バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

絣の原風景・ティジマ琉球絣

2013.08 02

私が訪ねたことのない県はただ一つ。ここは呉服屋として、必ず行かなくてはいけない場所なので、そういう意味では、業界人として失格である。

私の祖先には「坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や松浦武四郎(まつうらたけしろう)」の血が入っていると思われ、どうしても「北へ北へと向かう習性」がある。

私は、「飛行機に乗る」ことがとても恐ろしい。どうしても体が受け付けないのだ。また体質として、「寒いことはいくらでも平気」だが、「暑さに全く弱い」ことも、この地を敬遠し続けた理由である。

今日は、そんな「沖縄」の織物の話をしてゆくことにする。

 

(ティジマ琉球絣・千鳥に三段引き下げ絣 知念幸助)

日本各地で織られている紬。それに使われている模様、いわゆる「絣」には様々なものが見受けられる。この原点は「沖縄」の織物である。ここから、本土に伝えられ、多種多様な「デザイン」として取り入れられ、また時間の中で変化して「モチーフ」として使われてきたものだ。

そもそも「絣」はどこから来たものなのか。これは、南方の異国、「インド」や「インドネシア」などの東南アジアから伝えられてきたものだと考えられている。そしてそれは、「尚氏」が支配する「琉球王国」の時代に大きく発展していくことになる。

琉球王朝の時代、王府に献上する(貢納布・こうのうふ)として、首里や那覇など沖縄本島内の各所を始め、先島諸島の宮古島や八重山群島などでも織物が作られるようになる。この背景には、琉球王朝と諸外国(日本を含む)の関係が大きく影響していた。それは、「琉球」が東南アジア、中国、日本などの、貿易中継基地の役割があり、また、国力が弱いため、諸外国に対し「朝貢」しなければならなかった。

「朝貢」ということは、遜って「貢物」を出さなければならない。後に日本に併合された際に、「薩摩=鹿児島」への「貢物」として織物・貢納布が使われたのである。それは、沖縄の織り手たちが、まず「琉球の王様」に品を納め、王様はさらにこれを薩摩藩に献上するという構図である。

琉球絣の主な生産地は「南風原(はえばる)」だ。ここは沖縄の南部に位置し、空港にほど近く、約20分ほどで着くことが出来る距離である。ここで生産が本格的になったのは、昭和初期である。1930(昭和5)年、原料購入の一括化や品質の統一を図り、生産強化のために「南風原織物組合」が結成され、多くの民間工場がこの地に建てられて沖縄県内最大の「琉球絣」の産地になった。

琉球絣の特徴は、なんといってもその「絣の柄」にある。柄の種類だけで約600種類以上あると言われている。そして「草木」を使った糸染めと、手織りの原則だ。

では紹介した上の画像の「琉球絣」の柄を見てみよう。

 

このように「格子」と「絣」が組み合わされているものを「ティジマ」と呼ぶ。琉球絣には、絣だけのものや、縞だけのものは少なく、このように併用されているものがほとんどである。また「縞」と「絣」を組み合わせた「アヤ・ヌ・ナーカー」と呼ばれるものが、他の沖縄の織物に見られる。

格子の中に入れられた十字のような絣。4つの絣で一つの柄として構成されているもの。これを「沖縄語」で「ミ・ダヌー・ヒチサギー(三段引き下げ)」という。この柄の名前の通り、4つの絣のうち、右側の絣は均等に三つの段に下がって柄付けされている。

もう一つの絣柄、「トウィグワー(千鳥)」。この柄は沖縄の織物の中に使われている、もっとも代表的な絣模様の一つであろう。この独特な鳥の柄は「沖縄らしさ」を感じさせてくれるものになっている。

 

600種類もの「絣」の柄は、何を原点として考えられてきたのか。それは、一言でいえば、「生活の中」や「沖縄の風土」から生まれてきたものだということだ。ここに住んでいる人達の「感性」が、「絣」というものを通して表現されているのがわかる。

具体的に、柄を大別してみよう。鳥や動物を表す柄は上の「トウィグワー(千鳥)」の他に、「ビックー(亀甲)」や「イン・ヌ・フィサー(犬の足跡)」などがある。

自然や植物は「ミディ(水)」「フム(雲)」「プサー(星)」。生活に使う道具には「バンジョー(曲尺)」「トーニー(えさ箱)」「ジン・ダマー(銭玉)」「ガーラ(瓦)」。

幾何学模様には、上の「ミ・ダヌー(三段)」の他に、「タ・ダヌー(二段)」や「ククヌチ・ムチリー(九つの群れ)」というものや「ファナ・アーシー(花合わせ)」と呼ばれる柄がある。

このように「沖縄語」で表されている「絣柄」が日本の本土に伝わるうちに違う名前に変化したものが見受けられる。これらの600種もの柄は、琉球王朝時代に作られた「御絵図帳」というものが基本になっている。「御絵図帳」は王府で使われる絣の織物の見本として使われたものであり、これは王府のあった首里の納殿(うさみどん)で作られ、本島内各所や、先島諸島に送られたものである。

変化した「絣の柄名」は、例えば「トーニー(えさ箱)」は「虫の巣」に、「ジンダマー(銭玉)」は「ドーナツ紋、あるいは丸紋」、「ククヌチムリー(九つの群れ)」は「組市松」にといった按配である。

 

さて、この琉球絣にみる柄が日本の織物の原点であるということを、次に例を上げて見てみよう。

(十日町絣 二段亀甲模様)

縞に絣を入れた柄。沖縄言葉で言えば「アヤ・ヌ・ナーカー」である。

二段になっている絣。沖縄語で「タ・ダヌー・カシ・ヒチサギー(二段経引き下げ)」。上の琉球絣の画像と比較してみて頂きたい。絣の柄の「引き下げ」が、琉球の方は「三段・ミ・ダヌー」であり、十日町は「二段・タ・ダヌー」になっているのがわかると思う。柄の配置の基本形として見ていただくと、共通性があるではないか。

縞と縞の間に入れられた絣。「ピックー(亀甲)」と呼ばれる柄である。全体の柄行きを見ると、まさに「亀甲」がタテに連続していて、一つの模様を織りなしている。

 

「琉球絣」の柄ということに、「限定」して、沖縄の織物について話を進めてきたが、それは、「一つの側面」でしかなく、とても沖縄染織の全体を一度に語ることは無理であり、難しいことである。ただ、「絣の織物」の原点は「沖縄」にあるということを、ぜひ知っておいてほしいと思う。それは、「沖縄の風土」や「沖縄の人の生活感」を知ることに繋がるからだ。「にっぽんの文化」を語る上で切り離すことの出来ない、「沖縄人」の「感性」を理解することは、日本人として、とても大切なことであろう。

 

今日書いた「沖縄の織物」については、これからもいろんな形で紹介できたらよいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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