バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

五輪のエンブレムは、粋な江戸文様  市松(石畳)文様

2016.04 27

東洋の魔女、柔道無差別級の王者・ヘーシンク、大会の花・チャスラフスカ、裸足のアベベ。1964(昭和39)年に開催された東京オリンピック。この選手達の姿に覚えのある方々は、もう60歳以上であろう。

5歳だったバイク呉服屋には、当時の記憶がない。もしかしたら、我が家にはテレビがまだ無かったのかも知れない。

 

このときのオリンピックが、どんなものだったのかは、後年見た映像で知ったものだ。女子バレーボール・ソ連との決勝戦の視聴率は、85%。スポーツ中継として歴代一位のこの記録は、今も破られていない。

日本のお家芸・柔道。勝って当然と考えられていた無差別級を制したのは、オランダのヘーシンク。勝利の瞬間、喜びのあまり畳に駆け上がろうとする自国のコーチを手で制した姿は、礼に始まり、礼に終わるという柔道精神を体現した姿として、賞賛された。

ベラ・チャスラフスカは、女子体操・個人総合の金メダリスト。端正な美しい顔立ちと、華麗な演技は、「オリンピックの花」と讃えられた。しかし、ソビエトの影響下にあった母国、東欧・チェコスロバキアの政治状況は、その後の彼女の人生に影を落とすことになる。東京五輪から4年後、1968(昭和43)年に起った民主化運動(プラハの春)に参画し、ソ連の軍事介入後は、一時身を隠している。

裸足で東京の街を駆け抜けたアベベ・ビキラほど、日本人を驚かせた外国人選手はいなかっただろう。まるで、アフリカの原野を疾走しているかのような姿、しかも圧倒的な速さである。彼の存在は、稀有な能力を持つ未知なる人間が、広い世界の中にいることを、日本人に実感させた。

 

2020(平成32)年、再び東京で開催されることが決まったオリンピック・パラリンピック。前回と違い、今度はバイク呉服屋も、目に焼きつけられるだろう。どのようなドラマを見せてくれるか、今から楽しみでもある。

けれども、昨年からその運営をめぐり、トラブルが続発している。メイン競技場の建設問題や、エンブレムのデザイン盗作問題などは、大いに世間を賑わした。

 

昨日、難航していたエンブレムが決定を見た。14599点もの公募作品を4点に絞込んだ末、選ばれたのが「組市松紋」である。残った作品の中では、一番地味であるが、一番日本らしいデザインとも言える。

今日は、このエンブレムデザインのモチーフ・市松文様を取り上げ、どんな由来があるか、またキモノや帯の図案としてどのように使われているか、御紹介してみたい。

 

市松文様 ちりめん型小紋・千切屋治兵衛

画像でお判りのように、市松模様とは異なる色の正方形を上下・左右に、互い違いに敷き詰めたもの。この形状から、「石畳(いしだたみ)文様」とも言われてきた。なぜ、これが市松という名前が付いたのかは、後述する。

石畳文様としての歴史は古く、正倉院の収蔵品の中には、すでにその姿を見ることが出来る。以前、撥鏤(バチル)文様のことをお話したときに御紹介した「紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)」。この儀礼用ものさしの図案の中に、石畳模様が見られる。

撥鏤尺の石畳文様 (奈良女子大教授・藤野千代氏 デザイン画)

正倉院には、北倉・中倉に4本ずつ、計8本の撥鏤尺が残されているが、そのいずれのものも、石畳形状で模様があしらわれている。中倉に残されている一番大きい尺は、10区画の正方形に区切られ、中の模様は、唐花文と鹿・馬が交互に配されている。他の尺の模様付けも同じパターンで、唐花と鳥(ヤツガシラや含授鳥などの、正倉院独特の鳥文様)が配されている。

水色と朱疋田で構成されている市松。模様のかわいさから、子どもモノの意匠として使われることも多い。この品物は、大人モノの小紋だが、祝着用としても使えそうかと考えて仕入れたモノ。仕立ての時の模様合わせは、上の画像のように、きっちりと全体が市松模様で埋め尽くされるようにする。市松がずれてしまうと、格好が付かない。

 

市松文様 手引き真綿紬八寸帯・山城機業店

直接繭を開いて、方形に綿を引き伸ばし、指で撚りながら糸にして織り上げた真綿紬の帯。しなやかで軽い単衣向きの品物。大胆な市松模様を帯柄に配すると、伝統模様でありながら、少しモダンにも見えてくる。

 

石畳文様が、市松文様の名前で呼ばれるようになったのは、江戸中期の寛保年間である。この当時、江戸・中村座の舞台では、「高野山心中(心中万年草)」という演目が催されており、そこには、小姓役で出演していた佐野川市松という役者が居た。

この時に市松が履いた袴の模様が、上の帯のような、白と藍で区分けされた石畳文様だったのだ。この模様は、この後、江戸市中で大流行することになり、佐野川市松の模様、すなわち市松文様と呼ばれるようになっていった。

 

佐野川市松は、1722(享保2)年、京都の伏見生まれ。武士の子であったが、役者に憧れ、京都四条の芝居小屋の出方(案内係)に婿入り。そして、女形の名優として知られた佐野川十吉(万菊)に弟子入りする。

市松は、最初子役として舞台を踏み、そのうちに、小姓役や若衆の役を演じることが多くなっていった。1741(寛保元)年、京を出て、江戸・中村座に上って演じたものが、先の高野山心中の小姓役であった。その後、端麗な容姿から、師匠同様女形に転向し、江戸一番の女形役者として、人気を博した。しかし、活躍が期待されている最中、39歳の若さで夭折している。

 

後に同じ名前を襲名した、三代目・佐野川市松の姿が、謎の絵師として有名な、東洲斎写楽によって描かれている。写楽は、1794(寛政6)年、江戸市中にあった歌舞伎小屋・江戸三座(都座・桐座・河原崎座)を廻り、27枚の役者絵を描き残している。

そのうちの一枚が、三代目市松の姿・「祇園町の白人おなよの図」である。これを見ると、衿と袖口に市松文様を配したキモノを着ており、襦袢衿の模様も市松になっている。この模様が流行した一つの理由は、こうした役者絵が庶民の間でもてはやされ、人々がその衣装の図案に目を止める機会が多かったからと、考えられる。

 

この市松模様に限らず、現在でも受け継がれている、江戸の役者文様が他にもある。元禄期を代表する役者、初代・市川団十郎のシンボルマーク、「三枡(みます)」文様は、大・中・小の三つの枡を重ねて入れ込んだ姿が描かれており、現在も「成田屋」の定紋として使われている。

うちで夏になると使っている、「菊五郎格子」の綿絽のれん。

縦4本、横5本の縞で構成されている格子の中に、「キ」と「呂」の字を交互に入れ込んでいる。これは、文化・文政時代に活躍した三代目・尾上菊五郎が、自分の名前をもじって模様付けしたもの。縦横九本の縞の数は、キクゴロウのクの字から考えられている。「キ九五呂」=「菊五郎」である。

歌舞伎役者に端を発する、これらの江戸文様は、今も粋な模様として浴衣や角帯などに使い続けられている。

 

もう少し、市松模様の品物をご覧頂こう。

市松模様 友禅長襦袢・トキワ商事

市松文様に型染めされた長襦袢。このような染模様の襦袢は、洒落襦袢として、小紋や紬などのカジュアル着の下に使われる。袖の振りから少し襦袢が覗いた時に、こんな模様が見えればお洒落である。

市松模様 絹紅梅浴衣・竺仙

絹の中に綿を織り込んいる紅梅生地。畝のように、織生地に段差が付いていることから勾配=紅梅と名付けられている浴衣。下に白い襦袢を着用すると、この市松模様が浮き上がり、涼やかな着姿となる。これは、昨年扱った品物ですでに販売済みだが、求められた方は先見の明があったか。

 

キモノ、帯、襦袢、浴衣と、様々なところで使われる市松。呉服屋の棚の中をちょっと探せば、すぐに見つかるポピュラーな文様である。江戸以来のスタンダードな模様として、今なお、これほど使われているということは、裏を返せば、いつの時代にも、どの世代にも、受け入れられている証と言えよう。

紆余曲折を経て決まったエンブレム・組市松。この模様が、今後どれほどもてはやされることになるのか、まだわからない。うちにある「市松模様の品物」も、これを機に目に留めて頂けるかどうか、あまり期待しないで待つことにしよう。

 

欧米では、この市松模様のことを、「ギンガムチェック」という名前で呼んでいます。日本の若い人たちには、この方が馴染みのある呼び名かも知れません。

18世紀中旬、イギリス・マンチェスターの紡績工場で織られた、綿生地の模様が、この市松文様と同じ形状のものでした。そう考えると、案外このエンブレムも、外国人に馴染むものになるようにも思われます。

 

そうそう、AKB48にも、「ギンガムチェック」という歌がありますね。歌詞を読むと、主人公の女の子は、「青と白」のギンガムチェックのシャツを着ているようです。

この色は、佐野川市松の袴の配色と同じで、江戸に由来する正統的な「市松模様」ということになります。AKBには、ぜひ、オリンピックで訪日する外国人向けに、ギンガムチェックと歌っている歌詞のところを、市松紋と替えて、歌って欲しいものです。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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