牛首紬の故郷、白峰村を訪ねたのはもう30年以上前になる。福井県の勝山から京福バスで延々と辿った道が懐かしい。白山を眼前にして、藁葺きの家が散在する山深い里であった。「桑島温泉」に浸り、名物の堅い豆腐を食べた記憶が甦る。
石川県の代表的な「染織品」といえば、金沢の「加賀友禅」と白峰村の「牛首紬」である。今日のノスタルジアは、この二つを「贅沢にコラボさせた」逸品を紹介したい。しかも加賀の作者が「成竹登茂男」であることで、この品をより価値あるものにしている。
(牛首紬加賀友禅訪問着 成竹登茂男 1988年 甲府市S様所有)
牛首紬は、雪深い山里に暮らす人々の「知恵」が集まった織物である。今は町村合併により白山市と名前を変えているが、これまでこの地は長く「白峰村」であった。この村ができたのは1889年のことで、「牛首村」と「桑島村」に分かれていた土地を合併して、立村された。「牛首」の名は、ここに遡るのである。
白山連峰の麓に位置し、冬は5mもの積雪。過酷な自然を相手にする土地での仕事は、炭焼きと養蚕であった。ほとんどが急峻な傾斜地であるため、普通の農地には適さず、現金収入を得る唯一の手段として養蚕を行ってきたのである。
その歴史は古く、江戸時代には「牛首紬」として生産されており、昭和初期にピークを迎える。しかし、戦後販路の縮小により、衰退。1963(昭和38)年、西山鉄之助氏により桑の作付けを開始され、織り工場を再興したことで、紬が甦った。
そもそも牛首紬は「くず繭」を「再生」したものである。「繭」は生糸として使えるモノと使えないモノに選別される。この「除外された繭」が「玉繭」と呼ばれるものである。「くず繭」と呼んでは失礼かも知れないが、要するに「普通には使えない」ものである。
白峰の人々は、この「玉繭」を何とか製品に生かせないか考えた。もとより「収入の少ない」村だったことが、「知恵」を呼び覚ましたのだ。この除外品の「玉繭」は全体の2~3%の割合で出て来る。繭は通常一頭(繭の数える単位は匹でなく頭)で一つの繭を作るのだが、二頭で一つの繭を作ることが稀にある。これが「玉繭」だ。
玉繭は二頭で作られるため、通常の繭より一回り以上大きい。この繭を使おうとすれば、二頭で糸を吐いたために、複雑に重なり合っており、この糸を取り出すことが非常に難しいことになっている。この「糸の引き出し」こそ牛首紬の難関であり、命でもある。
上の画像を見て頂こう。紬生地の断面に、緯に入った「節」がいくつも見えている。この「節」こそが牛首紬の特徴である。これは、先に述べた「玉繭」の複雑に絡みあう糸をとる際(「のべひき」と呼ばれる)、手繰られた糸が不規則に絡んで出来た小さな「節」の「跡」である。これが、織り上げられた時に、このような形で表れて来るのだ。
この玉繭は緯糸に使われ、一本の糸を引くのに約60個を必要とする。経糸は通常の繭を使うが、一反を織るためには経、緯で2000個ずつの繭を使う。「玉繭」が出るのは繭全体の2,3%とすれば、いかに緯糸を作り出すのが難しいかお分かりになると思う。つまり「除外品」の「玉繭」のほうが「貴重品」になったということなのだ。
紬は「先染」(糸を先に染めて仕事に掛かる)のものが多いが、この品は「後染」である。「牛首紬の白生地」を使い、加賀の仕事を施したものだ。柄の部分に糊を置き、地色を染め出し、彩色され、仕上げられる。牛首紬には、このような「後染」の品が、他の産地の紬に比べると多い。「訪問着」だけでなく「小紋」などにも「生地」として使われるものがあるが、それは、「釘抜き紬」と呼ばれるほどの強度と、繭を乾燥させることなく「撚り」をかけることで生まれる「独特な風合い」が「優れた生地」とされることに拠る。
もちろん「糸を先染」して織り上げられるものもあり、「植物染料」を使い染色されている。中でも「藍染め」と「くろゆり染め」の二つは「牛首伝統の染色」として今に伝えられるものだ。特に「くろゆり染め」は「くろゆりの花弁」から抽出されるものを媒染剤を使い「緑」「黄」「ピンク」などに発色することが出来る。特に「緑色」の発色が単独で出来ることは「稀」なことで、従来この系統の色を出すには、「藍」と「梔子(くちなし)などの黄色系のもの」を掛け合わせて作られるのが一般的だ。
「くろゆり」は標高800m以上の高山に咲く、長さ15cmほどの植物で、花弁の色は「濃い紫色」。一反の「くろゆり染め」の糸には、9千枚もの花弁を必要とするため、一年で数反しか織ることの出来ない「幻の染め」である。
では、話を織りから染めの方に移そう。成竹の品は以前この稿で取り上げた「橙色の椿模様の振袖」があるが、図案こそ違うが色の挿し方や写実の仕方の特徴は変わらない。
「楓」は、紅葉する前の「青楓」と紅葉した「赤楓」を配して、上の画像のように、中には葉の一部を褐色に挿して強調したものも見受けられる。そして何よりも「ぼかし」を多様に施し、特に牛首紬の柔らかい「浅緑色」の地色に柄を「溶け込ませる」ように付けられている。この技法は、牛首紬独特の「生地の節」を生かすことにもなり、優しく、上品な仕上がりになっている。
成竹登茂男の彩る色を一言でいえば、すべてが「品のよさ」にあると思う。写実性に富んだ構図と色のメリハリを巧みな「ぼかし」の技術で包み込んだ作品は、他の作家から一歩秀でた才能であろう。
上前おくみ、見頃の合わせの部分。
最後に品物の全体像をお目にかける。これを見るといかに「控えめ」な柄付けなのかがわかると思う。「牛首紬」の無地場を生かしながら、ひっそりと付けられた模様だからこそ、この品の上品さがある。作者がこの品に「意図した」ものが、そのまま柄の嵩や色挿しに表れていると言えよう。
成竹作品は、この後もう一つ用意していますので、それと合わせて、またご覧いただきたいと思います。この品は「単衣」に仕立てられていますが、その「軽さ」は形容し難いほどのものです、しなやかさと軽さを併せ持ちながら、「釘抜き紬」としての素材そのものも「強さ」を持つ。その上卓越した「加賀作家」により巧みに描かれた柄行きも兼ね備える。まさに二つの伝統技術が結集された逸品と言えるのではないでしょうか。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。