当店の入り口の一角に、様々な織部の器が並んでいる。多治見の陶芸家・佐藤和次さんの作品である。
織部の模様は、キモノの文様と共通する図案が多く見受けられ、また深い緑色の濃淡の繊細さは、友禅の染め出しに共通する色彩感覚ではないだろうか。
今日は「和」を表現する現代の陶芸家のお話をしてみたい。
佐藤さんと当店とのお付き合いは、もう25年ほどになるだろうか。始まりは、京都の取引先問屋、「松寿苑」社長、松本昭さんの紹介であった。「松寿苑」という問屋は家族経営のこじんまりとした問屋であるが、人間国宝の北村武資や京友禅作家の品川恭子、また加賀友禅や日本工芸会に所属する作家たちの、いわゆる「工芸品」といわれる「逸品物」を専門に扱う、小さくとも実に個性的な取引先である。こうした品物は「大手問屋」でもなかなか持つことはできない。
松本さんという方は、常に新しく扱う品物を開拓されている方で、若くとも有能な作家の作品を世に出していこうという意欲のある方だ。いくら「よい仕事をする作者」がいても、それを扱う先が見つからなければ、「品物」として世に出ることはない。私も、年に一度ほどしか伺えないが、置いてあるものは常に目新しく、彼の品物を見るセンスや、技術を見抜く力にはいつも関心する。
そんな「品物」を見分ける力がある方に紹介されたのが、美濃・織部焼・「早蕨窯 佐藤和次さん」であった。松本さんが佐藤さんをいつ知ったのかは知るところではないが、おそらく「織部作家」としてまだあまり世に知られていない頃からのお付き合いと思われる。
佐藤さんは、尊敬してやまない「北大路魯山人」が好んだ「蟹」の図案をよく使う。下の皿の図案「つゆ芝と秋の月の図案」は武蔵野と題材が付いている。
(上 蟹文様大皿・そば猪口 下 武蔵野図案中皿・くろ織部幾何学文様小皿)
佐藤和次さんは1948(昭和23)年生まれ。多治見工業高校窯業専攻科を卒業後、織部志野の作家「林孝太郎」氏に師事する。1977(昭和52)年に現在の仕事場である多治見市長瀬町に「早蕨窯(さわらびがま)」を開く。県の芸術展や国際陶芸展などに入選多数。阪急・大丸・東武など各百貨店にて作品展を行うなど現代の織部作家の第一人者として知られ、今もNHKで放送中の「美の壺」にもその作品が取り上げられていた。
経歴を書くと以上のようであるが、これだけでは実際の佐藤さんはわからない。以後は私が訪ねた、佐藤さんの仕事場での姿を紹介しよう。
当店の佐藤さんの器はすべて「現地で分けてもらった」物である。数が少なくなると電話をして訪問日を告げ、現金持参で「仕入れ」に向かう。中央道を多治見で降りて15分ほど山に向かって細い道を走る。次第に周囲は鬱蒼とした樹木に囲まれ、やがて道が終わった行き止まりのような所に「早蕨窯」がある。一番最初に訪れた時は小さな平屋の雑然とした中に窯があったが、年を経るごとに建屋が大きくなり、新たに住宅も建てられた。
まず迎えてくれるのが「フクロウ」の大きな置物である。仕事場の中に入ると雑然と器たちが置かれている。佐藤さんはとても「無口」な方である。挨拶をしても話は続かない。だからいつも、着くとすぐに品物を選びはじめる。最初は慣れないので、どの品を分けてくれるのか、どの品は駄目なのかわからないため、戸惑っていた。佐藤さんが「何も言わない」というのがわかり出してから、自由に品を選び出せるようになった。
(上 木の葉模様中皿・渦巻き模様小皿・黄瀬戸ぐいのみ)
(下 吹き寄せ模様扇面大鉢)
もちろんそれぞれの器に「値段」など付いていない。そして辺りにはどこかの作品展に出され戻ってきた品物や、これから運ばれていく品物などが無造作に置かれているが、佐藤さん本人もその数や品のことには「無頓着」なのだ。まったく「把握」していないし、管理しようと思っていないらしい。だから、そこから私が気に入ったものを抜いて行こうが「かまわない」という様子である。何しろこちらが品定めしている時にも一切「おかまいなし」である。
一度佐藤さんに聞いたことがある。「先生、これどこでどのくらい売れたのかわかってます?」と。答えは「知らない」の一言である。つまり「物をつくる」ことが仕事のすべてであり、「売れたか否か」などということに関心がまるでないのだ。
「酒」と「食」を唯一の楽しみとし、「作る器や品」は「使いやすさや丈夫さ」を尊重し、何より、「毎日の食卓」に並べてもらうことを最上のことと考えている。「ただ眺めている器」に価値を求めず、「用の美」を追求しているのが佐藤さんの基本姿勢なのである。
(武蔵野模様・蟹模様・つゆ芝模様 いずれも取り小皿)
一通り品物を選び、さて代金を支払うのだが、佐藤さんのところには「伝票」というものがない。いつも「広告の裏」に「計算」がされているのだが、何がいくらなのかよくわからない。もしかしたら「本人もわかっていない」かも知れない。計算が出来上がるまでの間いつも食事にいくのだが、帰ってきて支払う時、千円以下の端数は負けてくれる。そして一言「明細は書いてあるから」と「広告の裏」を渡してくれる。家に戻り、品物と「広告の裏の明細」を見ると、金額と品物の数や額が合ってない。しかも、いつも「安く計算されている」。だいたい「電卓」や「そろばん」を使わず、暗算で計算しているため間違えるのだが、それが「私へのサービス」とも思えない。ここまでお金に「頓着しない」人もめずらしい。
そんな佐藤さんにお願いしたことがある。うちは呉服屋であるから、「染」にこだわる。そこで「のれん」と「風呂敷」を作って欲しいと頼んだのである。「図案の題材はすべてお任せで、自由に作って下さい」と無理は承知の上でのお願いである。
(椿文様墨描き麻のれん)
(上 蟹文様丸ぼかし 下 流水に千鳥横段ぼかし いずれも木綿風呂敷)
そうして出来上がったのが上の画像の品である。織部の模様にも好んで使われる「椿」ののれん。墨色で描かれた模様と橙色の花と鮮やかな草色で色を付けた葉が大胆にも見事に書かれている。「下絵」を描くこともなく、「意のままに一気に描き上げた」感じがよく表れている。
二枚の風呂敷の模様は「蟹」と「流水に千鳥」である。織部特有の色、濃松葉色というか笹色をぼかして使い、それにふさわしい図案を配する。「流水に千鳥」の文様については、先ごろこのブログでも取り上げたが、自然にこの模様を使うあたりは、やはり「和」の文様に対して「共通」の認識があることがわかる。
すぐれた「模様の感覚」のある方は、それが「陶芸」であれ、「染めモノ」であれ、出来上がった品物の素晴らしさに変わることはないと改めて感心した。
画像を見ていただくとわかりますが、「値段」の張ってあるものがあります。佐藤さんの器は、1000円~5000円ほどのものがほとんどです。それは、前述したように「日常の生活で使われるもの」という意識が常にあり、値段も廉価で買いやすいものでなければ、という考え方によるものです。
「間違って」安くしてくれたものもありますので、できるだけ当店も安く値段はつけようと思っています。(なお佐藤さんの品はネットで買える店も多くあります。ご覧になり、参考にされるとよいと思います。もちろん当店に来られて見て頂いてもよいですが)
佐藤さんは今年で68歳、息子さんの正士さんも同じ陶芸家の道に進まれ、やはり、お父さんと同じように「用の美=毎日使える器作り」を基本として仕事をされています。在庫の器も少なくなってきましたので、そろそろまたあの「仕事場」へ行く日も近くなってきています。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。