バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

2月のコーディネート  雪紬を、ビビッドな楊梅色で着こなす

2019.02 19

バックパッカーだったバイク呉服屋は、若い頃、何度か危ない目に会っている。誰も訪ねない山野や海岸べりばかりか、時には無人島にまで足を踏み入れていたので、不測の事態に遭遇するのも、当然と言えば当然である。

獣の影に怯えたり、道を彷徨って難渋したり、天候の急変で身動きが取れなくなったりする。連れがいることは稀で、大抵一人。しかも、人里離れている場所なので、助けを求めようにも誰もいない。だから、自分で窮地を脱する以外には方策は無かった。今まで何とか無事でいられたのは、運が良かったという他はない。

 

その中で、「もう終わりだ」と死の恐怖に苛まれたことがあった。もう40年近く前、下北半島の尻屋崎での出来事である。考えてみれば、そもそも厳冬期の1月に、この岬に歩いて辿り着こうとする自体、無理があった。

尻屋崎は、下北半島の北東に位置し、津軽海峡と太平洋に面している。寒さに震えながら立つ農耕馬・寒立馬が放牧されている岬として知られており、気候の良い季節には、観光客も多く訪れている。けれどもこの岬、猛烈な風と雪に包まれる冬は、近づくことが危険である。その証拠に、現在12月~3月の間は岬に向かう道のゲートが閉まり、立ち入ることが出来ない。

私が冬の尻屋に挑んだ昔は、道も整備されていない代わりに、何の規制もなかった。下北半島の中心・大湊から、一時間ほどバスに揺られ、尻屋の集落に着く。この日は、折から横なぐりの雪が降っていて、最悪の天候だった。30分ほど歩いて岬が見え始めると、道が途切れて海岸べりを歩くしかなくなる。海に出た途端、風は猛烈になり、雪で全く前が見えなくなった。そして、一歩進むのも難しく、そればかりか息をすることも出来ない。

北海道では、家の庭先で吹雪に巻かれて死んでしまう事故のニュースが、年に何回か伝えられるが、この時の私が、まさに「吹雪に巻かれる」状態だったように思う。それでも、あえぐようにして、何とか岬を目指したが、あと100mほどのところで、ついに倒れてしまった。

そして、気を失った。どれくらいの時間が経ったのかは、判らない。気が付いてみると、波打ち際で足元に水が迫っている。死の恐怖が、いっぺんに押し寄せてきた。同時に、「こんな所では死ねない」という思いが、沸々とわき上がった。そこで、ザックの中からシャツを出して、頭と顔をすっぽり覆う風除けを作り、何とか立ち上がった。岬に背を向けて歩き始めると、風は向きが変わり、ようやく窮地を脱することが出来た。

 

私は、冬になると、尻屋で倒れた時に見上げた、鉛色の空を思い出す。死の世界に吸い込まれそうな、鈍い色。忌まわしい思い出だが、忘れられない「冬の色」である。

四季を持つ日本では、季節ごとに相応しい色がある。薄ピンクは、桜を連想する春の色、若草色は、木々が萌える初夏の色、臙脂は葉の色づく秋の色。「シーズンカラー」をまとえば、自然に旬を意識した着姿になる。そこで今日のコーディネートでは、冬の色を使い、凛とした装いを作ってみたい。無論その色は、バイク呉服屋を死に追いやろうとした、「鉛色」では無い。

 

藍色草木染・米沢紬絣  濃楊梅色 小梅模様・塩瀬染名古屋帯

配色に青と白だけを使った品物は、そのコントラストに季節が漂う。しかもそれは、夏と冬という相反する季節。色の中でも青は、嫌う人が少ないと言われている。ゆるやかにグラデーションの掛かった澄んだ空の青、時には蒼く、時には碧く映す海の青、そして、薄水色をイメージする水の流れ。青は、人々の生活の中に溶け込んだ色だからこそ、誰もが、ごく自然に良い印象を持つのだろう。

この青と、どの色にも染まっていない無垢な色・白を組み合わせると、季節が表れる。青空と白い雲、そして海や川の水面には、夏の爽快さや清涼感があり、これを雪の白さと見れば、青が持つ冷たさにより、冬独特の静謐さが表れる。

今日は、冬の厳しさの中にも、凛とした姿を映す、青と白を組み合わせた紬を使って、今の季節にふさわしい装いを試みてみよう。

 

(藍・五倍子 鰹縞小格子絣 「雪つむぎ」 草木染米沢紬・野々花染工房)

青は、深みを増すごとに、毅然とした色の姿となる。この紬の表情にも、厳しい冬の冷たさが、その色から感じられる。そこに均等に間隔を置いて並べてある絣は、冬空に舞う雪を表しているのだろう。製作した米沢の野々花工房が、この品物を「雪つむぎ」と名付けているのも、そんなイメージからかと思える。

そして、地の藍色には、縦状にグラデーションが付いている。このような、藍の段々縞模様のことを、「鰹縞(かつおじま)」と呼ぶ。これは、背から腹へと、段々に藍の色が変化する鰹の体色に似ているからである。この濃淡が、紬の表情をより豊かに際立たせている。

縞の太さもまちまちで、濃い色から薄い色へと、三段階に変化する。

藍染は、ご承知の通り、摘み取って乾燥させた藍葉に水をかけ、発酵させた蒅(すくも)が原料となる。これを藍甕の中で灰汁と混ぜ、20℃ほどの温度を保ちながら、発酵促進のためにふすまや石灰、酒を混ぜる。こうすると、甕の中には泡が立ち、染色できる状態となる。これを「藍が建つ」という。

この染液にどれだけ糸を浸すかにより、色の濃淡が変わる。薄い青を求めるならば、ほんの少しだけ甕に浸して、すぐに引き上げる。こんな薄色を、「甕覗(かめのぞき)」と呼ぶ。甕にしっかり浸すのではなく、覗いた程度で染めを終えるからだ。また、濃い色に仕上げるならば、甕に浸しては乾燥する工程を、何度も繰り返す。そうすると、どんどん藍の色は深まり、黒に近くなっていく。

色の濃淡は、染工程の頻度と関わりがあるが、色質は様々な条件で変化する。それは原料の藍葉の違いであったり、蒅作りの際の環境であったり、発酵させる時の気象条件であったり、千差万別で、同じ色を出そうと試みても全く同じ色にはならない。

以前、野々花工房の六代目・諏訪豪一さんから、藍建ての話を聞いたことがあったが、毎年同じ畑で育てた藍葉で蒅を作り、同じ手順で発酵させて藍液を作るが、出来は全く違うと言う。思い通りになることもあれば、上手くいかないこともある。条件を同じにすれば済むものではなく、藍のご機嫌を伺いながら、その都度臨機応変に工夫していく。その試行錯誤こそが、藍染めの難しさ、奥深さなのだと。

この紬に表れている、濃淡の鰹縞。美しいグラデーションの裏には、染め手の求める色へのこだわりと、それを生み出すために続いている日々の努力が隠されている。

最も深い青・鉄紺色の縞の中に、十字絣で格子模様を作っている。

絣を象徴する美しさは、染めた糸の滲みとズレと言われている。絣糸は、織り出す絣模様の部分を糸で括って防染した上で染めるが、括った両端には、どうしても色が滲みでてしまう。そして糸は数十本を一緒に括って防染するので、括り目の色の滲み具合が、一本一本異なってくる。この滲みが「絣足(かすりあし)」で、藍染では、この足の色が、深い褐色から、青鈍(あおにび)、納戸(なんど)、縹(はなだ)、浅葱(あさぎ)と徐々に濃淡に変化し、多彩な表情となって表れてくる。

絣糸そのものに色ムラがある一方で、織の工程でも、僅かな模様のズレが、美しい絣を生み出す。先に述べたように、滲み具合の違う「まだらの絣糸」を機に掛けて織ると、絣模様を合わせていても、自然に微妙なズレが出て来てしまう。言うまでも無く絣は、経糸と緯糸が交差することで表れるが、その時には、糸の太さの違いで屈曲し、ズレが出来る。それこそが、模様が「擦れる」原因なのだ。

横に並んだ三つの同じ絣模様。だが一見同じに見えても、絣足には、それぞれ違う表情を持つ。皆様にもそれが、画像から見て取れるように思う。

絣は、括り時の糸の色滲みと、織った時に生まれる自然なズレで生まれ、それは、作り手の意思ではどうにもならない、工程上での不作為の産物。括り糸を染める職人も、出来る限り色の滲みを抑えようと試み、織職人も、模様が崩れないようにと努力をする。しかしながら、出来上がった品物には、人の力ではどうにもならない、誤差が生じる。この模様の「崩れ」こそが、絣の美しさなのだ。それは、人智を越えた自然の造形美とも言えるだろう。

では、米沢の厳しい冬の中で生まれたこの藍染絣には、どんな帯を使えば良いのか。少しだけ春の気配を感じる、今の季節に相応しい姿を考えてみたい。

 

(濃楊梅色地 文様梅散し模様 塩瀬染名古屋帯・菱一 売約品)

この帯に目を止めたのは、この鮮やか過ぎるビビッドな黄地色があったからだ。これほど、こっくりとした黄色を使った染帯は、あまりお目にかからない。黄系の帯は、キモノの地色をあまり選ばずに合わせることが出来る、使い勝手の良さがあるものの、この色は強烈である。

けれども、インパクトがあるからこそ目に付いた訳で、上手く使えば、個性的な着姿を演出出来る道具になるはずだ。難しい帯だからこそ、使い道を考える楽しさもある。一般的には手を出し難い品物だが、キワモノ好きのバイク呉服屋のツボを捉えて放さず、思わず仕入れてしまった。

この黄色は、楊梅(ヤマモモ)色と呼ばれる。ヤマモモは、本州南部に自生する常緑樹で、薄いピンクの小花が咲き、桃のような紫紅の実を付ける。もちろん実は食用になり、果実酒やジャムの原料として使うことが多い。

ではなぜこの黄色が楊梅色かと言えば、古来よりこの樹皮が、黄色染料を抽出する原料として使われてきたからである。ヤマモモの樹皮を煮出して抽出液を作り、そこに媒染剤(発色の仲立ちとなる溶剤)として、アルミニウム塩・明礬を使うと、黄色が得られる。また、鉄塩を使えば茶色となる。これは、ヤマモモにタンニンが多く含まれていることが要因。ヤマモモ染は、染色後に耐水性が強くなることから、以前は魚網を染める際に、よく使われていた。

ヤマモモの中国名は、楊梅。それを意識したかどうかは判らないが、帯にあしらわれている図案も梅である。散らした梅には、四菱や雪結晶、切金など小さな図案が組み込まれたものと、紫色の型染疋田、さらに梅型にくり抜いた図案が一緒に配されている。

一つ一つの梅は間隔を開けて散っているため、地色の楊梅色が印象に残る。けれども、工夫された小梅は、どれも可愛い姿になっていて、それがこの帯の楽しさでもある。

蛇足だが、この帯を扱った東京の老舗問屋・菱一は、今月末を持って営業を終えてしまう。また一つ、専門店に向く品物を扱うメーカー問屋が消えていく。こうして市場からは、質にこだわった個性的な品物が無くなっていく。バイク呉服屋にとって、今回の菱一の廃業は、大変憂慮すべき事態となっている。近いうちに改めて、「菱一」についての稿を書きたいと考えている。

さて話を戻して、このビビッドな黄色を雪紬絣に合わせるとどうなるのかか、早速試してみよう。

 

互いの色を引き立たせる「補色」の関係を、マンセルの色相関で考えてみると、黄色と最も相性が良い色は、青あるいは青紫である。ということは、この藍絣と楊梅色帯は、ほぼ補色になっていると言えるだろう。

補色を意識したコーディネートの特徴は、色が正対している品物を合わせることによって得られるメリハリにより、インパクトのある着姿を作ることができることだが、互いの色目が濃すぎたりすると、目立ちすぎて、ややきつい印象を残す恐れもある。

今日の組み合わせも、キモノの藍色は深く、帯の楊梅色はきついので、この懸念はあったのだが、こうして合わせてみると、キモノは絣の白が、また帯は梅散しの図案が、互いの地色の強さを和らげているように思える。これならば、「きつい」のではなく「キリリ」としたイメージを残せるだろう。

前の合わせ。梅図案の中の配色が、ほぼ青と紫に限定されていることが、この藍絣とのバランスを良くしている。控えめであっさりした太鼓柄には、地色の強さを抑制する効果がある。これが通し柄の帯ならば、着姿に「くどさ」が出て来てしまう。

帯〆を濃くするか、薄めるかで少し迷ったが、薄くしてしまうと、キモノと帯の中に埋没してしまって、締まらないような気がした。そこで、少し濃い群青色を使ってみた。普段バイク呉服屋は、薄地の共色を合わせて、控えめな姿を作ることを好むのだが、このようなビビッドな色の取り合わせには、また違う魅力がある気がする。     (水色段暈し帯揚げ・加藤萬  群青色ゆるぎ帯〆・龍工房)

 

今日は、青と白が持つ冬の清冽さを、どのように着姿で表現出来るか、試みてみた。目にも鮮やかな黄色の帯との合わせは、その小さな梅模様と共に、そう遠くない春の訪れをも感じさせてくれるだろう。皆様も、残り少ない冬のコーディネートを、旬を意識しながら、ぜひ楽しんで頂きたい。

なお、ご紹介した楊梅帯は、この稿を書く前に売れてしまった。ただ藍絣はまだ残っているので、またこのキモノに合う帯を見つける必要がある。呉服屋の商売は、なかなか思うように行かないものだ。最後に、今日ご紹介した品物を、もう一度どうぞ。

 

バックパッカーは、時間を自由に使い、自分の意思だけで、行きたい所へ自由に行くことを基本にしています。この旅の定義は、旅をする人によって異なりますが、現地のありのままの姿を見ることや、そこに生きる人々との交流が、大きな目的となります。だから、バックパッカーの基本は、無計画・行き当たりばったりということになります。

最低限の荷物をリュックに背負い、最低限のお金を持って、家を出ます。もちろん、帰る日などは決めていません。そして、粗食を受け入れ、寝る場所はどこでも問いません。この覚悟が無ければ、行き着く場所の本当の姿は見えて来ないからです。

欧米ではバッグパッカーの体験を、一つの教育と捉えている側面があり、今も多くのリュック姿の若者が、世界中を歩いています。しかし、日本では今、自由な時間があるはずの大学生さえも、外に目を向けようとせず、狭い関わりの中で生活しています。視野を広く持つことが出来る旅の経験なしに、社会に出ることが、長い目でみて良いとは思えません。

 

冒頭にお話したように、バックパッカーの旅には危険が付きモノで、そこで何が起きても、自己責任となります。私も、「俺は、畳の上では死ねないな」と思っていた頃がありました。けれども何故か今は、「畳の上で、仕事をしている」のです。

年は重ねましたが、いつまでも、バックパッカーだった頃に持っていた「本当の姿を見極めること」を大切にして、残りの人生を過ごしたいと思っています。

今日も、長い話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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