを余儀なくされるだろう。

 

次は、仕立の技術的な問題について考えてみる。

これは、反物の状態にある付下げの、上前おくみの合わせ部分を写したもの。仕立の際は、柄をピタリと合わせなければならない。出来上がりを次の画像でお目にかけよう。

おくみと身頃、両方に繋がる柄を丁寧に合わせる。金と白の連山模様になっているところと花の丸部分を、よく見て頂きたい。どの山もほとんどズレなくきれいに合わされている。

仕立て上がったキモノの、上前とおくみを写したところ。最初の反物の状態で見た模様が上手く揃うと、こうなる。

柄合わせのキモノだと、着姿のメインになる上前おくみと身頃がきちんと合っていなければ、美しくない。柄によっては、ずれると模様にならないものも出てくるだろう。

当然外国縫製でも、この部分には神経を使っていると考えられるのだが、ここは単純に寸法さえ合っていればよいというものではない。柄合わせは着る方の身巾寸法と関連があり、上前はきれいに合わせることが出来ても、脇や後身頃の合わせにズレが生じてしまうようなこともある。

寸法を合わせるのか、柄を優先して合わせるのか、どちらかを選択しなければならないようなケースもある。こんなときは、呉服屋と職人が相談して、どうするか決めなければならない。やはり柄合わせを考える時、海外縫製では一抹の不安を拭えない。

 

袖口にほどこされた「ぐししつけ」

衿の「ぐししつけ」

しつけは、キモノと裏地をしっかりと付け、縫い目をなじませる意味があるが、今は格調付けのための施しになっている。喪服や黒留袖など、黒地のフォーマルには、ぐししつけの存在は際立つ。きれいにしつけされた品物は、それだけで風格のある仕上がりに見える。

また、ぐししつけを見れば、職人の技量がある程度わかり、どんな仕事がキモノになされているか理解出来る。(一昨年の12.11 和裁職人・保坂さん「ぐししつけ」と「しつけ」の稿をご参考にされたい)

海外縫製で、精緻なぐししつけを施すことは、かなり難しいだろう。これは、熟練した腕を持つ日本の職人でなければ出来ない。もし海外で作られたもので、ぐしが付けられているものは、そこだけ日本の職人がしたものか、あるいはぐしミシンで付けられたものか、あるいは稀に技術指導の末の産物であろう。そもそも、ぐしそのものを付ける意図がない品物が多い。ほとんどの海外縫製は、一枚のキモノを分業で仕上げるため、技術の統一が取れているかどうかも心配になる。(無論、厳格な検品はされるだろうが)

 

最後に、特殊な技術を要する品物の仕立はどうなるのか、考えてみる。

例えば、生地を裁たないで作るお宮参りの着物・八千代掛けや、それに繋がる子どもキモノや被布。三歳や七歳の祝着には肩揚げや腰揚げが必要で、仕立て方も大人モノとは違う。現在でも、上手に小裁ち(子どもモノ)の仕事が出来る職人は限られている。うちの職人を考えても、中村さん一人しかいない。

また、羽織や変わり衿のコート類なども難しいだろう。特に、へちま衿とか千代田衿など特殊衿の道行コートや、キモノ衿の道中着なども、技術が必要だ。小松さんといううちの職人は、様々な衿の形に対応することが出来、さらに結び紐を、残り布で被布飾りのように作ることが出来るが、やはりこのような仕事を頼めるのは、彼女だけである。

すでに袴仕立などは、うちの仕事を請け負っている職人では難しいので、産地・米沢の職人に依頼している。特殊な仕立を要するものは、国内でも縫える職人が少なくなっているのだ。こんな仕事をどうやって海外でするのか。技術指導をして、縫える職人を育てることが簡単に出来るとは、到底思えない。

 

これまで述べてきた、直し、柄合わせやぐししつけなどの美しい仕上がり、特殊な技術を要する仕立など、どれ一つとっても、呉服屋にはどうしても必要なことばかりだ。もっと言うなら、これが不可能になれば、それこそ店の存続に関わる問題となる。

つまり、和裁職人の存亡の危機は、店の存亡に繋がるのだ。さらに、和裁士ばかりでなく、しみぬき、補正、紋、洗張り、丸洗い、さらに湯のしやスジ消しなどの加工職人が無くなれば、当然店の仕事が行き詰まる。

 

海外へとキモノ仕立がシフトした原因は、安い工賃で効率的に仕事をさせようとしたことにある。そのため、職人に仕事が行かなくなり、未来の担い手も消した。日本人でなくともキモノの仕立ては出来る、と呉服屋や業界が考えた、いや高を括ったからだ。

経済効率を優先させれば、仕事は形骸化する。大量生産、大量消費には当たらない呉服加工に、これを当てはめたことで生まれた弊害は大きい。そもそも、民族衣装であるキモノを外国人が縫う、ということに対して、日本人としての矜持はなかったのだろうか。それを問いたい。

和裁職人の枯渇に対して、危機感を抱かない呉服屋は、自分の仕事にどのような将来展望を見据えているのだろうか。海外仕立を容認するような者が、マトモな品物を扱えるのか、甚だ疑問である。

次回は、モノ作りの形骸化が何をもたらしたかを、考えてみたい。

 

職人と呉服屋は、一蓮托生です。職人がいなくなれば、仕事は出来ません。海外へ仕立物を出さなければならないなら、その時点で店の存続を諦めますね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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