バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

メーカーの新作発表会を見に行く・菱一

2016.04 13

ひと昔前までは、月末になると、多くの取引先の担当者が、店にやってきたものだった。問屋の社員達は、毎月、月はじめに開催される新作発表会の案内状を手に持ちながら、勧誘とご機嫌伺いを兼ねて、取引先を訪ね歩く。

ほとんどの問屋は、車を使って東京や京都から地方へ出張する。その際には品物を、何箱かのダンボールに詰めて持ち出す。取引先の急な用事に、ある程度対応出来るようにするためだが、何は無くても、とりあえず品物を見てもらいたい気持ちがある。だから、多くの出張員は、必ずいくばくかの品物を店の中に持ち込みながら、やってくる。

買う、買わないは別にして、小売屋は品物を見ることを拒まない。忙しくてなかなか問屋まで行くことの出来ない店にとっては、有難いことでもある。今とは比較にならないほど品物が動いていた時代は、毎月の出張が、商いをする絶好の機会にもなっていた。

 

問屋の社員達は、地域別に自分の担当する店が決まっている。都内の店を歩く者、東北を受け持つ者、甲信越を担当する者等々に分かれている。それぞれの社員は、自分の得意先がどのような店なのか考えながら、品物を持ち歩く。

呉服専門店というのは、店により個性があり、仕入れる品物も違う。色目や模様などは、その店の商いの仕方や顧客の質によって、違いが出る。また、店主の好みにも大きく左右される。

出張員は、店に通ううちに、店の内容を知り、店主のクセを理解するようになる。ここが判らないと、いくら沢山品物を持ち込んでも、商いには繋がらない。優秀な問屋の営業マンとは、店を知り尽くした上で、的確に適品を提示出来る者ということになる。

 

平成に入って以降、呉服の需要は急速に萎み、メーカーや問屋の倒産や廃業が相次いだ。うちの取引先の数も、最盛期の三分の一ほどに減ってしまった。ただ、専門店として暖簾を下げている限り、品物の質にはこだわり続けなければならない。今までの取引問屋が無くなったからといって、簡単にそれをカバーできるような取引先が見つかることは、ほとんどない。

このブログで御紹介する品物でも度々登場する、「北秀商事」という染メーカーの破綻は、上物(高級品)を扱う多くの専門店に、大きな影響を及ばした。この会社ほど、品物の質を追い求めたところは無かったからだ。

 

現在、バイク呉服屋が取引している東京の問屋で、北秀に代わる役割を果たしているのが、菱一であろう。さすがに当時の北秀ほどの凄さはないが、質を理解してモノ作りをするメーカーとしての役割は、ある程度果たされているように思う。

簡単に品物が動かなくなった今、モノを作り続けることの難しさは、昔の比ではない。この問屋は、うちの店にとって無くてはならない存在になっている。

 

そんな菱一が、年に一度だけ社外に品物を持ち出して、新作発表会をする。どんな品物が置かれているのか、今日はその様子を御紹介してみよう。モノ作りをするメーカーが、取引先へどのように品物をアピールしているのか。一般の消費者には、ほとんど目にすることがないことかと思う。

 

発表会が行われた銀座フェニックスホールは、松屋の手前・銀座三丁目の交差点を東に入ってすぐのところ。ビルの名前は、紙パルプ会館。製紙業の団体・日本製紙連合会が、家主になっている。

2階ホールのスペースは100坪ほどなので、品物を展示発表するには、程よい広さである。銀座駅と東銀座駅のほぼ中間という好立地もあり、以前から、呉服関係の催しによく使われている会場。私も、これまでに何度か来た事がある。

 

うちに来る菱一の担当者は、大原くんという社内でも一番の若手である。40歳くらいなので、普通に考えればあまり若くないのだろうが、この業界では、十分若手で通用する。呉服市場が縮まる中では、当然問屋なども新規採用を控えており、新しい人材を育てることが難しくなっている。

たまに採用しても、若者には馴染み難い業態のために、すぐに辞めてしまうようだ。他の取引先を考えても、社員の平均年齢は高く、30代以下の社員など見かけたことがない。秋田・能代出身の彼は、東北人らしい朴訥とした人柄。問屋の営業マンとしては大人しい性格だが、モノを押し付けない控えめなところが、私には合っている。

今回の新作発表会は、今年の秋物向けの商品として、新しく染め出されたものが並ぶ。一つのテーマに絞って考えられた意匠や、江戸友禅の重い図案のものなど、質にこだわった品物が多く出品されている。だから、仕入をするしないは別にして、良い品物を見ておくだけでも価値がある。

 

会場入り口に飾られた、大羊居の品物。

現在、江戸友禅最高峰の仕事といえば、大羊居が手がける作品であろう。江戸中期に創業した大黒屋を源流とする、大彦・大羊居・大松の三家は、昭和初期以降、手を尽くした手描き友禅の製作集団として、存在し続けてきた。

大黒屋の創業者は、野口幸吉。江戸期には、大黒屋幸吉=大幸という屋号で商いをしていた。明治初期になると、大幸の婿養子になった彦兵衛が分家して、その名前・大黒屋彦兵衛をとって大彦を新たに創業する。なお、大松は、幸吉の息子・大黒屋松三郎によって創業されている。

大彦は、江戸友禅の逸品を製作するために、大彦染縫美術研究所を設立する。そこでは多くの職人が養成され、最高の染めと縫いを駆使した品物を次々と産み出されていった。なお、大彦の歴史に関しては、2014.6.29に書いた「大彦・江戸染縫友禅訪問着」の稿で詳しく御紹介しているので、ぜひそちらをお読み頂きたい。

 

大彦は、彦兵衛の二人の息子、功造(大羊居)と真造(大彦)に分かれ、それぞれ独自の意匠で仕事を続けてきたが、現在も積極的にモノ作りに携わっているのは、大羊居の方である。高島屋が、染織の最高技術を極めた品を集めて発表する会・上品会(じょうぼんかい)では、今なお中心的な役割を果たしている。

会場に置かれていた大羊居の振袖。大胆に松竹梅模様を切り取った逸品。

画像でお判り頂けるように、図案の思い切りのよさと色鮮やかな配色が、大羊居の作品の大きな特徴。松竹梅文様などは、もっともオーソドックスな吉祥模様だが、それぞれの模様の表現は、大胆かつ斬新なもので、特に後身頃の背中あたりに付けられた竹などは、あまり見ることのない図案の位置取りであろう。

この品物は振袖なので、より模様の豪華さが目立ってはいるが、大羊居が作る訪問着や付下げでも、同様に迫力のある柄行きのものが多い。よく品物を知る人が見れば、一目でここの作品と判るだろう。

模様の中心・上前身頃の松模様。下絵・糊置き・染め・縫い・箔置きと、分業で行われている仕事の全てが、大羊居に所属している専属の職人でまかなわれている。友禅の仕事というのは、取りまとめる悉皆屋(染匠)がいて、そこからそれぞれの職人に仕事が仕分けられるのが一般的である。だが現在、仕事の全てを、自前の職人集団だけで完成させているのは、大羊居以外にはほとんど見当たらない。

大彦染繍研究所の流れを汲む集団だけに、各所に精緻な刺繍のあしらいが見られる。上の画像を見ても、松葉や楓の中の見られる細やかな繍は見事なものである。

緑色の竹笹の葉は、染疋田のあしらい。一般的な品物の疋田には、型が使われることがほとんどだが、この品物は手描き疋田。熟練した職人の手により、一目一目染め付けられていく。手と型では、同じように見えても、全く手間の掛かり方が違う。「手を掛ける」というのは、このような仕事を言うのだろう。

 

現代の友禅の中で、最高峰として位置づけられる大羊居の作品。こんな品物を扱えるような問屋は、それこそ限定されるだろう。そして、これを仕入れることが出来る小売屋も限られているだろう。つまり菱一は、このような品物を扱えるような取引先・小売店を持っているということに他ならない。問屋の格とは、扱っている品物を見れば理解出来る。

最高の品物だけに、その価格も最高であり、とてもバイク呉服屋には手が出ない。大羊居の作品を仕入れることが出来るような店こそ、超一流店であろう。買い入れることは無理だが、会場に行けば品物を見ることが出来る。これも自分の目を高めることには、必要なことなのだ。

南蛮幻想と名前が付いている染帯。南蛮船の図案は、大羊居や大松の品物ではよく使われるもの。せめて、染帯や付下げくらいは、うちでも扱いたいと思うのだが、それでもかなり高価だ。

 

アールヌーヴォーをテーマにして図案を起こし、染められた秋の新作。

20世紀初頭、パリ万国博覧会を契機として、ヨーロッパ各地に広まった装飾様式・アールヌーヴォー。花・樹木・虫・動物など、自然界に生きるものの美しい姿を取り入れて、装飾をほどこす。

日本のキモノや帯の意匠では、当たり前のように取り入れられていたことが、欧州では新しい芸術の流れとなったのだ。この博覧会には、日本から多くの型紙が出展されていたが、その中で表現されている日本の伝統模様も、かなり影響を与えている。

代表的なものに、オーストリアの画家・グスタフ・クリムトが描いた「生命の樹」という作品があるが、ここに描かれている木の枝などは、日本の唐草模様そのものである。

 

今回作られた品物のモチーフは、多くが洋花であり、曲線的な描き方がされている。画像右側に見えるクリーム地の染帯の図案は、芥子の花をランプに見立てたものだが、そこにはアールヌーヴォーを意識した姿勢がよく伺える。

最近、この時代の欧州デザインを取り入れて作られる品物が散見される。紫紘の「ウイリアムモリス」しかり、梅垣の「唐織ヌーヴォー」しかりである。堅苦しい伝統文様を離れ、自由度が高く、モダンな図案が描かれる。フォーマルよりも、もう少し気軽なパーティの席での着用を考えて、作られたものと言えようか。確かに、このような「デザイン」のキモノや帯ならば、洋装の中に入っても、すんなりとけ込めそうである。

 

個性を前面に出した新しい品物を作る一方、オーソドックスな、いかにもキモノらしい図案のものも作り続けられる。独創的なモノと、保守的なモノ、どちらも大切にしながら、並行してモノ作りを進めなければならない。この役割を果たすことで、メーカー問屋としての存在価値が生まれる。

市場規模が縮小したことで、メーカーのモノ作りは、大変厳しい環境下に置かれている。我々小売屋に出来ることは、自分の目に適う品物を探して買い入れ、一点でも多く消費者に提案することであろう。そうしないことには、メーカーのモノ作りは頓挫してしまう。そう思いつつも、うちのような小さな小売屋が仕入れる量には限界がある。これから、良質な品物を扱う店が増えてくれることを、切に願うばかりだ。

 

今日ご覧頂いた品物は、出品されていたものの中のほんの一部である。大羊居の作品や新しいテーマの品物などは、小売屋の店先では、なかなかお目に掛けられないので、特に選んで御紹介してみた。

新しい品物を見ておくことは、小売屋にとって大切な仕事であり、勉強の場でもある。自分の目を肥やして行かない限り、良質な品物を扱い続けることは出来ないだろう。

 

今回の発表会で、バイク呉服屋が買い入れた品物は、小紋と付下げ、それに夏の織物数点。まあ、身の丈に合ったモノ選びだと思います。

大羊居やアールヌーヴォーの品物などが、さりげなくウインドに飾ってあればカッコイイですね。でもそれは、実力のある専門店の皆様にお任せしましょうか。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

日付から

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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