バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

帯の巾と大きさを考えてみよう(後編・2) お太鼓の寸法・名古屋帯編

2020.11 10

今、普通に街を歩いていて、和装姿の方に出会うことはほとんどないだろう。東京の銀座辺りならいざ知らず、甲府のような地方の都市では、まず探せない。だから、キモノで外に出ている家内の姿は目立つようで、銀行などではすぐ顔を覚えられる。相手は、呉服屋のおかみさんと判っているが、それでも「キモノ、良いですね」と度々お褒めを頂く。人がこうして、他人の衣装に目を留めることは、和装なればこそ、である。

日常の中では全く希少な姿となった和装だが、日本人の衣装が洋装へと変わったのは、この150年の間の出来事に過ぎない。長い服飾史があるこの国で、僅か一世紀半の間に、人々の装いが「外国生まれの衣装」へと、劇的に変化してしまった。

 

では近代において、人々(特に女性)が洋装へと動いたのは、具体的に何が契機になっていたのか。そして和から洋へと移行する分水嶺は、いつ頃だったのか。

日本人が「洋服」という装いを目にしたのは、江戸末期に開国した際にやって来た欧米の役人や軍人の姿が初めてであった。無論、この時代に外国人と接していたのは、限られた立場の者だけであるが、感化されて洋服を着用する通訳などが現れた。

明治維新後、近代国家を形成するために、様々な欧米諸国の制度を採り入れると、文化や生活習慣なども同時に入ってきた。洋服もその一つであり、国は欧化政策の一環として、着用を推進する。おりしも、1880年代に展開された鹿鳴館を中心とする外交は、日本が西洋化することで欧米列強と肩を並べる立場となり、それにより、治外法権を容認していた不平等条約が解消出来ると考えられていたので、法律や制度だけではなく、生活様式の隅々まで西洋化の動きは強まっていった。

洋服はまず始めに、皇族や高級官僚が着用する大礼服として採り入れられ、以後、官吏や警察官、郵便配達人、鉄道員、教員など公の仕事に就く者の間で広く普及したが、いずれも男性の服装としてであり、女性の洋装はほとんど見られなかった。この明治10年代の洋装化は、鹿鳴館外交の失敗とともに、日本の伝統を失う貴族的な西洋化として批判を受け、一旦は下火になって和装へと回帰する動きも見られた。

 

女子が洋装化する大きな契機は、明治期から大正時代にかけての、髪型の変化にあるだろう。従来の日本髪と比べて、自分で簡単に結えられ、なおかつ自由にアレンジも出来る束髪の流行は、髪型が洋風に変わる転換点であった。そしてそれは、和服よりも活動しやすい洋服に、目を向けることに繋がっていく。

この時代、政府も、国民の生活様式を改良しようと、国家プロジェクトを立ち上げる。1919(大正9)年には、文部省が主催する生活改善展覧会が開かれ、その中心として据えられたのが、住宅と服装の改善であった。この「服装改良運動」では、和装には、機能面や衛生面において避けられない欠点があるとし、これが合理主義に基づく国民生活の向上を阻害していると位置づけて、洋服への転換が促された。

だがこの運動も、すぐには女性に浸透せず、大正末年でも普及率は一割程度で、まだまだ和装が優勢であった。しかし昭和になって、女性の社会進出(職業婦人の誕生)が高まり、また女学生の制服に洋服が採用されたりすると、都市の女性から洋装化の波が広がり始めた。ただ戦争の色が濃くなるにつれて、服装そのものが統制化され、男子は国民服・女子はモンペの着用が奨励されるようになる。

敗戦後は物資が不足し、多くの国民は着るものにも事欠く始末。そこでアメリカをはじめとする占領軍は、GHQの援助として古着を放出した。この洋服は「占領軍ファッション」として流行し、日本で洋装化が進む一因にもなっていく。また1950年代には、画期的に化学繊維の開発が進んで、手軽で安価な洋服が製品化されるようになる。また同時に、進行していた高度経済成長に伴う生活様式の変化が決め手となって、服装は和装から洋装へと完全に逆転した。

 

こうして、駆け足ながら時代を振りかえって考えて見ると、主に開国や戦争などの外的要因が、人々の生活様式の変化を誘発してきたと理解できる。また女性の場合には、働く意識を持って社会へ出ること、つまり「生き方の変化」により、洋装化が進んだと考えられる。それは、昭和40年代から始まった「専業主婦の減少・共働き夫婦の増加」が、日常から和装が消える大きな要因となったことでも判る。

さて、いつにも増して前置きが長くなってしまったが、今日は帯のお太鼓寸法の続きをお話してみよう。前回の袋帯に続いて、名古屋帯。なおこの名古屋帯は、先述した大正期の「服装改良運動」の一環として考案された、この当時の「新しい帯」である。

 

今回使用する名古屋帯。手前から織帯六通八寸 織帯太鼓柄九寸 染帯太鼓柄九寸

言うまでも無く、名古屋帯は一重太鼓に結んで使うが、この帯は締める手間を省くと同時に、軽くて使いやすいことをコンセプトにして開発されている。この帯が考案された大正期には、国が先頭に立って洋装を奨励する「服装改良運動」が推し進められていた。当時和装は、「非効率で不便な衣装」と位置付けられてしまっていたが、こんな社会の動きに対抗するために、利便性を重視した名古屋帯が生まれたと推察される。

ご承知の通り、名古屋帯には織帯と染帯があり、耳をかがって仕立てる八寸巾と、中に芯を通して仕立てる九寸巾がある。模様の付け方は袋帯同様に、全体に柄を通した「通し柄」と、垂れ先から六割程度図案のある「六通」、またお太鼓と前部分だけに柄付けした「太鼓柄」に分かれている。

 

前回の袋帯では、お太鼓柄の多くが、標準的なお太鼓巾の寸法・八寸の範囲内で模様付けされていることを、見て頂いた。そして六通柄では、使い手それぞれが、模様を出す位置を工夫出来たり、体格によって太鼓の縦の長さを調節出来ることを、お話した。

では、袋帯よりバリエーションが豊富な名古屋帯は、どのように模様が付き、それがお太鼓の寸法や柄の出し方に、どのように影響しているのか。タイプの違う三点の名古屋帯を使いながら、確かめていくことにしよう。

 

(白地 スウェーデン裂文 六通八寸 織名古屋帯・帯屋捨松)

まず取り上げるのは、帯屋捨松の八寸。北欧スウェーデンの伝統文様を、柄に取りこんだ可愛い図案で、いかにも捨松らしい帯。赤い格子柄と花を図案化した模様で構成され、これを交互に組み合わせることで、一つの図案としている。

二つの図案をミックスした模様を、お太鼓に作ってみた。そうすると、標準的なお太鼓寸法・八寸巾の中に模様がぴったりと収まる。つまりは、予め模様の区切りを八寸と定めて、図案を織り出したと理解できる。

けれどもこの帯は、太鼓柄でなく六通。ということは、上のような柄の出し方が全てではなく、使い手次第で模様を変えることが出来る。その一例を下の画像でご覧頂こう。

これは、上下の図案を半分ずつ切り取り、お太鼓柄としたもの。最初のかっちりとしたお太鼓の柄とは、また趣が違っていることが見て取れると思う。つまり、こうした六通の織名古屋帯では、その模様の構成にもよるが、工夫次第でお太鼓の柄を幾通りにか楽しむことが出来る。その自由さが、最大の特徴と言えるだろう。

 

(白地 ウイリアムモリス「木に鳥」模様 太鼓柄九寸 織名古屋帯・紫紘)

以前にも、ブログの中で取り上げたことがある、19世紀イギリスのデザイナー・ウイリアムモリスの図案をモチーフとした紫紘の帯。源氏物語を始め、純日本的文様を得意とする重厚な織屋の、意外だがモダンな品物である。図案は、三本の木に青い鳥が止まる様子を描いたもの。太鼓柄なので、六通のように後ろに出す模様に、変化が付けられない。

お太鼓図案の寸法を測ってみると、9寸2分ある。ということは、標準的なお太鼓巾の8寸に合わせて太鼓を作ると、図案が途中で切れてしまうことになる。だが、この図案全てを太鼓に出すには、あまりに広すぎてしまう。このような場合には、着用する人が使うお太鼓の模様位置を、予め想定して決めておく必要が出てくる。どうするべきか、一例を下の画像で見て頂こう。

このお太鼓寸法は、標準的な8寸。模様の中心となる三本の木を、バランス良く太鼓の中に配置することが、まず基本になる。模様の上下巾が9寸2分ということは、1寸2分切らないと8寸にならない。画像を見て頂くと判るが、このお太鼓では、模様の上部は切らず、下を切っている。このように、寸法より広く柄があしらわれている時には、一番格好よく見えるお太鼓を、自分で作っていくことになる。

この帯の垂れには、葉模様が織り出されている。こうしたあしらいは、おしゃれな一工夫として、帯の中でたまに見受けられる。こんな時は、お太鼓を作った時に、垂れの模様がバランスよく着姿の上で映るように、垂れの巾にも注意を払う。この帯の場合、通常より少し狭めの2寸巾にすると、葉の位置がきれいに出てくる。

 

(梅色ちりめん地 梅模様 太鼓柄九寸 染名古屋帯・トキワ商事)

最後は、染帯。紋図を基に織り進められる織帯と違い、染帯は描き手が自由に図案を表現することが出来るため、模様の大きさや巾は一定せず、帯それぞれで様々に異なっている。この梅帯は、輪郭に桶出し絞りを使い、梅花の中は手挿し。

だが、あしらわれている模様を全部お太鼓に出すと、ご覧のような長さになってしまう。ちなみに長さを計ってみると、1尺2寸。通常のお太鼓巾と比べて、4寸も長い。もちろん、このままではどうにもならないので、装う太鼓巾に合わせて、図案を調整しなければならない。

お太鼓巾を8寸に設定して、模様を考えてみた。この帯姿では、一番下に描いた水色の大きな花を省いて、お太鼓柄としている。全部で六輪ある梅花を、8寸という限られた巾の中で、どのように配置していくか。このような帯の場合は、使い手が自ら考えなければならない。

先ほども述べたが、模様あしらいの自由度は織帯よりも、染帯の方がよほど高い。そして手描き染帯の多くが、お太鼓柄で製作されている。これは図案を限定的に描くことで、手間を省き、買いやすい価格に設定する工夫があるとも言えよう。また、旬を意識した図案が多いのも特徴であり、こうした帯を使い回すことこそが、個性的でおしゃれな装いに繋がっていく。

 

今日は、袋帯に引き続いて名古屋帯で、お太鼓の模様と寸法の関係を考えてきた。フォーマルで締める二重太鼓の袋帯より、カジュアル使いの名古屋帯の方が、自由でバラエティに富んだ模様あしらいとなっているのは、当然のことかと思う。

この個性的模様を、限られたお太鼓寸法の中で、どのように表現していくかは、着用する方に任されている。これは、「後姿をどのように見せるか」という着手のセンスが、試されることにもなるのだろう。ぜひ皆様には、個性的で絵になる後姿を、自在に創造して頂きたい。

 

和装が、あまりに日常から離れてしまったために、世間では、キモノを着ているだけで、その姿を贅沢とか華美と受け止める人が、多くなったように思います。キモノに縁の無い人には、着用している品物が、フォーマルなのかカジュアルなのかさえ理解が出来ないので、こうした印象を持つことは、ある程度仕方のないことかも知れません。

けれども、「和装が嫌い」あるいは「キモノ姿など見たくない」という方は、ほとんどおられないでしょう。そして和装は、若い方ばかりでなく、どんな年配の方の着物姿でも、注目を集めます。これは洋装ではあり得ないことです。

こう考えると和装は、「日本固有の民俗衣装として、美しいと認めながらも、現実味の無い衣装」になっているように思います。着用するまでのハードルは高いと考えがちですが、一歩踏み出してみると、意外に大丈夫との声も多く聞かれます。一人でも多くの人に装って頂くためには、様々な場面を通して、地道に啓蒙していくよりほかに、手は無さそうです。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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