結婚式は時代を映す鏡かも知れない。
昭和30年代以前は、「家婚」つまり、「新郎側(婿入りなら新婦側か)の家」で双方の親戚や友人が集まり、そこで料理や酒を振る舞い、挙げられていた。
昭和40年代からは、「ホテル婚や結婚式専門の式場婚」が一般的になり、それは平成の初め頃まで続く。バブル華やかなりし頃は、芸能人等による「大規模婚」や派手な演出、豪華な衣装を身にまとった「贅沢婚」が目に付き、それに習い「お金を掛けた結婚式」が多く見受けられた。
バブル崩壊後、披露宴も少人数で、「身内」だけで式をとり行う「地味婚」がはやり、中には「婚姻届を出すだけで、何もなし」という「究極の地味婚」も出現する。海外へ行き「二人だけ」で式を挙げるということも珍しくなかった。
では、最近はというと、流行といえるのかわからないが、郊外の洒落た店を借り切り、両親と限られた親族の他は、本当に親しい人だけを招待する小人数の「レストラン婚」や「ガーデン婚」などに人気と注目が集まっているようである。
「黒留袖」は当然「結婚式用」の衣装であり、「第一礼装」として、もっとも「格」の高いお召し物ということになる。新郎新婦の母親の式服として、長い間使われてきたものであるが、時代の変化に伴い、「黒留袖」が「必需」なものではないような現状が見えてくる。まず、その辺りから話を進めたいと思う。
最近の結婚式で、「媒酌人」のいる式に出られたことのある方はどのくらいおられるだろう。おそらくほとんど「ない」といってよいだろう。では、一体いつ頃「媒酌人」「仲人」が消えたのか。おそらく、この20年であろう。「バブル崩壊」頃より、儀礼の簡素化や、これまでの「慣例」を見直す動きが加速したのではないか。
前回の「喪服編」でもお話したが、「葬儀」の変化もこの頃からと思える。時を同じくして、「結婚式」にも「慣習」を見直す気運が生まれる。「媒酌人」の選定は、様々なケースがあったが、「新郎」の「上司」や「親族」の中から選ばれる場合、また「見合い結婚」なら「縁談を取り持った方」などである。
しかし、この「媒酌人」はすでに「形式的」な要素がほとんどで、「この方がいなければ、式が成立しない」という存在ではなく、ほぼ「形骸化」していたものと言えよう。つまり、「形式」を削ぎ落とすことは、高いハードルではなく、「誰かが仲人なしの式」を始めれば、追随しやすい環境=時代背景があったということだ。
もう一つ重要な変化は、「結婚」の持つ意味が大きく変わったということ。「結婚」が「家と家が結びつくこと」と考えられていた時代、式は「家同士の儀式」という意味合いが強かった。だから、それなりに多くの「参列者」が連なり、「規模」が大きくなるのは当然の成り行きである。それは、結婚する当人の知らない、親の知人や遠い親戚、近隣の人などが出席していたことなどを、思い起していただきたい。
しかし、結婚は「個人と個人」の結びつきに変化した。これは、戦前から続く「家制度」が変容を遂げたことと密接に結びついている。主役の子ども達より、親の方が前へ出る時代は終わり、何よりも「結婚する当人」の意志を尊重する時代になったのである。それは、結婚後「親と同居しない子ども夫婦」の増加ともリンクしている。式の「規模」が縮小し、参列する方もごく「限られた」人になってゆくのは、当然の成り行きであり、「当人の考え方」であれば、自由にどのようにも「式のあり方」を考え、見直すことができるからである。
「冠婚葬祭」という儀礼の「形式」の変化は、呉服業界にある意味「致命的」な変化をもたらした。結婚式でいえば、「媒酌人」不在は「黒留袖の売り上げ」に影響を与えたことは言うまでもない。「媒酌人婦人」のお召し物は「黒留袖」でなくてはならないからだ。もう一つは「親族の着用機会」が減ったこと、それは先述した「規模の縮小」に大きな原因があると同時に、自由な発想に基づく「式のカジュアル化」も影響している。
出席する「親族」は、「家同士の儀式」であれば、参列する時は「第一礼装」でなければという意識があった。そのことは「黒留袖」を着る機会が沢山あったということの裏返しである。しかし、どうであろう、「誰を呼ぶか」ということが「当人の意思」に任されている今、「出席する機会」は減少したといっていい。また式の案内に、「平服でお願いします」と「断り書き」が付いている場合を見受けるが、これがまさに「カジュアル化」と言えるもので、「改まった装いはしないで」と当人から「釘をさされている」のである。それと共に「会費制」という出席者に「金銭負担」をかけない形式のものが、多く見受けられるのも、それに付随した考え方と言えよう。
(道長取り仕覆に桐の葉模様 江戸友禅黒留袖 北秀)
(虫籠に秋草模様 江戸友禅絽黒留袖 北秀)
「フォーマル」というものは、「好むと好まざるとに関らず」持っていなければならないものであった。だから普段「キモノには縁のない方」でも「必需品」だったのだ。だが、儀礼の変化は、需要の変化を生み、「どの家庭でもなくてはならない品」でなくなったのは事実である。
もとより呉服屋は「フォーマル需要」が利益の大きな柱であったことを考えれば、この時代の変質は、経営に多大な影響を与えたと言わざるを得ない。前回の喪服編の時にお示しした調査でもわかるように、「呉服」を一般家庭が購入する比率は、量的にも金額的にも、最盛期の十分の一以下に落ち込んだ理由がおわかりかと思う。
では、今後「黒留袖」が消えてなくなるか?というと、そうとも言えないのである。これは、どのような式にするか、またどこで式をするかということと密接に結びついてくる。例えば、「帝国ホテル」や「ホテルオークラ」など「由緒正しい場所」で、「伝統的な形式」に則って「挙行」されるような式へ列席するような場合、「黒留袖」は「必需」なものとなろう。つまり、「式の格」というものに左右されるということだ。
「子ども」のいる家庭では、将来どんな「結婚式」を挙げるのかなどは「誰もわからない」ことである。予測が付かないことは「用意する目処がつかない」ことに繋がる。結婚式の主人公である当人の考え方次第で、どうにでも変わり得ることなのだ。
もちろん「結婚する相手次第」で変わることもあれば、その時の「家の経済状態」で変わることもあるだろう。この20年で、日本人の考え方がこれだけ変わったのだから、この先20年のことなど「誰にも予測がつかない」というのが正直なところである。
そして、「晩婚化」や「結婚を考えない男女」が増える流れは、これからも止まることはない。現在の社会状況が、「若者が夢を持てない社会」になっていることなどを考えれば、「一般の人」が「形式にこだわった儀礼」に戻ることはあるまい。
「一部の高所得者層」や「家制度を重視した家庭」、「古い慣習が残る一部の地方」などが、これからも「フォーマルとしての黒留袖」が「必需品」となるであろう。また、「親の代から譲り受けた品物がある」と言う人も、「持っているので着る」という一つの着用の「動機付け」になると思う。そして、「昔ながらの式を挙げたい」という「過去回帰を趣とするごく一部の若い方」であれば、その「出番」はあるだろう。ただ残念ながら、未来に向かってこの品物を必要としている方は、すでに「限定」されていると結論付ける以外にはないと思われる。
「消える」シリーズは、またこのあと時間をおいて書くことがあると思います。この稿を考えると行き当たるのは「家」や「家族制度」そのものの「変質」ということに尽きます。
私にも娘がおりますが、「結婚」に関していえば、それは「本人が決めること」であろうと思います。「結婚するもよし、しない選択もある」でしょう。もちろん「式」の形式にこだわりはありません。また、「夫婦別性」や「事実婚」という選択肢も認められてよい時代ではないかとも思います。多様な「結婚」のあり方や「家族制度」を、「社会や国が許容」しなければ、この国最大の問題である「少子化」に一定の歯止めをかけることは難しいと感じています。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。