38度を越える日が今日で5日連続である。暑さに少し体が慣れた気がする。
「心頭滅却すれば、火もまた涼し」という諺は、恵林寺の僧「快川国師」が、織田軍に火攻めをされた際に、こう言って亡っていったことに由来する。
バイクに乗っている時は風を切るので、そう暑さを感じないが、止まった時に一気に汗が吹き出す感じである。まだ、夏は始まったばかりだ。こんな日が二ヶ月も続くのだから盆地は恐ろしい。この分では、「心頭が滅却する前に体が滅却する」に違いない。
今日は、補正職人の続きで、「ぬりやさん」の仕事を具体的に紹介しよう。
前回お話したように「補正」とひと括りにしても、その職人の仕事は多岐に亘っている。「しみ抜き」が一番多い仕事であるが、やはり、その技術が試される「色ハキ」と「黄変直し」について話して行きたい。
まず「色ハキ」である。この仕事は色ヤケや汚れ等により、キモノの地の色や柄の一部が変色した時に、「色を元に戻す」仕事である。「ヤケ」というのは、我々呉服屋にとって「宿命」みたいなものだ。品物は店内に展示しておくだけで「ヤケ」が発生することがある。「蛍光灯」による「ヤケ」は数日で起こり、変色すれば、「商品価値」は台無しである。
「ヤケ」を起こしやすい色というのがある。それは「薄い」紫系や水色系は特に注意が必要で、「上品な控えめな色」ほど危ないのだ。本当はウインドに飾って、通る方に見て頂きたいのだが、恐ろしくて飾れない。当然「後染」の小紋や付下げなどの「染モノ」の方が「ヤケ」を起こしやすく、「先染め糸で織られた」紬類は少ない。
また「仮絵羽」と言って、仮縫いにより「キモノの形」になっているものも「要注意」である。振袖、黒留袖、色留袖、訪問着などだ。仮絵羽は、あくまでも「仮縫い」のため、それが売れた際には、一旦「トキ」をして、反物状態に戻さなければならない。そこで問題になるのが、「仮縫いの縫い後部分」である。そこには、時間が経てば「汚れ」や「ヤケ」「変色」が出来てしまうのだ。これを直さない限り、仕立てをして、納めることが出来ない。
上の画像を見て頂こう。先ほどお話したように「危ない色」の「淡い水色」の地色である。本来の色は上部の「少し灰色を含めたような、どちらかといえば銀鼠色」である。「ヤケ」により変色して、下部の柄の辺りの色は、「水色のように」なってしまったのがおわかりかと思う。
まず、この状態を確認したあと、本来の色と「ヤケ」色を比較する。そして、水洗いをした後に本格的な「補正」を始める。
上の吊るされた品物、水洗いをされて乾かしている状態。この後に様々な「補正」の手が入れられるのを待っている。
まず、「ヤケ」を起こしている反物の端、いわゆる「耳」と呼ばれている部分から、薄く色を「刷いて」いく。ぬりやさんの場合、反物の裏側から「色ハキ」を始める。いきなり、元の色にするのではなく、徐々に色を重ねていくのだ。どの染料を使えばよいかという判断は「経験」によるものでしかない。一枚一枚使ってある色も違えば、生地も違う。染料の吸い込み方も千差万別である。
「色ハキ」等に使われる「染料」は、飛び散らないように「引き出し」の中に保管されている。使うものを使う分だけ出してゆく。ぬりやさんのお話だと、特に「色が付着しやすい」ものがあり、扱いには注意しなければいけないそうだ。
本来の地色と比較しながら、色を刷いているところ。ゆっくり、丁寧に元の地色に近づけていく。「ヤケ」を起こした柄の付近の色が、元の色に似か寄ってきているのがこの画像からも見てとれる。この色ハキの手間は、当然濃い色が「ヤケ」を起こした方が時間がかかるが、少し大胆に色を刷くことができる。薄い地色は微妙な色のため、繊細に仕事を進めていかなければならないという。どちらにせよ、「元に戻す」ことは「大変なこと」なのだ。私が見ているときも、実に簡単に迷うことなく「刷く色」を決めて、作業に取り掛かっているように見えたのだが、半世紀近くこの仕事だけに携わってきた方の力には、改めて目を見張るものがある。
徐々に近づく色。色を刷いた下の部分と未作業の上の部分とでは、明らかに色が違うことがわかる。左が直し、右が元の色。
改めて近接した直し(左)と元の色(右)。比較してほぼ変わらない。
ぬりやさんは「色ハキ」の仕事が補正の仕事の中で「一番楽しく、得意だ」と言う。おそらく一番難しいと思われる仕事だが、「徐々に直っていく=現状を回復していく」様子が手に取るように見えてくるのが何よりの喜びだからではないだろうか。
完成した色ハキ。上は刷きをした部分の柄付近。下の画像は左が直しで右が元。比較すると、地色はまったく同じものになって直っている。見事である。
今日取り上げたモノは、「ヤケ」を直すことがほとんどの割と単純なものであったが、もっと複雑で、しみや、黄変色を除いてから色ハキをするような、仕事が何段階にも及ぶものもある。これらは複合的に仕事を分けて直していかなければならないため、時間を要するものが多いという。品が古くなればなるほど、多様な問題があり、それに応じて様々な智恵と知識を駆使して直さなければならない。
品物が生き返るのか、それともそのまま使えなくなるのかは、「補正職人」の技に係っていると言っていい。うちでぬりやさんにお願いするものも、すべてが「直る」というわけでなく、ぬりやさんが「無理だ」という品もある。一流の職人は、何でも手を付ければいいというものでなく、「直しが出来るかどうか」を的確に判断できるところが素晴らしいと思う。ぬりやさん自身、「直らない」モノに手を付けたからといって、「直せなかったら」工賃は頂けないと言っている。
お客様に「直った分だけ」代金を貰う。それがあたりまえのことだと言う。また、私が「お金がかかるから、ここは目をつぶって直さなくてもいいです」といっても、職人としては、見て見ぬふりは出来ないのだろう。その直さなくてよい所も直って戻ってくる。そして代金は余分に求めて来ないのである。これが職人の「心意気」だと思う。
今まで私が預かった品物で、どれだけ「ぬりやさん」に助けられたものがあるかわかりません。しかし、「生き返った」品物をお使い頂けるのは、「新しい品」をお求め頂く時と違う喜びがあります。それが、うちの「店」の信用に大きく関っていることは言うまでもありません。私にとって、「腕の立つ職人さん」が付いていてくれることは、何よりの後ろ盾になっているのです。
太田屋さんの時と同じで「2回」ではお話し切れませんでした。次回はぬりやさんが使う道具のことや、「黄変直し」について、またその人となりをお話してこの稿を終えたいと思います。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。