バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

新春を寿ぐ愛らしい縁起文・福良雀文様

2019.01 11

ひと昔前までは、振袖の帯結びと言えば、福良雀か文庫、あるいは立矢の三つに限られていたのだが、最近では背中一杯に花が咲いたように見せる結び方や、蝶が羽を広げた姿を演出するもの、巾着のように見せかけるものなど、基本の結び形を様々にアレンジした姿が見受けられる。

バラやユリの花弁を表現するためには、細かいギャザーを作らなければならないが、不規則な皺を見ると、帯地を痛めてしまわないかと少し心配になる。上質な帯は、しなやかで復元力があるので、まず問題はないのだが、板を貼り付けたように硬い帯地ならば、結び手も苦労するだろう。

どのような帯結びをしようと、それは自由で構わないのだが、品物を売る側からすれば、帯質に適う結び方も少し考慮して頂ければと思う。そして、帯の織で表現している模様を生かした形にして欲しい。形格好よりも、まず品物の図案が尊重されなければ、調った着姿にはならないのではないか。

 

帯は、丈が1丈2尺程度で(約4m50cm)、巾が8寸(約30cm)だが、この寸法に定まったのは、江戸・享保年間。今から300年ほど前のことなので、それほど古い話ではない。

江戸初期から中期まで、帯は細紐を使っており、結ぶ位置も自由で、結び方も簡単に結わえるか、折り畳むだけであった。丈は6寸5分(2m20cm)で現在の半分ほど、巾に至っては、わずか2寸(約8cm)程度である。それが中期・延宝年間(1673年頃)から、徐々に丈長、巾広に変わり、元禄を経て享保(1716)の頃には、ほぼ現在と同じ寸法に固まった。

初期の紐帯は、キモノの合わせを止める実用的な道具として使われていたが、丈と巾が広がったことで、様々な帯結びが考案され、一挙にバリエーションが広がった。このことが、帯を実用性から装飾性を持つ品物へと変化させたのである。

独創的な帯結びの先駆けとなったのが、延宝年間に活躍した歌舞伎の女形役者・初代上村吉弥。現在と同じ長さの1丈2尺の帯を、後で片結びにした「吉弥結び」が、当時の女性達の心を捉えたのだ。元禄期に活躍した浮世絵の祖・菱川師宣が描いた美人画・「見返り美人」は、あまりにも有名だが、絵の女性は、紅色地に菊と桜を刺繍であしらった小袖を着て、濃緑色地に沢潟模様の帯を締めている。この帯の結び方が、吉弥結びである。このことからも、この時代、いかにこの帯結びが流行していたのかが判る。

この後、役者達は様々な帯結びを考案し、その結び方にはそれぞれの役者名が冠され、江戸の女性の間で広がっていった。吉弥結びの帯先を長く垂らした「水木結び」は、元禄年間の歌舞伎女形・水木辰之助が、背で帯を垂直に立て、一直線に結ぶ「兵十郎結び」は、同時代の女形・村山平十郎が考案したもの。また、下ぶくれのお太鼓から横に水平にたれ先が出る「路考(ろこう)結び」は、享保期の女形・二代目瀬川菊之丞の発案である。路考と付いたのは、菊之丞の俳名(はいみょう・役者が舞台で使う芸名とは違う、もうひとつの名前)からである。

 

帯結びは、江戸後期になるとさらに種類を増やし、その数は20以上を数えた。そして、階級ごとに結び方があり、それは武家女性と町方女性とで系統別に分かれた。

現在帯結びの基本となっている「お太鼓結び」は、1817(文化14)年に、江戸亀戸天神の太鼓橋を見物に来た深川の芸者が、太鼓型の帯結びをしていたことが最初である。この結び方は、紐で押さえて結ぶ方法を取っていたため、後に帯〆や帯揚げを考案する端緒にもなった。

また、大奥女性や武家女性は、立矢結びや文庫結びを常とした。立矢結びは、女性の身分の上下により少し異なり、上級者は立矢の上のたれを立たせ、下級者は短くして折り返す姿になっていた。また、たれを背の位置で横に折りたたみ、手先で巻いて形作る「文庫結び」は品のある武家女性の姿として、使われていた。

文庫結びは、打掛を着用する時に必ず使う結び方で、別名「掛下文庫」と呼ばれているが、この結び方は以前から、丸帯や袋帯を華々しく変形させて、若い女性の礼装姿を形作る基本形であった。ということで、現代のアレンジ帯結び「薔薇結び」や「巾着結び」の原型は、やはりこの文庫結びである。

 

このように、現在、帯結びの基本形となっている三つの結び方、お太鼓・文庫・立矢は江戸後期までに形作られたが、振袖の帯結びとして、これまでもっともポピュラーな姿として知られているのは、やはり福良雀であろう。大きいお太鼓を作り、上でたれを結んで、たれ先と手先で二枚の羽を作るその姿は、ふっくらとした愛らしい雀の子に見える。

「ふくらんだ雀」を「福良雀」と字を当てたこの形は、縁起の良い文様としてもよく使われている。例によって、かなり前置きが長くなってしまったが、今日は今年初めての文様として、お目出度い福良雀を取り上げてみよう。

 

ふっくらと太った「雀の子」を意匠化した、福良雀文様。

街や野山を問わず、四季を通してどこでも見ることが出来る雀は、日本人にもっとも身近な鳥。そのため、文様のモチーフとして使われ始めたのは、平安期からと古い。

春の子雀の姿や、秋の稲穂や枯れ枝に群れる姿、冬の雪の中を群れ飛んだり、寒そうに羽毛を膨らませている姿など、折々の四季を彩るモチーフとして描かれることが多い。それはやはり、雀という鳥が人々の生活と密着しており、人がその姿を観察する機会が多かったからなのであろう。

その中で福良雀文様は、ご覧のように、頭と胴体を丸くして、そこに扇を広げたような羽を付けている。これは、ふっくらと太った雀の子か、寒さのために、体全体を膨らませている姿をデザインしたものと想像出来る。

この独特な形の図案は、「ふっくら」を「福良」と当て字をしたことで、縁起の良い模様となる。そのために、子どもの祝着図案として使われ、新しい年の初めに着用するキモノや帯の模様としても、ふさわしいものと認識されるようになったのである。

 

(ちりめん卵色地 福良雀模様 手描き友禅九寸染名古屋帯・岡重)

卵の黄身のような明るい黄地色に、大中小と形を変えた三羽の福良雀。江戸・安政年間に創業した染屋・岡重の手描き友禅染帯。紺・芥子・臙脂とそれぞれの鳥の羽色を違え、図案の向きも変えている。見ようによっては、親子の雀にも見える。

福良雀は、その図案の愛らしさから、他の模様を付けずに、単独で描かれることも多い。特に染帯では、その傾向がある。明るい黄地色であることも、初春に締めるには、ふさわしい帯と言えようか。

前模様にあしらわれた二羽の福良雀は、紫と茜色で羽を染め分けてある。胴体は瓢箪型で、図案の中には、松・竹・桜・梅・楓のポピュラーな植物模様と、流水のあしらいが見える。一つ一つの模様を見ると、丁寧に糸目を引き、手挿しされていることが判る。きちんと丁寧に作られている品物は、たとえ模様に嵩がなくとも、美しくすっきりとした姿に映る。

また、ぽってりとしたちりめん生地を使っているので、それがふっくらとした福良雀とあいまって、見る者に柔らかい印象を与える帯になっている。合わせるキモノは、藍や紺、また茶系の濃地でも、白や銀鼠系の薄地でも良く、織の紬、染の小紋どちらでも使い廻すことの出来る重宝な帯であろう。

お太鼓の模様。形の異なる三羽の福良雀が、不規則に並んでいる。模様の無い地空き部分が多いことが、よりこの雀の特徴を印象付ける。前模様と同じように、それぞれの雀の胴と羽の色の模様を変えている。

岡重は、1855(安政2)年に創業者・岡島卯三郎が起こした京友禅の老舗メーカーで、二代目の岡島重助が、染色加工を専門とする会社を組織した。社名は、代々の経営者の名前に「重」の一文字が入っている(現在の社長は、岡島重雄氏)からだ。

染帯や小紋、羽裏など、従来手掛けてきたアイテムには、手描き友禅の伝統的な技法を守り、今も丁寧なモノ作りを続けているが、いち早く和装小物にも友禅を取り入れ、バッグや袱紗、ショールやペンケースなど多彩な品物を生み出している。特に、モダンな更紗文様をモチーフにした手染め手作りのバッグは、友禅技術の高い岡重ならではの、美しさと高級感に溢れている。

 

(一越クリーム色地 福良雀模様・手描き友禅訪問着  甲府市・U様所有)

もう一点、福良雀模様を見て頂こう。これは、昨年秋に市内のお客様から預った品物だが、訪問着で福良雀の単独模様とは珍しい。話によると、これは当時ある若い友禅職人に依頼して、誂えで作った品物のようだ。今から30年以上前に誂えたものだが、昭和の頃には、自分が希望する地色や模様を提案して、職人に染を依頼することも容易に出来た。

上前から後身頃、袖、肩とキモノ全体に福良雀が舞い飛んでいる。胴は朱と黒のぼかし、朱の染疋田、胡粉の白の三パターンで、羽の配色は濃紺と白、鶯色と白、そして白だけの三パターン。これを偏りなくキモノの中に配したことで、全体から見るとバランスのとれた模様の姿になっている。

三パターンに彩色された福良雀。優しいクリームの地色が、模様を引き立てている。

いずれにせよ、訪問着としては斬新な品物だが、福良雀の愛らしさがよく表れている。お客様はこの品物を、ご自分のお嫁さんに譲るために、バイク呉服屋に仕立て直しを依頼してきたが、出来上がって着用した姿を拝見したところ、実に若々しく可愛い姿に映っていた。

お嫁さんは、息子さんの五歳の祝いの席で着用したが、縁起の良いこの福良雀の模様は、その祝いになお相応しかったに違いない。お客様も、次代の人に、思い出の残る自分の訪問着を受け継いでもらえたことが、何より嬉しかったようだ。それが、お孫さんの節目の祝いで着用出来たとなれば、なおのことであろう。

 

今日は、新しい年の始まりにちなんで、お目出度い福良雀文様を選び、話を進めてきた。キモノや帯にあしらわれる模様には、それぞれに歴史と、それを使い続けてきた背景があり、そこには文化が存在する。今年も、出来うる限り様々な色と模様の品物をご紹介するので、皆様にはその特徴ある意匠を、楽しみながら理解して頂ければと思う。

私も、読者の方々のキモノライフに、少しでも役立てて頂けるように、この一年も頑張って書き進めたい。

 

私は、保守的な呉服屋なので、やはり振袖の着姿としては、福良雀の帯結びが一番美しいように思います。

上の画像は、以前ブログの中でご紹介した(2015.3.5の稿)品物・成竹登茂男の手による加賀友禅の振袖と、紫紘の黒地扇面模様。着用した時のお客様の帯姿は、ご覧のように福良雀。

福良雀は、別名「二枚扇」と呼ぶことがありますが、左右に大きく羽を広げたその後姿は、長く未婚女性の第一礼装の帯結びとして使われてきた「格調の高さ」を感じます。このお客様は髪型も、日本髪を結われていたので、若々しい中に居ずまいを正した印象が、とても残りました。

今は変化を求め、多様にアレンジした髪型や帯姿が流行しているようですが、和装にとって大切な上品さや慎ましさが、どこか隅に追いやられているような気がしてなりません。こんなふうに思うのも、私が年を重ねたせいでしょうかね。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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