バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

本物はどちら 江戸小紋を見分ける

2013.11 01

「人の手」による仕事は、やはりどこかに「温かみ」を残すように思える。以前「加賀友禅を見分ける」の稿の時にも書いたが、それは「かすかなズレ」や「色の滲みやかすれ」など、「自然な形」で残る「仕事の跡」であり、ある意味で「不均一」になっていることが、「手をかけた証」でもある。

一般の方が、他の方の着姿を見た時、例えば、その品物が「捺染」なのか、「型紙染」なのかなど、どのような仕事の仕方を施しているのか、を見分けられる方はほとんどいないだろう。今日の話はその中でも判別が難しい「江戸小紋」の話をしたいと思う。

「見た目は同じ」でも、作り方によって、価格に大きな差のあることで知られる、「代表的な」品である。

 

 

どちらも江戸小紋としてポピュラーに使われる「万筋」柄。この二反のうち、一つは「人の手」による「型紙染め」。もう一つは「機械」による「ローラー捺染」。

それぞれ、全体の柄行きをお見せしよう。

(左側、水色地の万筋江戸小紋)

(右側、紫地の万筋江戸小紋)

 

反物を広げただけでは、どちらが「本物」なのかわからないと思う。無論仕立て上げてキモノの形になってもわかりにくい。何も言わなければ、どちらも「万筋」の「江戸小紋」として使えるものだ。

だが、この二反では、作り方にものすごく大きな差がある。つまり「手のかかっている品」か「機械任せの品か」。このことが、「ホンモノの江戸小紋」と「ニセモノの江戸小紋」と二つに分けられる理由である。

この「ホンモノ」と「ニセモノ」の価格差は、5倍から10倍以上にもなる。機械捺染の品は2,3万円からあるのに対し、手の込んだ型紙を使い、精緻な染師による品は数十万円にもなる品があるからだ。このことは、作り方を知れば、納得していただける。

 

「ホンモノ」の江戸小紋というものは、まず、柿渋で張り合わされた和紙(地紙)に模様「型」を彫っていく。この「型」が「柄」になるのである。この型紙師の作業は非常な手間と精緻さが必要な「根気」のいる仕事である。実は、この分野で何人もの「人間国宝」が生まれている(児玉博や中村勇次郎など)。 加賀友禅の世界では、「木村雨山」一人だけが認定者であることを考えると、これは少し意外な気がする。

「型紙」という性質上、彫師(作者)が物故しても、「型」は残り続け、それが「破けたり、傷まない限り」、染められ続ける。だから、「人間国宝」認定者の「型紙」といえども「希少品」ということにはならない。

ここで、基本的にどのように「型紙を使い」、江戸小紋が染められているのか、簡単にお話しておこう。まず、板に糊を置き、そこに生地を置く。そして生地の上に例の型紙を置き、へらを使って型付けをする。この時型紙で彫られた部分だけが、生地の型となる。また、地染めのために「色糊」を使うのだが、この糊は「糯米の粉」と「米ヌカ」を糊に混ぜて蒸されたものを使い、それを様々な色の染料に入れて作られる。

「型」が付けられた後は、「板のまま」干されて糊を乾かす。もし、複数の色で柄付けする場合は、繰り返し「型付け」がされる。糊が乾いたところで、先ほど述べた「色糊」を使い地色を染める(大きなへらを使うこの作業は「しごき」と呼ばれる)。

さらに、この地色の染料が乾かないうちに、「蒸し」の作業が行われ、染料を生地に定着させる。そして、水洗いで余計な糊や染料が落とされ、最後に生地を乾燥させ、「湯のし」で幅を整えたところで完成となる。

先に「型彫師」に「人間国宝認定者」がいることをお話したが、この一連の「染め工程」を受け持つ職人にも、「人間国宝」がいる。東京の下町、小岩にある「小宮染工場」の染師「小宮康助」氏とその息子さんの「小宮康孝」氏。稀な「親子二代の人間国宝」である。どこの世界でも(ましては伝統を受け継ぐ芸術の分野では)なかなか、偉大な「親の域」まで、技術が行き着くことは難しいことだと思うが、それを実現してしまうのは、並大抵の努力ではないだろう。なお「型紙師」と違い「染め師」はその人だけが持つ技術であるため、認定者の染め出しした品はある程度「希少性」があると言える。

この「型紙」を狂いなく「ムラ」を出さずに染めていくという、「単純」だが「奥深い」仕事を極める難しさは、染織の技術の中でも特筆されるべきものだ。父・康助氏の認定は1952(昭和27)年、子・康孝氏は1978(昭和53)年。いま、孫の康正氏が跡を継いでいるが、さて三代続けての認定者になるか、興味深いところである。

 

さて、翻って「シルクスクリーン(捺染型)」の方は、どのように仕事がされているか、ということである。この染め方には、「シルクスクリーン」と「ローラー捺染」という二つの方法がある。ここで取り上げた品は後者の染め方。

シルクスクリーンの場合、特殊素材を用いた「型紙」に、柄を墨などで描き、光を当てると柄の所だけ抜け、穴が開く(シルクスクリーン型または捺染型)。これに色糊で柄を置いて蒸すことで染まる。また、ローラー捺染の場合は、30cmほどのローラーに直接柄を彫り、生地をぐるぐる回しながらくぐらせることで染め上げてゆくもの。

「機械」が勝手に染めるため、均一に染め上げることができるし、「量産」も可能である。ここに、「とてつもなく安い江戸小紋」が生まれる理由がある。

 

さて、「ホンモノ」と「ニセモノ」の手間の違いがどれほどあるか、説明してきたところで、その「見分け方」に話を進めていきたい。

この見分け方、じつは「簡単」である。今までお話してきた「人の手」による型紙染の工程を考えれば、意外にたやすく理解頂けると思う。

こちらが「ホンモノ」の江戸小紋。最初の画像で見ると「左側」の品。上の「画像」、反物の「耳」の部分(淵のところ)に注目して欲しい。柄のない「水色の無地」の部分がある。「型紙使いのホンモノ」の場合、「張り板」に染料が付かないようにするため、この「耳」の部分をテープで隠す。そのため、「耳」に柄が付かず、無地である。

目いっぱい、反物の「耳」の部分まで、「柄」が付けられていて、「無地場」のない「ニセモノ・機械染め」。反物の状態の時、ここを見れば「真偽」がわかりやすく判断できるはずだ。ただ、昨今、「ニセモノ」の商品の中に、「耳」の部分まで染まってしまった「柄」を後から消して、「耳に無地場」をわざと作るような「紛らわしい細工」をしているものがある。何とかして「ホンモノ」のように「偽装」して、扱う者やお客様の「目をくらまそう」としている「不届きモノ」があることも記しておきたい。だが、この「細工されたニセモノ」は「取って付けた」ような代物のため、判別はしやすい。

この他にも、見分けることの出来る点がある。

上の画像を「よく目を凝らして」みて欲しい。まず、耳の無地場の部分の中ほどに「白く霞んだような点」があるのが見えるだろうか、この「点」は「板に貼り付けらた型紙」の跡で、ここが型紙と型紙の境目である。

そして、もう一度じっくり眺めて欲しい。わずかではあるが、この「点」を境にして、「染めた色」の濃さが違っていて、型紙の跡と見られる「筋」の痕跡が見受けられる。このように、「何回」も「型紙」を使って繰り返し染めていくため、なかなか「全て」が均一な仕上がりにならない。これは「人の手」によれば、当然「避けられない」ことであり、最初にお話した「自然に残る仕事の跡」ということになるのだ。

 

「江戸小紋」における「ホンモノ」と「ニセモノ」の違いを、ご理解いただけたであろうか。ただ、「キモノ」として仕立てをし、形になった時に判別するのは、なかなか難しいということはある程度仕方がない。

このどちらを使うかということは、「お客様」の判断次第ということになる。一方は「人間国宝」に認定されているような「技」を駆使し、労を惜しまず作られていて、その価格は「手間代」に比例して高価なものである。もう一つは、「量産品」で「全て機械任せ」であり、「手間なし」に比例するので、当然安い。

「江戸小紋」の購入を考えた時、「職人の手仕事が施されたホンモノ」を身に付けたいと思うのか、「柄行きは同じに見えるのだから、安ければそれで十分」と思うのかは、人それぞれだと思う。このような際、呉服屋ができることは、「ホンモノ」の仕事を丁寧に説明し、理解していただけるように、努めることであり、その上での選択は、選ぶお客様に委ねられる。

もちろん「何が何でもホンモノを」ということではない。その前に、知識を持っていただくことが重要なのである。ただ、「同じように見える」ものを作っても、ここまで違いがあることをわかっていただくのと同時に、よりよい品を作ることだけに、日々努力している「職人達の心意気」を知って欲しい。

そして、なるべくなら、そんな職人達の「心のこもった品」の方を選んでいただきたいと思う。

 

ここ数日「一流ホテルのレストラン」で、長年隠し続けられてきた「食材の偽装」が世間を騒がしています。「九条ねぎと普通のねぎの違い」或いは「エビの種類の判別」など、普通の人なら「食べてしまえばわからない」というものばかりのようです。

呉服業界でも、これに近い(あるいはもっとひどい)偽装のようなものが存在する気がします。例えば、「インクジェット」で染められた品に「法外」な値段を付けて販売することなど、消費者の「キモノは高いもの」と思い込んでいる心理に付け込んだやり方だと思えるのです。

「知識を持つこと」が消費者にとって、「もっとも大切」なことは言うまでもなく、この情報を正しく伝えることの出来るものにしか、「呉服という難しい商品」を扱う資格はないでしょう。そして、我々が呉服屋として、知らなければならないことは、「無限」といってもいいほどあり、やはり、この仕事は何年携わっても、難しいと思えるのです。

今日も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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