バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

6月のコーディネート・3 お江戸日本橋 竺仙の夏姿 綿絽・中型編

2018.06 27

反物を買ったお客様が、そのまま品物を持ち帰ることは、まずない。品物を売った店では、着用する方の寸法を測り、裏地を付けて仕立てを受ける。きちんと使える姿に仕上げるまでが、今の呉服屋の仕事である。

それでも十年ほど前までは、年に一人か二人ほど、ご自身で仕立てをするという方に遭遇したが、最近はまったく無い。かなり昔になるが、高校・家庭科の授業の中で、「浴衣を縫う」単元があり、教材用として反物のままお客様が持ち帰ることがあった。だが今、授業で浴衣を縫う話はほとんど聞かない。うちの娘達も、高校の授業で縫ったモノは、エプロンだった。

 

和裁はもとより、現代では、針そのものを持つことが少なくなったように思う。なにせ、便利な世の中なので、自分で布を用意して縫わずとも、いくらでも品物は手に入る。自分の手を使う服の繕いも、せいぜいとれたボタンを付け直すくらいで、寸法直しは専門の業者に依頼する。

昭和の時代には、嫁入り道具としてミシンは欠かすことの出来ないものだったが、それももはや過去のことになった。多くの母親は、子どもが幼稚園や小学校に入る前になると、自分で布を買い、上履き入れや道具入れ、座布団などを手作りしたものだが、共稼ぎ夫婦が多くを占める今は、母親は忙しくてそこまで手が廻らない。そのため、手芸店に依頼して、作ってもらうことも多いらしい。

女性の生き方が変わり、社会が変容するに従い、家庭の仕事のあり様も変化する。家事と育児に男性も参加し、仕事を分担する。そのこと自体は、好ましいことで、当たり前かと思う。だが、「モノを自分で作る時間」が、削がれてしまったことは、少し寂しく感じる。

 

長い間、専業で家事に従事していた女性達。戦前のある時期までは、自分が着用する衣類は、自分で縫ったり繕ったりすることが、当たり前であった。衣替えの時期になると、裏を付けたり外したりしながら、一枚のキモノを使いまわす。もちろん、布を解いて洗い、張り板に付けて干す「洗張り」も、自分で行い、その上で仕立て直しをする。

どうしても汚れの落ちないしみがあれば、衿ならば、本衿と掛衿を切り替え、身頃ならば、上前と下前を切り替える。また、八掛けの裾がほころびていれば、上下逆さまにして(天地にして)付け替える。そして、ぼろぼろになったモノは、最後は赤ちゃんのオムツや雑巾として使用していた。こうした様々な仕立ての工夫で、一枚のキモノを大切に、そして徹底的に使い倒した。

 

大正の初めまで、「太物屋(ふとものや)」という、今は聞き慣れない店が存在した。呉服屋の中でも、呉服と太物の両方を商う店もあったが、この太物専門の店もあった。

太物とは何か。これは綿や麻素材の品物のことで、巻いたとき、絹に比べて嵩があって反物が太くなるので、これを太物と呼んだ。綿や麻=太物は、江戸の頃から庶民の日常着であり、当然どの家の女性も自分の手で仕立てをしていた。当時の太物屋や呉服屋では、ただ反物を売るだけで良かった。

太物という呼び名が消えるとともに、仕立ては自分ですることから、依頼することへと変化し始める。呉服屋が、今のように客と和裁士との間の仲介役を引き受け始めたのも、この大正の頃からと言われている。

 

さてまた前置きが長くなってしまったが、今日も、前二回に引き続き、浴衣コーディネート。今回は綿絽と中型、奥州小紋を取り上げる。どんな「太物」が出てくるのか、ゆっくりお楽しみ頂きたい。

 

(褐色地 白抜きアザミ模様・綿絽浴衣  白地・琉球ミンサー綿半巾帯)

透け感のある絽目の浴衣は、コーマや綿紬とはまた一つ違った涼やかさを醸し出す。無論、浴衣下着や襦袢を着用しなければならないが、この生地は通常の綿糸よりも、撚りを多く掛けているため、シャリっとした独特の着心地となる。白場にくっきり浮かび上がる絽の目が、図案のアクセントにもなっている。良く見ると絽目は均一ではなく、乱絽になっている。

深い紺・褐色に白く模様を染め抜いた浴衣は、最もシンプルでオーソドックスだが、全く飽きが来ない。帯次第で雰囲気が変わり、幅広い年代で使うことが出来る。

アザミは秋に咲く花で、ご存知の通り、ギザギザの葉と針山のようにトゲトゲした花に特徴がある。花の色は上品な藤紫だが、触れると痛みを感じる。尖った姿は、容易に近づくなと言っているようだ。花言葉も、「孤高」とか「触れないで」である。

人を寄せ付けない花だが、モチーフにすると、気高い美しさがある。色を挿さず、白抜きで描かれたアザミの姿は、いかにもこの「孤高の花」にふさわしい。こんな浴衣をキリッと着ている女性には、アザミのように、容易に近づくことは出来ないだろう。

より清潔な着姿にするため、白を基調としたミンサー帯を使ってみた。やはり褐色と白のコントラストは、他の色には無い大人の表情を作る。インパクトのあるアザミの花を強調するためには、抽象柄で無地場の多い帯を使うと、上手くいく。

また、アザミの花色・柔らかい藤紫や品の良いピンク地の帯を合わせても良いだろう。挿し色の入らない植物文様をモチーフにした浴衣では、その花の色を帯地色に使うと、洒落た姿になると思う。

 

(白地 藍色抜き桔梗に流水模様・綿絽浴衣  白藍地横段・首里道屯綿半巾帯)

こちらは、白地に藍色を基調とした桔梗文様をほどこした綿絽。深みのある褐色地とは全く異なり、爽やかさが溢れている。こんな浴衣を、夜に着用すれば、周りがパッと明るくなり、人の目を惹くことは間違いない。

藍と紺で濃淡に暈かされた花と、輪郭だけに藍色を使い白抜きされた花。二つの異なる桔梗を絶妙に配し、間に水を流す。色と言い、模様といい、目を洗うような涼やかさ。

桔梗も秋の植物で、七草のうちの一つ。特徴ある五枚花弁は、デザインとしても優れており、薄紫の優しい色も相まって、図案として使うことが多い。紋にも桔梗紋があるが、バランスの取れた格好の良い紋の一つである。

本来の桔梗を意識すると、花は薄紫色で挿したいところだが、リアルさを排して、あえて藍を使う。浴衣の場合、清涼感を優先して挿し色を選択することが大切になる。

浴衣の色目・藍と白をそのまま帯にも生かしてみた。着姿全体から、色が匂い立つようにするには、同系でまとめる他はない。首里道屯特有の浮き織幾何学模様が、桔梗模様を引き締める。帯地の水の色は、これ以上濃くても薄くても上手く行かないだろう。

 

(群青色地 鉄線模様・綿絽浴衣  薄水色 源氏香模様・博多半巾帯)

懲りもせずに、また鉄線である。こよなくこの「夏花の女王」を愛するバイク呉服屋は、少しでも雰囲気の異なる図案を見ると、見境無く仕入れてしまう。うちにやってくる竺仙の担当者・近藤くんは、その辺りをすっかり心得ており、見本布から選ぶ時にも、鉄線柄を優先的に見せる。「鉄線中毒」の患者に、その年新しく型紙を起こした品物を見せれば、飛びつくに決まっている。このような商いの仕方を、仕入れを麻痺させる「麻薬商法」と言うのだろう。

この浴衣を選んだ理由は、鉄線もさることながら、地色の抜けるような鮮やかさに惹かれたから。これまで竺仙が使っていた藍系の地色は、落ち着きのある「納戸色系」が多かったが、こんな強烈なスカイブルー色は見たことがなかった。

この蛍光的で、ペンキを思い起こすような色は、青顔料に近い。天然の顔料は、アズライトという岩を砕いて作るものだが、その色はこの浴衣地色のように澄み渡った青である。そこに挿し色を入れない、白抜きの鉄線を配せば、匂い立つように花が浮かぶ。

帯地は、かなり薄いブルーグレー地で源氏香の模様。浴衣に挿し色が無く、帯地色にも主張が無いため、源氏香の橙色だけが目立つ。強い青顔料の群青地を引き立たせるためには、こんなピンポイントな色と柄の帯が必要だろう。

挿し色を排除したひと色抜きの綿絽。モチーフも一つの花に絞っている。アザミ・桔梗・鉄線の「三役そろい踏み」。どれもあか抜けた大人の装いとなる。

 

ついでに、綿絽以外の浴衣を二点紹介しよう。

(生成色綿紬 琉球紅型調・奥州小紋  鰹縞 八重山ミンサー・綿半巾帯)

竺仙では、奥州小紋や綿紅梅、松煙染小紋などは、従来江戸小紋の技法である「引き染め」を使っている。これは、生地を長い板の上に貼って糊を置き、刷毛で色を引いて染める方法。型と型の継ぎ目がずれてはならず、染め手の技術が試される仕事である。

使っている型紙の模様は、琉球紅型でよく見受けられる「枝垂れ桜にツバメ」の模様。型を駆使して作る、いかにも小紋的な浴衣である。沖縄の夏空の下で着用すれば、なお映えるだろう。

従来の華やかな紅型とは異なり、極力挿し色を抑えたところが、浴衣らしい。基調となるのは、藍色の濃淡。わずかに桜の花芯に、深い臙脂色が見える。

琉球紅型の雰囲気をそのまま着姿に生かすためには、やはり沖縄の帯を使わずにはいられない。美ら海(ちゅらうみ)を想起させるような、コバルトブルーの色を段々縞に付けた八重山のミンサー帯。青系の色を、濃淡縞にした模様のことを鰹縞と呼ぶが、この帯の青は沖縄の青だ。

 

(本藍 ねじり菊模様・小紋中型浴衣  白地 格子模様・綿麻混紡八寸帯)

最後は、浴衣の中の浴衣・小紋中型。江戸から続く伝統的な染技法を、そのまま踏襲しているのが、この中型である。以前もお話したが、この技法の難しいところは、表裏両面同じ位置にずれることなく、同じ模様を型付けしなければならないこと。職人には寸分の狂いも許されず、熟練の技が求められる。

現在、ほとんどの浴衣が、生地を一定の長さに折りたたみ、型を置いて糊置きをし、そこに染料を注ぎ込む「注染(ちゅうせん)技法」を駆使して、能率的に作られているのに対して、この旧来の中型技法の手間は、到底それとは比べ物にはならない。

菊花弁を捻って図案化した、モダンな花の連続模様。このように、一定の花を風車のように表現することがある。この浴衣のようにモチーフが菊ならば、「ねじり菊」であるし、梅ならば「ねじり梅」となる。

江戸時代から中型は、藍を使って染めていた。この浴衣もそれに習い、化学染料ではなく本藍染め。藍は色が止まり難いため、白系の帯を使うと色落ちすることがある。だから出来れば、二年ほど反物のまま空気にさらしてから仕立てる方が無難である。手間を掛けた本藍染の方が、化学染料で染めたものより、使い勝手が難しいというのも皮肉なものだ。

ねじり菊を拡大したところ。見て頂くと判るが、数え切れない小さな丸で、花が構成されている。この丸は、人の手で型紙を彫り抜いたもの。粒を良く見れば、やはり少し不揃いである。遠めに見れば、点にしか見えないが、その一つ一つを人が施したものとすれば、細かさに圧倒される。この気の遠くなる型紙職人の仕事を考えると、思わず襟を正さずにはいられない。

小紋中型は、型紙職人と型を継ぐ染職人双方の、血の滲むような努力が結集されて、初めて生まれる浴衣なのである。

模様が密集するねじり菊の中型小紋なので、帯はシンプルな大きな格子模様で、着姿をすっきり形作る。この帯素材は、綿と麻の混紡。先月ブログでご紹介した、アイスコットン襦袢や着尺を製作している近江の麻メーカー・川口織物の品物。なお、この中型小紋は、規模は小さいが、頑なに伝統的なモノ作りを守る東京の染屋・新粋染の品物。

 

三回にわたり、合計19点の浴衣コーディネートをご紹介してきた。今年は、模様に挿し色の入らない、いわば浴衣の原点に戻ったような品物を多く使ってみた。シンプルな色使いの浴衣だからこそ、帯を選ぶ範囲も広がるように思う。

バイク呉服屋にとっても、店の浴衣を見ながら、あれこれと相応しい帯を考えることは大変だが、楽しい作業でもあった。皆様が夏姿を作る上で、このコーディネートが少しでも役に立てば、幸いである。

 

仕立て仕事を受けずに、反物をそのまま渡せばそれで終わり、となれば呉服屋の仕事はかなり楽になるでしょう。寸法を正しく採り、それを和裁士に伝え、きちんと仕上がっているかどうか確認するというのは、結構大変なことです。時には、模様の合わせ方や、配置で悩まなくてはなりません。

形にして渡すという誂えの仕事は、お客様に似合うモノを探すことや、着用の場に相応しい品物をコーディネートして提案するという、いわば「モノを売る」仕事とは、また性質の違う苦労があります。

けれども、出来上がった品物の姿を見ると、お客様の着姿を想像することが出来ると同時に、自分が選んだ品物が間違いでなかったか否かを、確認することも出来ます。現代の呉服屋に課せられた仕事は、多岐にわたりますが、一点の品物を作り上げた喜びは、反物だけを渡していた時代の呉服屋より、やはり大きいと言えましょう。

今日も、長い話にお付き合いを頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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