バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

現在の成人式に、一生に一度の価値はあるか  儀礼の意義は何処に?

2021.01 23

童謡・通りゃんせは、明治の作曲家・本居長世が手掛けたとされるが、歌詞の方は、すでに江戸時代に出来ていたらしい。そんな詞の一節に、「この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります」とある。子どもが七歳まで健やかに育ったことを、氏神様である天神様に報告し、感謝する。言うまでも無く、七五三参りの描写である。

 

生後28日までの新生児は7.79%、生後1年未満の乳幼児は15.38%。この数字は、1899(明治32)年の子どもの死亡率。それが2018(平成30)年の厚生労働省の調査では、新生児0.09%・乳児0.19%。この120年で、小さな子どもが亡くなる確率は、本当に低くなった。

この主な要因は、医療技術が進歩し、衛生環境が格段に良くなったことによるが、昔は、子どもの5人に1人が亡くなってしまう現実があった。通りゃんせの江戸の世では、もっと庶民の生活環境は厳しかったであろう。だから、子どもの健やかな成長を神に祈願する「神頼み」は、本当に切実な親の気持ちであった。

 

こうして、神に祈ることは、即ちそのまま通過儀礼になった。生後ひと月後に行う初宮参りは、子どもが生まれた土地の神・産土神(うぶすなかみ)に、その子を生涯守護してもらうことを祈願する大切な行事。そして時は進み七五三詣では、その年齢まで成長できたことに対する神への感謝報告となる。一連の子ども儀礼の最後として、大人として認められる元服の儀式も、本来は数えで12~16歳となった男子が、氏神さまの前で大人の服を身に付け、大人の髪型に変えて冠を被るという形式であった。

つまりは、大人になるまでの通過儀礼は、すべて神の前で執り行われてきたことである。この習慣は今でもあまり変わっていないが、なぜか最後の元服の場面だけは、神ならぬ自治体主催の成人式典に取って変わっており、これまで培ってきた通過儀礼の片鱗すら、そこに見ることは出来ない。

 

今年は思いもよらないコロナウイルスの蔓延で、自治体が主催する多くの成人式が中止、延期となった。今までは、当然のように行われてきた式典も、こうした事態に立ち入り、様々な見方が出ている。皮肉なことだが、改めてこの行事を見直す契機ではないだろうか。

そこで今日は、成人式典はこれからどうあるべきなのか、改めて考えてみたい。また世間からは、呉服屋にとっての一大イベントとも捉えられるが、いわゆる「振袖ビジネス」のあり方も、少し考えを述べてみたい。ただこれは、あくまでもバイク呉服屋の私見であり、現状とかけ離れた暴論と思われることを、ぜひお許し頂きたい。

 

大学の卒業式で着用するため誂えた、我が娘の黒地松竹梅模様の振袖(2014年)

年末年始にコロナ感染者の数が2千人を越えたことを受け、1都3県に緊急事態宣言が発令されたのは、今月7日のことだった。ほとんどの自治体では、10日か11日に成人式典を予定しており、まさに最悪のタイミングで事態が動いてしまったと言える。

その結果として、式典の中止や延期を余儀なくされる自治体が続出。東京23区内で式典を実施したのは杉並区だけであった。新宿区などは、区長が「絶対に中止しない」と公言していたにも関わらず、直前に取り止めざるを得ない状況に追い込まれた。

 

ウイルスの感染拡大を避ける「三密の原則」から考えても、大勢の若者が同じ場所に一同に会することは、望ましくない。だから開催を決めた自治体は、集まる人数を減らして式典を複数回に分けることや、会場を外に設定し短時間で済ませるなど、様々に工夫を凝らして、何とか式典を開催出来るように準備を整えてきた。だがそうした中でも、この緊急事態宣言により、中止せざるを得ないと判断した市町村はかなりに上った。

また、式典そのものの問題だけではなく、式の後に、参加者が大勢で飲食することを危惧したことも見逃せない。昨今では、成人式典に出席する最大の目的が友人との再会であり、この機会を捉えて、中学や高校の同窓会が計画されることも珍しくない。「集まっての飲み食い」は、ウイルス感染に対して、何より回避しなければならない行為とみなされている以上、「再開の機会」を取り除こうと主催する自治体が考えることは、いわば必然であった。誰だって式が原因となる感染は、引き起こしたくはないからだ。

 

突然の式典中止を受け、新成人は否応なく、様々な予定の変更を余儀なくされる。特に女性の場合、当日着用を決めていた振袖をどうするのか、扱いに苦慮することになる。出席者の多くは、購入するにせよレンタルにせよ、この日のためにかなり前から準備してきたはずである。

ただ、この事態を受けた多くの呉服店やレンタル衣装店では、キャンセル料その他で購入者や利用者に便宜を計ったために、大きな混乱は見られず、式は中止になっても振袖は着用し、写真だけを撮ったという方も多かったと聞く。今年の成人の日は、友人と集まる機会は失ったものの、その分家族が中心の祝いとなったような気がする。

 

さて、コロナウイルスに左右された今年の成人の日だが、ネットでは式典の中止の是非を巡り、様々な意見が交わされていた。特にこの状況下で式典を強行することに対する批判は多く、ひいてはコロナ云々よりも、果たして自治体主催の「成人式典」にどれだけの意義があるのか、という声もかなり聞こえてきた。

そして現在の式典が、本来の意味するところから離れて、単なるイベントになっていることや、これまでも一部の非常識な出席者によって混乱したこと、また振袖着用が当たり前になっていることの弊害、そしてそれに連なる「振袖ビジネス」への批判なども目立つ。決して今まで問題が無かった訳ではないのだが、今回の事態で問題が顕在化し、各自治体では、改めて成人式典を見直すことになるかも知れない。

私も呉服屋として、これまでにもブログの中で、成人式典については様々な私見を述べてきた。今日はこのコロナ禍にあって、そしてまたコロナ後を見据えた上で、これからの式典のあり方を少し考えてみたい。そこでは、大人への扉を開くという、本来の通過儀礼の意義を加味することは、もちろんである。

 

我が家の三姉妹が揃って着用した振袖は、私の妹が誂えた昔の品物(1980年頃)

今年、成人式に関わる様々な報道を耳にする中で、気になる言葉があった。それは、「一生に一度の成人式」というフレーズ。式の主役である新成人ばかりか、その両親や式典の主催者たる首長、そして呉服屋や美容院の関係者が揃って口にするのが、成人式典を「一生に一度しかない」と特別視するこの言葉である。

新成人や親は、「一生に一度の式典だから出席したい、または参加させてあげたい」と話し、市長は「一生に一度の門出の式を、何とかお祝いしたい」と述べ、振袖ビジネスに関わる者は、「一生に一度の特別な日だから、思い出に残る装いを」と誘う。

 

私には、成人の日前後に開催される自治体主催の式典を、これほど特別視する理由が判らない。成人=大人になったこととすると、記念すべき日はそれぞれの誕生日であり、その日こそ「一生に一度の特別な日」になる。法律的にも、この日を境に大人としての責任と権利が生じる。

成人式は、1946(昭和21)年に開催された埼玉県蕨市の青年式(成年祭)に端を発するとされており、当時の式典は、敗戦後の厳しい状況に置かれていた若者を励まし、希望を持たすという目的で催された。この二年後、1948(昭和23)年に公布された祝日法により「成人の日」が定められ、それに伴い、徐々に各自治体で式典を開催するようになった。当初成人の日は1月15日だったが、1998(平成10)年の法改正に伴い、現在の1月の第2日曜日に移行された。いずれにせよこの祭日設定は、通過儀礼としての元服の儀式を、小正月(1月15日)に行ったことが理由にある。

歴史的経緯を振り返ってみると、現在まで続いている成人式典は、祝日制定に伴う自治体主催の行事に過ぎず、式典として「出席しなければ後悔したり、何としても執り行いたい」という位置付けには到底ならない。儀礼としての根拠が全くないために、「一生に一度」などと大仰に式の価値を口にすることに、違和感を感じてしまうのである。

 

成人の日を制定した理由は、「大人になったことを自覚し、自ら生き抜く若者を励ますこと」とされるが、自治体主催の形式的な式の運営なので、どうしても通り一遍の方式に固定化される。それがなおさら、式典としての意味合いを失わせる要因になっている。最近は運営を新成人に任せ、式の内容を充実したものに変えようと試みる自治体も増えているが、それが上手く機能しているとは言い難い。

実際のところ、式に参加する者の目的が友人と旧交を温めることであり、式本来の趣旨に理解を得ることは、ほぼ困難になっている。つまり、すでに自治体が経費をかけて式典を開催する意義は、どこにあるのかさっぱり判らず、ただただ「友人との再会の場」を提供しているに過ぎないのが、現実の姿であろう。この現状を毎年見ていればこそ、常識的にとても「一生に一度」などと価値を叫ぶことは出来ない。

 

そして実は、現在の式の状況が、ある意味で「振袖ビジネス」を支えていると言っても過言ではない。意味もなく特別視されている、一年でただ一日の成人式典の日。そこに参加する女子の90%以上(ほぼ全員に近いと思われる)は、振袖を着用する。もちろん式にドレスコードなどなく、和装が義務付けられている訳もないのに、である。

実は、この「みんな一緒に着ている」ことが、肝心なのである。もちろん、一度は振袖を着たいという憧れを持つ女子は、多いだろう。しかし振袖が、式に参加する上で欠かせない道具となっている側面は、否定出来まい。

そこを狙うのが呉服屋(振袖屋)である。成人対象者には、高校卒業と同時にアプローチをかけて、一日も早い準備を促す。やれ「早くしなければ、良い柄が無くなる」だの、「品物を決めた人から、当日の着付けは良い時間が準備できる」など言って煽る。消費者に対し、振袖という衣裳を「特別な日の特別な道具」としていかに認識させるかが肝心で、これが出来なければ商いには繋がらない。もしこれが七五三祝いのように、個々で着用の日が異なるのであれば、とてもこんな方法は採れないだろう。

 

ここまで、長々と式典の現状を書き連ねてきたが、最後にこれからの成人式はどうあるべきか、バイク呉服屋の私見を話してみたい。

私はやはり成人式を、大人になった証=通過儀礼と捉えることが妥当と思う。つまり、お宮参りや七五三と同一線上にある儀式である。そう考えるのであれば、式を主催するのはそれぞれの家庭、つまり個人的な行事となる。そうなると、自治体が主催する今の式典は不要であろう。

また法律に照らせば、来年の4月1日からは、成人年齢が18歳となる。二十歳になるまで出来ないことは、飲酒と喫煙、あとは公営ギャンブルの馬券や車券が買えないくらいで、後は大人としての責任を負うことになる。つまり、本当の意味で成人を祝うのであれば、18歳でということになる。これまで長い間、20歳が成人と規定されてきたが、これからはこの年齢で式典を開催する意味が完全に無くなる。

そして、もし「みんなで集まる会」を開きたければ、小中学校や高校の同窓会単位で自由に日を選べば良い。なにも成人式というお膳立てが無ければ、懐かしい友人と会えないということもあるまい。スマホが普及している今、連絡を取り合うツールなどいくらでもあるだろう。

 

最後に、呉服屋として振袖の扱いをどのように考えるかであるが、そもそも振袖は、成人式だけの衣装ではなく、未婚の第一礼装として位置づけられるもの。うちのお客様の中には、体格が固定された高校生になったら、振袖を着せてみたいと考えている方が何人かおられるが、16歳でも17歳でも、振袖は着用出来る。何も、成人を待たなければ使えない品物では無い。

そして成人式を、個人で行う行事と捉えれば、なお着用の機会は自由となり、装う回数も増えるように思う。少なくとも今のように、一生に一度の成人式に着用する衣装という、限定された意識は薄くなるはずだ。

また言い方に語弊があるかもしれないが、とりあえず式典で着用出来れば良いとする「その場限りの消費者」は、少なくなると思われる。裏を返せば、きちんと質を見極めて品物を選ぼうとする消費者は残る訳で、それは安直な振袖ビジネスにどっぷりと浸った呉服屋や振袖屋を、淘汰することにも繋がるだろう。

おそらく、「どんな理由にせよ、振袖は着てもらうことに意義がある」とか、「成人式典の有無は、商いの生命線になる」などと考える店が大多数だろう。しかし質を弁えず、効率と利便性だけを追いかける今の振袖ビジネスが、本来の呉服屋としての仕事とどれだけ乖離しているのか、一度立ち止まって考えるべきと思う。まあ現状からすれば、そんな期待はほとんど出来ないだろうが。

 

年々縮小する呉服業界ですが、一昨年の市場規模は2700億円弱で、これは全盛期の七分の一ほどです。このうち、約三分の一が振袖関連の売り上げと言われていますが、このコロナ禍にあっては、商いはもっと厳しくなっているに違いありません。

そんな現状があるのに、成人式不要論を書き連ねることは、呉服屋として非常識と批判されることでしょう。どんな理由にせよ、振袖を着用する機会・成人式典があれば、それは商いの機会を増やすことに繋がります。だからこの際、儀礼の建前など考えても無駄と言われれば、その通りかも知れません。

しかし、通過儀礼と和装は深く結びついており、その形式を考えずに品物を扱う訳にはいきません。もし無視すれば、必ずどこかでひずみが生じ、未来の和装のあり方に、良からぬ影響を与えるようにも思います。

モノを売る前に、使う意味や意義を考える。それを省けば、文化の伝承になりません。今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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