ここ数年、お客様に「紋」をお聞きしても、ご自分の「紋名」がわからない、という方が増えた気がする。
喪服、江戸褄(黒留袖)、色留袖、色無地などは、「紋」がわからなければ、仕事には取り掛かれない。箪笥の中に「紋」の付いているキモノをお持ちの方なら、それを拝見すれば解るのだが、「何もない」場合は困る。そんな時よく使う手段は「墓石」である。「墓石」には「紋」が付いていることがあるからだ。だから、「墓の場所」を教えて頂き、「寺の境内」をうろうろすることがたまにある。
今日はそんな紋入れの際に使う「紋の辞典」、「紋帳」について書く。
(江戸紋章集 「桐」の項)
家紋というものはその家の「象徴」である。紋が持つ意味はその家によって様々である。地位や家柄、家の系統などを示すものとして、平安時代より使われてきた。「家紋」を持たない「家」はなく、どこの家にも必ずあるものだ。明治以前の封建制度の時代でも、身分や階級により、紋が持てないということはなかった。
紋の数は「紋帳」に載っているものだけで約5千ほどあるが、実はこれだけではない。上の画像は「桐」と名の付く紋だが、「桐」の項だけで紋帳に載っている数は、「116」個もある。「桐」紋の中でもっともポピュラーなものは「五三の桐」である。あまりにもよくある紋のため、「貸衣装」で便宜的によく取り付けられている「紋」である
また「桐」紋は、国や統治するものの象徴としての意味合いがあり、「五七の桐」は「国」を表す「代表紋」になっている。今度政府の「スポークスマン」である「官房長官」の会見の時に注意して見て頂きたい。会見の際使われる「台」の正面には、この「五七の桐」の紋が入っている。
「紋」には「苗字」から類推できるものもある。例えば、「藤田」さんや「藤井」さんは「上がり藤」の紋。「佐藤」さんや「内藤」さんは「下がり藤」の紋。また、「笹田」さんや「笹本」さんは「笹りんどう」の紋とかである。もちろん「苗字」に「藤」や「笹」がつけば、全てそれに関係する紋ということはなく、「佐藤」さんでも「藤」と全く関係のない「花菱」の紋だったりする。ただ、そういう「傾向」があるというだけである。
上の画像はいずれも「三階松」という「紋」である。二つを比較すると、下の方の「三階松」には「ヒゲ」のような「枝」が付いているのがわかると思う。これを「荒枝(あらし)」という。「三階松」という紋は、決して珍しい紋ではない。しかし、この二つはよく似てはいるが、まったく「別物」だ。お客様から「うちの紋は三階松ですよ」と言われても、注意する必要がある。私はよくこの紋を受ける時に「枝が付いてますか」とお聞きする。そうするとお客様の反応は「それは、どうだったかわからない」とか「そんなものが付いているのですか」というもので、確固とした答えが帰ってこない。
たかが、「ひげ」のような「枝」があるかないかの違いだが、ここを確認しなければ、安易に「紋」を入れることは出来ない。「紋」というものは、それほど「厳密」であり、正しく認識しなければならず、事は慎重を要すのである。
(松葉菱に角切り角に三つ引紋)
(五瓜に本紋)
上の二つはいずれも「紋帳」に載っていない紋である。上の紋は「複合紋」といえるもので、松葉菱と角切り角と三つ引が組み合わされたものである。下の紋は「瓜」のなかに図案化された「本」の字が組み込まれている。紋帳にない紋を承ることは特別めずらしいことではない。このような場合は直接付いているものを確認しなければならず、お客様が遠方の場合はコピーしてファックスで送って頂かなければならない。このような「特殊」紋は、紋職人が新たに「紋型」を起さなければならない場合がほとんどであり、出来上がるまでに少し普段より長く時間を取る必要がある。
うちの「紋帳」には二つのものがある。上は「平安紋鑑」 下は「江戸紋章集」。
「平安紋鑑」の場合、編集されたのが「京都」である。この紋鑑が発行されたのは古く、1936(昭和11)年に「京都紋上絵部」により200名余りの職人たちの協力のもと刊行されたのが最初だ。うちで使っているものも、その「改訂版」であり、1971(昭和46)年の「第五版」である。発行元は「京都紋章工芸協同組合」の「平安紋鑑刊行部」となっている。
一方「江戸紋章集」の場合、その「序」で著者により次のように書かれている。「この紋章集は東京紋を中心に、京都紋を照参し上梓した」。「京都紋を照参」とは、「照らし合わせる」つまり、比較して確認したということであろうが、ではそもそも「平安紋」と「江戸紋」にはどこか異質のところがあるのでは、という疑問が湧いてくる。うちにある「江戸紋章集」の著者は「高倉銀次郎」という個人であり、発行元も「東屋商店」という一般商店である。発行された年は1969(昭和44)年である。
この二つの紋帳を比較した時に、これが発行された経緯や発行元を考えれば「平安紋鑑」の方が「正式」なように思われる。うちの紋職人が使っているのも「平安紋鑑」である。
(平安紋鑑より)
(江戸紋章集より)
共に「根笹」の紋。「平安紋」と「江戸紋」の違いがおわかりであろうか?葉の下の茎の部分を見て頂きたい。「平安紋」は単純に茎が三本並んでいるだけだが、「江戸紋」の方は三本のうち真ん中の一本が枝別れしており、都合茎が四本になっているのだ。また、上に伸びた「枝」も真ん中のものは同じだが、左右の枝は違う描き方になっている。
では、どちらの「根笹」が正しいと認識されるのだろうか。先ほど述べた「三階松」のところで、「枝の有無」で別な紋になるとすれば、この「紋そのものの図案の違い」はどのように考えたらよいのだろう。
うちの「紋職人」に昔聞いたところ、どちらも「間違いでなく」、それぞれ「根笹」の紋として正しいものだそうだ。それは、例えて言えば「共通語」と「方言」の違いのようなものであり、共通語で「疲れた」というのが北海道では「こわい」と言われているようなものなのだという。また微妙な図案の変化はその「紋章師」の「センス」によるものもあり、全てが寸分の狂いもなく「一律」ではないようである。
「紋」には、長い歴史的背景があり、どうも「一筋縄」ではいかない。調べれば調べるほど新たな発見があり、じつに興味深い世界が広がっている。最後に実際に紋を入れたものを見て頂こう。
(丸に木瓜・色無地一つ紋)
上は「紋職人」が反物(色無地)に紋を入れた状態。背の部分で、二つの紋が紋合わせされ、仕立てられる。下の画像に青い糸印が見えるが、これは、「紋積り」をした印である。この紋入れは「抜き紋」と呼ばれるもので、着る方の身丈に合わせて反物のどこに紋を入れるか指示しなければならない。「糸印」をする場合もあるが、大概はお客様の身丈を記し(例えば、4尺2寸というように)ておくと、紋職人が入れる「紋位置」を割り出すのである。喪服や黒留袖の場合、あらかじめ紋を入れるところが「白抜き」されており(これを石持・こくもちという)、「紋積り」の必要はない。
お客様の品を拝見する時、例えば色無地はただの「三つ柏」だが、喪服は「丸に三つ柏」になっているというような場面にぶつかることがあります。「丸があるのとないのと、どちらが正しい紋ですか」と訪ねても判然せず、お客様自身がわからないらしいのです。
また「嫁ぎ先」の「紋」は格好悪いので、実家の紋を入れておきたいなどという注文もたまにあります。私も「では、実家から持ってきたことにしておきましょうか」などと言って「実家の紋」を入れてしまうこともあります。たぶん常識では「許されない」ことで、「呉服屋」として失格ではないかといつも後ろめたい気持ちになります。
紋に関しては、また「職人の仕事場から」のカテゴリーの中で、職人の方に仕事の手順や紋のなりたち、種類、入れ方などじっくりお聞きして、また書く機会を作りたいと思っています。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。