バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

出張代わりの、おうち仕入れ(後編・帯編) 今河織物の品物を選ぶ

2021.10 10

「人となり」とは、人の性格や人間性という意味だが、たとえ何回もメールや電話でやり取りしていても、実際に会ってみると、想像していた人物像と違うということは、よくある。「本当の人となりは、顔を合せない限りわからない」と、私はいつも思うのだが、皆さまはどうだろうか。

 

このブログを読んだことがきっかけで、新しく仕事の依頼を頂くことも結構ある。自分のポリシーとして、お会いしない限り、品物を売ることも手直しを受けることも無いので、仕事をお受けする時には、必ずお客様と向き合うことになる。それは、遠方からわざわざお見え頂くこともあれば、場合によっては、私が出向くこともある。

初対面の時にお客様は、ブログ原稿の行間から感じるものや、メールの受け答えなどから、私の人となりを想像する。だがしかし、もし文章を詳しく読まず、品物の画像だけでバイク呉服屋の人物像を描いていると、とんでもないことになるだろう。

 

好む品物は、優しいパステル系の地色や、季節感が前に出る植物や鳥をさりげなく描く意匠。上品さと優美さを尊重するコーディネートからは、いかにも育ちの良さそうな「呉服屋の主人」が思い浮かぶはず。けれども、実際に会ってみると、全くイメージに反する強面がそこに。おそらくそれは、梅宮辰夫や松方弘樹の部屋に、いわさきちひろの淡いスケッチ画が飾られているような、違和感というかミスマッチ感かと思う。

うちの奥さんからは、常に「どう考えても、普通じゃない」と、容姿に関するお褒めのお言葉を頂いているので、それは間違いないところ。だが私は、「らしくない呉服屋」と見なされることこそ、自分の個性だと思っている。「~らしさ」とは曖昧であり、固定観念にハマらない方が、面白く生きられる気がする。

 

けれども、品物と作り手のイメージとは、ほとんどリンクする。というか、ミスマッチはほぼ無い。実際に、帯メーカーの主人や友禅の作者に会ってみると、なるほど「この品物にこの作者あり」と、思っていた通りの印象を受ける。作品は、作り手の感性そのものなので、品物と作者との間に齟齬はほとんど生まれないのだ。

今回、おうち仕入れの品物として選んだ今河織物。100年以上続くこの織屋を、今に受け継いでいる若いご主人と奥さんは、現代感覚を伝統の中に上手く落とし込んでモノ作りをしている「若きクリエーター」である。そんな作品には、思い切りお二人の「人となり」が表れているように思う。

ということで今日も、前回に引き続き今河さんの品物・名古屋帯編を、ご覧頂こう。

 

日本の民俗衣装・キモノや帯の地や模様の中で表現される色の多くは、歴史的な裏付けがある。古の人々は、自然界から材料を探し、そこに仲立ちとなる媒染剤を調合することで、様々な色を発出させてきた。その時代には、自分が望む色を作るためには、相当な試行錯誤が重ねられたはずだ。

その上、たとえ理想的な色を生み出しても、染める素材によっては、思うような発色にはならない。天然材料と天然媒染剤とを組合わせて作る色は、おそらく二度と同じ色は出なかったはず。染色という作業は、まさに自然と向き合う仕事であり、その色こそ日本人が日常の中で感じ得た色である。

 

こうして生まれてきた「日本の伝統色」を使う染織品は、どの色をとっても様々な色の含みを感じさせる、いわば複合的な気配が伺える。それは日本人特有の性格、物事をはっきり言わなかったり、どこかに含みを持たせることと共通するのかもしれない。

そのことは、外国名の付いている色と比較すれば、よく判る。例えば、「ターコイズブルー」と名前の付いた色だが、これはターコイズ・トルコ石に見られる青のことで、やや緑色を含む蛍光的な色合い。一方、日本の伝統色にもよく似た色があり、それは「新橋(しんばし)色」と呼ばれる明るい青緑色。新橋の芸者衆が好んだことから付いた色名で、浅葱(あさぎ)に少し緑を含ませた気配を見せている。

ターコイズブルーと新橋色、二つはよく似ている色なのだが、違うのは「色の突き抜け感」かと思う。そしてその原因は、「蛍光的か否か」なのだろう。光に反応する蛍光色は、化学材料から生まれた色であり、そこには何の含みも持たない。一方自然の中から生まれた新橋色は、光には反応せず、どこかに曖昧さを残す。無論、現在染織に使われる染料の多くは化学剤なのだが、それでも多くの伝統色には落ち着きが見られる。

 

こうしてキモノや帯で表現される色は、どこか抑揚的で自然さを感じるものがほとんどとなった。それこそが、和装特有の上品さを醸し出す一因とも言えるが、時としてそれは画一的なイメージとなり、装いは保守的なものになる。しかしどんな時代でも、人はお洒落を求める。だから時には、思い切りビビッドな色で、着姿を表現したくなる。特に、自由な装いを楽しむカジュアルモノでは、色に個性を求める人が多い。

現実には、そんな指向に答えてくれる品物が少ないのだが、今河織物の生み出すお召や帯、小物類は、日本の伝統的な色や図案を尊重しつつ、そこに外来的な風を吹き込んで融合させた、いわば「古くて新しい、あるいは、保守的でありながら革新的な」品物ではないだろうか。

また余計な話が長くなったが、今回送られてきた帯と小物を、見ていくことにしよう。

 

(綾華文二点とテキスタイル文・九寸織名古屋帯)

まず見て頂くのが、思い切りデザイン化した図案を幅いっぱいに描いた、大胆かつ個性的な帯。これまで見たことのない模様なのだが、全く新しい現代的な図案かと言えば、そうではない。その基礎的モチーフは菱文や唐花文であり、また模様の配置方法は正倉院的図案を踏襲するものになっている。

左側二点は、同柄の配色違い。中心部の四花弁から、放射状に花文が広がり、それが円を形成することで「宝相華的な」デザインになっている。こうした意匠は、八角形の鏡の鈕(ちゅう・中心のつまみ部分)から螺鈿文様が広がる「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)・正倉院北倉所蔵」とよく似ており、この帯図案のヒントではないかと、想像出来る。

宝相華をモチーフにした図案の品物は、さほど珍しくはないが、ことこの帯に関しては、思い切りデザイン化した模様を、帯全体に満遍なく埋め尽くすという、極めて大胆な姿で織り出しているところに、目新しさがある。さらに目を惹くのは配色の妙で、一方で黄・緑・ベージュ、もう一方で赤・ピンク・赤紫という系統の似た色を使って、模様のイメージを際立たせている。こうした色の使い方も、あまりお目に掛からない。カジュアル帯ならではの、「突き抜けた楽しさ」を作り手が理解しているからこそ、こんな姿の帯になる。

テキスタイルとは、織物そのものや素材にあたる繊維を指すが、この言葉は主に洋装・アパレルの世界で使われている。では何故、この帯の図案をテキスタイル文としたのか。それは、幾何学的図案を配列することにより、見る人に「洋装的な意識」を想起させようとしたからではないだろうか。

この模様姿からは、作り手のそんな意図は伺えるが、かといって「全くのアパレルデザイン」になっているとも思えない。碁盤の目の中で様々にデザインされている丸や三角の幾何学模様だが、それは大きい菱文の中で構成されている。この帯の菱の配列を見ると、正倉院の綾や袍の装飾に見られる唐花菱に似ており、アパレルと名付けていながらも、やはり図案の基礎を、伝統文様の中から見出していることが判る。

 

(左から鱗繋ぎ文 菱花文 雷文・経錦九寸織名古屋帯)

経糸は複数の色糸を一組としてまとめ、それを一本の経糸のように扱って整経(製織の準備段階で、各々の経糸を予め決められた本数やその長さ、張力を整え、所定の幅に配列してビームに巻きあげる作業)し、そこに基本的な組織を織り上げる糸(母緯・おもぬき)と文様を表現する糸(陰緯・かげぬき)を交互に打ち込んで織り上げる錦(紋織物)を、経錦(たてにしき)と呼ぶ。この織り方だと、地や文様に必要な色糸が表に現れ、他の余分な糸は裏側に沈む。

この織技法・経錦の歴史は古く、すでに飛鳥時代には伝わっており、法隆寺所蔵の多くの裂には、この平組織経錦が用いられている。しかし織の組織として、違う色の糸を二重、三重に整えなければならない手間があり、その上色数や文様に応じて、緯糸を複雑に打ち込まなければならず、製織には高度な技術を必要とする。そのため奈良中期以後は、単色の経糸に多色の色糸を緯に通し、地を織りながら文様を表す簡易な織方法・緯錦(よこにしき)が主流になった。この木屋太・経錦では、四色からなる経糸を使って、製織している。

鱗と楕円を組合わせた、不思議な幾何学文様。じっと眺めていると、目が回りそうになる面白い図案。主体となる色は、芥子、茶、ベージュ、そして茶を含ませた薄いグレーの四色。

四枚花弁の唐花を埋め込んだ大きい菱が中心となり、その左右に小さい菱を従えている。また、帯の両端を不規則な巾に区切って模様付けをしているので、締めた時には面白い柄の出方となる。こちらは紫系の濃淡四色を使う。

Z型の稲妻を表した雷文様。実際に雷鳴を図案化することは難しいように思うが、雷となれば大概この形になる。帯のデザインとしては珍しいが、こうしてみるとなかなかユニーク。配色が暖色の橙や茶系というのも、熱を持つ雷らしい。以前同じ図案で、クリームと若草色を主体とした帯を扱ったが、配色によりかなりイメージが違ってくる。

 

(よろけ波模様 グレー濃淡と芥子深緑・ふくれ織九寸名古屋帯)

波のようにも、風になびく草原の草のようにも見える、何とも不思議な図案。表面に浮かび上がる図案には凹凸が付いているが、こうしたあしらいは「ふくれ織」という技法を用いることで、表現される。

これは二重織物であり、部分的に上下の織物を、結びつけるところとそうでないところを作り、織組織や強撚糸と無撚糸を混ぜて使うことで出来る収縮の相違などを利用することで、こうした表面が膨れ上がる織姿が見えてくる。平織とは違う立体感があり、締めると独特の帯姿となって図案が現れる。

模様のふくれ織をよく見ると、横にラインを入れた上に、ギャザーが出来ている。この凹凸が、独特な帯姿を醸し出す。模様も斬新だが、こうした技法の工夫によって現代的な帯姿とするところに、作り手のセンスが伺える。

モスグリーンと金茶色という色の取り合わせは、風になびく草波を思い起こさせる。この帯に関しては、多色を使わず、出来る限りシンプルにする方が模様が生きる。上のグレー濃淡も、この二色の取り合わせも、モダンで現代的な模様姿を念頭に置いた、作り手の意図が感じられる。

 

(バティックフラワー模様と月歌模様・九寸織名古屋帯)

小さい唐花を小紋のように帯全体に織り出したものと、薄と月の図案に和歌を織り出した秋姿の帯。これまでの帯が個性的すぎるので、この二点は平凡に思える。おそらく、以前に織った図案をそのまま踏襲したものであり、現代的なエッセンスを含ませてはいない。しかし織屋は、作る品物全てをリニューアルする必要はなく、こうして昔の柄を同じように織り出すことがあって良い。要するに、バリエーション豊富にモノ作りをしてもらうことが、扱う小売屋としては一番有難いのだ。

 

ということで、じっくりと十点の帯を見てきた。これだけ個性的な品物が揃うと、何をどのように仕入れるか、迷うところではある。ただ仕入れで帯を選ぶ際には、店の棚にどんな色、模様のキモノがあるかによって変わってくる。やはり商いを進める上では、どうしても、相応しいキモノ、それに合う帯と、キモノと帯を一体にして考える必要がある。

店内に品物を飾る際にも、キモノと帯を一組にして、隣り合わせた撞木に掛けることがほとんど。来店された方に品物をアピールする上では、こうした取り合わせを欠かすことは出来ない。だから、棚にあるキモノには必ず合う帯が、逆に帯には必ず相応しいキモノが、準備されていなければならない。

そこで私が気になったのが、最初にご覧頂いた「現代風正倉院宝相華」のデザイン。模様もさることながら、色のモダンさがとても目を惹いた。色違いで両方とも仕入れるか、それともどちらか一点にするか。お召を二点入れたので、帯も同じにしたいところだが、支払いを考えると躊躇する。

読者の方からは、帯一点くらいの仕入れで迷うことなど無いと思われるかもしれないが、バイク呉服屋が扱う品物は、いつ売れるか見当も付かない「趣味的な要素」の強いものばかり。簡単に捌けるとは思わないからこそ、出来る限り厳選したい。資金に余裕のある大店ならともかく、限られた範囲で商いしているのだから、仕方が無い。

ということで、今回選んだのがこちらの帯。赤紫主体の配色は、かなり斬新で可愛いとは思うものの、冷静に合わせるキモノや実際に使うお客様の範囲を考えれば、黄と緑の方が現実的。

しかし、こうして頭を悩まして選んだことを忘れてしまうかのように、仕入れた二日後、最初にこの帯をご覧になった方が、あっさりと買い求められてしまった。だから、画像はすでに「仕立上がった姿」になっているのだ。ごく稀に、こんな商いが出来ることがあるが、何だかキツネにつままれたような気がする。

 

今回、最初の目的だった小物の仕入れ。送ってきたのは、赤・黄・緑・水色・紫五色の冠(ゆるぎ)帯〆と、六色の二色ぼかし綸子帯揚げ。在庫がほぼ尽きた状態なので、全て仕入れることにする。

帯〆も、画像では判り難いが二色組で、赤と紫は黒、黄と緑は白、水色は黄色と組み合わせている。帯〆も帯揚げも、思い切りの良い鮮やかな発色。これは、最初にお話したように、日本の伝統色にこだわらず、外的要素を取り入れた色合いかと思える。こうした感覚が、小物に止まらず、お召や帯にも十分生かされている。

 

若い担い手が、自分の感覚を信じて、新しい色や意匠に挑戦する。その心意気や、良しである。小売屋が思わず応援したくなるこんなクリエーターが、もっと増えて欲しいと、切実に思う。二回にわたってご覧頂いた「おうち仕入れ」の様子だが、品物を買い入れることは、商いを何年続けようとも難しい。ただ残念なことに、「仕入れたくなる品物」を見つけることは、年々難しくなっている。売りたくなる品物が消えた時こそ、本当にバイク呉服屋の危機なのだろう。

 

今回のように、品物があっという間に売れていけば、商い的には仕入れは成功したことになりますが、かといって何年も棚に残ることが、失敗に当たるとは思いません。

それは、品物を見初める方が早く現れるか、遅いかの違いだけで、仕入れた時の商品に対する思い入れは、全く同じだからです。店の棚に置くと言うことは、その品物のどこかに魅力を感じたからで、それが仕入れることを決めた最大の理由です。

こう言い切ってしまうと、品物各々に施される技術は見過ごされているように思われるかもしれませんが、そうではなく、質の理解なくして、仕入れの判断は出来ません。ですから、モノを見る基礎力が無い限り、仕入れを担うことが難しいのです。やはり呉服屋の仕事は、一筋縄では行きませんね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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