バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

呉服屋の道具・11 バイク・本田スーパーカブ

2015.03 27

バイク呉服屋に、バイクがないのは困る。このブログタイトルにも偽りあり、ということになってしまう。1月25日の朝、26年もの間、私と共に働き続けてくれたバイクが終焉を迎えた。

御用聞きに、納品に、依頼品の受け取りにと、お客様の家や職人の仕事場へ走り続けてくれた。考えてみれば、バイクに乗らない日というのは、ほとんどない。自宅から店までの通勤や、休日家内から頼まれた買い物なども、バイクで済ませる。

バイクは、風を切って走る。今なら、日一日と冬から春へと移りゆくことを身を持って、感じることが出来る。肌に刺す様な烈風から、体にまとわりつくような、柔らかで穏やかな風に変わる。そんな日が数日続く頃、桜の蕾がふくらみ出す。

 

今までの呉服屋の道具と違い、バイクは私だけが特別に重要視する「道具」。新しいバイクをご紹介すると共に、モノに対する向き合い方をお話してみたい。良品を長く手元に置いて使えるようにする手段は、バイクもキモノも同じに思える。

 

バイク新旧交代。廃車前の古いバイクと納車前の新しいバイク。(井上モータースで)

 

うちのバイクは、今度の新車で三台目になる。初代は、ハンドルロックを怠ったため、盗難に遭い、4年ほど乗ったところであえなく終了してしまった。今、考えれば原因は、ナンバーにあったと思われる。盗まれたバイクの番号は、「ぬ・6666」。

この数字に、ピンときた方はホラー映画がお好きな方だ。1976(昭和51)年に公開されたアメリカの恐怖映画・オーメンでは、6という数字は不吉の始まりであった。

主人公は、イギリスの駐米大使夫妻の養子として育てられた「ダミアン」という男の子。6月6日の午前6時に生まれ、頭に666のアザを持つ。そして彼が5歳になったときから、この家に様々な不吉なことが起こり始める。詳しい内容は省くが、この映画は大ヒットとなり、後にパート4まで製作され、2006年にはリバイバル作品まで作られている。6並びの数字がいかに不吉であるか、この映画を知る方なら、ご存知のはずだ。

だから、初代のバイクは「オーメン・バイク」ということになり、盗まれた方が良かったのかもしれない。そのまま使い続けていたら、きっと事故を起こしていただろう。

 

先代バイクの最終走行距離は117194、78km。一時期、距離メーターが壊れ、全く動かなくなったことがあったので、これより2000kほど多いだろう。記憶が定かではないが、1990(平成2)年から使い始めたと思われ、今年で26年目。

約12万キロというのは、地球3周に相当する距離。改めて、その頑丈さに驚くが、長持ちしたのはメンテナンスを請け負ってくれた人がいたからこそだと思う。元々、スーパーカブは耐久性に優れ、実用的に作られている。モデルチェンジの時にも、基本的な部分の部品は変えないので、古い型のバイク修理が容易に出来るようになっている。

 

最近、電化製品などが壊れて修理を頼むと、部品がないので出来ない、などと言われることが多い。また店側は、直すより買った方が安く済むとも言う。おそらく、一つの製品の寿命をせいぜい6,7年と見ているのだろう。パソコンも、ウインドウズがバージョンアップするたびに、買い替えを検討しなければならない。

今の世の中では、商品というものが、買う側ではなく売る側(作り手)の都合により、流通していることがわかる。確かに企業としては、いつまでも同じものを使い続けていられては困る。買い替えを喚起するような商品を開発し、消費者にモノを買ってもらわなければ、収益は上がらない。

メンテナンスをするよりも、新しい商品に買い換えてもらった方が、会社はありがたい。だが、それを繰り返せば、消費者側に「直す」という意識が消える。つまり壊れたら、新しく買うことしか考えられなくなる。このように社会全体が、人とモノとの向き合い方を洗脳しているようにも思えるのだ。極端な話かもしれないが、最終的には、使い捨てを助長することにもなるだろう。

大切に使うとか、長く愛用するという意識が人々から消えつつある。それに乗じてモノを売る。これでは、モノを作る側でも、スタンダードな商品を開発しようとはなかなか考え難い。どうしても、目先を変えるだけの小手先の仕事になってしまう。

 

呉服屋が扱っている商品にも、同じことが言える。例えば、インクジェットの振袖などは、その場限りの品物で、決して次の世代まで持ち越して使うことなど、考えも及ばない。それどころか、作り手も売り手も、長く使い回されては困る商品である。

良質な品物というのは、手直しが可能な品物だ。もちろん前提は、直す職人が存在すること。刺繍や箔の劣化、色ヤケ、各種のしみなど、修復の内容ごとに職人がいる。その技術があるからこそ、再生が可能になる。修復の相談を受けた呉服屋が、そういう職人と繋がりがあるからこそ、仕事を請け負うことが出来る。

母から子や孫に受け継がれていく品物は、長い間その家に置き続けられる。そして、代が変わる度に手が入れられ、使うことになる。店は、新しい品物を売った時から、「直す」という意識を持つことが重要だ。

仕立における「中揚げ」なども、将来を見据えた施しになる。いつの日か、身長の大きい人に譲ることがあるかも知れないと予想して、2寸ほど縫込みを入れておく。揚げの有無は、未来の仕立て直しに大きく影響を及ぼす。

長く使って頂きたい品物こそ、売り手側が心構えを持ち、さらに商品そのものにも将来に備えた施しがなされていなければならない。これが出来て初めて、お客様に孫、子の代まで使える品物だと胸を張って言える。キモノや帯というものは、本来これを前提としてモノ作りや扱いがされてきたはずである。

これは、バイクとて同じこと。長く使うという前提があるからこそ、部品を変えず、何年経ってもメンテナンスが出来るようにしておく。人々に愛され続ける商品として最大の条件であろう。これが可能になるのは、もちろん、井上モータースのような、直すことを厭わない、良心的な店があってこそである。

 

バイクのフォームも、濃グリーンから黒を基調とするものに変わった。荷台も一回り大きくなり、預かり品を積むのも少し楽になりそう。

本田のスーパーカブは1958(昭和33)年に発売されて以来、8700万台を売り上げ、世界でもっとも愛用されてきたバイクだ。郵便配達やそば屋の出前、新聞・牛乳配達、銀行の集金業務など、考えてみれば個人宅へ出向くために使われてきた道具とも言える。

モノを間に、人と人を繋ぐために役割を果たしてきたカブ。今、手紙を出すことは少なくなり、出前をする店は減り、新聞はメディアの中でも存在感が薄れ、銀行はネットバンク業務に精を出す。

だが、バイク呉服屋は人と直接関わらなければ、仕事は始まらない。だからこそ、私にとってスーパーカブは、これからも大切な道具なのだ。

 

社会がどのように変化しようとも、自分のスタンダードを貫くというのは、如何なものかと思われるかも知れません。しかし、品物というものは、人が間に入ってこそ動くもの。相手の顔が見えないまま商いが成立してしまうことには、どうしても納得がいきません。

私は、自分らしくあり続けるため、これからも毎日、バイクを走らせたいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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