バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

絹をも凌ぐ光沢と風合い 綿薩摩・薩摩絣

2015.01 31

嗚呼 京の織り子は、つづれ破れた「木綿」を着て、誰が着るのか判りもしない「綾絹」を、せっせと織っているよ。

1925(大正14)年、細井和喜蔵によって著された「女工哀史」の一節。紡績工場で働く女性労働者の生活を、克明に描いたものとして知られている。戦前の社会の中で、女性がどのような立場で存在していたかを知る上で、大変貴重なルポルタージュである。

この本を読んだのは、大学へ入ってまもない頃のこと。日本史を専攻する者として、漠然と昭和初期の事象にテーマを見つけようとしていた。女工哀史と横山源之助の「日本の下層社会」は、明治以降に産業の近代化が進んでいく中で、いわば影の部分を映し出した作品の代表と言える。

昭和初期、繊維産業は貿易の花形であり、生糸は全輸出割合の40%以上を占めていた。生糸を作る製糸業や綿や毛を紡ぐ紡績業は、国内の最重要産業と位置づけられ、多くの人が従事する労働現場だった。女工哀史に記されたルポは、当時の「働き方」が如何なるものかばかりか、人間の尊厳そのものまで考えさせてくれる。

最初に書いた一節は、大阪の某工場で、女工が絹を着ることを禁じられていたことを、作者・細井和喜蔵が聞き及び、嘆いているのだ。自分達が綾絹を織っているにも関わらず、手を通すことも出来ない。着ているものは木綿のものばかりだと。

当時木綿というものは、農民や労働者の作業着であり、破れるまで何度も洗い、縫い直しては着尽くしていた。もちろん価格も、絹物とは比較にならないほど安価であった。

 

さて時代は移り、90年後の今日には、絹より高価な木綿が存在している。以前ご紹介した出雲織と同様、素材と技法にこだわった希少品、綿薩摩である。今日は、これを取り上げてみよう。

 

(本藍地 亀甲綿薩摩 仕立て上り品・東郷織物工場)

元々薩摩絣というものは、薩摩藩への献上品として琉球で織られていたことで、その名が付いたものだが、明治から戦前にかけては、鹿児島で織られていた。その頃は、現在のような高価な品という位置づけではなく、一般の綿織物のように、庶民の着る普段着であった。

戦後鹿児島では、高級織物・大島紬に生産がシフトしていき、木綿の薩摩絣は、日常着の需要減も相まって、衰退していく。そんな時に、この伝統的な木綿織物を残し、絹にも負けない品物を作ろうと考えた人物がいた。それが、東郷織物工場の永江明夫氏である。

永江氏が目指したものは、大島紬の技法をそのまま使って綿を織り上げることだ。それも、従来の木綿のイメージを一新し、絹を使った本場大島紬にも負けない風合いと着心地を出そうと考えた。

絹糸を使うことが前提である大島紬の工法が、そのまま綿糸で通用することは技術的にかなり難しいものだったが、長い試行錯誤の末に完成を見る。出来上がったものは、絹と間違うほどの光沢と風合いがあり、木綿でしか味わうことの出来ない着心地の良いものであった。

現在、木綿の最高品と言われている「綿薩摩」は、こうして生まれた。

 

亀甲絣を拡大してみた。画像だけでは、薩摩絣なのか本場大島なのか見分けられない。

 

薩摩絣のしなやかな着心地はどこから来るものなのか。それは使っている綿糸にある。糸が80番手という細糸だからこそ、絹にも負けない柔らかさと風合いが出るのだが、もっと本質的な、綿そのものにも由来している。少しそのことに触れてみよう。

薩摩絣で使われている綿は、エジプト綿である。良質な綿というものは、白く、細く、長いものとされている。綿の繊維が細ければ、一本の糸を構成する繊維が多くなり、そのことで丸みを帯びた糸断面となる。これが光沢が出る最大の要因となる。

現在繊維製品に使われている綿花は、大きく分けて2種類。アメリカを原産とするヒルスツム綿と、ペルーを原産とするバルバデンセ綿。世界の生産量の90%を占めるのが、ヒルスツム綿を品種改良したアプランド綿で、通称アメリカ綿と呼ばれているものだ。これは栽培が気象条件に左右されず、生育期間も短いため、ある程度決まった生産量が見込める。だから一般的な普及品として使われている。

もう一方のバルバデンセ綿は、超長繊維綿と呼ばれる品種で、繊維が長くて細い。その上、撚りが天然に付いていて油分を含んでいる。但し、天候や土壌に左右され、害虫に弱く栽培が難しい。いわゆる希少品である。

バルバデンセ綿の最高品は、カリブ海に浮かぶ小国・ベリーズ諸島で年間わずか200t余りしか生産されない海島綿(かいとうめん)である。それに次ぐものが、エジプトのギザ綿とインドのスピン綿、中国・新彊ウイグル自治区で生産されている西域(トルファン)綿。

エジプトにおける綿の生産量は、年間30万t余りだが、ギザ綿と呼ばれる高品質のものには、様々な種類がある。ナイル川流域で広く栽培されていて、一つの地域では一つの種類しか作らせず、その上、ファルファラという人の手による綿花の選別・ブレンドを厳格に守らせていることで、地域間での質の低下を防ぎ、良質な品物を作り続けている。最近では、海島綿との交配種であるフィンクス綿が登場し、いっそう高級綿花の生産地としての価値を高めているようだ。

 

エジプト綿を使うことで得られる薩摩絣の質感というものが、ある程度おわかり頂けたかと思うが、さらにもう一つの要因は、先に述べたようにそのエジプト綿の中の80番手という細い糸を使っていることである。

番手というのは、以前にもご説明したことがあったが、「原料の重さからどのくらいの長さの糸が取れるか」という、英国式番手(イングリッシュカウント)による糸の算定法。1番手とは、1ポンド(453.6g)から取れる糸の長さが840ヤード(768m)であり、これが基準となる。

ということは、80番手ならば、840ヤード(768m)の80倍ということになり、67200ヤード(61440m)にもなる。つまりは、番手が大きくなるにつれ、糸は細くなり、取れる糸も長くなるのだ。最高級綿とされている海島綿から取れる糸には、100番手のものがあるということでも、この木綿がいかに優れたものなのかがわかる。

この番手は、原料が変われば違うものとなり、麻には麻の、毛には毛の基準がある。例えば麻の1番手は、1ポンド=300ヤード(274m)となっていて、綿と比べればかなり太い糸である。

 

(鴇色 緯絣みじん格子綿薩摩 仕立て上り品・東郷織物工場)

一見無地のように見える細かな格子絣。60番手糸を使っているので、亀甲絣の品と比べると、若干生地に厚みがあるが、それでも絹と見間違うような柔らかな風合い。緯絣なので、価格は求めやすいものになっている。

綿は絹と違いすべりが悪い上に、細糸を使用するので糸が切れやすい。また、縮みやすい性質を加味しながら、織る必要がある。熟練した大島紬の織職人の手を持ってしても、様々な改良を加えながら、仕事を進めて行かなければならなかった。

木綿という素材で、絹を凌ぐような柔らかさと風合いを持つ薩摩絣は、長い年月をかけた作り手の情熱があったからこそ、出来たものであろう。

少し拡大してみた。小さな格子模様になっていることがわかる。

 

東郷織物では、綿薩摩ばかりでなく、藍や梅、五倍子、ヨモギなどの植物染料を使った草木染料独特の柔らかい色合いの大島紬や、軽くてシャリ感が楽しめる夏大島なども織られている。

地の糸が藍、格子の糸が黄檗 織機でおられた格子大島なので、手ごろな価格の品。

また、N.Aギャラリーと名付けられた、作品展示スペースと織工房が併設されている洒落た施設があり、織り上がった様々な品物を見ることが出来る。そこには、巾着や日傘、ポーチなどの小物類(夏大島の残り布を使った犬の洋服などもある)も多く置かれており、来訪者の目を楽しませている。

そして、求めやすい価格で綿薩摩の着心地を楽しんでもらうために、価格を抑えた「着楽ブランド」と名付けられた商品作りもされている。織機でシンプルに織り出された、モダンな縞や格子、横段など、気軽に街着として使えそうな品だ。何より多くの人に、薩摩絣の風合いを知ってもらうための試みである。

 

現在、綿薩摩を生産している織屋は、この東郷織物工場一軒だけである。最初にご紹介したような、精緻な亀甲絣のものは、本当に数が少なく、希少品と言えるだろう。だから、木綿のキモノの価格としては、飛び抜けたものになっている。

人の手による丁寧な仕事でなければ難しく、その上生産反数も少ないとなれば、どうしても価格は上がる。当然そこには、流通過程の問題があるのだが、もう少し、何とかならないものだろうか。

先にご紹介した、N.Aギャラリーでは、一昨年からネットでの販売を始めており、例の「着楽ブランド」と名付けられた商品は、価格も7,8万円までに抑えられている。また追々、現在高くなっている本格的な総絣のものや、夏大島なども売っていくことになるようだ。

このように、流通段階を飛ばし、作り手と消費者が直結するアンテナショップ等での販売方式を取るケースが、これからはもっと多くなるだろう。大切なのは、モノ作りを継続させることと、その商品を手軽に買うことが出来るようにすること。今までのように、流通段階の問屋や小売屋が介在すれば、希少品になればなるほど価格は上がっていく。

作り手が品物を直接販売し、その標準価格を提示していくことになれば、現在のように価格は高騰しないはずだ。普段着としての紬や木綿だからこそ、もっと一般消費者が求めやすい価格にしなければならないと思う。こんなことを言い出せば、問屋や小売屋の存在意義そのものが無くなってしまうかもしれない。

 

高価な細かい絣のものではなく、縞や格子の品物でも、その風合いは十分感じることができるように思います。ぜひ一度絹をも凌ぐ綿薩摩の着心地を試してみて下さい。

 

女工哀史を執筆した細井和喜蔵は、出版されたその年の夏病死します。この本は、和喜蔵の内縁の妻だった「堀としを」が、東京モスリンという亀戸の紡績会社に勤めていた時の体験を基に書かれたものです。つまり、夫婦二人三脚で作られた作品と言えましょう。

和喜蔵の死後、としをは男の子を出産しますが、わずか一週間で亡くなってしまいます。また、内縁の妻だったことで、女工哀史の印税が入ってきませんでした。この本は、その内容と共に著者夫婦の悲運が重なり、より哀感を誘います。

しかし、90年たった今もこの本が読み継がれていることで、和喜蔵・としを夫婦の思いが少しだけ報われたのではないか、そう思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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