年に何度か、箪笥整理を頼まれることがある。それも、亡くなった方の品物であることが多い。その家のおばあちゃんが大切に使い、保管しておいたモノである。
依頼する人は、ほとんどの場合「お嫁さん」か「娘さん」。一昔前であれば、故人ゆかりの人たちが集まり、その遺品を分け合った。キモノや帯などは、そうして次の代に受け継がれていったものだが、現代では「引き取り手」がなく、扱いに困ることがあるようだ。
「キモノを処分する」といっても、袋に詰めて「有価物」として捨てるのには忍びない。それはおそらく、「故人が身に付けた思い出の品」であることや、他の衣類と異なり「呉服」というものが「特別なモノ」と意識されているからだ。
そうかといって、「古着屋」に持っていくのも面倒だし、それが「高額で売れる」ことはない。どちらにしても残された人達には「使うあて」のないものであり、「残されても困る」品になりつつあるのだろう。
依頼先へ伺い、整理を始める。まず最初に、フォーマルとカジュアル類に「仕分け」をする。黒留袖や訪問着、無地、喪服などは、もしかしたら「着る機会」が訪れるかもしれないからだ。「お嫁さん」や「娘さん」には「使うことを勧めてみる」のだが、「式服としてキモノは着ない」と決めている人を説得するのは難しい。
紬や小紋、それにウール類などカジュアル類は、まったく「説得の余地」がない。それぞれの品物の価値は作り方を見ればわかるため、細かい絣の結城紬や、センスのよい柄の手差し小紋など、具体的に「今ならこのくらいの値段がしますよ」とお話するのだが、「いくら高いものでも着ないものに価値はない」という考え方が変わることはない。
日本女性の人口は約6千万人。そのうち必ず箪笥の中にキモノを持っていると思われる60歳以上の女性は2千万人である。単純に一人3枚(かなり少なく見積もって)あるとすれば、6千万枚が箪笥に眠っている。果たして、この品物達の「行く末」はどうなるのだろうか。
今日は、前回の「男物黒紋付羽織」の再生の続き、「女物」編。これは、箪笥に残された「思い出」の品を別の形で生かそうとして作ったものである。
(喪用名古屋帯・垂れ縫い家紋入り 女物黒紋付羽織の再生)
女物の黒紋付羽織が残されているのは、今の70歳以上の方たちだと思う。それ以後の世代では、「喪服の上に羽織るもの」が、「喪用の黒道行コート」に変わったからである。それとて、ある一部の人たちだけが持っているだけのものである。
「羽織」は「コート」と違い、「家の中でも脱がなくてよい」ものだ。だから、昔の年配の方々は羽織を重宝した。日常生活を「キモノ」で過ごす方にとっては、羽織を着ていれば、後ろの帯が隠れる。だから、帯に気を使わなくても済むため、簡単に結べる「半巾帯」を普段着(ウールや紬)によく使っていた。
もちろん「羽織」を着ていれば暖かい。今と違い「暖房設備」が乏しかった時代、家の中でも着たままでいられる「羽織」は必需品であった。
ただ、今からの時代を考えれば、「羽織」の出番は少ない。特に、この品のような「黒紋付羽織」は、「葬祭関係(葬式や法事)」に限定される。とすれば、「羽織のまま」では使い道がなくなるので、「別なもの」に「再生」して生かすことを考えなければならない。
直しの知識が少しでもある呉服屋ならば、「羽織」を「帯」に再生することは、「めずらしいこと」ではなく、当たり前に考えられていることだ。「コート」に直すこともあるが、これは、元の羽織の「縦衿の縫込み如何」で、直せるものと直せないものがあったり、「丈」の関係で思うような「コートの丈」にならない場合があったりと、「全て」が「コート」に変えられるとは言えない。
「帯」ならば、「羽織」の寸法に関らず「再生」が可能である。名古屋帯の「帯丈」は、通常9尺2寸~5寸ほどである(かなり体格のよい方でも1尺もある人はいないであろう)。羽織(羽尺生地)はどんなに短いものでも2尺はある。昔は「半反羽織=一反(4尺)の半分の2尺」といわれる生地が普及した時代があった(昭和40年代)が、一般に羽織やコート用の生地(羽尺地)は2尺5寸~7寸程度の長さがあるのが普通だ。
ただ問題になるのは仕立て済みの羽織なので、帯にする「長さ」は十分あっても、「裁ち」が入っている点である。帯は生地が一本に繋がっているものなので、「一本丸々」の寸法(9尺2~5寸)をそのまま取れる箇所が「仕立てた羽織」にはない。とすれば、どうしてもどこかに「ハギ」を入れて、生地と生地を繋ぎ合わさなければならない。
「ハギ」をして繋いだ部分。このハギの箇所は外から「見えないところ」しなければならない。帯の場合「手先」に近い位置にする。ここにすれば、確実に帯の中へ入り表には出てこない。また、とれないしみや汚れがある品を手直しする時も、その部分をうまく「隠す」ように仕立てをすれば再生可能になる。
この羽織の帯再生を依頼された方は、亡くなった「義母さん」の品を受け継いだことで、相談に来た。遺品はそれぞれその方の「娘達」が分けて持っていったが、「黒紋付羽織」を引き受ける人がなく、残ってしまったという。
それでも、その「残った品」を「思い出の品」として再生しようという気持ちがあるのは、僭越ながら、仲がよかった「嫁・舅」の関係が想像される。そうでなければ、こうして「手を入れてまで」使おうとしないであろう。
そんな気持ちをお聞きして、一つの提案をさせてもらった。ただ、「羽織」を「帯」にするのではなく、少し「個性的」にしたいと思ったからだ。それが、「帯の垂れ」に「紋を施す」ということである。
手直しする品を見れば、「霞のような柄」の紋織り生地で、柄が目立たずほとんどフラットな黒である。元々が「黒紋付羽織」であり、「紋」が付いていた品の証をどこかに残したいと考え、「垂れ(たれ)」の部分に入れるのなら、「個性」も出るだろうし、「ありきたりな喪用帯」ではなくなる。
紋職人の西さんと相談して、「抜き紋」にするのではなく、縫い紋の「菅縫い」技法で施すことにする。縫い糸も「白」ではなく、「銀鼠色」を使った方が、さりげなさと控えめな感じが出る。紋の大きさは通常の「女紋」より一回り大きく、「男紋」に近い。このような仕事をする時は、職人さんの経験や提案を聞きながらすすめて行く。それが、我々が考えるよりも、的確でセンスのよいものに仕上がる最大の方策である。
出来上がった帯を改めてみると、「工夫次第」で再生できる「呉服」というものの「便利」さ、「素晴らしさ」を感じる。「使わなくなったから処分する」のではあまりにも寂しい。「手をかけて直そうとする人」と「捨ててしまう人」の落差はあまりにも大きい。
「生地を生かす」ことは、その事を昔から受け継いできた人の「知恵」の集まりだ。キモノにせよ羽織にせよ帯にせよ、それをどのように長く使い廻すか考えて、生活してきた。それは、「表地」ばかりでなく、「八掛や胴裏、羽裏などの裏地」ですら、無駄にしなかった。
キモノはやがて半纏や上っ張りになり、それが古くなれば、赤ちゃんのオムツになり、果てはふきん、雑巾になるまで生地を「使い倒した」。現代では、もうそんなことは見受けられないし、望むべくもない。ただ、どこかにその時代の空気というか、「モノを大切にする心」を残しておきたい。それが、「呉服屋の仕事」の中にほんのわずかでも受け継がれていけばよいと思う。
品物を再生する時、ちょっとした「オリジナリティ」を提案すると、また違ったモノになるように思えます。手を入れる限り、改めてそれを使おうと考える方に、少しでも「直してよかった」と思っていただけるように仕上げることが大切です。
「箪笥整理」の仕事は寂しいですが、「再生」の仕事には喜びがあります。新しい品物を売る仕事と、「手直し」の仕事、両方とも出来て「呉服屋の仕事」と言えるのではないでしょうか。これからの時代では難しいでしょうが、少しでも「再生」の仕事が増えることを願わずにはいられません。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。