バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

続・大彦(野口真造) 梅樹衝立鷹模様 江戸染繍友禅訪問着(後編)

2014.07 04

日本における「Line」の利用者は、5千万人以上。人と人とを繋ぐ最も便利で、身近なツールとして、すっかり定着したようだ。「無料」でメールや画像、動画まで自由に送り、即座に情報を共有出来るようになったことは、人々の生活のリズムをすっかり変えたようである。

「便利さ」の陰で、弊害も指摘されている。「Line」で流された情報に対し、受け取った相手は、ある一定時間のうちに、それを読まなければ、送った相手に対し礼を失すると言われている。いわゆる「既読問題」なのだが、これを怠ったために、トラブルになったり、人間関係が悪化したりするケースは後をたたない。

ある一定の仲間うちで交換される情報だが、相手がどこに居ようと、何をしてようと、「のべつ幕なし」に流されるものに対して、返答を短時間で強制するのは如何なものなのか。人間関係というものは、相手を「慮る」ことを基本とするはずだったのに、どうしてこのような「狭い視野」でしか、相手の事を考えられなくなったのだろう。

人が「待つ」ことや、「長い目で見る」ことを嫌悪してしまったら、「うわべ」だけでしか物事を考えられなくなってしまわないだろうか。こんな現在の社会の変化は、「モノ作り」や「モノの売り方」にも影を落としている。

今日は、前回の続きで、「大彦」の品のほどこしを見て頂こう。この中には、それこそ時間をかけて、納得するまで技を施した、「昭和の職人たちの心意気」が詰まっている。

 

前回お話したように、この作品は、江戸中期に作られたものを、「全く同じに、完全に復元」する目的で作られたものである。「相似」ではなく、「合同」でなければならないということだ。これを実現するためには、まず元の作品がどのように作られているかを、徹底的に分析し、そこに使われている技と同じ技を使うことが求められる。

つまり、「江戸職人の技」を「大彦の職人」たちが完全にマスターしなければ、完成し得ないということになる。では、工程を追って施しを見ていくことにしよう。

 

(後ろ身頃と袖に続く部分の衝立と鷹模様)

国立博物館の展示品をここに載せて、比較すれば一番わかりやすいと思うが、転載するための手続きが難しいので、これを読まれている方はぜひ、博物館のHPに載っているものを見ながら、比べて頂きたい。展示は、「キモノの後姿」を見せるようにされていたため、上の画像が見えているはずだ。

 

(衝立の上に止まる鷹。上の画像上部を拡大したところ)

作業の手順として、まず完全な形で下絵を書き上げることが求められる。衝立の模様から、鷹の羽一本一本まで、寸分の狂いなく模写する。この基本を違えると、正確に「糸目を引く作業」が出来なくなる。「鷹の羽の数」一つ、「衝立に施されている菱模様の中の線」や「梅花の蕊の数」を一つでも間違うことが出来ない。

「下絵師」が課された責任の重さは、測り知れない。一体どのくらいの時間をかけて、全ての模様を写し取り、完成させたのだろうか。そして、この下絵に携わった人は何人だったのか、まさか一人が全てを任されたとは到底思えない。

 

(鷹の表情を拡大したところ)

下絵が完成したところで、「糸目引き」の作業に入る。これは友禅を作る上でもっとも重要な仕事である。下絵の線一本一本に「糸目」を引いていく。羽の中には「糸目だけ」で模様を表している部分が多くみられ、「引き方」即ち「柄の付き方」ということになる。いかに完璧に下絵が模写されていたとしても、糸目が少しでも狂えばおしまいである。

江戸時代、友禅の糸目引きに使われたのは「もち米を使った糊」であった。昭和初期からは、化学剤を原料にした「ゴム糊」が使われ始める。ゴム糊は乾きやすく、作業が進みやすいことや、調合が楽なことから、徐々に普及し始め、現在の糸目引きの大部分はこの糊が使われている。

この作品の糸目はどちらが使われているのだろう。「糸目を引く職人」の気持ちとしては、「江戸の技術」を忠実に再現したいと思うはずで、「もち米糊」が使われたと考えるのが自然だ。ただ残念ながら、私には、「糸目の引き方」で、「糊糸目」なのか、「ゴム糸目」なのかを見極めることができるような能力はないので、判然としない。

「もち米糊」は、天然材料のため「調合」は難しい。原料の米の質やその日の気温や湿度にもよって「糊」が変化する。また、もち米の粉と水や塩の配分によっても変化する。どのような「糊」が完成するか、その糊の質によっても、「糸目の質」が変わってしまうことになる。「もち米」を使うということは、「精緻に糸目を引く」という以前の問題として、まず、「精緻な糊を作る」という作業から始めなければならないことになる。

(羽を拡大したところ)

(鷹の顔を拡大したところ)

羽の一枚一枚に、鷹の表情一つ一つに、どれほどの数の糸目が引かれているのだろうか。「新しい作品を作る」ということに比べて、「同じものを完璧に作る」ということの難しさが、「糸目引き」の工程から見て取れる。

 

 (ぼかしの技法を駆使し、鮮やかに色挿しされた鷹)

気の遠くなるような糊置きを終えると、これまた気の遠くなるような「色挿し」の作業が待ち受けている。色の配色からぼかし具合、その細部まで再現する。新たな品物に色を挿すのであれば、「許容される色の範囲」があるはずだ。例えば「臙脂色」を挿す場所があったとする。付ける色の「微妙な濃淡」は、ある程度職人の「裁量」に任され、挿されていく。だが、この作品では、そんな職人自らの「感覚」で色を挿すことは許されず、求められるのは、「忠実」に元の色を挿すことだけである。「同じような色」の「ような」などということは間違っても許されず、「同じ」にしなければならない。

(鷹の羽の色挿しを拡大したところ)

(衝立の足を拡大したところ、「木目」にも多くの色が使われ、変化が付けられている)

国立博物館の解説によると、この品物に使われた天然染料は、わずか四色。「藍」、「臙脂」、「雌黄」、「墨」。原作品の鮮やかな色挿しを見ると、どのような調合をすればこれだけの挿し色が出来るのかと驚くばかりだ。青系の「藍」と赤系の「臙脂」、黄系の「雌黄」、そしてそれぞれの色を調合する時に役割を果たすであろう「墨」。

昭和初期の野口真造は、美を追求したモノ作りを始める時、「藍」をはじめ、様々な天然染料を作る試みをしていた。もちろん大彦の作品には、この「天然染料」が用いられたものが多くあると思うが、この作品に関しては、おそらく無理だったのではないだろうか。

先の四つの天然染料だけで色を作ることは、その「配合」をすべて作品の色から読み取らない限り不可能である。これは私の憶測にすぎないが、もしそんなことが出来たとするならば、「奇跡」だ。そして、品物に付けられている色の多彩さを考えれば、「化学染料」による復元としか考えられない。しかしながら、たとえ「化学染料」を使うにしても、原作と同じ色を作ることは「至難」であり、これだけの仕上がりを見れば、これも十分「奇跡的」な復元と言えよう。

 

最後に「刺繍」の施しを見て頂こう。衝立の中に描かれた「雪持ちの梅樹」、梅の花は全て「刺繍」で表現されており、また鷹と鷹を結ぶ「紐」も同様だ。

真造のモノ作りの基本理念は、刺繍や染めが作品内における柄の飾りなのではなく、この技法そのものでどれだけの表現ができるか、そこに価値が見出すこと。原作品の刺繍はまさに、「飾り」ではなく、余すことのない技術の表現になっている。真造が、この作品の再生を試みようとした最大の理由は、ここに江戸職人の最高の技が結集されていることだったと思う。

(刺繍による梅の花を拡大したところ)

花により刺繍の技法が変えられている。「縫いきり」「駒詰め」「平地縫い」などが見られる。同じ技法でも縫い糸の色が多彩に変えられていて、それぞれの花の表情が違う。金糸の駒刺繍で表現された(駒詰めという技法)花は、特に目立つ存在だ。

 紐も、クリームと珊瑚色の糸を微妙に混ぜ合わせながら縫われている。先端の飾りは、先ほどの金の梅の花と同様、「駒詰め」技法が使われている。糸も技法も全て同じにしなければ、同じ表現は出来ない。これを見れば、江戸の縫職人と大彦の縫職人のレベルが全く同じ高さにあることがよくわかる。

 

下絵、糸目、色挿し、刺繍と、簡単にそれぞれの工程を見てきたが、とても、言葉で簡単に説明できるような技術ではない。原作品は、江戸期の友禅を代表するような精緻で難しい技がほどこされているもの、つまり「友禅の最高品」の一つであることは間違いない。

野口真造は、どのような気持ちでこの品に向き合ったのだろう。予想される困難な製作への不安よりも、自分の育てた職人ならば、完成し得るという、「職人への信頼感」の方が強かったに違いない。そうでなければ、ここまで忠実に再現することは出来なかっただろう。

(「野口真造」と「大彦」の落款)

この作品が製作されてから、すでに40年以上が経つ。今、もう一度この原作品の再生を試みることが、果たして可能だろうか。職人を取り巻く厳しい環境を考えれば、それは難しいと言わざるを得ない。野口真造がこの品物を完成し得たのは、自分が求める高い技術を持つ「職人」を、自分の手で育て上げられたことが、最大の要因であろう。

江戸友禅や京友禅は、一枚の作品を作るために、多くの職人が関る。さながら駅伝のように、下絵から糊置き、色挿し、刺繍と、それぞれの工程が終わると、次ぎの職人へとバトンが渡されていく。それぞれの持ち場で、きっちりと自分の役割を果たすことが求められる。職人たちは、「心を一つ」にしなければ、最良の品物として、完成させることができない。

そんな難関に挑んだ、野口真造と職人たちの「モノ作り」にかける情熱と心意気を、今に伝える証として、この作品は光を放っている。

 

私は、「呉服」を扱う者として、このような、友禅として最高の技術が施された品物を真近で見ることが出来たことを、幸運に思います。もちろんこれほどの品物を預けて頂いたお客様には、感謝のほかありません。

一体何人の職人が、どれほどの時間をかけて、この作品を完成させたのでしょう。その施しを見れば見るほど、想像も付かないような努力が為されたことを感じさせてくれます。そして、改めて野口真造という人物の大きさをも認識させられます。

自分が思い描く最高の品を、最高の技術で作ろうとすれば、そこには「時間」も「効率」も関係ありません。ただただ、頂上を目指して、一歩ずつ前へ進んでいくこと。必要なのは、「高いこころざし」と「強い意志」でありましょう。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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