バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

「愛らしい」七歳祝着を作ってみた

2014.11 07

今朝から、手袋を使い始めた。毎年「立冬」の頃から、素手でバイクに乗ることが辛くなる。

人間の「体感温度」は、風が1m吹くと1℃下がると言われ、バイクだと時速が10k上がるごとに1℃下がるらしい。今日の甲府の朝の気温は、10℃ほどなので、時速30kで走ると7℃ということになる。

「バイク呉服屋」には、厳しい季節の到来なのだが、年々寒さの度合いが和らいでいるようにも思える。30年近くバイクで仕事をしていると「地球温暖化」を肌で感じる。果たして、何歳までこのスタイルを続けることが出来るだろうか。

11月ということで、今日は今年依頼された「七歳の祝着」をご紹介しながら、「子どもらしく、愛らしい」色と柄について、お話してみよう。

 

古来中国では、奇数は「縁起が良く」、偶数は「忌びされるもの」とされてきた。奈良期から続く「日本の年中行事」の日は、全て「奇数日」である。江戸時代には、「五節句」と呼ばれ、季節の節目に執り行われる「行事」があり、「祝日」扱いになっていた。

1・7の人日(じんじつ)3・3の上巳(じょうし)5・5の端午(たんご)7・7の七夕(たなばた)9・9の重陽(ちょうよう)がそれに当たる。「七草」・「ひなまつり」・「こどもの日(男の子のおまつり)」・「七夕」と現在にも残っている習慣になっていることがわかる。

「節句」はもともと「節供」であり、神に「供物(くもつ)」を奉げて、植物の邪気を祓う行事であった。特に平安期などでは、天皇主催の豪勢な「節会(せちえ)」の宴が御所で催され、重要な「公式行事」となっていた。

江戸期になると、「供」から「句」つまり、「節目」ということが強調され、「節目を迎えた子ども達の無病息災」や「その年の農事豊作」の加護を神に祈る日でもあった。

ということで、年中行事として位置付けられる七五三参りの日も、やはり「奇数」である11月15日。この「15」という日が、中国の占星術で用いられた「二十八宿」の中の「鬼宿日」にあたり、「大変縁起の良い日」であった。「鬼宿日」とは、その名の通り、「鬼が宿に留まっている日」すなわち、「厄災が外に出てこない」という意味である。

「二十八宿」というのは、四つの方角を、星の距離により七つに分割したもの(4×7で28)である。江戸期には、幕府により「天文方」という役所が設けられ、天体の研究や「暦」の研究がなされ、それと共に、「星占い=占星術」も広く知られるところとなった。

七五三には、それぞれの年齢に意味があり、三歳は「髪置」で男女とも「髪を伸ばし始める年齢」、五歳は「袴着」で、男の子が「袴を付ける年齢」、七歳は「帯解」で、女の子が「付け帯から結び帯に変わる年齢」である。この習慣から、現在の祝着の「衣装」の形となり、「袴姿」の男の子や、「帯結び」をした女の子の姿が「定型」となったのである。

 

(市松鞠散し友禅小紋七歳祝着・千切屋治兵衛 梅桜散し唐織祝帯・西陣 奥田織物)

「鞠」に限らず、「玩具」を使った文様は、その多くが「子どもモノ」に用いられるものだ。「鈴」や「糸巻」、「駒」「犬張子」などが代表的なものとして上げられる。特に「鞠」は小さい女の子の「遊び道具」として、昔から使われてきたものであり、七歳の祝着として「愛らしい文様」となる。

さらに、朱と生成色の「市松文様」で染め分けられた地色が、「散らした手鞠」を引き立たせ、「かわいらしさ」を強調する役割を果たしているようだ。長襦袢は定番の「疋田」で「花の丸」を刺繍した白の半衿が付けられている(襦袢、刺繍衿共に加藤萬)。

「黒地」の帯を祝着に合わせるというのは、「七歳の子の着姿」では、「きつくなりすぎる」ような心配があるが、上の品では、柄の「かわいらしさ」と「色使い」により、それを打ち消している。

「桜」と「梅」だけの「花散らし」で、梅の朱色と桜の桜色のコントラストと花弁の大きさ、それに、間に葉を入れた模様の間隔も絶妙である。密に模様を付けず、地の黒場を生かすことで、それぞれの花模様がいっそう強調されている。

この帯は、巾の狭い(7寸巾)ものでなく、通常の帯巾のものを8寸巾に仕立ててある。これは、将来名古屋帯として十分使えるものであり、帯丈もかなり長い。もちろん「どんな結び方」にも対応し、着姿を工夫することが出来る。先ほどお話したように、「七歳の儀礼」が「帯解=付け帯から結び帯に変わる節目」であるならば、このような帯を使い、「帯結び」をすることが、本来の意味を体現する姿と言えようか。

 

(観世流水に桜橘散し友禅小紋・千切屋治兵衛 黄支子地手鞠祝帯・西陣 奥田織物)

以前この柄の小紋を「八千代掛け」の品としてブログで紹介した。(詳しくは、1・22 和裁職人中村さん(2)「続・八千代掛けを作る」の稿をご参考にされたい)

初宮参りの時に鋏を入れずに作った「八千代掛け」を解き、仕立て直しをしたものである。文様は、「観世流水」の中に浮かぶ大きめの「橘」と「小桜」の総模様で、地色は先ほどの品物の「朱」よりさらに濃い「深い紅」のような色。

この地色は、「子どもモノ」でなければ、なかなか地色としては使いにくい色であるが、返して言えば、「子どもらしい、愛らしい色」ということにもなる。中に配されている「紫と水色の橘の花」がアクセントになっている。なお前の品と同様に、疋田襦袢と付けられている刺繍衿(こちらは小桜散し模様)は加藤萬の品。

今度は「帯」の方に「手鞠散し」模様を使う。キモノの方が柄が密になっているので、帯は地色を生かして、柄が飛んでいるものの方がバランスが取れる。また、キモノに「花模様」が使ってあるので、帯は「花以外」の模様の方が、組み合わせとしてすっきりする。

子どものキモノに限らず、帯とキモノを合わせる時に、似たような柄が重ならないようにするのも、コーディネートの工夫の一つである。

この帯地色の「黄支子(くちなし)色」も、子どもモノならではの鮮やかな色。祝着で使うモノを考えるとき、キモノにせよ帯にせよ、「子どもならではの色」と「模様」を選ぶことを念頭に置く。

深い総模様の紅色のキモノに合わせる帯としては、「黒」「鶸」「黄」などの地色が考えられるが、「黄地色」を使うことで、全体の着姿をすこし和らげることが出来る。このキモノのように「強い色」が前面に出ている場合は、それを抑える効果を考える。また帯の中の柄の配色に、キモノ地色と同じ系統の色が使われていないのも、ポイントである。

 

「七歳祝着」の持つ「愛らしさ」を感じて頂けただろうか。最近では、なかなか「作る」ということがなく、写真スタジオやレンタルを扱っている呉服屋などで衣装を借りて済ます方がほとんどである。効率を考えれば、それも致し方のないことであろう。

だが、今日ご紹介したものは、キモノにせよ帯にせよ、「使い回す」ことの出来る品物である。一反の小紋を子どもの成長に合わせて、その都度手を入れながら仕立て直したり、一本の帯を「祝帯」としてだけでなく、「大人になっても使える帯」として考えたりすることは、やはり楽しく、「思い出の品」ともなる。

また、今日のような品物ならば、「代を越えて使える品」にもなる。実際最初にお目にかけた「市松手鞠模様」のキモノは、30年前のものを手直ししたものだ。今回は「帯」だけを新調し、組み合わせた。

「子どもの成長」は、家族の「喜び」である。そこに、その家族に受け継がれる「思い出の品」があるのは、素敵なことではないだろうか。

 

「子どもらしい色や文様」というのは、いつの時代になっても「変わらないもの」ということが言えましょう。いや、子どもモノだけでなく、キモノの色や文様というのは、普遍的であり、だからこそ、伝統衣装としての位置づけがあるのです。

「年中行事」や「家族の節目」で使われる「フォーマル」モノには、その年齢や、使われる場面ごとに、「ふさわしい色・模様」があります。堅苦しいと思われるかも知れませんが、ここを守ることが、次の時代に民族衣装たるキモノや帯の本質を伝えていくことになるのではないでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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