バイク呉服屋の忙しい日々

出張ひとりメシ

爺ちゃん家の居間で食う「ビーフカツライス」 日本橋・小伝馬町

2015.03 10

一昨年の5月より書き始めたこのコラムブログが、今日の稿で丁度200回になる。それを記念してという訳でもないが、新しいカテゴリーを設けることにした。半月ほど前から、カテゴリーに「出張ひとりメシ」という項目があることに、お気づきの方もおられただろう。

 

テレビ東京の人気番組「孤独のグルメ」を見るたび、主演・松重豊の様子が、我が事のように思える。松重が演じる井の頭五郎は、輸入雑貨商を一人で営んでおり、仕事で訪れた先の街の店に入り、ひとりでメシを食べる。毎回これが、淡々と繰り返されるだけなのだが、その姿が自分と重なるのだ。

バイク呉服屋と井の頭五郎と違いは、妻子持ちか否か、である。酒が全く飲めないことや、愛煙家であるのも同じだ。出張仕事は、いつもひとり。メシを食べるのもひとり。普段の仕事も、家内に任せている経理や雑務以外は、全て私一人で切り回している。

そんな井の頭五郎に感化され、私も出張先で立ち寄る店の話を書きたくなった。五郎と違い、私が訪れる街は、ほぼ限定されている。東京ならば、繊維問屋やメーカーが集まる日本橋界隈、京都ならば、室町と西陣である。食べる店を紹介しながら、呉服屋が行き交う街の風景なども、織り交ぜて書いていきたい。

このブログを読まれている方ならば、風変わりなバイク呉服屋が紹介する店が、大店の旦那衆が通うような高級料亭や、有名シェフが腕をふるう人気レストランでないことはおわかりだろう。私は小奇麗な店でメシを食べると、味がわからなくなる。

隠れた名(迷)店で、ひとりメシを食う様子を見て頂き、皆様に楽しんで頂きたい。なお、ご紹介する店の味は、私が保証する。

 

ビーフカツライス・みそ汁付き 1330円  小伝馬町・津多屋(梅沢商店)

出張先での、昼メシ時間は遅い。たいていが1時半頃だ。朝8時の「あずさ」で甲府を出ても、日本橋の問屋に着くのが11時頃。何軒か仕入先を回って一息つくのが1時過ぎ。時間がない時は、立ち食いそばで済ますことも多いが、疲れてくると、少しくつろいで昼メシを食いたくなる。腹が減って、どうしてもガッツリしたものを胃に収めたい時、向かう店が今日ご紹介する、小伝馬町・津多屋(梅沢商店)なのだ。

ここは、ある意味「大変」な店である。これほど、店らしくない店も珍しい。どういうことなのか、これから順次お話していこう。

 

うちの取引先は、日本橋の中でも人形町・富沢町・堀留町・久松町・浜町・馬喰町・東日本橋などに分散している。小伝馬町は、日本橋町会で一番北側にあたり、隣町は千代田区岩本町になる。地下鉄日比谷線ならば、人形町より一駅先なので、問屋街からは少し歩かなければならない。

小伝馬町という地名で、何を思い起こされるだろう。おそらく多くの方が、江戸時代の「牢屋敷」があったところと、記憶されていると思う。テレビ時代劇で、「小伝馬町の牢に閉じ込められていた囚人を逃がした」などと使われることが多い。

この街に牢屋が作られたのは、江戸時代初期の慶長年間(1600年頃)のこと。以来、1875(明治8)年市ヶ谷監獄が出来るまで、使われ続けていた。天保年間に幕府の鎖国政策を批判した「蛮社の獄」で捕らえられた高野長英や、幕末の「安政の大獄」で捕らえられた吉田松陰なども、この小伝馬町の牢につながれている。

現在、牢の跡にある「十思公園」には、「吉田松陰終焉の地」の碑が建てられてある。松蔭がこの地で処断されたのは、1859(安政6)年10月、29歳であった。

 

津多屋さんへは、上の画像にある小伝馬町の大きな四つ角(昭和通りと江戸通りの交差点)を西へ向かう。江戸通り沿いに200メートルほど歩いて、上に首都高速が通る本町交差点の手前の路地を、北へ上がる。裏道で、十思公園の脇を通る行き方もあるが、初めて訪ねる方にはわかり難い。

江戸通りから脇へ入った道の、一つ目の路地を左に曲がると、小さな暖簾を掛けた店が見える。昨年秋に、外壁と内装が新しくされたので、きれいなのだが、以前は外側が錆びたトタン張りで、大変な状態になっていた。店の入り口は狭いので、知らない人だと通り過ぎてしまう。

店の前景。自転車が置かれ、鉢植えが並べられているのは、昔から。入り口のガラスサッシには、お品書きが掲げられていて、誰にでも食事処とわかるが、改装前の店では、右側には昔ながらの木枠の古びたガラス窓が付けられ、肉の小売が出来るようになっていた。津多屋さんは、元来梅沢商店という肉店である。

 

1時過ぎていて、腹も減っているので、早速中に入ってみる。初めてこの店に来た人は、引き戸を開けて、店内を見た途端に呆然とする。何故かと言えば、そこにはカウンターも椅子も机も置いてないからである。あるのは、厨房だけなので、一体どこで飯を食わせてもらえるのか、わからない。

入り口の脇にある調理場。毛糸の帽子を被った爺ちゃんが迎えてくれる。「お二階へどうぞ」と一声。続いて婆ちゃんが、「すぐお茶お持ちしますから」と愛想良く微笑む。勝手知ったる私は、店の奥の戸を開け、靴を脱ぎあがりこむ。一階の奥の部屋は、居間になっていてテレビが置かれている。サラリーマン風の先客三人が、食事中である。

二階へは、その部屋の脇に付けられている階段を登る。年季の入った木の階段で、黒光りしている。料理を運んで来るには、かなり狭くて急な傾斜だ。婆ちゃんの足腰は、毎日ここを何度も上り下りすることで鍛えられているのだろう。

階段を上って、たどり着いた二階は6畳の部屋が二間。下の部屋が居間ならば、ここは寝室に使っているように思える。

窓側の部屋には、机が二つ。画像には写っていないが、端の机で、OLさん二人が食事中だった。古い箪笥が置かれ、生活感に溢れている。客が食事をするところは、改装前と何も変わらず以前のままだ。

 

手前のコタツ部屋に腰を下ろす。こちらの部屋にも、古い鏡台が置かれ、あちこちに荷物が積まれている。店で食事を取るというより、普通の民家に入ってメシをご馳走になるような、なんとも不思議な気分にさせてくれる。しばらくすると婆ちゃんがお茶を持ちながら、注文を聞きに来る。

さて、何を食うか。洋食の定番メニューが並ぶ。私はいつも、ロースカツの盛り合わせか、ビーフカツを選ぶ。盛り合わせは、カツのほかに生姜焼きとウインナフライ、特製チャーシューが載せられていて、ボリューム満点。今日は、少し贅沢にビーフカツにしてみよう。

 

待つこと15分。揚げたてのビーフカツが出来上がってきた。横20cm・厚さ1.5cmの大きなサイズ。ここのカツは、肉にはしっかり火が通っているが、衣はサクッと揚がっていて、油っぽくない。ご覧のような大きさだが、食べ始めると、どんどん箸が進む。付け合せは、ポテトサラダと千切りキャベツ、トマト、レタス、それに柴漬けが添えられている。

肉の断面。厚切りなのに柔らかい。これにソースとカラシを自分の好みでかけて食べる。ああ、美味い。しみじみ幸せを感じる。この道50年の爺ちゃんが揚げたカツは、火の通り方が絶妙だ。牛の味をしっかり感じさせてくれる。肉そのものが美味いのは、肉に精通している肉屋だからこそ、なのだろう。

コタツの卓上に置かれた「ビーフカツライス・みそ汁付き」。これは「並」だが、メニューには「上」もある。食べたことはないが、肉のサイズがこれよりかなり大きいか、あるいは肉の質がかなりよいものであろう。私は、「並」でも十分堪能出来る。みそ汁は、別売りで80円。ライスは大盛りだと180円増になる。

東京のど真ん中、それもお洒落な店や、有名店が並ぶ日本橋という街にあって、これほど庶民的で飾らない店が存在するのは、奇跡的なこと。こんな、爺ちゃんと婆ちゃんが切り盛りする店は、「昭和ノスタルジア」の懐かしさをも十分感じさせてくれる。

バイク呉服屋、ひとりメシの風景。メシも終了寸前で、皿に残るカツはあと一切れ。

私は早食いなので、ものの10分ほどで完食してしまう。満腹になって、コタツで一眠りしたいところだが、考えてみればまだ仕事の途中なので、意を決して階下へ降りる。働くことを忘れてしまうほど、くつろいでしまった。

 

時刻は2時。爺ちゃんと二人の婆ちゃんも一息ついたところ。勘定を払いながら、少し話を聞いてみる。津多屋さん(梅沢商店)の創業は昭和8年というから、実に83年前からこの地で営業していることになる。

新しく見える建物も、昨年秋に三ヶ月かけて外装と、調理場の一部だけを手直ししたものなので、基本的には元のままだそうである。この家は、関東大震災直後の昭和初期に建てられている。東京大空襲の際も焼けず、4年前の震災の揺れにも耐えたのだ。婆ちゃんは、この土地に地運があるから、残って来られたと言う。

昨年改装が終わった時に、税務署の職員が外側だけを見て、やってきたそうだ。以前のトタン葺きから、あまりにもきれいにリニューアルしたので、建て直したと思ったのだろう。婆ちゃんは税務署員を店内に招き入れ、「修理」しただけと理解させた。「一度でもうちの店に来ていたなら、わかるはずなのにねぇ~」と笑う。

厨房に立つ二人の婆ちゃん。恥ずかしいから、正面から写さないでねとのこと。

津多屋さんを切り盛りするのは、爺ちゃん一人と婆ちゃん二人。婆ちゃん二人は似ているので、姉妹と思われ、そのどちらかが爺ちゃんの奥さんなのだろう。関係を詳しく聞くのは失礼だと思うので、わからない。あくまで私の推測である。

「あなた、どんな仕事で小伝馬町に来てるの」と聞かれたので、ありのままを話す。「呉服屋さんも大変でしょ、跡継ぎはいるの、やっぱりいないの?」。「商売を長く続けることが難しい時代なのよね」としみじみ話される。私は、津多屋さんの跡継ぎのことを、何となく聞きそびれてしまった。

「また、寄ってくださいね。元気なうちは頑張るから。」との声を聞きながら店を出る。最後に爺ちゃんが、「肉の揚げ方、どうでした」と聞くので、「いつもの通り、美味しかったですよ」と答えると、本当に嬉しそうに、「ありがとうございました」と言ってくれた。

津多屋さん。本当にごちそうさまでした。

 

初めての「出張ひとりメシ」の稿、いかがだったでしょうか。津多屋さんは、消え行く東京・日本橋の人情をしみじみ感じさせてくれる店。出されるカツの味には、爺ちゃんと婆ちゃんのもてなしの心が、しみ込んでいるように思います。

この稿を読んで、食いたいと思われた方、ぜひ一度お出かけ下さい。

 

バイク呉服屋が好きな店は、作り手の気持ちが伝わるような、気取りのない店です。不定期にはなりますが、私が通う仕入先界隈の店を少しずつご紹介して行きたいと思います。毎回、読者の方々に楽しんで頂けるようにしたいものです。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

(津多屋・梅沢商店さんの案内)

定休日 土・日・祭日  営業時間 午前11:00~午後2:00頃

最寄駅 地下鉄日比谷線・4番出口より200メートル 徒歩5分程度

なお、営業は平日の昼だけで、夜はやっていません。昼も炊いたご飯が無くなり次第終了するそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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