バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服業界の「後継者」問題(2) 「モノ作り現場」の後継者難(後編)

2014.03 19

「当てにしていただく」「頼りにしていただく」ということほど、小さな小売店にとって有難いことはない。

先月大雪が降って、身動きがとれなかった反動だろうか、このところ毎日お客様からお声がかかる。内容は、直す仕事だったり、品物の相談だったり、様々である。

忙しいせいではないだろうが、バイクにまた不具合が発生した。「動かなくなる」ようなトラブルではないが、今度は「メーター」が壊れたのだ。速度と距離と両方のメーターがピクリとも動かない。これでは、何キロで走行しているかも、距離数もわからない。走行距離は11万3千キロ余りで止まったままだ。

去年から、「井上モータース」に入退院を繰り返している。もうそろそろ限界が近づいていると、覚悟を決めておかなければならないようだ。

 

 今日の呉服屋事情は、前回に引き続き、「モノ作り現場」の後継者問題について。

 

先日の話で、苦境に立つ「モノ作り」の現場と、後継者が育たない現状について述べたが、今日はこれをどのように「解決」できるのか、私なりにその「方策」を探ってみたい。ただ、あくまで「小売屋」としての立場からなので、人によれば「空論」でしかないと言われるかもしれないが、その辺りはご容赦願いたい。

 

「良質な手仕事」を継承する職人を育てるためには、どのように「教育」していくか、だけではなく、どのように「質の良い商品」を作り続けられる環境にするか、また、どのように消費者に訴えかけて、「品物を買っていただくか」ということを同時に考える必要がある。

つまり「良質なもの」の需要をどのように喚起するしていくか、ということが基本になる。それと同時に「少量生産」でも職人が「食べていける」ように、賃金を上げてやることも考慮しなければならない。これからの時代、どう考えても生産量が増えることは考えにくいからだ。

この「多面的難題」を解決する道が残されているだろうか。日本には伝統工芸品と認識されている品物はかなりの数がある。「呉服」以外の工芸品は、このような問題に対して、どのように向き合い、対処しているのだろうか。それを少し見てみよう。

 

石川県の誇る伝統工芸品といえば、ご存知「加賀友禅」と「輪島塗」、「九谷焼」である。この中で、加賀友禅の「加賀五彩」といわれる彩色と同じように、「九谷五彩」と呼ばれる独特な色絵付けの方法を使う「九谷焼」において、どのように、「職人」を育成し、伝統を守る「しくみ」が作られているのか、ご紹介しよう。

九谷焼の発祥は江戸初期の1655年、「古九谷」にまでさかのぼり、その後の空白を経て、1824年、「九谷村・吉田屋窯」で再興される。藍色で線描きされたところへ、赤・黄・緑・紫・紺青の「九谷五彩」と呼ばれる色を使って塗られる「上絵付け」と呼ばれる方法が取られている。表現される模様は、加賀友禅とも共通するような、花鳥や山水をモチーフにしたものである。

もちろん出来上がるまでには、様々な工程が組み合わされている。まず、陶器の形を作る「成型」から、「釉薬作り」、「上絵」、「窯焼き」、「研磨」などを経て作品・製品となる。この技術を覚えるには、かなりの時間が必要で、一人前の「九谷焼技術者(職人)」を養成することの困難なことは、容易に想像できる。

一昔前では、「職人」の下に内弟子として入り、そこで「親方」の技術を盗んだり、指導を受けたりしながら、長い時間をかけて一人前になっていった。ここは、「呉服」にまつわる職人の「育て方」と同じである。

しかし、この「職人任せ」の人材教育では、伝統品を守っていくことが難しくなる。つまり、「技術者養成」を「職人」の個人の力ではなく、もう少し大きな力で安定的にする必要が出てきたのである。それを確立しなければ、「未来の九谷焼」は存在が危ぶまれるという「危機感」である。

 

「九谷焼職人」の育成に関して、地元「石川県」の対応は早かった。これは、県において大きな地場産業の一つである「九谷焼」を、どのように残していくか、ということが、「強く問題意識」されていたということに他ならない。

そして、「県」が主体となって、「職人を育成する場所」を開設することになる。これが、1984(昭和59)年4月に作られた「石川県立九谷焼技術研修所」である。設置目的はもちろん「九谷焼振興のための人材育成と技能者養成」だ。

この研修所の修業年限は、基礎から学ぶ「本科」で2年、専門を学ぶ「研究科」が1年。全く「白紙」状態の者には2年の間に「九谷焼」の職人としての基礎を教える。定員は本科・研究科とも15名ずつの「少数精鋭」主義だ。講師を見ると、技術者である「陶芸家」はもちろん、県内外の美大の教授やデザイナー、画家、茶道教授、など多士済々といえる構成になっている。

カリキュラムを見ると、「モノ作り」を始める前の「基礎力」を付けることにも、力を注いでいることがわかる。「色彩学」や「装飾論」、「工芸論」、「文様の描き方」などを学んだ上で、自分が作る「九谷焼」の方向性を意識させる。「モノを作る」前の基礎知識は必須だ。ここを学ばずにモノを作るのは、「基礎のない家」を建てることと同じである。

もちろん実際の「モノ作り」に関しては、それぞれの工程別に「陶芸家」が指導する。「成型」、「上絵」、「釉薬作り」、「窯場」など、一通りの過程を経験させることで、大まかな基礎力を付けさせるのである。

もちろんこの2年という短い期間で、「一人前」の職人にはなれない。この技術所の開設以来の卒業生の数は385名。卒業後の進路を見ると、約半数が「成型と上絵付け」の工房に入っている。つまり、「基礎力」を付けた後の「応用」は、「もの作り」の現場である「職人・親方」の下で、ということになる。

「工房」に入るにも、以前のように「白紙の状態」で弟子入りするのとは異なり、一通りのことを学んでいる。つまり、職人が一から教える手間がなくなり、「モノ作り」の戦力になるまでの時間がかなり短縮されるということになる。

また、同じ現場でも「窯元」に入る者や流通の現場「問屋」に入る者もいる。ここでは、「技術者」だけでなく、「九谷焼を普及・営業」する者も育てているのだ。

そして、「個人で独立」した「作家」を志す者もいる。より高みを目指して、自分にしか作れない作品を目指し、「自己研鑽」に励む者である。このような、未来の九谷焼を背負って立つ若者を、さらに支援しようとするしくみが考えられている。

 

石川県では、この「支援」を県の力で行っている。それが、「九谷焼技術者自立支援工房・支援工房九谷」の存在である。

この工房では、若い職人が独立してモノ作りをすることに対し、様々な手助けをしている。ここで最も重要なのは、「製作スペース」とそれに必要な「設備」を作り、若い人に開放していることである。

「モノ作り」には、様々な道具と広い製作の場所が必要である。それを準備するには資金がかかり、若い職人の卵達に出来るはずもない。例えば、「成型」には「ロクロ台」や「作業台・成型機」、「釉薬作り」には、「ポットミル」や「コンプレッサー」、「上絵室」は、「大きな作業机」というように道具を揃えることは容易ではない。

また肝心な「窯」など、個人の力で作れるはずもないのだ。このように、「モノ作り」に必要なものは、全て揃えてやる。「窯」なども「ガス窯」、「電気窯」、「上絵窯」を持ち、「研磨」に必要な「グラインダー」や「ハマ擦り機」を用意し、作品の「仕上げ」段階で使うものまで、揃える。このように、仕事の最初から最後まで、全てを網羅した道具がある。

この上で若き職人に、場所を提供する。工房には、「共同工房」と「個人工房」があり、「共同」は1時間100円という安さで開放されている。また「個人」の方は一人の職人が3年間専用の「工房」として使える(使うときに「審査」がある)。もちろん、設置された「道具」や「設備」の全てを使うことが出来る。

そして、この工房には「ギャラリー・彩」が併設されており、ここの「共同工房」や「個人工房」を使う「若き職人達」の作品を常設展示・販売している。また定期的に、個展やグループ展も開かれていて、「若手の発表の場」にもなっている。

つまり、ここは作品を「製作」する場でもあり、「発表」する場でもある。また、時には「販売」される場にもなっている。つまり、「モノ作り」から「モノを売る」まで、全面的に支援されているということだ。作家を志す個人の力では、到底無理なことばかりである。より個性的で、独創的なモノ作りを目指す若者を支援し、「モチベーション」を揚げてやり、それが、未来に繋がる新しい「九谷焼」の職人となり得るのだ。

 

「九谷焼」における職人養成の現場を見るとき、「石川県」という自治体が「伝統産業」を残そうとする強い意識が感じられる。業界のことは業界に任せておけばよいというものではない。もう、「業界だけでは」伝統品を残すことが出来ない、と考えた上での施策である。「残す」には、何より「後継者の育成」は最重要課題である。これをいかに克服するかで、伝統品を未来に繋げていけるかどうかが決まる。だからこそ、ここまで仕事に関わり、様々な支援を行うのだ。

 

翻って、「呉服」の現場を考えてみよう。石川県の代表的な工芸品である「加賀友禅」。「同じ地場伝統産業」に対して、このような「県としての支援」がない。もちろん「用の美=日常的に用いられる」陶器と、非日常の「キモノや帯」では、品物としての使われ方も違う。また、仕事の内容や、技術の伝承の方法も違う。そして、今までの「職人の養成」の方法も違うだろう。

だが、「九谷焼」の行き届いた支援を見た時、「加賀友禅」にもこのような、行政が前に出た、積極的な「職人の養成」が当てはまらないとは思えない。「加賀」ばかりではない、分業である「京友禅」でも同じことが言える。

すでに「業界は業界」の自己責任で、未来の職人を作れるような状態ではない。少なくとも「呉服業界」では無理である。つまりは弱体化した業界に変わる、大きな力として、「自治体」なり「国」による支援なくしては、「後継者」育成はままならないということである。

「九谷焼」の例を見るように、全く白紙の状態で「職人」を目指す者は多くない。「技術研修所」で受け入れる職人の卵の人数はわずか15人である。それでも、志す若者のために「出来る限り」の支援をする。人数と設備経費(一人に施されるお金)を換算すれば、とても「割り」のあう金額ではない。

1年に15人というわずかな数に対して、ここまでする。これは、「採算」を度外視した、「未来の文化」に対する「無償の施し」だ。つまり伝統文化の後継者育成は「お金の問題」ではない。「残さなければいけない」という強い意志が自治体にあるからこそ出来る施策なのである。

「呉服」にまつわる「工芸品」は多種多様だ。「京友禅」だけで、「下絵」「糊置き」「色挿し」から「刺繍」「箔置き」「絞り」など様々な職人を必要とする。「江戸友禅」も同じだ。そのほか「有松絞り職人」「型絵染職人」「紅型職人」、そして紬産地ごとに技法が違う「織り職人」。織り方の異なる「帯」の織リ手。数え上げたらキリがない。

どのくらい、それぞれの「技術」を持つ職人がいるのだろう。これを未来に向かって保護するには、それぞれの「現場」だけでは、到底無理である。「仕事を受け継いでくれる」ような若者を探すだけでも至難のことと言わざるを得ない。

だから、地域ごと、産地ごとに「一貫した職人育成」の場を作るしか方策がないのだ。それは、それぞれの業界・組合だけで出来ることではない。そして、自治体や国を動かすには、先の「九谷焼」の例の通り、「お金の問題ではない」つまり「採算が合わずとも」その伝統品を残さなければならない、と意識させなければならないのである。

この「危機意識」が国や自治体に伝わらなければ、「支援」が受けられない。このままでは、いずれ「消えて無くなる」運命を辿るだろう。

 

私は、これから育てなければならない職人の数は少なくてもよいと思う。手をかけた良質な品が沢山売れていくことはあるまい。だから、将来このわずかに残る「腕のある」職人達が、「少ない」仕事でも、「食べていけるように」することを考えることが大切だ。

これには、「流通」のしくみを変えなければ実現しない。「良質」なものを「いかに消費者」に直接届けるか、ということである。「職人」と「消費者」の間に存在する「問屋」と「小売屋」を通さなければ、良質な品物がもっと消費者の手の届く価格になることは間違いない。そして、「問屋」と「小売屋」が取っていた「マージン」の分を「職人」の賃金に振り分ける。

「技術」で「生活」が賄えるようにならなければ、「モノ作り職人」のなり手を探すことは不可能である。

「国や自治体」の大きな力で「職人育成」の現場を作ること、そして、流通のしくみを変え、「賃金」を上昇させること。この二つが出来て初めて、「モノ作り後継者」の問題に手を付けることが出来ると考えられる。

 

もしかしたら、「よい手仕事」の品物を残す、ということにおいて「小売屋」の存在は邪魔なものになるかも知れません。

例えば京友禅で考えれば、職人のまとめ役である「悉皆屋・染匠」の親方が、「小売」をするアンテナショップを開き、良品を消費者に直接売るような形をとれたなら、もっと「職人」に賃金が渡せると思います。そして、消費者は今より廉価で、「よい施し」の品物を手にすることも出来るのです。

また、「九谷焼」の「支援工房」のように、若い職人が作った品物を「販売」できる場を設けることも重要でしょう。「農家」による「直売所」があるように、多様な形で消費者にモノが届くしくみを考えることも大切です。もちろん「職人」がネットを利用して「直接販売」することなどは有効な方法になるでしょう。

「利鞘」で生きてきた「問屋」と「小売屋」が、伝統工芸としての技術を守るため、そして、職人の生活を守るためには、業界の中から一歩引かざるを得ない時がくるのではないか、そう思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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