「用の美」という言葉をご存知だろうか?これは「人々の日常の暮らしの中にある美」のことを示している。
柳宗悦が提唱した「民藝運動」のことは、以前このブログの「芹澤銈介」の稿で少しお話させていただいたが、端的に言えば「美」というものの本質は、人々の「生活」の中で必要とされるものの中にこそあるもので、それがすなわち「民藝品」と呼ばれるものということだ。
柳の考える「民藝品」とはどのようなものなのか、彼は具体的に説明している。それはすなわち、「実用的なものであること(観賞用ではない)」。「無名の職人の手によるものであること」。「数多く作られるものであること」。「値段が安いこと」。「熟練した技術を伴うものであること」。「地域性が豊かなものであること」。「複数の人の手が入っているものであること」。「伝統の技を生かし、その積み重ねが生かされたものであること」。「風土や自然の恵みにより支えられているものであること」。
柳は、大正年間より日本各地や朝鮮に足を運び、様々な「日用品」の収集に当たってきたが、それは「高価な古美術品」ではなく、ごく当たり前に普通の庶民や地方の農民たちが使っていたものばかりであった。
集めたものうち、「染織品」であれば、「アイヌのアツシ織り」や「南部の刺しこ」を施した衣類や当時農民の「野良着」だった「久留米絣」や「弓浜絣」、また、沖縄に伝わる「紅型」や「麻織物」など、その品々は、地方色豊かで、当時とすれば「普段着」、あるいは「普段使い」のもので、それこそ「日用品」であった。
このような品々は、さきに柳が考える「民藝品」という条件に当てはまるものであり、染織品に限らず、漆器、木工品、陶芸、版画など、それまでに「誰の手によるものなのかわからない」品で、「美術的価値」の範疇外に置かれていたものに光を当てようとしていた。
このことはすなわち、「無名の人々」に受け継がれてきた「手仕事」を通し、「日本」という国に根付いてきた固有の文化と、多種多様な地方における「創意工夫」のあり方をそこに見つめ、「本当の美」というものが何であるかを理解することであったと思う。柳は日本のことを「手仕事の国」と呼んだのだ。
この運動に共鳴した「芹澤銈介」の仕事を見ても、「用の美」を意識したものになっている。彼が最初に立ち上げた「このはな会」で作られたものは、「刺繍入りクッション」であり、戦後から一貫して「カレンダー」を作り続けていたことなどから見ても、「日用品」の「美」の意識がある。その仕事は「のれん」や「マッチのデザイン」「本の装丁」等、正に人々の生活の中に息づいているモノばかりである。
「キモノ」や「帯」、「屏風」など、今に至れば「美術品」としての価値の高いものも、芹澤の中には常に「用の美」が念頭にあって形作られたものであり、最初から「鑑賞品」あるいは「美術品」として世に送り出されたものではないのだろう。
現代に至って、それが「用の美」ではなく、「芸術品」として扱われているのは、彼の表現力が「用」を越えてしまったからであり、もしかすれば「芹澤」本人の本意ではないのかもしれない。彼の偉大さは、その作品が、カレンダーやマッチのような「日用品」の中に残っていることであり、他の「人間国宝」に認定されるような人の中に、このような「普段使いのモノ」に描かれた「芸術」を見出せる人物はほとんどいない。
それでは、この「用の美」、そして「手仕事の国、日本」ということを現代のキモノ事情に照らし合わせて考えてみよう。
まず前提として、そもそも大正と平成を並び立てて考えるほうが「無理」というものであろう。今の時代に、毎日「久留米絣」を着て、働いている農家の主婦は皆無であり、津軽のこぎん刺しをほどこした「半纏」を着ている人もいない。つまり、現代の染織において、「日用品」と呼べるものが「皆無に等しい」ことは誰でもわかる。職業的理由から、キモノを「日常のモノ」として使われている方が、ほんのごく一部におられるだろうが、それはもはや「例外」と呼ばなければならない。
だが、今に至るまで、脈々と技術が受け継がれている品物(結城紬であれ、久留米絣であれ、琉球絣であれ)は、そのほとんどが「用の美」という意識の元に作られている。染料のとり方や織り方、染め方などが伝統に則って忠実に守られているのは、モノを日常的に、長く使えるようにするという「大原則」を変えていないことの裏返しである。
ここに「大きな乖離」がある。「作り手」は「用の美」を意識し、「着手」は「意識がない」ということだ。もちろん生産量の希少化は価格の変化を産む。例えば、久留米絣などは、それこそ誰にでも手に入る値段だったが、今では絣の凝ったものであれば、10万円を越える品もある。宮古上布や八重山上布に至っては、100万円では済まないだろう。
受け継ぐ「職人」の減少は、価格の「高騰」に直結し、それは、「着る人」を選ぶことに繋がる。最終的には「着手」がいなくなってしまう。多くの織物や染めモノは「観賞用」でも「美術品」でもない。「着手」が存在しなければ、モノとしての「価値」はなくなる。高額な金額で取引されたとしても、それが「用の美」として「日常」にいかされるものでなければ、もはやそれは「形骸化した伝統的産物」にしかならない。
これを「危機」と呼ばずに何と呼ぼう。日本文化と「手仕事」の危機である。もはや、社会の流通に任せておくだけでは「消え行く」ものにしかなるまい。もちろん一部の愛好家や職業的に必需な人達によって、「支えられ」てゆくという側面はあるが、それだけでは、将来を見渡すことができない。
だが、現代人に「無理に用の美」を押し付けるわけにもいかない。この国に果たして「文化を残そう」とする「余裕」が残されているか否か。この国に暮らす人々に「用の美」を感じるような、生活の「潤い」が戻るか否か。「文化」を残すことは「需要の有無」といった経済原則だけでは成り立たないことは言うまでもないが、すでに「手の施しようもない」ところまで追い込まれているというのが実感である。
高額品を購入することが出来る一部の「高額所得者」にしか、「手仕事」の品を身に付ける「資格」がないとしたら、それは柳宗悦の語った日本人が日常に感じていた「用の美」という意識の終焉になろう。
伝統的な織物や染めモノが将来残ってゆくには、「完全受注」の形をとる以外にないような気がします。今の呉服業界のような、複雑な流通過程では、価格の高騰は避けられず、消費者と作り手が直接交渉することで、「着手」と「作り手」のどちらにもメリットがあるようにしなければ、「モノ」は作れなくなります。中間業者の問屋や小売の存在は、「伝統的な手仕事」を残すということに関していえば、「弊害」になることが多すぎると思えます。一番大切なのは、「無名」な職人達に、「明日の仕事」とそれに見合うだけの「収入」が保証されることではないでしょうか。
現代の日用品で「和」の「用の美」を意識できるアイテムがどれくらいあるでしょうか。毎日使う「湯のみ」や「箸」や「器」といったところがまず浮かびますが、そもそも「生活様式」が「和」から離れてしまっている現代人に、それを「想像すること」すら難しくなっていると言えましょう。
「日本人の意識」や「生活様式」の変化により、「文化の危機」を止めることができないとするならば、「手仕事」という「仕事」をどのように残すことができるか、私自身も考え続けてみたいと思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。