山梨は、「フルーツ王国」と言われている。盛夏の「桃・スモモ」が終わり、今からひと月ほどが「葡萄」の最盛期となる。
「花子とアン」のオープニング映像でもわかるように、葡萄は「山の傾斜地」を使って栽培することが出来る。東京からJRを使って甲府へ向かい、「笹子トンネル」を抜け、盆地に向かって下り始めると、一面に「葡萄畑」の風景が広がる。線路が「山の際」に付けられているため、「扇状地」の地形がよくわかり、車窓は「絶景ポイント」となる。甲州市(旧勝沼町)は、甲州の葡萄発祥の地である。
葡萄も、その種類によって「旬」がある。8月のうちに出荷されるのが、「デラウェア」。小粒品種でかなり昔から作られている。「巨峰」や「ピオーネ」は丁度今が最盛期。大粒で甘みが強く消費者からの人気が高い品種。9月の中旬を過ぎると、「甲斐路」や「ベリーA」。「甲斐路」は山梨で生み出された品種であり、別名「赤いマスカット」と呼ばれている。「ベリーA」は、昔「黒ぶどう」と呼んで親しんでいた古い品種のもの。
最後に収穫されるのが「甲州」。この品種こそが「甲州葡萄の発祥」となったもので、奈良天平期の高僧「行基」により伝えられたという伝説が、勝沼町の「大善寺」に残されている。江戸期になると栽培が盛んになり、「甲州街道」を使い江戸に運ばれて行った。
「甲州」は、後発の「巨峰」や「甲斐路」に比べれば、甘みが少なく、酸味の方が強く感じられるので、「生食」よりも「白ワイン原料」として利用されることが多くなったようだが、「昔の葡萄」を懐かしがる地元の年配の人には、この「甲州の味」こそが「山梨の葡萄の味」だと考えられているようだ。
「葡萄の季節」の9月は、キモノで言えば「秋単衣」を使う季節。裏を付けない単衣は、6月と9月の着姿なのだが、「旬」ということを意識すれば、この両月にそれぞれふさわしい文様と色があると思われる。6月は、夏の始まりなので「夏単衣」。9月は秋の始まりなので「秋単衣」。
先頃、「秋単衣」の「付下げ」の御用をお客様から頂いたので、今日と次回に分けて、「今の季節の単衣」には、どのようなものがあるのかをご紹介しながら、ふさわしい色と文様を考えてみたい。
上の画像、四点の付下げを順次ご紹介しながら、話を進めることにしよう。
(水浅葱色 流水に筏と秋草模様付下げ・菱一)
昨年もこのブログの中で、8,9月の「薄物」と「単衣」に関る文様の話をさせていただいた。(8・23「立秋の花野」 9・3「白露の花野」の稿をご参考にされたい) ここでは、「秋草文様」というものに絞って、柄行きをご紹介したのだが、やはり、「秋単衣」の中で使われているものの代表は、この「秋の七草」の中の草花であろう。
この図案は、「立秋」を過ぎた8月の「薄物」にも、9月の「単衣」にも、共通して使われている。ということは、当然6月の「単衣」には、使い難い文様になる。
上前おくみと身頃を合わせたところ。流水の流れが、地色の「水浅葱色」の濃淡で表されていて、その上に浮かべられた筏に秋草があしらわれている。また、流水の上に「糸目だけ」で、白く表現されている(白揚げという技法)のは「ススキ」だ。
「流水」や「筏」も、涼を感じさせてくれる「水辺模様」であり、やはり、盛夏の薄物や、単衣モノのモチーフとして使われるオーソドックスなもの。
「七宝と型染疋田」図案の筏と「桔梗」。白揚げで表現された「ススキ」
「青海波と型染疋田」図案の筏と「女郎花(おみなえし)」
「菱文様と型染疋田」図案の筏と「萩」
いくつかの図案を近接してご紹介してみたが、柄の付け方に一定の「パターン」があるのがわかると思う。背景に「白揚げのススキ」があるのはもちろんだが、それぞれの「筏」が、代表的な古典文様である「七宝」や「青海波」などと「疋田」で表現され、その上に一つずつ「違う秋草」がのっている。これを組み合わせて、全体の柄表現としているのだ。
この他の「筏の上」の花にあしらわれているのは、「菊」と「撫子」「藤袴」であり、まさに「秋の七草・オールスターキャスト」といえるような、柄行きになっている。
「秋草文様」は、その柄の付け方に少し特徴がある。上の品物のように「散らされて」付けられいるもの。これは柄の一つ一つにあしらわれている花それぞれを見ていくうちに、それが「全部秋草になっている」とわかるもの。もうひとつは、「固まって」付けられているもの。これは、幾つかの秋草を組み合わせて柄が構成されているもので、これは、柄一ヶ所の図案を見るだけで「秋草模様」と即座にわかるのである。
(甕覗色 菊花弁模様付下げ・菱一)
「藍」のきわめて薄い色が「甕覗」である。このような名が付いたのは、ほんのわずかな時間、「藍染料の入った甕」に布を浸した時の「染め上がりの色」、つまり「布が甕を覗いた程度に浸したもの」からである。
先ほどの品の地色、「水浅葱色」と比較してみると、やはり少し色に「落ち着き」があるように見える。どちらにせよ、「涼やかさ」が演出できる色であろう。
「流水」の流れに沿うように付けられた菊の花弁。前の品物も「流水」に浮かぶ筏だったので、柄の配置方法に共通点がある。
「菊」が日本の秋を代表する植物であることは、言うまでもないだろう。キモノの意匠だけではなく、様々な美術、工芸品の中に、「秋」をイメージさせるものとして、使い続けられてきた。「菊花」の図案というのは、多様ではあるが、一枚のキモノの中で描かれる場合、一つ一つの形容が変えられることはあまりない。
だが上の品物は、「菊花弁」だけで表現されていて、その「形容」が変えられ、それを組み合わせることで、柄のアクセントとしている。それぞれの花弁が、「抽象的な図案」であったり、「写実的」に現実の花に近いものとして描かれていたりする。「菊」だけの単純な図案も、こうすることで斬新なイメージが出来上がる。
柄の中心になっている「写実的」な花弁は「白」。他の「図案的」な花弁の色は、「白」・「水色」・「紫」の三色で表現されており、この色使いが品物の印象を「涼やか」に見せている。
「花弁」を近接してみた。「図案的」な「花弁」も、花の先端が尖っているものや、菊表現としてお馴染みの丸いもの、また「小菊」のような花弁も見える。その中の「写実的」な花弁は、存在感がある。
今日ご紹介した二点の品物。このどちらにも、「地色」と「柄行き」には、「涼感」や「爽やかさ」を感じることが出来る。つまり、「単衣」らしい品物と言えよう。それを判断するには、「感覚的」なものではなく、「意匠」としての裏付けが必要だ。
最初の品は、「秋草」だけではなく、それが「水に浮かぶ筏」と一緒にあしらわれていることと、地色の「水浅葱色」がポイントである。この「色」と「柄行き」がリンクして、「涼感を印象付ける」ことが、品物のコンセプトになっている。
これが、単純に「秋草」が柄として入るだけでは、「単衣」に向くものということにはならない。「秋」には、10、11月の「袷」のシーズンもある。品物全体を通して、「9月」に向くものと言い切ることの出来る「理由付け」がなければならない。
このことは、二つ目の「菊花弁」だけの品物にも同じことが言える。「菊」は「秋の代表植物」だが、それだけで単衣にふさわしいものとならないのは、「秋草」以上であろう。だが、「甕覗色」のような薄い地色と、菊の花弁に表現されている「涼やかな挿し色」により、「単衣向き」ということが言える。これは、品物全体からうける「印象」で、判断されたということになる。
次回は、残る二点の付下げをご紹介しながら、「単衣に向くものは何か」ということを探ってみたい。
「甲府」が舞台になった「花子とアン」も、今月末までになりました。「甲州弁」も「こぴっと」と「てっ!」はすっかり世間に知られる方言になったようです。
ただどちらの言葉も、今は頻繁に使われていないように思えます。もちろん今までに「使ったこと」はありますが。
「甲州弁」で難しいのは、語尾で意味が変化することでしょう。例えば「いっちゃあ」は「行こうよ」と誘う意味で、「いっちょ」は「行くな」という強い禁止の意味です。これを早口で話されると、他県の人には訳がわからなくなります。また、「かじる」というのは、甲州弁だと、「掻く」ことで、本来の「噛む」という意味にはなりません。
このブログを読んでいる「甲州人」に、「だっちもねえこんいっちょ、こぴっとしろ(訳:つまらないことをいうな、しっかりしろ)」と言われないように、これからも心掛けたいと思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次回も期待してくりょうし(下さい)。