バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

キモノや帯の品質表示を考える(前編) 品質明示の必要性を探る

2017.07 25

山梨の夏の味覚と言えば、やはり桃だ。7月中旬から8月上旬は、出荷の最盛期を迎え、農家は早朝から収穫に追われている。私も毎年、他県に住む親しい友人たちに、少しだけ山梨の味をおすそわけしている。

桃の味は、どれも同じように思われているかも知れないが、幾つも種類があり、それぞれに特徴がある。もちろん、収穫時期も違う。7月初旬、露地モノとして一番早く出荷されるのが、日川白鳳。すこし小ぶりだが、糖度は高い。次が、川中島白桃と浅間白桃。これは大ぶりで硬いのが特徴。他にも、一宮白桃、加納岩白桃、みさか白鳳など、山梨の生産地名の付いた桃が幾つもある。

 

私は個人的に、「硬くて甘い桃」が一番美味しいと思っている。だから、送り先の友人たちには、「柔らかくならないうちに、早く食べて」と、一言添えている。皮が手でむけて、果汁が滴り落ちてくるようでは遅く、実がパリパリしていなくては、駄目だ。

桃は、県内で最も生産量が多い、旧一宮町(現笛吹市)にある生産農家から、直接発送している。この農家は遠縁にあたるため、特に便宜を計ってもらえる。毎年この時期、硬い桃好きの私の希望に適う品種、川中島白桃や浅間白桃を選んで送ってくれている。

 

この桃農家は数年前まで、東京の某高級果物専門店と取引をしていた。以前、ここの奥さん(この農家は、ご主人を早く亡くして、長い間奥さん一人で桃作りをしていた。現在は息子さんが東京から戻って、一緒に働いている)からよく聞いていたのが、この店との取引の様子だ。この農家の生産する桃は、糖度が高い上に形も大きく、かなり上質なもの。そこに店が目を付けたことで取引が始まったのだが、提示されていた出荷条件は厳しいものだった。

まず、実の大きさや糖度には、予め店側から指定された厳格な基準があること。そしてシーズンに入れば、出荷数を変えて注文が入ること。もちろん、出荷予定の日は決められていて、勝手に動かすことは出来ない。さらに、配送トラックが到着する時間が、夜8時と決まっており、それまでに箱つめまで終わらせておく必要があること。

高級果物店に置く品物として、店側がふさわしい品質を求めることは、当然なのだが、それに伴う生産者の苦労は計り知れない。そもそも、決まった時間内に、糖度や形を注文された数だけ同じように揃えることは、かなり大変なことだろう。何せ、雨も降れば日照りもあり、生育状況も刻々と変わる。自然相手の仕事に、機械が製造する品物のような、「同じ質」のモノを時間を区切って求めるとは、少し理不尽な気もする。

 

農家の汗の結晶とも言うべき桃は、出荷後「大変な値段」で店頭に並ぶ。決められた厳しい基準をクリアした上質なものだけに、当然美味しい。スーパーの売りモノとの質の違いが明らかだからこそ、高い価格が付けられる。そして、売っている店が「高級店」として世間に知られているだけに、付ける価格に躊躇がない。それは、高くても上質な品物を求める上客を持っている特権であろう。

桃ばかりでなく、どんな品物にも質の裏付けは必要だ。理想的なのは、消費者がモノの価値に納得出来るような、「質の表示」が品物にきちんとされていること。品物を選択する指針となるものの有無は、消費者保護の観点から見ても、重要である。

 

翻って呉服屋の扱う品物を考える時、現在の品質表示は、あまりにも不十分と言わざるを得ない。消費者に判り難いものだけに、なお必要と思うのだが、業界では話題になることも無い。だが、品質が明示されていない弊害は、相当大きい。それは、質と不釣合いな価格での商いが、未だに横行していることからも判る。

そこで、今日から二回に分けて、キモノや帯の品質をどのように消費者に伝えていくのか、探ることにしたい。まず今日は、現状と弊害について話してみよう。

 

捨松の八寸織名古屋帯に付いているタグ。素材が絹であることと、日本で生産されていること以外、何も表示されていない。

 

キモノや帯の価値は、「どれだけの仕事がほどこされているか」で決まる。それに伴って価格も、質に比例するものになっていなければならない。これは、呉服に限ったことではなく、どんな品物でも同じで、ごく当たり前のことである。

呉服の場合は、流通過程が複雑なために、たとえ同じ品物でも、扱う店により価格が全く異なることも多い。例えば品物を、メーカーから直接買い取っている店と、流通の中間業者・買継ぎ問屋から仕入れている店とでは、価格に差が出る。流通の段階を多く経るごとに、モノの値段は上がるのは当然である。

また、この業界独特の商慣習・委託(通称浮き貸し)という、問屋から品物を借りたもの(期間が限定された展示会などで売られているものは、ほぼ委託商品)と、店がきっちり買い取って店頭に並べている品物とでは、これまた価格にかなりの差が付く。

 

価格だけを単純に見ていると、流通過程や店と問屋との取引方法が、店ごとに大きな違いを出す。けれども、価格の本質は、やはり品物の質がきちんと反映されているか否かだ。ここは、各々の店、あるいは業者間でどんな流通の方法が取られていようとも、守らなければならない。

当然ながら、原材料の糸質や、糸に施された手間、そして実際の染め方や織り方により、品質に違いが出てくる。それはまた、品物となって仕上がるまでの工程の違いでもある。つまり基本的には、価格というものが、モノ作りの過程に応じたものになっていなくてはいけない、ということが言えよう。

 

消費者と向き合う場合、呉服屋はそれぞれの品物のについて、「なぜこの価格になっているのか」を説明しなければいけない。それは、「どのように作られているか」ということを知らせることに他ならない。

例えば振袖や訪問着のような染モノなら、それがインクジェットで染めたものなのか、型糸目なのか、手描き手挿し友禅なのか、それぞれの技法を説明しながら、実際の品物を見せていく必要がある。

もしインクジェットならば、糸目も何も関係なく、人の技術や手間がほとんど掛かっていないのだから、安くなければおかしい。これが、型糸目か手糸目かということになれば、模様の一部を例にとって、詳しく話しておかなければいけない。なぜなら、糸目引きの違いは、友禅の工程を一つ端折るか否かであり、手間の違いは明らかで、無論価格にも差が付く。

 

これは、うちにある二点の付下げの模様の一部(どちらも梅花)を写したもの。一方が手糸目(手描友禅)で、もう一方が型糸目なのだが、違いがお判りになるだろうか。

答えは、上の画像が手糸目(手描き江戸友禅・大松)で、下が型糸目の京友禅。この画像を見ただけで、区別が付く方はほとんどおられないだろう。バイク呉服屋だって、いきなりこの画像だけを見せられて判断しろと言われても、無理である。上の品物が、大松で製作された手描友禅とわかっているからこそ、きちんと答えが出せるのだ。型糸目に使っている模様の型も、もとはと言えば「人の手で」作っているもの。だからこそ、手か型かの見分けが付かない。その上、型にも精度の違いがあるので、上手く作ってある型だと、それこそ判断は難しい。

もちろん友禅の価格は、糸目だけではなく、図案の精緻さや色挿しの手間、さらに付属的加工(刺繍や箔、絞りなど)の質や量などにより変わってくる。だが、手描きか型かというのは、価格の違いに大きな影響を及ぼすことは、確かである。

 

このように、消費者に対応する店の者は、品物の質を説明できる知識を持たねばならないことは、言うまでも無い。でなければお客様が、本当の品物の価格を理解し、納得してこれを求めて頂くことなど出来ない。

けれども、この「商いの基本となるべき、消費者への説明」が疎かにされていることが、多すぎる。先の話のような、糸目が手か型かなどという、見ただけでは判らないような難しいことではなく、極めて単純な「インクジェット」によるモノであっても、その品物の質に関しては、ほとんど説明されていない。

例えば、俗に言う「振袖屋」が作っているカタログなどを見ると、振袖のほとんどがインクジェットで、それに安価な帯を合わせていることが多い。だが、店側が商いの場で商品の質に言及することは、ほとんど無いだろう。また消費者も、どんな作り方をしているのか尋ねることもあるまい。そして、着付けをはじめ、様々なサービスを付随した「セット価格」で、モノが売られていく。これでは、消費者が質に伴う本当の価格など、知ることは出来ない。

これは振袖に限ったことでなく、他のアイテムでも同様だ。展示会など、短時間で商いを決着させようとする場面では、品物の質や仕事の方法などを、懇切丁寧に説明することは、ほぼ不可能である。また、売り手にもそんな知識を有している販売員が多いとは、到底思えない。

 

ここまで話すと、消費者が質を知る機会がいかに少ないのか、が判ってくる。本来、売り手は商品の質を説明する責任がある。それが疎かになっているのだから、消費者が価格と質が見合うものであるか否かなど、知る術もない。

この現実を踏まえた上で、消費者にモノの質を知らせる手段は何か無いか。それを考える時、品物そのものに、ある程度までの「質の情報」を明示することが必要と思えてきた。

 

最初の画像は、捨松の帯に付いているタグだが、ご覧のように日本製であることと、素材が絹であること以外、表示がされていない。手機であるか機械機であるかも、これではわからない。これまでは、売り手が、機械機による品物と、お客様に説明すればよいだけのことで、改めて表示するまでもないことと考えられてきた。

けれども、より消費者に商品の質を判りやすくするためには、せめて織り方くらいは表示があっても良いだろう。品物の情報を公開することは、価格を判りやすくするための、大きな手段である。先ほど例に挙げた染モノなども、せめてインクジェット染か、捺染か、型友禅か、手描き友禅かぐらいの表示があってしかるべきである。本音を言えば、義務化して欲しい。この情報がタグに付いているだけで、消費者は価格に目安を付ける大きなヒントになるはずだ。

 

キモノや帯は高価なモノと考えている多くの消費者が、高くてはいけない品物があることを認識することは必要である。また一方で、手を尽くして作られている品物への理解も深めて欲しい。それを実現するためには何よりも、品物に対する作り手の情報公開が必要であろう。売り手である呉服屋が、説明を怠っているのだから、なおのことだ。

適正価格を消費者が知ることになれば、否応無く呉服屋の商いの方法も変わる。それは、質に見合わない価格を付けた商いを一掃することになり、世間からみて不透明な部分が多い呉服屋の商いを、「健全化」することにも繋がる。

次回は、どの程度の品質表示があれば、消費者が品物を理解しやすいのか、それを考えてみたい。すでに品物の中には、ある程度情報公開されているものもあり、それを例に取りながら話を進めてみよう。

 

消費者の目に触れるように、品質=作り方を明示することは、現状ではなかなか難しいことでしょう。これは、業界が一丸となって「消費者目線で商いをすること」が必要になるからです。

けれども消費者に、品質や価格をきちんと理解して頂くためには、「知って頂く手段」を広げなければなりません。そうでなければ、いつまでたっても「判り難い呉服」の現状は変わりません。信用を得るためには、どうすれば良いのか。これを考えないまま商いを続けていれば、いつかきっと行き詰る時が来るでしょう。           もう時間は、あまり残されていないような気がしますが。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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