バイク呉服屋の忙しい日々

職人の仕事場から

補正職人 ぬりや 塗矢さん(3)

2013.07 26

これだけの暑さが続くと、「薄物」であっても「キモノ」を着ることを躊躇してしまう方も多いのではないだろうか。

「汗」をかかないで「薄物を着る」という訳には、なかなかいかない。

重要なのは、表地よりも下に身に付けるもので、「長襦袢」の素材が問題だ。やはり、素材は麻がよく、襦袢用の小千谷縮などは涼しく通気性もよい。

ただ、家で簡単に洗える「化繊」襦袢を使う方も多く、キモノ本体も「化繊」で済ませてしまう方も多い。後の手入れが楽な「利便性、使いやすさ」を選ぶか、着ている時の涼しさが何よりという「質感、着心地」を選ぶかは悩ましいところである

今日は、このところ「汗」の手入れの仕事が続いている「補正職人ぬりやさん」の3回目の稿を書いて行くことにする。

 

「汗のしみ」が厄介なのは、「乾いてしまうとわからなくなる」という点である。着用後に数日「陰干し」しておくと、「汗の水分」が抜ける。この時点でまだ「しみ」は見えてこないのだ。しみになっていないことに「安心」して箪笥に仕舞ってしまうと、、後々面倒なことになったりする。

だいたい「薄物」を仕舞うと、次の年の夏の前まで、ほぼ一年間箪笥から出されることはない。これが問題で、もし「汗」をかいたものをそのままにしておくと、次にそれを見た時、「黄変した汗じみ」になっていることが多々ある。

「汗」をかく部分は、「人」によって異なるとぬりやさんは言う。大体「胸」「脇」「背中」「帯の下」などが、「汗溜り」になっているようだ。おやじさんは、単衣や薄物を預かった時、必ず「汗じみ」の有無を確かめることにしている。たとえ「乾いてしまった汗」でも、「霧を吹きかける」と汗が浮いて出てくるのだ。

一年たって「黄変」したものより、着用後すぐに「洗い」をした方がよいことは言うまでもない。私もお客様が「薄物」を着用後は、面倒でも必ず目を通させて頂いている。

水洗いして乾かし、しみを浮き上がらせる。そのため沸騰させた水を常に傍らに置いておく。フラスコの横の「コテ」は、「エアーブラシ」というノズルのついた噴霧器で水をしみ込ませる時や、溶剤を入れてしみを抜くとき生地を乾燥させるために使う。なお、壁に貼られた美しい方のポスターが、ぬりやのおやじさんの「趣味」かどうかは確認していない。

汗じみだけでなく、どんなしみでもまず「浮き上がらせる」ことが、初めの仕事だそうだ。先述した「汗じみ」のところでも「霧を吹く」ことだと書いたが、血液や酒類など、時間が経って乾いてしまったものは、「水洗い」である程度落ちていくものもあるそうだ。それで落ちない場合は、しみぬき用の「溶剤」を使う。

 ぬりやさんが手にしているのが「酸性」のしみぬき溶剤。よくみると、ノズル式になっている。また、汚れの種類や、時間の経過によるしみの古さ、生地の違いなど、それぞれ使う溶剤も異なる。様々な容器に入れられたしみぬき剤が置かれているのがわかる。

しみぬき剤は、例の「コテ」で加熱しながら様子をみて、「酸性」になっている生地を中和し、しみがどの程度落ちているか確認する。その作業を繰り返すことで、「しみや黄変」をある程度落とし、その後で、「地直し」をしてやる。「地直し」とは、しみにより生地が変色しているところを、元通りの色に戻してやることである。

地直しの時に使われる「筆」。生地の地色により、様々な「色」を使い直して行く。筆入れの中は、そうした多くの色に対応するため、沢山の筆が出番を待っている。また、「地直し」のほかに、「漂白」をするような場合もあり、そのときに手直し部分が他の場所と比べ、違和感(つまり直したところがわかること)が出ないようにうまく筆で「色を刷く」こともあるようだ。

こうして、いくつかの工程を経て、黄変やしみを直して行くが、当然「決まり」というものはなく、その対応は、それぞれの状態に応じて「千差万別」である。「溶剤」の種類や量、また「地直し」の際の色などは、それを「間違えることは許されない」ことであろう。間違えて一層「しみの状態を悪化」させてしまうと、取り返しがつかなくなってしまうからだ。だからこそ、直しは「一発勝負」であり、どうやったら上手くゆくかは、「経験」が何より物をいう。

仕事には、慎重さと大胆さを持ち合わせることが必要であり、何より汚れた品を「元に戻す」ことや、古いものであれば、再生してもう一度「着てもらう」ものにしたいという「熱意」がなければ、この仕事は続けられないと改めて感じた。「補正職人」はやはり、キモノにとって「最後の番人」なのだ。

 

仕事場の台に座る、ぬりやの塗矢さん。話ぶりは実に穏やかな方であるが仕事に対する姿勢は厳しい。「仕事場を見せることはあまりないので」と言われたが、依頼している呉服屋でも簡単にその現場に入れることはないようだ。

ぬりやさんは、もともと「経理マン」であった。出身地である滋賀県の高校を卒業後、ある会社で経理をしていた。昭和30年代のことだ。数年後、身内で呉服関連の仕事をしている人がいて、「一年発起」し、「職人の道」に進むことにしたのだ。

この頃の「呉服業界」はそれこそ「高度経済成長」とともに、急速な需要期を迎え、まさに「黄金時代」が到来していた。もちろん、「売り上げ」は右肩あがりであり、加工する職人である「和裁職人」「紋職人」「補正職人」などは幾人いても足りない時代だった。

ぬりやさんが入ったのは「東京・神田」にあった「補正職人」の家である。だいたい10年の予定で、修行に入ったが、それより早く独立を許されたようだ。職人の家は5,6人の若者を預かり、「仕事」のイロハを教えていた。「教える」というより、おそらく「盗んで」覚えていったという方が、正しいのだろう。

「賃金」というものは、「銭湯代」の他は「毛の生えた程度」だったという。「三度の食事」と「寝る場所」は保証してやる。「給料は仕事の技術を身に付けさせることで、その代わりとする」という、まさに「徒弟制度」そのものが生きていた時代である。

最初は、「紋糊落とし」の仕事ばかりさせられていたらしい。これは、紋付のキモノの紋の付く場所に「糊」を置いたため、紋入れの際には、糊を落とさなくてはならない。そして、次は「しみぬき」のやり方。ぬりやさんの話では、「しみぬき」の技術は2年ほどあれば身に付くという。

難しいのは「補正」の仕事。「色刷き」や「地直し」である。これは、今までにお話したように、「どうすれば上手く行く」という答えはどこにも書いてない。親方のやり方を「盗む」と同時に「自分なりの工夫」をしなければ、「大切なキモノ」の「直し方」は身に付いて行かないのである。

ぬりやさんは自分のことを「しみぬき屋」と言われるのを嫌う。それは、「補正」の仕事こそが自分の「真骨頂」であり、そのために様々な苦労と経験をしてきたというプライドがあるからだ。「簡単に出来ない仕事なんだよ」という「職人の魂」を感じることが出来る。これからも出来る限り、お元気で仕事をやり続けて欲しいと願うばかりである。今回のご協力には本当に感謝したい。

 

信頼できる「職人さん」とお付き合いできることは、それだけで「財産」だと思います。これからの時代、「得ようと思っても得がたい」方でありましょう。

人が仕事を覚えるのは、やはり自分で覚える=盗むことが始まりではないでしょうか。盗んでいるうちに、「自分なりのやり方」をいつか知らずに体得すると思うのです。

今、多くの企業は、「即戦力」の人材をいかに集めるかに躍起になっています。しかし、本当に必要なのは、いかに「人を育てるか」ということであり、「人を長い目で見てやる」ことが大切だと思います。その場しのぎの「人の扱い」では、結局「創意工夫」の出来ない「硬直化」した組織にしかならないのではないでしょうか。

「人が育つのを待てる」ような世の中にならない限り、どこかでこの国が行き詰るような気がしてなりません。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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