バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

大彦(野口真造) 梅樹衝立鷹模様 江戸染繍友禅訪問着(前編)

2014.06 29

梅雨時は、バイク呉服屋にとっては「憂鬱」な季節。雨が落ちていれば、発車はもちろん不能であり、仕事の効率は格段に落ちる。「宅配ピザ屋」が使うスクーターには、「屋根付き」のものがあるが、「昭和のスーパーカブ」にそんなものをわざわざ取り付けるわけにもいかない。

また、晴れていたとしても、天候の急変に遭遇することが多い季節。預かった品物を積んでいる時など、店の軒下を借りて、しばらく待機させてもらう。30年近く、「バイク」で仕事をしているが、幸運にも「品物」を濡らしたことはない。

先日、「雨やどり」の時に使わせて頂いた、あるお宅の庭先に、色とりどりの「紫陽花」が咲き誇っていて、「待ち時間」を十分楽しむことが出来た。「青」や「紫」のほかに、優しい「ピンク」色に染まった花があり、「梅雨空」を払いのけるような鮮やかさだった。

「紫陽花」の色は、土壌により付ける色が違う。酸性土壌ならば「青系」、アルカリ性ならば「ピンク系」となる。また、刻々と色が変化してゆく特徴もある。そんな訳で花言葉は、「移り気」。気まぐれに色を変える紫陽花は、自由な自己主張があり、やはり「花屋の店先」よりも、「民家の庭先」の方が、似合っている気がする。

 

今日は、久しぶりに「ノスタルジア」の稿を書く。このところ、ここでご紹介したいような「重厚」な品物を預からなかったのだが、今日の品は、その図案といい、作者といい、「とんでもない品」であることは間違いない。

(薄黄土色 ちりめん生地 梅樹衝立に鷹模様 江戸染繍友禅訪問着 大彦・野口真造 昭和40年代 甲斐市A様所有)

 

今年1月から2月にかけて、東京国立博物館において、日本伝統工芸展60回記念として、「人間国宝展 生み出される美、伝え行くわざ」が催された。もしかしたら、お出かけになった方もおられるかも知れない。

この特別展では、国立博物館に所蔵されている江戸期の友禅の逸品と、「人間国宝」になった現代の方の作品を比較するため、並べて展示するという企画が行われた。これには、「古典への畏敬と挑戦」、とタイトルが付けられており、現代の匠たちが、古典作品から、どのような影響を受け、自分の作品に反映されているのか、という観点からの比較展示だった。

取り上げられたのが、江戸中期18世紀に製作された小袖、「白縮緬梅樹衝立鷹模様」と、江戸文政時代から続く、友禅の家、田畑家に生まれた、人間国宝の三代目田畑喜八が製作した「一越縮緬鳳凰桐文振袖(1954・昭和29年製作)」の比較である。

この二作品の比較で注目されたのは、「染料」。江戸期の品の色挿しに使われているのは、「臙脂(えんじ)」「藍」「雌黄(しおう)」「墨」の天然染料四種類だけで、それを様々に配合することで、微妙な色が出されている。一方現代の人間国宝、田畑喜八の作品は、多様な「化学染料」を使い色挿しされている。その鮮やかにして華麗な色は、「西洋文化の洗礼」を受けた感覚だと位置づけられている。

今日ご紹介する品物(上の画像の品)は、この国立博物館所蔵の「白縮緬梅樹衝立鷹模様」を忠実に再現したものである。(国立博物館のHPには、この所蔵品が載っているので、ぜひご覧頂きたい) そして重要なことは、その製作者が、近代における江戸友禅の第一人者、大彦(だいひこ)・野口真造の手によるものであることだ。

この「とんでもない品」を、一回の稿でご紹介するのは、無理なので、今日は、「大彦・野口真造」とは、友禅の世界でどのような立ち位置の方なのか、その人物についてお話し、次回は、この作品にあしらわれている仕事がどんなものなのか、柄の拡大画像なども使いながら話を進めることにする。

 

今までブログ上でご紹介してきた品は、すべて当店が扱ったものばかりであったが、さすがにこれは違う。江戸友禅に関しては、「旧北秀」が扱ったような重い品物を中心にお話させて頂いたが、今日の品は「別格」だ。とても、地方の小さな呉服屋が扱えるような品ではない。

これをお預かりしたお客様は、当店とは40年以上にわたる長いお付き合いをさせて頂いている方。お話によると、昭和40年代中頃、東京の某展覧会にてこの品物に出会い、購入されたもの。その時会場には、製作者の野口真造氏も来ていて、直接この品について説明を受けている。また、品物納品時には、真造氏の手紙も付けられており、それは今も大切に保管されている。

 

「大彦」が製作した江戸友禅の品は、今サイト上などでも見ることができる。そのいずれもが、丁寧に糸目糊を引き、多彩で豪華な刺繍が贅沢に施された、それこそ「人の手が尽くされた」逸品ばかりだ。単純に「大彦」の品というだけならば、「希少」ではあるが、「驚愕」ではない。この品物に価値があるのは、「梅樹衝立鷹模様・小袖」を「忠実に再現」してあるからだ。

図案や色挿し、そして友禅にあしらわれている刺繍の一つ一つまで、完全に「復元」されたものなのだ。それこそ、先に述べた「国立博物館の催し、古典への畏敬と挑戦」ではないが、全く同じ品物で、「友禅」という仕事をした時、「江戸の友禅職人の技」と「現代における友禅職人の技」を比較、検討するには、またとない品物である。

本当ならば、「国立博物館蔵の梅樹衝立鷹模様・小袖」と、今「バイク呉服屋」の手元にある「野口真造復元の現品」を実際に比較して見てみたい。

この品は、「大彦・野口真造」が復元製作したものだからこそ、これほどの「価値」が出る。では、この人物がどのような経緯の持ち主なのか、友禅の世界での立ち位置や仕事の内容をこれから見ていくことにしよう。ここをお話すれば、何故「この作品を復元しようと思ったのか」、が理解できるように思う。

 

(鷹の中の一羽を拡大したところ 羽一枚一枚に表現されている「糸目」の繊細さを見て欲しい)

 

大彦の歴史は、1848(嘉永元)年、東京両国で、隅田川における幕府の「水防御用(河川管理の仕事)」を請け負っていた河村仁兵衛の長男、彦兵衛誕生に遡る。彦兵衛は、家業を継がず、考えるところがあって「呉服業」の道へと踏み出す。当時麹町にあった、幕府御用達の呉服屋「加太八兵衛」に修行に入り、その後見込まれて、日本橋橘町の呉服問屋「大黒屋・野口幸吉(通称「大幸・だいこう」)の養子として迎え入れられる。

1875(明治8)年、「河村彦兵衛」から「野口彦兵衛」と名前を変えた彦兵衛は、本家「大幸」の別家として、家を構えることになる。屋号は「大黒屋・野口彦兵衛」であることから、通称「大彦(だいひこ)」。つまり、この年を持って、「大彦」の創業とされる。

 

彦兵衛が目指したものは、当時手のかかったほどこしの友禅の仕事が、ほとんど京都で成されていたのを見て、東京でも、それに負けない技術や独創的な意匠を用いて、独自の優れた「江戸友禅」を完成させることであった。そのため、彼は江戸期に作られた優れた江戸衣装を収集し、その技法や色、図案を検証、研究する。

それと同時に、ベルベット生地の製品化や、木版を使ったプリントや型紙による刷り込みを使い、ハンカチやマフラーを作り、ヨーロッパへ輸出するなど独創的で、多彩な一面も見せている。

また、「型」を使った友禅や、すりこみ染め、小紋染め、中形染めなど、「人の手だけ」の製品にこだわらず、廉価で、流行を追えるような品物も量産されていた。今、「大彦」といえば、「高価な手描き友禅」というイメージしかないが、明治・大正期にはこんな「モノづくり」もされていた。

彦兵衛は、当時の文化人や学者、作家などと知己を得て、情報や知識を吸収することを、「モノ作り」に生かしていた。また、独創的な仕事の中で、明治政府の高官にも知られる存在となり、帝国国内博覧会において、出品される染織品の審査に当たったり、大正天皇に献上される電話機の装飾を委託されたりと、「国」の仕事も任されるようになっていった。

 

「大彦」として、発展をとげる礎となった彦兵衛は、1925(大正14)年に亡くなったが、後を受け継いだのが、長男功造、次男真造という二人の息子。この頃の仕事は、二子玉川に大規模な捺染工場をつくり、どちらかと言えば「量産品」の方に力を注いでいたが、それを転換することになる契機が訪れる。

彦兵衛と生前に交流があった枢密院の重鎮、清浦圭吾(貴族院議員であり、枢密院を中心に、長い間政治の中枢で権力をにぎっていた陰の実力者。大正末期に首相の座に着くも、第二次護憲運動で倒閣。後、枢密院として東条英機を首相に指名している)が、後継者である二人の息子のことを気にかけ、龍村の創始者である龍村平蔵に様子を見に行かせた。

そこで、龍村平蔵は、亡き彦兵衛が目指した本当の仕事は、「型」を使った量産品の生産ではなく、優れた「江戸友禅」を完成させることだと忠告する。二人の兄弟は、これをきっかけに、本来の美術的作品を作ることに立ち戻っていく。

まず、仕事の中心になっていた「捺染工場」を売り、その後に兄弟がそれぞれ別れて独自の個性により、「手を尽くした、江戸友禅の品物を作る」ことを目指した。兄の功造は、「大彦」を離れ、名前も新たに再出発する。その名が「大羊居(たいようきょ)」である。弟の真造は、そのまま父の「大彦」を受け継いだ。

 

真造は、自分の仕事を「利益追求」ではなく、「技術の育成」だと捉え、友禅職人を育てることに力を注ぐ。それは、今までの型工場だった「大彦染色工場」を「大彦染繍美術研究所」に模様替えし、私宅に職人の養成所を設ける。「下絵」「糊置き」「色挿し」「刺繍」など「友禅」の仕事には欠かせない職人を、自らの手で育てることから始めた。

モノ作りの基本理念は、染色や刺繍は「衣装の飾り」ではなく、むしろその技術を衣装の上で表現するためにあるものとする。つまり、完成した品物の価値というより、そこに施されている「技」そのものに価値を見出すということになろうか。今日のタイトルに付けた、「江戸染繍」の「染繍」という単語は、真造の「造語」である。

精緻な江戸友禅の品を作るため、まずどのようにしたらよいのか。真造が考えたのは、「江戸衣装の復刻」、江戸時代になされていた友禅の仕事を、改めて見直し、そこから技術を学ぶことだ。父、彦兵衛が明治期に、多くの江戸友禅の衣装の収集家だったことは、先に述べたが、その父の集めた「江戸衣装」が大いに生きたのである。

今日取り上げた「梅樹衝立鷹文様小袖」も、「江戸期友禅の逸品」である。この品物がどのような経緯で、国立博物館に収納されたのかは伺い知れないが、おそらく彦兵衛の収集品の中にも、江戸の友禅師たちの手によるものは、沢山残されていたはずだ。

真造は、「江戸技術」に学ぶ作品作りに没頭し、1929(昭和3)年には、父の集めた江戸衣装と、自らが作った衣装を並べた発表会を開く。つまりは、江戸期の友禅職人と、自らが育てた友禅職人の技を比較して見せる場を作ることで、世間に対し、「自分がモノ作りにおいて目ざすものは何か」ということを知らしめることになった。翌1930(昭和4)年には、三越で徳川大奥衣装の復元展覧会なども開催されている。

 

こうして、真造の意を汲む「大彦」の作る品物は、熟練した技術を持つ専属の職人集団の手で作り続けられることになる。終戦を経て、戦後の呉服需要の高まりとともに、「手を尽くされた品物」は、世間の「憧れの品」ともなっていく。ここで作り出される品は、全て逸品で、二つと同じ品物はない。ほどこされるあしらいこそが、作品のいのちであるという、真造のモノ作りの理念が、全ての品物の上で体現されている。また、大彦から分離した兄功造の「大羊居」も、弟真造とは違う個性だが、やはり「手を尽くしたモノ作り」を理念とし、多くの美術的作品が生み出され、今に続いている。

 

さて、今日の「梅樹衝立鷹模様」に話を戻すと、これだけ精緻な形で技術を再現しようとすれば、相当長い時間、ホンモノ(国立博物館蔵の品)を傍に置いて、研究しなければならないように思う。真造自身は「文化庁」とも関わりを持つ仕事も請け負っていたので、品物を借り受けることも出来たかも知れない。また、もともとこの品は、「真造」が持っていたもの(父・彦兵衛の収集品の一つ)と考えれば、もっとも合点がいく。

どのようにして、全く同じものを再現し得たのか、私がその真相を知るよしもない。しかし「再現」といえども「友禅」という、何人もの職人の手によらなければ完成することはないものだ。「下絵」「糸目糊」「挿し色」「刺繍」、それぞれの職人が「完璧な仕事」をし尽くした上でのことである。

この復刻された模様の品も、二点とはない(膨大な手間を考えても、物理的に無理だろう)ことがおわかりかと思う。最後に正面からの画像をお見せしよう。

 

この品物がどうして、このような形で再現されるに至ったのか、野口真造、及び「大彦」の歩いてきた道を追いながら話を進めてきました。伝統的な「京友禅」に対し、これに負けない技術と独創的な意匠で、「江戸友禅」を確立しようとした、強い意志で貫かれていることがわかります。

この品物にほどこされている仕事は、「友禅」というものがどのような「技術」で成り立っているのかを見る上でも、大変貴重な資料と言えましょう。

次回は、色、模様それぞれに施されている「技」を見ていただき、「ホンモノの江戸友禅」の仕事がどのようなものなのか、ぜひ見ておいて頂きたく思います。

 

バイク呉服屋が「積んでいる荷物」の中には、時としてこのように「とんでもない品物」があります。もし、こんなモノを持っているとき、「雷」に見舞われたとしたら、それは、例え「バイク」が破壊されようが、「バイク呉服屋自身の脳天を直撃」しようが、どんなことがあっても、「品物」だけは守り通さなければならないことは言うまでもありません。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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