バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

「手描き」か「型」か 本物はどちら 加賀友禅を見分ける・後編

2013.07 30

「似て非なるもの」という「まぎらわしいモノ」が、呉服には多すぎると思う。

前回の話の、人の手による「糸目」と「型糸目」の相違は、注意してみればまだ気が付くこともある。だが、例えば、紬類など織物の場合、糸染めが「天然染料(例えば藍や紅花や刈安など)」を使っているのか、「化学染料」を使っているのか見分けるのは難しい。

厄介なのは、両方使って糸染めしている場合だ。たとえば「紅花紬」で、99%が化学染料なのに、たった1%だけ天然染料の紅花を使用しているものが、「草木染・紅花紬」として売られている。だが、その値段は「100%紅花」を使って染めた糸を使用したものと、数倍の違いがある。

「紅花紬」という「完成品」になってお客様の前で見せた時、それが、「どのような割合で、糸が染められたか(天然染料と化学染料の比率)」を、お客様自身が判断することはほぼ不可能であろう。モノによっては「100%紅花使用」などと書かれている品があり、それが判断の材料になることもあるが、それは稀なケースである。。

結局、最終的には、売っている「呉服屋」の言葉を信じるしかないということになる。だから、呉服屋は正直に「何故値段が高いのか」「何故値段が安いのか」をお客様に説明する義務があると思う。「化学染料」で糸の大半を染めている品ならば、作り手の「手間がかかってない」。それゆえ安いのだと。そうお話すれば、一般の方でも納得することができるだろう。「安い品」を「高くみせかけて」売るような、「不届きモノ」の話を聞くことがあるが、すべては「呉服屋のモラル」の問題だ。

「どうやって作られているか」で、モノの値段の大半が決まってくるとすれば、その情報公開を「適切」にしなければ、「消費者の側」に立った「商い」は出来ない。「価格のわかりにくい呉服」というものだからこそ、より丁寧な説明が求められるのだ。

 

さて、前回の続きの話を始めよう。まず最初に回答から。

押田正義 桜鼠地四季花道長取り 加賀友禅色留袖 1985年 未仕立品

人間国宝、木村雨山の一番弟子といわれた「押田正義」の品である。すでに、製作から30年近くたっているが、「加賀五彩」といわれる基本の色を使い独特の優しく上品な仕上がりだ。この時代の作家の品は、先頃紹介した「成竹登茂男」の作品同様、写実性に富んだ作品になっている。

上前おくみ、身頃のそれぞれの画像。とくに見て頂きたいのは「ぼかし」と「虫喰い」の丁寧な仕事ぶりである。花の一輪一輪、葉の一枚一枚が違った表情を見せ、どれ一つとして「同じ」ものがない。濃淡の付け方が微妙に異なり、「手仕事」にしか出来ない写実性に富んだ品になっている。

もちろん、「糸目」の精緻さは言うまでもなく、それぞれの図案により、細さ、太さを変えて柄の全体の広がりやバランスを考えながら引かれている。

全ての仕事が、予めその「仕上がりを計算した」ように進められ、作者の思い描く品物にするために、全ての「技術」が注ぎ込まれていると言えよう。

下前に付けられた 押田正義の落款。加賀友禅の作家として協会が認定されている方の「落款」は、上の画像の「手描技術者登録名簿」に載っている。(ただし、登録されていない加賀友禅作家の存在があるのは、覚えておいて頂きたい) なお名簿の「押田正義」の隣に「押田正一郎」の名前が見えるが、この方は「正義」氏の息子さんであり、親子二代の加賀友禅作家である。

実際の作品の細部をこれまで見てきたように、「加賀友禅」かどうか見分けることは、一般の方でも「ある程度」わかると思う。

では、こちらの「型糸目」を使った品はどのようなものと認識すればよいだろうか。「一見、加賀友禅のように見える」のは、「染」だけで柄が表現されていることが大きな要因と思われる。一般の方には、「糸目」が「型」であることを、「遠めから」見分けることは難しいことであろう。しかし、前回お話したように、その「均一性」や「平板な感じ」そして、一つ一つの挿し色や技法を見れば、その差は歴然である。このあたりに注意して「加賀作品」を見て頂きたいと思う。

このような「一見加賀友禅とまぎらわしいモノ」は、「京加賀」という名前で20年ほど前から作られ、流通してきた。「型糸目」を使い、色挿しは「人の手」で行われてきたのだが、主に京都や十日町で作られてきたのだ。しかし、「色挿し」の技術は本場の作家と比べるべくもなく、どうしても「ありきたりな平板なもの」になってしまった。それは、ただ、「似せている」というだけの品なので、価格も本物の数分の一程度である。

見ての通り、「この京加賀色留袖」にもご丁寧に「落款」が付いている。上の画像「康三」と入れられている。もちろん「加賀の技術者登録名簿」に掲載されている訳もなく、どこのどなたか存じ上げない方である。おそらく、この品の「色挿しを担当した」方が勝手に「自分の名前」を入れたものだ。

消費者にとって、こういう「落款」は、非常にまぎらわしい代物である。「加賀に似せて」作ってあるというだけで、「落款」まで入れてしまう。この「京加賀」だけではない。ありとあらゆるものに「落款」を入れる。ひどいものになると、「インクジェット」で作られたようなモノにまで、入っている。

「落款」というものを、消費者の目を眩ませることに使っているとしか思えない。「落款」が入っていればその品全てが、「作家」のモノだと努々思わないで欲しい。誠に残念な話だが、これを値段を吊り上げる「道具」に使う、「悪い輩」がいることをどこかで自覚していて頂きたい。

このような品もお客様に正直に作り方を「説明」して、「適正な価格」でお売りすればよいのだ。本当の加賀友禅ではないが、「インクジェット」の印刷モノより、「人の手」が入っている。そう、少なくとも「色挿し」は「人」が仕事をしている。柄から受ける印象は「優しく、品のよいもの」である。最初にお話した「紅花紬」のたとえと同じで、「手間をかけてないモノ」はその理由を説明することで、お客様にどのような品か理解してもらうことが大切である。品物を選ぶ際は、当然「価格」というものが大きなウエイトを占めるだろう。「情報を明らか」にすることにより、品物の価値を見極めて頂き、それを購入するかどうかの判断材料にしてもらうのは、呉服屋の責任である。

 

今日は、最後に、これまでこのブログで紹介した「三人の加賀友禅」の作品を載せますので、その作家それぞれが描く「個性」を比較して、見て頂きたいと思います。

(由水十久)

(成竹登茂男)

(押田正義)

それぞれ、三人三様の「糸目引き」と「挿し色」の仕事ぶりがわかるのではないでしょうか。作品として、これからも長く残しておきたい逸品と言えましょう。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

なお、8月3日より、夏物、薄物バーゲンを致します。当店の在庫で、竺仙ゆかた地や小千谷縮、明石縮など、また博多半巾帯、首里道屯半巾帯などの帯類をほぼ半額にてお売り致します。(数は沢山はありません。期間もとりあえず11日くらいまでです。毎年あるだけ売っておしまいという感じですね)

どんな店舗なのか、またブログを書いている「日焼けしたバイク店主」がどんな「変人」なのか、をご覧になりながらでも、お気軽にお出かけください。なおくわしい価格をお知りになりたい方は、店舗案内のところに載せてある「メールアドレス」よりご連絡ください。お返事させて頂きます。では、お待ちしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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