「よろず屋」というのが、どんな形態の店なのか、若い方では知らない方も多いだろう。
昔、田舎へいくと、食料品から、日用雑貨まで、何でも売っている店が、集落に一つ、二つはあったものだ。これが、「よろずや」である。「よろず」=「万」であり、もちろん商品が「万」とある訳ではないが、要するに「何でも屋」である。大概「おばちゃん」か「おばあちゃん」が店番をしており、客は集落の人に限られている。
「よろずや」というと、私が若い頃通った、北海道の僻村にあったある店のことを思い出す。この店、何が凄いかというと、それは、「品揃え」の無茶苦茶さである。10坪ほどのスペースの前面に並べられているものは、調味料、缶詰、乾麺、そして少量だが、肉や魚、野菜類の生鮮品など食品類である。
店の外には、バケツ、シャベル、洗面器などの「金物類」が置かれ、「野菜の種」も多く揃っている。ここまでならば、私は驚かない。これが「典型的な田舎のよろずや」の風情だからである。問題は、この他の品物である。
店内には、「紐」が張られており、様々な商品がぶら下げられている。「タワシ」や「軍手」と並んで吊るされていたのが「ブロマイド」。見ると、「となりのまりちゃん=天地真理」が微笑んでいる。「となりの真理ちゃん」なるものが、何かわからない方も多いと思われるが、1973(昭和48)年にTBS系列で放映されていた、「ホームドラマ・時間ですよ」の中で、「となりの真理ちゃん」という役柄で登場し、その当時、人気絶頂だったアイドル、「天地真理(あまちまり)」のことである。
この店の存在を知ったのが、1980(昭和55)年頃だから、とうに「天地真理」のブームが過ぎていて、何故、ここに置いてあるのか意味不明である。「真理ちゃん」で驚いていると、その奥には、「雑誌棚」が置かれていて、その「本」の表紙を見ると「目が点」になった。
いわゆる「アダルト雑誌」である。妙齢な女性の裸体の表紙をビニールで包んだ本やどきついタイトルの「劇画本」が数冊重ねて置かれている。
この「よろずや」は、食料品屋兼金物屋兼文房具屋兼アイドルショップ兼アダルトショップなのであった。この他、タバコ、酒類、収入印紙などの扱いもあり、まさに「万=よろず」の名を欲しいままにしている稀有な店。現代のどんな「コンビニ」でも敵うことはない品揃えになっている。
私は、ほぼ毎日「ゴールデンバット」というタバコ(このタバコは戦前から「金鵄(きんし)」という名前で売られており、当時一箱30円で、一番安い銘柄だった)を買いに、この店へ通った。閉口したのは、私が行く度に、店番をしている70歳くらいのばあちゃんが、例の「アダルト本」を勧めることだ。
「お兄ちゃん、この本新しく入ったばかりだよ、凄いよ」。「凄い」のはこちらもわかっているが、ばあちゃんが孫に「性教育」をしているような風情である。置いてあるところをよくみると、「本」の隣には、「漢字れんしゅうちょう」や「れんらくちょう」が積んである。さすがに、この「ディスプレイ」は如何なものかと思う。小学生の子どもに頼まれて、「漢字れんしゅうちょう」を買いに来た父親に対し、ついでに、「凄い本」を勧めようと考えて、このような陳列になっているのだろうか。
私が、いかにもこの手のモノを好みそうに映ったのかも知れないが、100人には満たないこの集落で、「アダルトモノ」が売れるとは到底思えない。何の意図があって、このような商品構成になったのか、謎である。今思えば、ばあちゃんに理由を聞いておけばよかったと思う。
「よろずや」の話から、おかしな話になってしまったが、今日のテーマは、私がお客様から依頼される様々な手仕事=「よろず手仕事」について書いてみたい。
「よろず手仕事」の品というのは、主に、キモノや帯以外に頼まれる小物類などのことで、「人の手」により作られるものである。ある人は、キモノの「余りきれ」を使い、ある人はわざわざ「生地を探して」作る。依頼する理由は、自分の寸法にピタリ合うようなものや、既製品にないデザインを求めて、などである。
このひと月ほどで、4点ほどの依頼を受けたが、どんなモノを作ったのかご紹介しよう。
(扇子入れ 鼠色無地結城紬と濃茶細縞紬の残り布)
まず、最初の品は、キモノの残りきれを利用して作った、「扇子入れ」。依頼した方は長いこと「日本舞踊」を本格的に習われ、東京の舞台にもたまに出られている。その人が既製にはない柄で、自分だけのオリジナル「扇子入れ」を作りたいと考え、依頼されたものである。
余り巾が違う、二枚の残りきれを組み合わせることにより、自由に柄が作れるが、「シンプル」にという要望のため、上のような柄行きになった。
二枚のきれを剥ぎ合わせたところ。布の配置が、茶と銀鼠の色が7:3になるように、という希望もあったので、それに添う様に作った。もちろん入れ物の長さや、巾は指定されている。
(男物袖なし半纏・表地は無地木綿、小袖わた入り)
次の品は、「男物の袖のない綿入れ半纏」。依頼人はお寺の住職である。住職本人というより、奥さんから頼まれたのだが、小柄な方なので既製のものは合いにくいそうである。毎日のように着たがるので、傷みも早く、それならいっそのこと「作ってしまおう」と考えてこの仕事になった。
見ていただいて判るように、「半纏」というより、「和風ベスト」のような仕上がりである。「袖なし」は仕事がしやすいことと、下に着るもので温度調節がしやすいことで使い勝手がよくなる。年配の方なので、なるべく「軽いもの」という要望もあった。
表生地は木綿で、汚れが目立ちにくい茶。あまり厚手ではないものを「生地屋」で探す。中に入れるわた=小袖わた(綿入れの半纏などに使われるわたのこと)の量に注意する。これを使いすぎると、ぶくぶくして着にくくなってしまう。
後ろから見たところ。昔は手縫い半纏の依頼もたまにはあったが、今では本当にめずらしい仕事である。これを縫うことができる和裁職人も少なくなった。作ったのは「小松さん」という職人である。彼女は、羽織や変わり衿(へちま衿とか千代田衿というような)のコートを作るのが得意であり、器用に「被布の飾り紐」なども残りぎれで作る。
もちろんこの品も、使う人の寸法をとり、その上希望の丈なども伺って、手縫いで作る。お客様に頼まれたはいいが、作る職人の「当て」がなければ、どうにもならない。小松さんという職人さんは、半纏やキッチンコート、上っ張りなど、どんな仕事にも応じてくれる、「頼りになる人」だ。こういう方が居てくれてこそ、受けられる手仕事である。
(水玉模様 手縫い長丈エプロン スカーフ付き)
三つ目の品は、「呉服屋」の仕事の範疇に入らない「エプロン」。これは、少し体格のよいお客様が、長い丈で自分の寸法に合うものが欲しいという希望で依頼されたもの。エプロンは「既製品」を買うというのが一般的だが、「オーダーで」というのを聞いたことがなかった。
バイク呉服屋の基本姿勢は、手仕事の依頼であれば、何とかするというものである。その場で断らず、出来るだけやってみようと仕事を持ち帰る。手を尽くして不可能ならば、その時にお客様に断ればいいのだ。作ってみようと努力しないのは、やはり不誠実な気がする。
自分に合う寸法のものがないから、「オーダー」を考える。だから、それを「縫える」職人を探せば解決できる。お客様には、今まで使っていたものの中で、一番自分に合うものを出して頂き、その寸法を基本として、希望する長さや巾、また、衿開きの大きさを聞き、袖先をゴムで調整することなど細かいことまで確認する。
これまでもこのブログに登場してくれた、和裁職人の保坂さんに相談すると、腕の良い「洋裁職人」を知っていると言う。やはり「餅は餅屋」である。職人のことは職人に聞くというのが、一番だ。「和」と「洋」の違いはあるが、「手で縫う」ことは同じ。彼女が「仕事が良い」と感じる職人なら間違いない。
ということで、この仕事は「保坂さん」の知る、腕の良い「洋裁職人」に依頼した。全部で5枚頼まれたので、その分の生地を用意する。色目と柄は「お任せ」だったが、少し生地目を変えて、選んでみた。
仕上がったそれぞれの柄の「手縫い、オーダーエプロン」。寸法に合わせて、「型紙」を作り、お客様の希望の寸法と形に仕上げる。余りきれで、「スカーフ」を作るというサービスまでして頂いた。
(小ボストン型 喪用オーダーバック・家紋入り 紋付羽織をといた布)
最後の品は、「喪用」のオリジナルバッグ。以前、女モノの「紋付羽織」を帯に直したことを、このブログでご紹介した。このバッグに使った「きれ」は、この「帯」として再生した際に、なお余ったものだ。ということは、「羽織」から、「喪用の帯」と上の画像の「バッグ」を作ったことになる。
丁度「紋」の部分が残りきれの中にあったので、それを生かして、バッグを作ることにした。もちろん大きさ、形などはオーダーである。「紋」の位置も全体のバランスを考えて、入っていても違和感のない場所にさせていただいた。
従来より、すこし「大きめ」にするということと、「紋」をバッグの「デザイン」のように生かすということ、この二つの希望を出されていたが、「紋」のわざとらしさがあまりなく、仕上がっているように思える。
「羽織の残りきれ」を使用した表地。その羽織の紋織柄である「霞」模様が、生地から浮かび上っている。単に「真っ黒」ではなく、織り柄が付いていることで、全体のアクセントになっている。
既製にはない品、量産品では出来ない品を依頼される方は、必ずいる。寸法もデザインも自由に考え、自分だけの品物を作り上げる。人がモノを選ぶ基準は多様だが、値段や手軽に買うことが出来ることだけではない、違う「価値観」を持つ人がいる。
このような仕事は、「人の手」にしか出来ない。「人が頼んで人が作る」ということの中間に、中を取り持つ「人」がいる。「依頼人」と「職人」を繋ぐ仕事は、「手仕事を守る」ことに繋がる「仕事」である。
呉服屋がよい手仕事の品物をお客様にお勧めし、それを長く使っていただくために、「直し」の仕事を受ける。我々の仕事の大部分はこれだが、今日ご紹介したような仕事も、隠れた呉服屋の仕事だ。これからも、手仕事に繋がる「よろず」のことを、出来るだけ受けていきたいと考えている。
最後に、もう一度あの「よろず屋」の話の続きをしましょう。あまりにも行く度に、「凄い本」を勧めるので、「すこしばあちゃんを困らせてやろう」と思い、ある時「質問」をしました。
例の「となりの真理ちゃん」のブロマイドを指さし、「この人の出ている本はないの」と聞いたところ、「たぶん、この人、こういう仕事はしないと思うけど、もし見つけたら入れておくから」。真理ちゃんは「こういう本には載らない」ということは理解していたようです。これ以後、タバコを買いに行っても、「凄い本」を勧められることが少なくなりました。もちろん「真理ちゃんが出ている本」が入荷しなかったのは、言うまでもありません。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。