バイク呉服屋の忙しい日々

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娘たちの振袖 綸子白地枝垂れ桜模様 

2013.09 01

昔は、娘が三人もいれば、「家が傾く」と言われていた。それは、「嫁に出す」までに何かと「物入り」で大変ということだろう。

我が家には「男の子」がいない。娘ばかり三人である。家内を入れれば、女性四人に囲まれてきた。家の中では「少数野党」であり、存在感が薄い。連中は、私を「自分の都合のよい時だけ頼りにする」。だから、時々ふらりとどこかへ出かけたくなるのだ。

今のところ、「自分の家の仕事」に興味を持つ者や、「糸へん」関係の仕事に就きそうな者もいない。適当で野放図に育てた、「我が家の教育方針」のツケが廻ったのであろう。そんな訳で、今の所、「後継者」はいない。

 

娘達本人が自分の着る「振袖」について、「気にかける」ということはほとんどなかった。呉服屋の娘だから、という意識は全くない。ただ、多くの人達が着ている「今風」のものが、「どこか違う品物や着方」だと見分けることはできる。

私が娘達に「仕事の話」をすることはほとんどなかったが、不思議なもので「本当の品」を見る力はあるようだ。これが世間でいうところの「門前の小僧」なのだろう。

今日はそんな我が家の娘達が仕立て直して着た、「古い友禅の振袖」を紹介しよう。

 

(綸子白地 朱霞に枝垂れ桜模様 江戸友禅中振袖 1981年頃 北秀)

今から30年ほど前の品物。私には日本舞踊を小さい頃から習っていた妹がいて、何枚か振袖を持っている。その一枚を拝借したもの。当時振袖と言えば、「中振袖」だったため、袖丈が2尺3寸ほどである。(今は2尺8寸~3尺の大振袖)。

この頃の品は、振袖だけでなく、訪問着や付下げにも、地色が「白地」のものが多く見受けられるが、今ではめずらしい。この時代の一つの特徴であろう。

柄行きを見ると、全体が「枝垂れ桜」の連なりだけで出来ていて、ある意味シンプルで大胆な図案である。所々に濃い朱色で「霞模様」が入れられているのが、アクセントになっている。

(上前身頃に付けられた桜の花びら それぞれ違った友禅のほどこし)

当時の北秀から買い入れたものなので、その仕事はきっちりとされている。肩から裾に向かってくまなく描かれた「枝垂桜」。品を置いて全体を見ると「一枚の絵」のような柄行きだ。柄が必要ではないと思われる「帯の下」に入ってしまうところまで、柄が付けてある。おそらく、そこを「空白」にすることは、この品の「全体像」を消してしまうことになるため、わざわざ、柄を置いたのであろう。このように、確固とした「一つのテーマ」を決めて、作られた品は「職人の思い」を感じることができる。

(刺繍、疋田、箔がそれぞれ施された花びら)

花の一枚一枚を見ると、どのような友禅の仕事がしてあるかわかる。花びらを強調するために「駒縫い」や銀の箔置きが施され、茜色と濃紺の二色に分けた染め疋田で花の立体感を出している。また、「枝」は、手で糊置きをしなければ、このような、「柳」のように柔らかい「線」が出ない。微妙な手先の「ブレ」がそのまま枝に生かされ、桜の花を生かす見事な「脇役」になっている。

江戸友禅や京友禅は、その持ち場でそれぞれの職人が腕を競い、一枚の品物に仕上げていくという、いわば「共同作業」である。その職人達を束ねる親方(染匠あるいは悉皆屋と呼ばれる)は、依頼された一枚のキモノの施しにどの職人を使うことで、その品をうまく仕上げることが出来るかを考えるのだ。親方の差配一つで、いかようにも出来栄えが変わる。長い間、この「分業制度」により「ものづくり」がなされてきたのだが、時代の流れの中で、消えかかっている。何とか残したいと思うが、現状は如何ともし難い。

 

(菊唐草に桜花 黒金斜め段差模様袋帯 紫紘 1980年)

振袖に合わせた紫紘の帯。この柄は今でも織られていることから、紫紘の長い定番商品であろう。この帯の色使いは単純である。黒、金、朱、白。菊の背景は金で桜の背景は黒である。この模様を斜めに切り込みながら連続させている。紫紘という織屋の帯は、全体が「カチっと」仕上がり、使うキモノを押さえ込んでしまうような、そんな印象を受けるものが多い気がする。

(菊、桜の花びら、数箇所に使ってある朱色がインパクトを付けている)

どちらかといえば、小紋柄のような枝垂桜の振袖が、この帯を使うことにより引き締まったものになる。黒、金の地合いが強調され、優しい印象の振袖を引き立たせてくれる。

 

(ちりめんひわ色朱疋田 帯揚げ・茜色金通し丸ぐけ 帯〆 二点とも加藤萬)

今回、この振袖を使うにあたり新調したのは、この帯揚げだけ。振袖に使う帯揚げは、「総疋田絞り」のものを使うことが多いが、これは、シボの大きいちりめんと絞りの併用である。画像の通り、ひわ色と朱の疋田絞りを横段に交互に繋いだものだ。このような施しのある「帯揚げ」はめずらしい。私はなによりこの彩やかな「ひわ色」が目に留まった。振袖の「枝垂れ桜の枝の色」を濃くした色であり、朱の疋田色は帯の朱とも良く合う。少し太めの丸ぐけの帯〆は、金糸が織り込まれていることで、立体感が出るようだ。また、色も朱ではなく振袖の桜の柄に使われた「茜色」にした。

(前の合わせ 白を基調としている振袖だけに小物の色も主張しやすい)

(後ろの合わせ 黒に桜の帯の切り込み図案が印象的)

 

(茜金 菊もみ文様バック・草履 龍村美術織物)

龍村は名物裂にちなむ文様を帯や小物類に使っているが、この「菊もみ」という図案は、「本阿弥光悦」が作った「大菊もみ」というもみ紙の文様から再現されたもの。今でもこの「菊もみ」柄を龍村では作っている(当店も置いている)が、このようなベンガラ色に近い濃い地のものは今はない。また、バックのユニークな形と凝った留め金も30年前の振袖に使う品としては、大変あか抜けたものといえよう。

ご紹介した品物、 一揃い。帯揚げを除き、すべて30年前の品物。幸いなことに、我が家の娘達の背丈や体型は三人ともあまり変わらないため、一度仕立て直しをすれば、後の寸法直しは必要がなかった。彼女等はこれを、自分の娘が出来ればその子にも使うと思われ、そうすれば約60年に亘り「使いまわす」ことになる。よい手仕事を次の世代に伝えるためにも、ぜひそうして欲しいし、また十分それは可能である。

 

もし、私の代で呉服屋を終わるにしても、このキモノが残れば、よい品を扱っていた店だった「証」になるでしょう。あと30年経ったとき、手仕事を受け継ぐ職人さんやものづくりを尊重する「メーカー問屋」や品物のわかる「専門店」が残っているかどうか、わかりません。だからこそ、今ある「昔のよい品」を大切に扱い、世代を越えて使っていただくことはとても意義のあることに思えます。

「日本の伝統衣装」としての「呉服」を、少しでも「正しい形」で伝えてゆくことが、今この仕事に携わる者に求められていることではないでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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