ここ何年間かずっと、何軒かの「振袖屋」さんから案内状やカタログが届いている。うちには、一歳おきに三人の娘がいるのだが、一体どこで「個人情報」を調べたのか。
うちの住居は、仕事場(店舗)とは別のところにある。プライベートなことなので、もちろん公にはしていない。今、娘たちの通った学校などでは、「個人情報」の管理が徹底されており、ここから洩れるとは思えない。我々の時代には、クラスや学年ごとに、「名簿」が作成され、同級生の住所や電話番号をひと目で知ることができたが、今は、「卒業アルバム」にも載せることはない。
だが、現実として「振袖屋」が使っているということは、少なくとも「年齢・性別」ごとの「名簿」が存在するということになる。これでは、いくら自分たちが、「個人情報」を洩らさぬように注意していても、「どこからか」流出してしまうことになる。そして、その「流出元」を突き止めることは、ほぼ困難だ。
教育出版の大手「ベネッセ」から、千万人単位の「子どもの情報」が洩れたのは、記憶に新しい。「添削」や「模擬試験結果の郵送」などで得た、「住所・氏名・学年・学校名・電話番号」などの情報が、「まとまって、そっくり」外部に流れた。
ベネッセの場合、社員ではなく、「出入りの業者」のような者が流出させたのだが、あまりに大量なデータだったのと、著名な会社の「信憑性のある情報」だったため、それが、「世間」に知れることとなり、大問題に発展した。
だが、このようなケースは「氷山の一角」であろう。学校や企業、団体などが保持している「個人情報」は、「どんな不届き者」から洩れるとも限らない。それは、「情報が金になる」からだ。
「個人情報」という商材は、「売れる」商材でもある。この商材の仲介をするのが「名簿屋」ということになる。名簿屋は、「情報」を「仕入れ」、それを必要とする事業者に売る。仕入れたものが、正確で、多岐にわたった内容ならば、より「高く」売ることができる。さしずめ、「ベネッセ」から洩れたものは、「高く」売れたに違いない。何せ、「流出元」が、有力な教育産業だったからである。
余談がまた長くなってしまったが、前回の続きとして、呉服屋の「宣伝」から透けて見える、その「質」というものを考えてみよう。
「モノを売る」ために、どのような媒体を使うか。それは、モノの性質にもよるだろう。「呉服」というものが、一般には「馴染みの薄い、わかりにくい品物」だけに、難しさがある。また、「必要としている人が限られている」商品なので、やみくもに情報発信をしても、効果は上がらない。
折込チラシ、新聞の広告、TVのCMなどが有効な品物は、多くの人が「必要」としているモノであろう。効率的な宣伝とは、「必要としている人」だけに、「ピンポイント」で情報を発信し、宣伝すること。「無関心」な人や、モノが不要の人のために、「経費」を使うことは、「無駄」になるだけである。
そんなところへ、ITが出現した。これは、「必要な人」を呼び込む手段として、画期的な道具である。今や、「関心がある人」ならば、ネットを使って物を探すのが「当たり前」の時代になった。「スマホ」の急激な普及で、いっそう平易になり、「いつでも、どこでも」欲する情報に触れることが出来てしまう。
こうなると、モノやサービスを売る側は、「ネット」における「発信の仕方」をどのように工夫するか、考えなければならない。「魅力的」なHPを作ることはもちろん、「迅速な情報発信」や「リアルな対応」が求められる。「facebook」や「twiter」の登場は、これをも可能にした。
だが、これから先の時代、ITだけに「限定」されて、情報発信や宣伝がなされるかと考えると、そうとも言い切れない。まだまだ、「アナログ」な方法である、「チラシ」や「広告」、また個別に送られる「案内状」や「勧誘」の「葉書」なども使われていくだろう。なぜならば、ITは、見る側の「意思」がなければ、「見てもらえない」からであり、アナログ媒体は、見る側の「意思」がなくても、「目に留まる」ことになるからだ。
では、この「アナログ」な宣伝媒体を、呉服屋がどのように使っているのか、考えていくことにしよう。「チラシ」や「広告」の中身や、送り付けられる「紙媒体」の内容で、「送り主の呉服屋」がどんな類の店であるか、ある程度「見えてくる」ことがある。
冒頭にお話した、「振袖屋」の「カタログや案内状」などは、言うまでも無く、「振袖対象となる年齢の女性」がいる家に限定されて、送り付けられる。もちろん、それまで「店」と「送り先の家」とは、ほとんど面識がない。
「ピンポイント」で必要な人(「振袖」は、誰もが必ず使うものと店側が信じ込んでいる)に「宣伝」をするには、「誰が、対象年齢か」がわからなければ、出来ない。だから、「情報」を買うのである。「振袖屋」が自ら、「振袖対象者」の名簿を一軒一軒調査することなど、出来るはずもない。この類の店は、「名簿屋」の存在は「無くてはならない」ものであり、自分が使う「名簿」がどのように持ち出されてきたのか、などは「どうでもよいこと」なのだ。「個人情報」ということに関する「モラル」の欠如は、如何ともしがたい。
そして、「モラル」より「商いの道具」としての考え方の方が、優先されるようなところの「商い道徳」などは、「押して知るべし」と言うしかなく、このような「振袖の売り方」をする店は、それだけで「どのような店」か判断出来よう。
上に述べたことは、情報の発信方法に関わる問題だが、今度は「発信されている内容」から、その店がどのような店かを、判別してみよう。これは、「受け取る側」に少しでも「知識」があれば、「見抜く」ことが出来る。
そこで、「価格」に関することを幾つか例に挙げてみよう。多くの一般消費者にとって、「呉服の価格」は「わからない」ものであろう。「キモノ」というだけで、「高価なモノ」とイメージされている方も多いはずだ。
例えば、「訪問着・付下げ・10,000~」とか「袋帯20、000均一」などとチラシに載っていれば、「安さ」を感じる人もいるだろう。中には、150,000の品が50、000円とか、メーカー希望価格200,000円を特別価格70,000円などと、「安さ」を強調して書かれているものもある。
品物の質など関係なく、「安ければ安いほど良い」という消費者に対してならば、何も言うことはない。しかし、ある程度の「質」を求めるならば、「安くなっている理由は何か」を考える必要がある。
そもそも、「本来の価格」として、どのくらいが「妥当」か、「見分けること」のできる消費者は少ない。だから、5万に下がっている品が、もともと15万の価値があったものかどうかが、わからない。そもそも「メーカー希望価格」の「メーカー」がどんなところなのかも、理解されていない。モノを買う時に一番大切な、「買う側のモノの価値の見極め」というものが難しく、「売り手」の都合に「任されてしまった」状態なのだ。
では、これを「解消」するために、「店側」は、消費者に何を、発信しなければならないか。それは、出来るだけ商品知識の薄い人にも「わかりやすく」、「商品の情報」を付け加えることである。
今や、ネットでいくらでも、モノの価格を調べられる時代である。一昔前のように、「消費者がわからないから」と言って、「いい加減」な価格を付けて、それがまかり通るような時代ではない。だから、チラシにしても、何にしても、「価格」というものを載せるときには、その品物がどんなモノなのか、具体的に書く必要がある。
例えば「本場大島紬・9マルキ泥染め・平田絹織物 350,000が190,000」とか、「龍村光波帯 メーカー希望価格 98,000が68,000」とか、品物と、内容、また具体的な製造メーカー名などが、記載してあれば、「見る目や知識」を持った人には、「安さ」が実感できる。また「知識を持たない方」も、「市場の価格をネットで調べる」ことが出来る。そしてそこに、商品の「画像」を一緒載せておくことが必要なのは、言うまでもない。
という訳で、「よいチラシや案内状の内容」というのは、「具体的な商品の情報」が記されているかどうか、で判断できるように思う。こんな「宣伝」が出来るような店ならば、価格も信頼することが出来るだろう。
もし、「加賀友禅色留袖・毎田仁郎製作 1,200,000が350、000」とか、「北村武資・袋帯 780,000が180,000」とかのチラシを見つけたならば(普通そんな価格はあり得ないが)、バイク呉服屋だって、「客」のふりをして、「エンジンを思い切り吹かしながら」真っ先に買い付けに走る。
最後に、うちの「宣伝」について、すこしお話してみたい。とは言っても、基本的に「宣伝」はしないので、どんな方法でお客様に情報を伝えているか、ということになる。
7,8年前までは、一年に2,3回「テーマ」を決めて、「逸品会」のようなことをしていた。今は、年に二度、3日ずつ「バーゲン」をするくらいなので、他の呉服屋さんのように、「展示会」などの案内状を頻繁に出すということもない。もちろん「振袖」に関することでも同じで、何もしていない。
「催し」の通知も、「不特定多数」の人に出すことはなく、これまで当店と「何らかの取引(品物を購入された方や「直し」の依頼を受けた方)」があった方に限定される。
昔開催した「会」で使ったお客様への「案内葉書」。上の二つは、左が「龍村平蔵展」。右が「江戸小紋の会」。
画像を見て頂ければわかるように、「龍村」の会では、「龍村の謹製葉書」を、「江戸小紋の会」では、「竺仙の謹製葉書」を使っている。「会」に出されている品物がどんなモノなのかは、作っているメーカーが出している「葉書」を使うのが、一番わかりやすい。
しかも、自分で文面をつくり、自分で印刷しているので、「手作り感」だけはあるが、要は、「印刷代」を節約しているということだ。
最初の画像の下の葉書は、「浴衣や薄物の入荷」を知らせる時に使う、「竺仙オリジナル葉書」。上の画像は、ここ何年かで使ったものだが、毎年違う「イメージ」で作られているのがわかる。仕入れた浴衣が「竺仙」から送られていくる際、「販促用葉書」として、一緒に送られてくる。これを見ると、「竺仙」がどんなコンセプトで、その年の「モノ作り」をしているのかが、見て取れる。この葉書は、5月の下旬、特定のお客様に送られる。
「大きな売り上げ」を一度に作ることなど考えず(今の時代、そんなことはとても無理と思われるが)、「スローワーク」を心がければ、日常の中で、じっくりとお客様と向き合う時間の方が、大切であり、「特別な会」や、「展示会」などそう必要とは思えない。また、「商品」も買い取ってあるのだから、「会」を催して、「問屋やメーカー」から「借りてくる」こともない。
「消極的経営」と人からは言われるだろうが、「宣伝」は「お客様」がしてくれるように思う。「人の口伝え」ほど、「効果」のある「宣伝」はない。自分の店の規模と、仕事の進め方を考えれば、「経費をかけた宣伝」が必要とも思えず、それで十分である。
ただし、「宣伝」はいらないが、「情報発信」は重要である。自分のところの利益云々ではなく、「呉服屋」としてしなければいけないことだ。自分の店の宣伝よりも、お客様に知識を持って頂くことの方が、よほど大切である。このブログが、自分が予測していたより、はるかに多くの方に読んで頂いている現状を見ると、今まで以上に「襟を正して」、「情報発信」をしなければならないと思う。
先ごろ、「来年二十歳になる男の子」がいるお母さんから、「うちにも、呉服屋さんから、振袖のカタログが沢山来ている」と聞きました。
その子の名前は「カオルくん」だったので、どうやら「女の子」と間違えて送られてきたようです。買い取った「名簿屋」の「情報」も、「名前」から男女の判別は出来ないということですね。
その方の話には続きがあり、「カタログやら案内状やら、18歳の頃から、年に10回以上来る。呉服屋さんの『費用対効果』はどうなっているの」。
「どうなっているのかわからない」と答えると、「ところで、どうして、あなたは振袖を売ることに無関心なの」と叱られてしまいました。決して「無関心」ではなく、この仕事への「向き合い方」が違うからなのですが、それを説明するのが、面倒だったので、つい謝ってしまいました。
世間的には、大々的に「宣伝」を撒き散らかしている店の方が、仕事熱心に見えるとは、何とも皮肉なものですね。
今日も、とても「長い稿」になってしまいました。ここまで飽きずに読まれた方、感謝しております。