バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

山口伊太郎の織(1) 胡蝶の舞 金地引箔袋帯

2016.01 08

源氏物語は、日本の文学における最高傑作であり、古典文学の頂点を極めるものとされている。平安期の雅やかな宮廷生活を、「光源氏」という主人公の生涯を通して、壮大に描いている。

894(寛平6)年の遣唐使廃止を契機に、日本独特の風土や生活に基づいた文化が生まれる。いわゆる国風文化と言われるものだが、その中でも、当時の政治中枢である天皇・摂関家の雅やかな生活を、仮名文字で生き生きと描いた紫式部の作品は、傑出している。

 

紫式部は、受領(ずりょう)と呼ばれた役人の娘である。この役職は、地方の行政官(現在では知事のような役割か)として、中央から派遣されるもので、父・藤原為時は淡路や越前・越後など、各地へ赴任していた。

当時、受領のような中級官吏の娘は、宮中に「女房」として採用されることが多かった。女房というのは「奥さん」ではなく、身分の高い者の世話係や家庭教師という役割の役職である。紫式部の父・為時が、当時権勢を誇っていた摂関家・藤原北家と縁続きだったことも、彼女が女房として採用された一因のようだ。

紫式部は、一条天皇の中宮(妻)彰子の女房として、採用される。彰子は、当時の実質的な権力者・藤原道長の長女である。藤原氏は、自分の娘を次々と天皇の妻に送り込み、外戚関係を築き上げることで、自分の地位を不動のモノにしていた。

源氏物語は、貴族社会の奥の院で働く「女房」でなければ描くことの出来ない「女房文学」であり、だからこそ、リアルで生々しい。そしてそれを、美を意識した、教養溢れる見事な筆致で書き上げている。同時代の随筆・枕草子も、歌人・清原元輔の娘として宮中に出仕していた清少納言の作であり、平安期の文学は、女性視点の女房文学であったことがわかる。

 

さて、この源氏物語は絵巻物の題材として残されている。もっとも古いものが、藤原隆能(ふじはらのたかよし)の手による「隆能源氏」と呼ばれるもの。現存するものは、全二十巻のうち四巻のみで、徳川美術館に三巻、五島美術館に一巻が所蔵されている。

これを、織物として復刻したのが、山口伊太郎・源氏物語錦織絵巻。1970(昭和48)年から2007(平成19)年まで、実に38年をかけて織り上げられたものである。山口伊太郎氏については、以前ブログの中で詳しく御紹介しているので、(2013.7.21 小袖几帳模様袋帯の稿)そちらをお読み頂きたいと思うが、現存している隆能源氏四巻を全て織物で復元するという、気の遠くなるような仕事がなされたものだ。

伊太郎氏は、70歳の時にこの仕事を決意する。完成する直前の2006(平成18)年、105歳で亡くなるまで、織りに全ての精魂を傾けていた。絵を写し取ることを、絵筆でなく、織りで表現する。これは、高度な技術と感性、それに挑戦者としての情熱無くしては、挑めるものではない。伊太郎翁は、最後まで織り職人として生きた稀有な人物であった。

 

伊太郎翁が作った会社・紫紘は、その名前からもわかるように、源氏物語が強く意識されている。会社のロゴは、源氏香図の「若紫」であり、山口伊太郎の源氏へのこだわりが見える。(詳しくは、2013.9.15 取引先散歩・紫紘の稿をご覧頂きたい)

紘という字の意味には、広げるとか、繋げる、紡ぐという意味がある。紫を紘げるというのは、源氏物語の世界を紡ぐ、という意味が込められているように思える。それは、平安宮廷の雅やかさを表現することであり、紫紘が織り上げる帯には、そのことが強く意識されている。そこには、日本固有の優美さそのものが題材にとられ、精緻な模様を美しい配色で描き切っている。

 

当店では、伊太郎氏が戦後、紫紘という会社を創設した時以来、60年以上にわたり、お付き合いさせて頂いている。現在、手入れのために店に戻ってくる紫紘の帯には、伊太郎氏の手による素晴らしい仕事を見ることが出来る。そして中には、今となっては、なかなか織り上げることが難しい品もある。

そんな美しい帯を、バイク呉服屋だけが見ていても仕方がない。ぜひ、皆様にもご覧頂こう。不定期にはなるが、ノスタルジアの稿の中で、これからその都度御紹介していくことにしたい。今日は、その第一回として、「胡蝶の舞」を題材にした品物である。

 

(胡蝶の舞 金地引箔袋帯・山口伊太郎 紫紘 1975年頃 韮崎市 S様所有)

 

「胡蝶」は源氏物語54帖の中の、第24帖にあたる。壮大なこの物語は、内容によって、区分けされるような構成となっている。胡蝶は、「玉鬘(たまかづら)十帖」の中の三つ目の帖である。玉鬘というのは、光源氏の愛人・夕顔の娘のことで、彼女を中心として描きながら、物語が進行している。第22帖の玉鬘から31帖の真木柱までが、玉鬘十帖にあたる。

夕顔は、「頭中将(とうのちゅうじょう)」と呼ばれていた人物の妻である。この頭中将というのは、官職名であるが、物語の中でこの人物は名前ではなく、官職名で登場している。彼は、源氏の正妻・葵の上の兄であり、光源氏とは義兄弟になる。夕顔は、素性を明かさぬまま光源氏との逢瀬を続けるが、急死する。残された娘・玉鬘は夕顔の死後、紆余曲折の末、源氏の養女として引き取られる。

源氏物語というのは、相互の縁戚関係や繋がりを覚えるだけでも大変で、光源氏はその間をぬうように、縦横無尽に恋愛関係を作っている。平安のプレーボーイの所業は、止まるところを知らない。自分の継母・藤壷と恋に落ちて子を産ませたり、正妻だった葵の上の死後、藤壷の面影を強く残す姪・紫の上を後妻に迎えたり、その上引き取った養女・玉鬘にも手を出しかけている。無茶苦茶・ドロドロの関係には、呆れるばかりだ。

源氏の女性遍歴を書いていると、いつまでも終わらないので、胡蝶の段に話を戻そう。

 

「胡蝶」の段のあらすじは、源氏が春・3月に催した船楽の模様を描くところから始まっている。船楽というのは、寝殿の前の池に高瀬船を浮かべ、その上で雅楽を演奏したり、童に舞を舞わせたりする「宴」のこと。

この童による舞が、「胡蝶の舞」と呼ばれる舞楽である。これは、蝶をモチーフとし、平安時代初期の歌人、中古三十六歌仙の一人でもある藤原忠房(ふじはらのただふさ)が作曲、宇多天皇の第八皇子・敦実(あつざね)親王により振り付けされたもの。基本的には、四人の少年による舞だったようだが、神社などでは巫女や少女が舞うこともあった。

今日御紹介する帯は、胡蝶の舞を舞う童達の衣装を、図案として使ったものである。

 

胡蝶の舞を舞う童の衣装。

春の上の御心ざしに、仏に花たてまつらせたまふ。鳥蝶に装束き分けたる童八人、容貌などことに整へさせたまひて、鳥には、銀の花瓶に桜をさし、蝶は、金の花瓶に山吹を、同じき花の房いかめしう、世になき匂ひを尽くさせたまへり。        (胡蝶・第四段 「中宮、春の季の御読経主催す」 より)

この段に、童が付けている「胡蝶」の衣装の記載があるので、大約してみよう。

春の上(紫の上のこと)の志として、仏前に花が供えられた。特に器量が良い美しい子を八人選び、その子達には、それぞれ蝶と鳥をかたどった衣装を身につけてさせた。そして、鳥の衣装を着た子には、銀の花瓶に桜をさしたものを、蝶の衣装を着た子には、金の花瓶に山吹をさしたものを持たせた。桜も山吹も、見事な房ぶりで、世にまたとないような麗しい花を揃えられていた。

上の記述にある、「蝶の装束」というのが、胡蝶の舞に使われるものと同じと考えられ、この時には、舞を舞うのではなく、仏花の供え役として童が着飾っている。

 

「蝶」をイメージして付けられた羽。衣装の翼は、皮、あるいは和紙に胡粉を引き、紅や緑青で彩色されている。翼は背だけでなく、胸にも付けられる。帯で表現されている羽は、十本に区分され、橙・紫・緑・青の四つの色が配されている。手に持っているのは、源氏物語の記述通り「山吹」の花。

宝冠を付け、髪には山吹の花を差し込んでいる。髪や顔の表情が、精緻な織りで表現されている。色を変え陰影を付けたり、一本一本の髪のほつれまで、流れるように細かく織り込まれている。伊太郎氏の源氏物語錦織絵巻でも、この帯と同様に織り込まれた「髪」を見ることが出来る。こういう織表現は、紫紘の帯でしか見られないものだ。

顔と髪を拡大してみた。織りとは思えないほどの細かさと、配色の妙がある。

袴と袍(ほう)と呼ばれる衣装の織り表現。袴は茄子紺色に木瓜(もっこ)模様が織り出され、袍には梅鉢と唐草が入っている。袍は朝廷へ出仕する時に着用されるものだが、画像で判るようにお尻の方へ、長く垂れ下がっている衣服である。

衣装の模様一つ一つを変えて、細やかに織り出す。一体どれくらいの時間をかけて、これだけのものを織り出しているのだろうか。考えただけでも、気が遠くなりそうだ。

 

桜と楓で表現されている「前」の部分。胡蝶の舞は、「お太鼓」で表現されているが、前は、桜と楓の春秋模様である。実は、この模様にも意味がある。

源氏が居を構えていたところは、六条院と言う場所だが、ここには広大な敷地があり、四つの町で構成されるほどの大邸宅であった。源氏の後妻となった「紫の上」は、春をこよなく愛していたため、彼女の居所は「春の町」と呼ばれていた。一方、「秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)」という人物も、六条院の中に住まいがあり、その名前でわかるように、「秋」を好んでいた。そして彼女の居所は、「秋の町」と呼ばれていた。

この秋好中宮という女性は、源氏が若い頃恋愛関係にあった「六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)」の娘である。六条御息所というのは、源氏の父・桐壺の弟(前坊と呼ばれ、皇太子の地位にあった)の妻を指す。

源氏は、自分の叔父の妻、血は繋がっていないが叔母とも「いい仲」になっていたのだ。この叔父と叔母の間に生まれたのが、秋好中宮であり、源氏とは従兄弟ということになる。

桐壺の弟・前坊は早く亡くなったため、六条御息所は娘の秋好中宮を伴い、天皇の居所の内裏から、六条院へ移り住んだ。もうだれかれ構わず手を付けたい源氏は、六条御息所が亡くなった後、美しく成長した秋好中宮にも興味深々であり、彼女へも近付いていた。

ある時、源氏が秋好に「春と秋、どちらが好きか」と聞いたところ、秋好は、「母、六条御息所が亡くなった季節である秋が良い」と答える。これを機に、源氏は秋好のために「秋の風物」を配した場所を六条院の中に用意する。ここが「秋の町」となる。

 

春を好む源氏の妻・紫の上と、秋を好む秋好中宮は、事あるごとに春と秋どちらが趣があるか、というような競い合いをしていた。この帯に付けられている春秋模様は、この二人の風流な季節合戦を表現しているものなのだ。

紫の上・桜と秋好中宮・楓の競演。模様を拡大するとよくわかるが、桜・楓の一枚一枚の模様に、それぞれの工夫が見える。特に楓の紅葉したさまなどは、配色を変えながら見事に表現されている。

 

色を挿すのではなく、織りでここまで写実的に描けるというのは、織糸の色や質を自在に変えているからだ。伊太郎氏は、様々な塗料や色を使った箔を開発し、それを多様に組み合わせて織り込んでいる。これにより、微妙な色や濃淡が表現出来る。また、糸質を撚糸と平糸で使い分けることにより、立体的で奥深い模様が織り出される。

どのような質の糸を使い、それにどのような細工を施せば、自分の描く模様を織り出すための「理想的な糸」になるか。この創意工夫を終生続けた。この帯の精緻な模様の裏には、それを生み出すための、血の滲むような試行錯誤が繰り返されている。

最後にもう一度、帯の全体像をご覧頂こう。

源氏物語の「若紫」をシンボルとする紫紘。若紫の段は、紫の上の幼少時代のお話である。紫の上が見た「胡蝶」の姿は、山口伊太郎氏でなければ表現できなかっただろう。

 

一昨日、年始の挨拶を兼ねて、紫紘の東京店へ行ってきました。丁度、伊太郎氏の孫である、野中淳史くんが居て、この「胡蝶の舞」の帯の話になりました。

昨年の秋、京都の本社で、偶然この帯の「見本裂」が見つかったとのこと。紫紘のface bookにも掲載されているようなので、興味のある方は、ぜひそちらもご覧下さい。

胡蝶の舞は、現在製作されていないため、品物を見ることができるのは「里帰り」してきたモノに限定されます。野中くんに、いま製作するとすれば、どのくらいの値段になるのか、と聞いたところ、「う~ん」と笑って確固たる返事をしてくれませんでした。それでも、「この帯をもう一度織ってくれないか」という引き合いがあるそうです。

伊太郎翁の意志を繋ぐためにも、ぜひお孫さんの手で、もう一度織って欲しい品物です。ただ、バイク呉服屋にはとても買えそうもありませんが。

今日も、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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