バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

山口伊太郎の織(4) 厳島平家納経文 金引箔袋帯

2020.11 03

山梨の銘菓として、幅広く知られている信玄餅。うちでも、県外から来店されたお客様へのお土産、あるいは出張の際の手土産としてよく使っている。きな粉をふりかけた餅を一個ずつ別包みし、添えてある黒蜜をかけ、楊枝で食べる。私などは、とりわけ何ということもないお菓子だと思うのだが、お渡しすると皆さんが喜ばれる。

この信玄餅、実は製造元が二軒ある。圧倒的に高いシェアを誇るのが、桔梗屋の桔梗信玄餅。そしてもう一軒の金精軒が作る名前は、ただの信玄餅である。形状や食べ方はほぼ同じで、類似商品と言っても良いだろう。

 

信玄餅が誕生したのは、1968(昭和43)年。先に製造したのは桔梗屋で、4年後に金精軒が後を追った。最初桔梗屋の信玄餅には、桔梗の文字がなく「信玄餅」として売り出されていた。しかし金精軒が製造を始め、これを「信玄餅」として売り出すと、桔梗屋は名前を変更せざるを得なくなる。

それは金精軒が、「信玄最中」と名前が付いた類似菓子を先に販売していたためで、商標の問題から、桔梗屋は「信玄~」と名前を被せた商品を販売することを、回避したのである。わざわざ「桔梗」の名前を前に付けて、信玄餅を販売しているのは、そんな理由からだ。だが今、桔梗屋には「信玄桃」と名前が付いた商品があるので、信玄という冠を単独で使えないこともないようだ。いずれにせよ、もう40年以上前のことであり、調べてみても真相ははっきりしない。

現在「信玄餅」の登録商標を持っているのは、後発の金精軒。けれども、商売上手の桔梗屋に、売り上げではかなり水をあけられている。

 

さて信玄餅と同様に、県を代表する銘菓として知られているものが、幾つかある。例えば、東京なら「東京ばなな」だし、北海道は「マルセイバターサンド」、京都は「八つ橋」で、静岡は「うなぎパイ」。そして、広島のお菓子と言えば「もみじ饅頭」である。カステラ生地にこしあんが入るもみじ饅頭は、日本三景の一つ、安芸の宮島・厳島の銘菓。現在は20軒ほどのメーカーが味を競い、島内には饅頭屋が軒を並べている。おそらく多くの参拝客が、土産として求めて帰るのだろう。

平家一門の栄華を象徴する厳島神社。平清盛が創建した瀬戸内海に浮かぶ広大な社殿は、幾つもの回廊で結ばれていて、建立物のほとんどは、国宝や重要文化財の指定を受けている。そしてまた所蔵されている品々も、貴重なものが数多い。今日はそんな中でも、抜きんでて芸術性が高く、平安末期の美意識を知ることが出来る貴重な品・平家納経をモチーフにとった、紫紘・本金引き箔の袋帯をご紹介することにしよう。

 

(厳島 平家納経文 本金箔手織六通袋帯・紫紘 山口伊太郎 仙台市・O様所有)

「平家にあらずんば、人にあらず」と言われたほど栄華を極めた平氏。平安時代晩期、皇位継承問題や摂関家の内紛に乗じ、力を付けた武士が権力を握る。1156年と1160年に起こった保元・平治の乱を契機として、平清盛が初めての武家政権を樹立。

その清盛が、厚い信仰を寄せたのが、厳島神社である。この神社の創建は、593(推古天皇元)年と古いが、清盛が権力を高めていくに従い、大規模な社殿が造営されていき、共に栄華を極めた。海に浮かぶ広大な社は、1168(仁安3)年に建立されたが、これに先んじて1164(長寛2)年には、清盛が一族の繁栄を祈念して、厳島神社に経を納めている。これが今もよく知られている「平家納経」で、法華三部経とされる開経無量義経や結経観音賢経に、阿弥陀経や般若心経を加えた32巻で構成される。

この経は、多くの人が分担して一巻ずつ経を写す「一品経(いっぽんきょう)」の形式を採っている。筆をとったのは清盛を始めとして、子の重盛や弟の経盛、教盛、頼盛など一族の者であり、多くの者が名を連ねていることからも、一門の安寧と隆盛を願っていたことが判る。

 

装飾経・平家納経の料紙に描いた図案が、帯のモチーフになっている。

こうした納経には、経文を書く台紙、表紙や見返し、さらに巻物に使う軸や紐にまで装飾を凝らす・装飾経あるいは装厳(しょうごん)経の様式がとられているが、そこには時代ごとに、特徴のある優美な芸術が具現されている。

装飾経は、すでに天平期に生まれているのだが、これは、聖武天皇の時代を始めとして、仏教信仰を背景とした鎮護国家思想による国の運営があったからである。奈良時代を代表する納経には、全国の国分寺に安置されている「金光明最勝王経」や、東大寺の二月堂に伝来する「紺紙銀字華厳経」があるが、いずれもが、国家が仏教の保護事業の一環として行った写経であった。

 

だが平安期になると、権力を握った摂関家・貴族や寺社の者が、自らの栄達や一族の未来永劫の繁栄を願い、経を写すようになる。その背景にあるのは、奈良期から続く法華経信仰と、この時代に流行した末法思想による、極楽浄土を願う心である。

こうして描かれた装飾経・平家納経は、この当時絶大な権力を誇った平清盛が奉納したものだけに、贅を極めた施しが散りばめてある。各巻は、表紙を金銀の金具で飾り、見開きには経の大意を記した大和絵が描かれている。そして、経を写した台紙には装飾を施した「料紙(りょうし)」を使っている。料紙とはあまり聞きなれない紙の名前だが、染料や顔料で色を付けたり、金銀の箔加工がほどこされた和紙を指す。

ここで箔を使うことは、文字通り「箔を付ける」こととなり、金銀の切箔や、箔を細く裁断した野毛(のげ)と呼ぶ加工を使ったり、水で溶かした粉末の金銀泥(きんぎんでい)を細かく裁断し、砂子(すなご)として散らすなど、多彩な技法で紙を彩った。

 

平安期には、詠われる和歌や描かれる物語を描くのに相応しい、美しい施しのある料紙が求められた。その中でも、装飾料紙を使った代表的な作品が、平家納経であり、源氏物語絵巻であったのだ。

ご存じの通り、山口伊太郎翁が率いた紫紘は、源氏物語絵巻の織復元をはじめとして、平安貴族的な優美さをモチーフとした品物を数多く製織している。やはりこの平家納経文も、源氏物語絵巻同様に、料紙芸術を帯として再現した作品と言えるだろうか。

ではどのような図案、施しをしているのか、帯を仔細に見ていくことにしよう。

 

図案は、細密な花鳥風月と雅楽器で構成されている。地空き部分が少なく、ほぼ帯幅いっぱいに模様があしらわれている。帯姿は豪華にして優美。ただ、一つ一つのモチーフが細かくて小さいので、地に金引箔を使っていても、畏まり過ぎてはいない。無論フォーマル帯だが、黒・色留袖用としてだけでなく、幅広く使うことが出来るだろう。

こうした引箔糸で細密な図案を織り込んでいく、いわゆる「手の掛かる帯」は、通常では材料や織手間を少なくして価格を抑えようと考えて、お太鼓と前だけに模様付けをする「お太鼓柄」にしてしまうことが多いが、この帯は織丈が多い六通になっている。

当然太鼓柄に比べると、コストも手間もかかるが、帯いっぱいに広がる料紙模様は、実に華やかで贅沢。おそらく紫紘は、この平家納経文を、帯というより美術品として位置付けているのではないだろうか。こうして見ても、それだけの価値が、十分に伺える仕事になっている。

 

蝶や様々な鳥、そして四季折々の花姿。細密な織で、出来る限り写実性を持たせて表現されている。これこそが、紫紘の技術の真骨頂であろう。こうしたリアルな織は、文様を形成する経糸・緯糸を、各々の図案のところで、組織や密度、あるいは糸の太さを変化させている。気の遠くなるような手間と、優れた技術があってこそ、奥行きや立体感のある模様が生まれる。

 

上から、琴・琵琶・笙・横笛。この帯を、より優雅に印象付けている数々の雅楽器。特に琵琶は、平家を語るには欠かせない。不思議なことに、こんな古典楽器が図案の中に含まれると、もうそれだけで王朝的な雰囲気が漂いだす。

画像を見て頂くと判るように、琴や琵琶の弦一本、笙の竹管一本も、織で細密に表現されている。しかも、きめ細かく配色を変えていて、この帯で使っている杼の数は一体幾つなのかと思ってしまう。これだけ精密で多色な紋図を基とする帯は、いくら熟練した腕を持つ職人としても、一越織るにも、かなり時間を要すだろう。

 

上から、女郎花・桐・撫子。模様範囲が広い六通だけに、四季を通じた様々な花があしらわれている。帯の地は、シャンパンゴールドと呼べそうな、煌びやかな輝きを持つ金の色。図案の配色はやや抑え気味だが、強い金色の中にあっても、一つ一つの存在感は消えていない。しかも、地の中から浮き立つような模様の姿になっていて、この帯のコンセプトである貴族的な優美さが、より助長されているように思える。

写す時の光の当たり方で、画像の色はかなり変わる。なので、ご紹介した帯全体の画像と模様細部の画像では、まったく色目が違って見えている。別の帯のようにもなってしまったが、私の稚拙な写し方が原因なので、どうかお許し頂きたい。

 

紫紘が文様の名前を箱書きした桐箱に、仕立て上がった帯を入れて、納品する。

うちでこの帯を扱ったのは、3年ほど前になる。この時は、仙台在住の方から丁重な手紙で、この紫紘・厳島平家納経文の照会を頂いた。きっかけは、このブログ。紫紘の帯を数多く紹介していたので、それを読まれて、「紫紘の品物ならこの店で」と判断されたのだった。バイク呉服屋にとっては、思ってもみない有難いお話だった。

ブログには、価格を載せていないので、連絡を受けない限り、詳細な照会はしていない。だから、商いに結び付くまでには、かなり高いハードルがあるのだが、たまにそれを乗り越えて、声を掛けて下さる方がおられる。紫紘の帯は、うちで最もよく「声が掛かる」品物である。きっとそれだけ、この織屋の帯は魅力的なのだろう。

 

今日は、山口伊太郎の織として四点目の「厳島平家納経文」を取り上げてみた。また次回も、日本人の琴線に触れるような美しい平安文様をご案内したいと思う。最後に、この帯に合わせて誂えを依頼された「唐草に雅楽器文様・訪問着」とのコーディネート画像をご覧頂きながら、稿を終えることにしたい。

 

「平家にあらずんば人にあらず」の裏返しとして、「驕る平家は、久しからず」があります。どんなに強大な権力を持っていても、永遠には続かず、いつかは終わりが来る。自分の地位に胡坐をかいた傲慢なふるまいは、いずれ仇となって必ず帰ってくる、という喩えです。

政治家に贈る花として人気が高いのが、胡蝶蘭。大臣室などに飾ってあるのを、よく見かけます。しかし私だったら、釈迦が涅槃(亡くなる)の際に横たわった木・沙羅双樹(しゃらそうじゅ)を、贈りたいと思います。別名・夏椿の美しく白い花は、朝に咲いて夕には花を落とす「はかない花」。平家物語の冒頭で、「諸行無常、盛者必衰の理を示す」と語られているのは、こんな花の姿があるからです。

権力とは、そんなに振りかざしたいものですかね。私にはさっぱり理解できませんが。今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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