今日は「雪」の予想がされていたのだが、気温が思ったより上がったことで、雨になった。ようやく甲府市内に残った「ヤマのような」雪が無くなりかけたところなので、本当に助かった。
先週から「バイク」での仕事を再開したばかり。それでなくとも、「二月」は雪ばかりかたづけていたような気がする。手入れのためにお預かりした品物も、かなり溜まっていたのだが、今日、ようやく東京・下谷の「ぬりや」さんのところへ送った。「直す」仕事のほとんどを、東京や京都の職人さんに依存しているため、うちの仕事にも、「中央道」が使えない影響が出てしまう。
今日は、そんな預かった品物の中から、「ノスタルジア」の稿にふさわしい、素晴らしい仕事が施された振袖をご覧頂こうと思う。
(牡丹に亀甲・七宝・菱 割付文様 総絞り振袖 1983年 藤娘きぬたや 韮崎市K様所有)
昭和50年代までの一時期、うちでは、「絞り」の振袖をかなり扱っていた。「藤娘・きぬたや」は、今でも「絞り製品」を扱う代表的なメーカーだが、「都はるみ」や「神野美加」といった歌手の舞台衣装(紅白などで使われていた)を製作していたことでも知られている。本社は名古屋市中区の伊勢山というところにある。
「母」の振袖を「娘」が使うとすれば、1980年代に誂られた品物が多い。だから、うちのお客様の間では、「絞り振袖」が再び表舞台へ登場し、受け継がれている。
単に「絞りの振袖」といっても、その施しは様々である。「総疋田」の生地の上に、小紋型を使って柄を染め付けたものは「小紋バック」と呼ばれ、価格的には抑えられた品物であった(それでも、当時とすれば高価だった)。「絞り」の贅沢なモノというのは、柄そのものが「絞り」の技法により表現されているものであり、その手間のかかり方は、半端なものではない。
「上前おくみ、身頃、胸、袖」という通常柄の中心になるようなところにだけ、「絞り」で模様を出すのであれば、まだ、「手間」はある程度抑えられる。今日紹介する品のように、振袖全体が「総模様」になっていて、その「全て」の柄を「絞り」だけで施されているような品物は、稀であり、その仕事は「無茶」なモノと言わざるを得ない。おそらく、これだけの「絞り」を完成させるのには、かなりの時間を要する(最低でも2年以上か)。これから、この振袖にどのような「絞り」の技法がなされ、一枚の作品になっているか、見ていくことにしよう。
前回の「ノスタルジア」で取り上げた、「立浪青海波文様」の振袖も、「総模様」というべき柄付けだったが、その施しは、箔や刺繍を多様した京友禅の仕事である。今回の振袖は、「柄の全て」が様々な「絞り」の技法を駆使することで、付けられている。
まず、柄の中心になる「牡丹」の花の施しから、見ていこう。この花と葉の表現にいくつ絞りの技法が使われているだろうか。
「牡丹の花」を拡大したところ。
「絞り」の模様として、お馴染みの「疋田絞り」で「花弁」が表現されている。「疋田絞り」は、「京鹿の子絞り」の中で、象徴的な技法だ。この絞りは「結い手」と呼ばれる職人が生地の上の一つ一つを、絹糸で巻いていく。一般的には、8~9回巻かれるものが多いが、この振袖を作っている「藤娘・きぬたや」の技は傑出しており、およそ12~13回も巻きつけられている。
「総絞り振袖」一枚に使われる「疋田」の数は、約20万。糸を巻く=括る(くくる)だけでも、20万回ということになり、それこそ気の遠くなるような作業である。「疋田」だけを使った絞りは「総疋田」と呼ばれるが、この品物は、「疋田」以外の技法を多用している。
「花芯」部分の表現として、「白く抜けた」ような6つの模様が見える。この技法が「帽子絞り」と呼ばれるものだ。これは、柄を少し大きく白く残す場合に使われ、その大きさにより、「大帽子」「中帽子」「小帽子」に分けられる。上の「帽子」は「小帽子」であろう。
この「帽子」を作るには、柄の周囲を生地の裏から筒状の芯を入れて縫い、その糸を巻きつけて締めることで固定する。そして、その部分は、生地の表からビニールに包んで糸が括られる。
また、「花芯の小帽子」と「花弁の疋田」の間に、2~5個ずつ丸く連なった小さな模様が見られるが、ここも「貝絞り」という、別な技法が使われている。この絞りは、その形が「貝」のように見えることから、この名前が付いた。
「葉」の部分を拡大したところ。
葉脈として表されている、「線」のような絞りの粒。これが、「鹿の子絞り」のもう一つの代表的な技法、「一目絞り」。この施しは、柄の中において「線」を表すときに使われる。「丸い」形状の「絞り」を連続させることにより、それが表現できる。糸の括り方は、「疋田」と同様だが、括りの回数は2回と少なく、巻き付ける糸が細い点で異なる。
もう一つ、「葉の輪郭」を表しているところ、これもまた、違う技法が使われている。ここは、「縫い締め絞り」と呼ばれているもので、最初にこの部分の生地を縫い、その糸を引き締めることで生地を被せ、色の侵入を防ぎ、白く抜くことができる。模様の「輪郭使い」に多用される技法だ。
この他の文様には、どんな技法が使われているか、見てみよう。
菱文様と七宝文様。「菱」は、「一目絞り」と「小帽子」。「七宝」は、輪郭が「縫い締め」で、中の模様は「疋田」・「小帽子」の二種類。
亀甲文様。やはり、輪郭は「縫い締め」で、中に「疋田」が使われている。
「牡丹」の他に使われている葉模様。上は、「葡萄の葉」、下は「楓の葉」。
「疋田」「一目絞り」が多用されて、模様が形作られていることがわかる。
ここまで、「絞る」という技法に「絞って」お話してきたが、「絞りのキモノ」を作るにあたり、「絞る」前に、なされている仕事がある。そのことを簡単にお話しておこう。
まず、キモノ作りの最初は、下絵である。これは「原寸大」の紙を使って描いていく。当然「試行錯誤」され、何度も「書いては、消し」を繰り返しながら、決められていく。
「図案」が決まったら、「渋紙(柿渋を塗った紙)」に「柄の通り」に「穴」を開けていく「型彫り」をする。この「穴」の一つ一つが「絞りの粒」になる。今日の振袖のような途方も無い柄の品物だと、「穴を開ける」作業だけでも、大変だ。
「穴」は、「円形」に開けるため、先が「円形」になっている「ポンチ」が使われ、「金槌」で一つ一つ叩かれてあけられる。穴の大きさは大小様々なので、そのたび違う「ポンチ」が使われる。
「型彫り」の後は、使うキモノ生地に柄を写す「下絵刷り」。「江戸小紋」などもどれだけ精緻に型紙を生地に染め出すことができるか、ということが仕事の成否に関ってくるが、「絞り」の場合も、「型紙」の穴(柄になるところ)を上手く生地に写さなければならない。
絞りは、広げた生地の上に型紙(穴を開けた渋紙)をのせ、「あおばな」という「露草」の汁を含ませた刷毛を刷り込みながら、生地に柄を写してゆく。だから柄は「青く」映し出される。
ここまでが、「絞る(糸を括る)」前の作業である。
「絞った後」の作業。それは重要仕事、色を染めることである。この振袖のように多色使いのものだと、その手間も大変だ。使われている柄ごとに色の規則性があり、その「色出し」は正確なものが求められる。「染め職人」は、品物を考案した者の要求通りの色を付けなければならず、高い技術が必要なことは言うまでもない。
色を染め終えた後、最後に行われるのが、「絞り解き」。何十万粒もの「絞り」には、それぞれ固く糸が巻きつけられている。これを「解いて」やる。解きは絞りを一つずつするのではなく、「一気」にされる。やり方は、「生地」を対角線に持ち、力を入れ注意深く引っ張ってやる。そうすると、糸は伸びる生地の力に負けて、はじけ飛んでいく。
20万粒の絞りの「括り」には、年単位の時間が必要だが、最後の「解き」は数十分で終了する。
最後に、もう一度全体像をどうぞ。(前の合わせから見たところ)
何人もの職人が手掛けた、気の遠くなる作業により完成した「総絞りの振袖」。施されている一つ一つの仕事に、「職人の心意気」が伝わってくるような作品ではないでしょうか。
「年単位」で一枚のキモノを仕上げるような仕事が、この先どれほどなされるでしょう。「絞り」にはおよそ100種類もの技法があるのですが、年々使われる「ワザ」は少なくなっているようです。
「技術」というものは、「受け継ぐ人」がいなければ、「絶えて」しまいます。呉服に携わる者がもっとも考えていかなければならないのが、次代を担う「人」をどのように養成していくかという点です。この最大にして、もっとも難しい課題をどのように解決出来るかで、「伝統衣装」としてのキモノを守り続けられるか否かが決まるのではないでしょうか。そのタイムリミットは、もうすぐそこまで来ていると思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。