バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

多彩な技を駆使した「絞りコート」で、春の街を歩く

2019.02 26

例えば、直線を同じ長さで10本、何も使わずに紙に書くとしよう。フリーハンドでは、まっすぐにスジを描けるはずもなく、線の形状は一つとして同じにはならない。これは、どんなに優れた設計士や美術家が描いたとしても、同様である。

では、定規を使えばどうなのかと言えば、この道具を使ったとしても、無理である。確かにフリーハンドよりも、格段に真っ直ぐにはなるが、描く人の力の入れ具合で線の太さが違ったり、所々に僅かな歪みが生じることは、避けられない。書いた後の線を良く見れば、やはり10本が10本とも違っている。

 

この、出来うる限り「定規でまっすぐな線を引く」ことを求められる仕事が、染の世界にはある。江戸小紋の「万筋」である。ご存知の通り、小紋を作るには、模様の原型・型紙を起こさなければならないが、江戸小紋の場合は、描く模様によって様々な小刀を使い分け、型紙に図案を彫りぬいていく。

万筋は、反物の端から端まで細かい線を並べた、いわゆる「縞模様」のことで、図案としては単純だが、この真っ直ぐ均等にスジを引く作業には、熟練した技術が必要となる。そして、これを習得することは並大抵ではない。

細い線が短い間隔で沢山並ぶことを、「万」と例えて名前が付いた縞だが、この模様の型紙彫りの達人だった人間国宝・児玉博さんは、僅か1ミリの間隔で、スジを引いていた。型彫りは、型紙を7、8枚重ね、一本の線を一度に引くのではなく、三回に分ける。力まかせに一度で引いてしまうと、型紙が浮き上がってしまい、染める時に生地に馴染まなくなるからだ。

真っ直ぐに線を引くので、当然定規を使うのだが、微妙な力の入れ方一つで筋の表情が変わってしまう。型紙は、染め上げた時の模様となり、ブレや乱れが模様の歪みに直結してしまう。だからこそ、寸分の狂いも無い、真っ直ぐで均等なスジが求められる。

だが、「児玉の前に児玉無し、児玉の後に児玉無し」と言われた名人・児玉博にしても、「自分で100%満足のいく型紙は、まだ出来ていない」と生涯言い続けていた。ただただ、「真っ直ぐな線を引く」ことに生涯をかける、そんな職人の存在が、日本の伝統衣装を支えてきたのである。

 

小紋型紙に限らず、友禅の糸目糊置きにしても、色挿しにしても、人の手を尽くした品物には、どこかに必ず「ブレや揺れ」が施しに表れる。高い技術を持ち、人智を尽くして仕事をしても、完璧にはなりえない。この、ほんの僅かな滲みや擦れこそが、「人の手仕事」である証だ。それは、職人の努力の痕跡とも言えよう。

2月も終わりに近づき、朝晩の寒さも少しだけ緩んで、春の足音が遠くに聞こえてくるが、キモノでの街歩きには、羽織るモノがまだまだ必要である。そこで今日は、人の手仕事の跡が、模様の表情となって残る技法の一つ・「絞り」を使ったコートを、ご紹介してみよう。様々な「絞り方」で、多彩な模様が表れるその姿を、楽しんで頂きたい。

 

絞りの羽尺(羽織・コート用生地)で誂えた、三点の道行コートと道中着。

一口に絞りと言っても、その方法は多彩だ。そもそも絞りとは、生地の一部を糸で括ったり、縫い締めたり、道具を使って締め付けたり、挟んだりして、染料の浸潤を防ぐ染技法。この方法を使うと、染め上げた時に絞りを入れた箇所が、ある種の模様となって表れる。これは、極めて原始的な染色方法であり、工程の全てを、機械で代用することは難しい。

先にお話した、江戸小紋のような型紙を使うものや友禅では、作り手が思うように模様を描いて彩色も出来るが、絞りには、技法的に制約があるため表現の自由度が下がる。しかし、特有な技法で生み出される模様は、他の方法では表現出来ない、独特の美しさを持つ。

例えば、生地の表面に表れる凹凸は、模様に立体感を産み、それが着る人に柔らかな風合いを感じさせてくれる。また、絞りであしらわれた模様をよく見れば、染料の滲みが残り、これが人の手仕事であることを感じさせてくれる。絞りとは、作り手の仕事が、そのまま模様に投影される技法なのである。

 

これまでこのブログの中では、多彩な絞り技法を駆使した、豪華な振袖や訪問着をご紹介してきたが、軽くてふわりとした着心地を持つその特徴から、羽織やコートとしてもよく使われてきた。今日ご紹介する三点は、最近手直しのためにお客様から預ったもので、いずれも今から30年以上前にうちで扱った、いわゆる「昭和の品物」である。

では、それぞれにどのような技法が駆使されているか、見ていくことにしよう。

 

(白地 大唐花模様 小紋バッグ疋田絞り 道行コート・藤娘きぬたや)

陽光溢れる南フランスの窓辺を連想させるような、大きな洋唐花をあしらったモダンな絞りコート。白地に橙と緑の花が、生地いっぱいに浮き立つように咲き誇っている。見る人が、思わず振り返りたくなる華やかで若々しい図案。

この品物は、まず白生地に型紙を置いて模様を染め付けた後、生地全体に疋田絞りを施している。つまりは、小紋染と絞りの併用である。模様そのものが絞りで表現されていないので、あまり手は掛からないが、その分自由に図案を考えることが出来る利点がある。きぬたやでは、この手順を踏んだ品物を、「小紋バック」と呼んでいる。これは、「小紋柄の背景に絞りがある」と言うことになるか。

生地の表面を拡大すると、疋田の表情がよく判る。多彩な技法を使っている訳ではないが、生地の端から端まで、全て疋田で絞るという作業も大変な手間である。

疋田は、小さな白い丸型がまばらに飛んでいて、その形状が仔鹿の斑点に似ていることから、「鹿の子」とも呼ばれている。どちらかと言えば、この名前の方に馴染みのある方が多いかも知れない。

鹿の子絞りには、人の手を用いた「手結び鹿の子」と、機械を使う「機械鹿の子」があるが、京都で発達した鹿の子は、人の手で糸を括っていくものが多く、名古屋・有松の鹿の子は、機械で括るものが多い。この機械は、木製絞り台の上部に、金属製の腕木と鉤針が取り付けてある、極めて簡単な道具。このコート地は、名古屋の絞りメーカー・藤娘きぬたやが製作したものなので、おそらくは機械鹿の子だろう。

この品物は、元々が絵羽織だったことから、模様合わせが施してある。つまり、どの位置にどの模様が出てくるかが、決まっている。ボタンは、残った絞り生地を使って「クルミボタン」にしている。こんなところにも、仕立の丁寧さが伺える。

コートの前身頃。これで、模様合わせの意図がある品物だと判るだろう。このコート丈は2尺2寸と短いが、元々が要尺の短い羽織・コート用なので、長い丈にはならない。羽尺の長さは、せいぜい2丈6尺程度。これでは、どうしても寸法に限界がある。昭和40~50年代の羽織やコートの丈は、短いものが主流で、中には2尺を切るような品物も見受けられた。

今は、2尺5寸以上もある長羽織や長コートを依頼されることが多いが、この丈を出すためには、従来の羽尺では無理なので、3丈3尺以上の長さを持つ着尺(キモノ用の反物)を使っている。

 

(白黒地 雲取り模様 飛び絞り疋田小紋 道行コート・藤娘きぬたや)

最初にご紹介した、模様を先染めした「小紋バック」とは違い、模様そのものに絞りを施したコート。模様以外の地は、こちらも全て疋田絞りであしらわれている。

絞りの中でも、このような白黒モノトーンの品物には、独特の雰囲気がある。疋田の立体感と、白さと黒さを交えた色が醸し出す姿は、何とも言われぬ美しさを持つ。黒の強さを絞りが柔らかく包みこんで、優しい表情になっている。

所々に飛んであしらわれている模様を、拡大してみた。わざと絞りを入れず、元の黒場を図案として使っていることが判る。また、この地の空いたところに丸い粒状の模様が見えるが、ここは平縫絞を使っている。この技法は、生地に絵刷りした線や模様を、木綿の針で細かく運針し、縫い取っていくもの。

絵刷り(えずり)とは聞き慣れない名前だが、絞りの模様は、デザインを決めたところで型を彫り、その型紙を使って下絵を刷る。これが絵刷りである。この絵の線に沿って様々な技法の絞りを入れ、模様を作っていく訳だが、下絵は、絞りを施してしまえば見えなくなる。この辺りは、友禅の糸目糊置きの前に描く青花の下絵と同じである。京都や有松・鳴海には、この絵付け・型彫りを専門とする職人がまだいる。彼等はさしずめ、絞り染の水先案内人ということになるだろうか。

最初の絵羽付けになっているコートとは異なり、模様はランダムに付いている。これは飛び柄の小紋と同じように、仕立をする際には、バランスよく模様が散るように工夫する必要がある。

雲か勾玉、あるいは鳥にも見える不思議な模様。最初の華やかな大唐花コートとは、全く印象が異なる個性的な道行。羽裏は、立枠の面白い小紋柄。使う人の裏へのこだわりが伺える。

 

(深紅色 黒手筋模様 柳絞り小紋 短丈道中着・藤娘きぬたや)

鮮やかな紅地の所々に、不規則に付いている黒い筋。ここに、柳絞りという技法を使っている。絞りを入れた目は、そのまま模様となって表れている。疋田を使った上の二点とは、かなり印象が違う。

赤と黒の配色だが、着姿にそれほど強いイメージは残らない。それは、緩やかな絞模様のラインに、柔らさがあるからだろう。

黒い筋目を拡大したところ。このように、筋の目が浮き上がって表れる絞りが手筋絞りで、これは生地の巾に、数十本の筋目を立てて絞る。

この技法は、まず生地全体に軽く水分を持たせ、筋襞(すじひだ)をとりやすくしておく。そして、布の先端を30本ほど折りたたみ、裏から芯をあてがってから、しっかりと糸で括る。この品物に見える「柳絞り」では、枝垂柳のような柔らかい模様の表情となるように、芯に布を巻いて、筋襞を柔らかく取る工夫が施される。

糸括りを終えた生地は、竹製の絞り台に挟み込まれ、順々に襞を取りながら縄芯に巻きつけ、一本の縄のように絞り上げていく。この時の縄は、まるでゴムホースのような形状をしているが、これを回転器具に巻きつけ、縄布を回転させながら、掛け糸(仕上げ糸)を約4ミリ間隔に上巻きして、染色する。この、布を回転させながら糸を巻く作業を、「竜巻加工」と呼ぶ。

道中着の衿に表れている、ゆるやかな筋目。風に揺らぐ枝垂れ柳を連想させる、自然な模様の姿となって絞りが表れている。裏地は、薄ピンク色の大きい菊花模様。

道中着の前姿。道行コートよりもっと気軽な感じで使える、まさに普段使いの上着。昭和の頃は、ウールや木綿キモノの上に、こんな道中着をひょいと引っ掛けて、近所に買い物に出掛けていたのだろう。そんな姿が目に浮かぶ品物である。

 

道行コートや道中着は、室内に入る際には脱がなくてはならない。だが、外歩きの時には、キモノや帯が直接人の目に触れることは無く、コート姿だけが目に止まる。和の装いの中では、決して目立つアイテムではないが、脇役に凝ることも、あって良いのではないだろうか。

上から羽織れば、ふわりとして軽やかな姿に映る「絞り」。暖かくなるこれからの季節には、なおふさわしいだろう。ご紹介してきた以外にも、沢山の技法があり、それぞれ特徴のある模様の表情を持つ。ぜひ皆様も、一度は手を通して頂きたい。そして、小さな粒一つ一つに込められた職人の仕事に、思いを馳せて頂ければと思う。

 

機械ならば、寸分の狂いなく100本の線を、全く同じに書くことが出来るでしょう。けれども、人の手では絶対に無理なのです。

品物の価値として、同質で均一であることを重視するか。それとも、少々の歪みや狂いがあっても、人の手を尽くして作ったという、その過程を尊重するのか。それは、人それぞれに違うでしょう。しかし、和装における品物の価値基準は、やはり、どれだけ「人の手」が入っているかということに尽きるのではないでしょうか。

けれども、効率重視の今の社会では、この基準が通用しなくなっています。そして「人の手」は、どんどん隅に追いやられていきます。これも「時代の趨勢」と言ってしまえば、それまでですが、大切な何かが置き去りにされているような気がします。私には、時間をかけて遠回りをしたからこそ、見えてくる風景があるように思えるのですが。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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