バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

消える式服 黒留袖編

2013.07 23

結婚式は時代を映す鏡かも知れない。

昭和30年代以前は、「家婚」つまり、「新郎側(婿入りなら新婦側か)の家」で双方の親戚や友人が集まり、そこで料理や酒を振る舞い、挙げられていた。

昭和40年代からは、「ホテル婚や結婚式専門の式場婚」が一般的になり、それは平成の初め頃まで続く。バブル華やかなりし頃は、芸能人等による「大規模婚」や派手な演出、豪華な衣装を身にまとった「贅沢婚」が目に付き、それに習い「お金を掛けた結婚式」が多く見受けられた。

バブル崩壊後、披露宴も少人数で、「身内」だけで式をとり行う「地味婚」がはやり、中には「婚姻届を出すだけで、何もなし」という「究極の地味婚」も出現する。海外へ行き「二人だけ」で式を挙げるということも珍しくなかった。

では、最近はというと、流行といえるのかわからないが、郊外の洒落た店を借り切り、両親と限られた親族の他は、本当に親しい人だけを招待する小人数の「レストラン婚」や「ガーデン婚」などに人気と注目が集まっているようである。

 

「黒留袖」は当然「結婚式用」の衣装であり、「第一礼装」として、もっとも「格」の高いお召し物ということになる。新郎新婦の母親の式服として、長い間使われてきたものであるが、時代の変化に伴い、「黒留袖」が「必需」なものではないような現状が見えてくる。まず、その辺りから話を進めたいと思う。

最近の結婚式で、「媒酌人」のいる式に出られたことのある方はどのくらいおられるだろう。おそらくほとんど「ない」といってよいだろう。では、一体いつ頃「媒酌人」「仲人」が消えたのか。おそらく、この20年であろう。「バブル崩壊」頃より、儀礼の簡素化や、これまでの「慣例」を見直す動きが加速したのではないか。

前回の「喪服編」でもお話したが、「葬儀」の変化もこの頃からと思える。時を同じくして、「結婚式」にも「慣習」を見直す気運が生まれる。「媒酌人」の選定は、様々なケースがあったが、「新郎」の「上司」や「親族」の中から選ばれる場合、また「見合い結婚」なら「縁談を取り持った方」などである。

しかし、この「媒酌人」はすでに「形式的」な要素がほとんどで、「この方がいなければ、式が成立しない」という存在ではなく、ほぼ「形骸化」していたものと言えよう。つまり、「形式」を削ぎ落とすことは、高いハードルではなく、「誰かが仲人なしの式」を始めれば、追随しやすい環境=時代背景があったということだ。

もう一つ重要な変化は、「結婚」の持つ意味が大きく変わったということ。「結婚」が「家と家が結びつくこと」と考えられていた時代、式は「家同士の儀式」という意味合いが強かった。だから、それなりに多くの「参列者」が連なり、「規模」が大きくなるのは当然の成り行きである。それは、結婚する当人の知らない、親の知人や遠い親戚、近隣の人などが出席していたことなどを、思い起していただきたい。

しかし、結婚は「個人と個人」の結びつきに変化した。これは、戦前から続く「家制度」が変容を遂げたことと密接に結びついている。主役の子ども達より、親の方が前へ出る時代は終わり、何よりも「結婚する当人」の意志を尊重する時代になったのである。それは、結婚後「親と同居しない子ども夫婦」の増加ともリンクしている。式の「規模」が縮小し、参列する方もごく「限られた」人になってゆくのは、当然の成り行きであり、「当人の考え方」であれば、自由にどのようにも「式のあり方」を考え、見直すことができるからである。

「冠婚葬祭」という儀礼の「形式」の変化は、呉服業界にある意味「致命的」な変化をもたらした。結婚式でいえば、「媒酌人」不在は「黒留袖の売り上げ」に影響を与えたことは言うまでもない。「媒酌人婦人」のお召し物は「黒留袖」でなくてはならないからだ。もう一つは「親族の着用機会」が減ったこと、それは先述した「規模の縮小」に大きな原因があると同時に、自由な発想に基づく「式のカジュアル化」も影響している。

出席する「親族」は、「家同士の儀式」であれば、参列する時は「第一礼装」でなければという意識があった。そのことは「黒留袖」を着る機会が沢山あったということの裏返しである。しかし、どうであろう、「誰を呼ぶか」ということが「当人の意思」に任されている今、「出席する機会」は減少したといっていい。また式の案内に、「平服でお願いします」と「断り書き」が付いている場合を見受けるが、これがまさに「カジュアル化」と言えるもので、「改まった装いはしないで」と当人から「釘をさされている」のである。それと共に「会費制」という出席者に「金銭負担」をかけない形式のものが、多く見受けられるのも、それに付随した考え方と言えよう。

(道長取り仕覆に桐の葉模様 江戸友禅黒留袖 北秀)

(虫籠に秋草模様 江戸友禅絽黒留袖 北秀)

「フォーマル」というものは、「好むと好まざるとに関らず」持っていなければならないものであった。だから普段「キモノには縁のない方」でも「必需品」だったのだ。だが、儀礼の変化は、需要の変化を生み、「どの家庭でもなくてはならない品」でなくなったのは事実である。

もとより呉服屋は「フォーマル需要」が利益の大きな柱であったことを考えれば、この時代の変質は、経営に多大な影響を与えたと言わざるを得ない。前回の喪服編の時にお示しした調査でもわかるように、「呉服」を一般家庭が購入する比率は、量的にも金額的にも、最盛期の十分の一以下に落ち込んだ理由がおわかりかと思う。

 

では、今後「黒留袖」が消えてなくなるか?というと、そうとも言えないのである。これは、どのような式にするか、またどこで式をするかということと密接に結びついてくる。例えば、「帝国ホテル」や「ホテルオークラ」など「由緒正しい場所」で、「伝統的な形式」に則って「挙行」されるような式へ列席するような場合、「黒留袖」は「必需」なものとなろう。つまり、「式の格」というものに左右されるということだ。

「子ども」のいる家庭では、将来どんな「結婚式」を挙げるのかなどは「誰もわからない」ことである。予測が付かないことは「用意する目処がつかない」ことに繋がる。結婚式の主人公である当人の考え方次第で、どうにでも変わり得ることなのだ。

もちろん「結婚する相手次第」で変わることもあれば、その時の「家の経済状態」で変わることもあるだろう。この20年で、日本人の考え方がこれだけ変わったのだから、この先20年のことなど「誰にも予測がつかない」というのが正直なところである。

そして、「晩婚化」や「結婚を考えない男女」が増える流れは、これからも止まることはない。現在の社会状況が、「若者が夢を持てない社会」になっていることなどを考えれば、「一般の人」が「形式にこだわった儀礼」に戻ることはあるまい。

「一部の高所得者層」や「家制度を重視した家庭」、「古い慣習が残る一部の地方」などが、これからも「フォーマルとしての黒留袖」が「必需品」となるであろう。また、「親の代から譲り受けた品物がある」と言う人も、「持っているので着る」という一つの着用の「動機付け」になると思う。そして、「昔ながらの式を挙げたい」という「過去回帰を趣とするごく一部の若い方」であれば、その「出番」はあるだろう。ただ残念ながら、未来に向かってこの品物を必要としている方は、すでに「限定」されていると結論付ける以外にはないと思われる。

 

「消える」シリーズは、またこのあと時間をおいて書くことがあると思います。この稿を考えると行き当たるのは「家」や「家族制度」そのものの「変質」ということに尽きます。

私にも娘がおりますが、「結婚」に関していえば、それは「本人が決めること」であろうと思います。「結婚するもよし、しない選択もある」でしょう。もちろん「式」の形式にこだわりはありません。また、「夫婦別性」や「事実婚」という選択肢も認められてよい時代ではないかとも思います。多様な「結婚」のあり方や「家族制度」を、「社会や国が許容」しなければ、この国最大の問題である「少子化」に一定の歯止めをかけることは難しいと感じています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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