バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

8月のコーディネート 『軽やかさは蝉の羽』 墨地色縞・能登上布

2014.08 31

今朝、庭の隅に蝉の亡骸を見つけた。夏の盛りと違い、随分鳴く声にも力がなくなったと感じられる。今日で8月も終わり、毎年この時期に聞こえてくる「蝉の声」は、いつも夏を惜しむかのように聞こえる。

一重なる 蝉の羽衣 夏はなほ 薄しといへど あつくぞありける 能因法師 (後拾遺和歌集)

訳:蝉の羽のような軽さの単衣の夏衣、薄いといえども、やはり暑く感じられるものだ。

10世紀末から11世紀中頃、平安時代の中期に活躍した僧侶兼歌人の「能因法師」によって詠まれた歌である。「蝉の羽」のような軽い衣ということは、素材が「麻」だと想像できる。「温暖化による異常な暑さ」の現代よりも、「しのぎ易い」はずだったと思えるが、「冷やす道具」など全くなかった中世の人々にとって、「薄物」を着ていても、夏はたまらない季節だったのであろう。

夏の終わり、しかも「薄物」を着る月である葉月(8月)最後の日になって、盛夏のコーディネートの稿を書くのも間が抜けた話であるが、来年のご参考にでもなれば、ということでお許し頂きたい。

 

(墨地色に縞文様 能登上布・山崎仁一)

「蝉の羽」とも称される「能登上布」。夏を代表する麻織物(上布)、越後・近江・宮古・八重山・そしてこの能登上布。上布というのは、麻を裂いて撚り合わせた糸で織られた生地のこと。

中でも能登上布は、もっとも古くから生産されていると伝えられている。起源は、「崇神天皇(すうじんてんのう)」の頃というから、3世紀中頃(250年頃)ということになる。言い伝えによれば、天皇の皇女が能登に滞在した際に「機織」を教え、それが契機になったらしい。

少し調べてみると、崇神天皇には「尾張大海媛(おわりのおおあまひめ)」という妃がおり、「大入杵命(おおいりきのみこと」という息子がいた。この息子が「能登国造(のとくにのみやつこ)」=能登の国を納める行政府長官の祖とされていて、この辺りが、「崇神天皇」と「能登」を繋いでいるとする理由なのかも知れない。

 

能登は平安期から原料である「芋麻(ちょま)」の栽培が盛んで、主に「近江上布」の原料として生産されていた。近江上布の特徴は、経糸に芋麻糸を使い、先染めで平織り。絣糸の色づけは「櫛押捺染」か「型紙捺染」である。この技法が江戸中期に近江から能登に伝えられて「能登縮」が生まれ、明治になって能登上布の名がついた。

「櫛押捺染」というのは、「櫛」に良く似た形の木の道具に染料を付けておいて、張られた糸にそれを押しながら染色していくこと。「型紙捺染」は絣の模様が彫りこまれた「木の型紙」を使って染色されること。この技法を使うことで、かなり多色使いの絣を自由に作ることが出来る。

「能登上布」と「近江上布」それに、「秦荘紬」(近江上布と同じ産地である、滋賀県愛知郡秦荘町で昭和初期から作られている織物)でこの同じ「絣作り」の技法を見ることができる。

もう一つ、能登上布を作る工程で特徴的なことに、「海晒し(うみさらし)」というものがある。これは、織り上がった品物の糊落しのために、海に漬けて乾かす作業を5回ほど繰り返した後、反物を木の臼に入れて搗く。その後足でそれを踏み、また海に入れて広げて生地を膨らませ、真水で濯いだ後、天日に晒される。越後上布は「雪」により漂白されるが、こちらは「海」である。地域それぞれには、その土地の自然を生かした技法がある。

 

現在、能登上布の織り元は一軒だけ。上の画像で「製織者・山崎仁一氏」のラベルが見えるが、この方の工房だけが残っている。

所在地の羽咋(はくい)市は、金沢から40キロほど北、能登半島南部を横切る「七尾線」の途中の、半島の「付け根」にあたる町である。この羽咋と、隣の中能登町(旧鹿西町・鹿島町)あたりは、昭和初期まで、全国一の麻織物の生産量を誇っていた。

能登上布の生産量が爆発的に増えた理由は、原材料が手紡ぎの芋麻糸から、紡績糸のラミー糸に変わったことである。この糸を使うことで、「糸を紡ぐ」手間がなくなり、それと同時に、強さのある糸なので、様々な絣模様も作れるようになった。もちろん「手紡ぎ糸」より「安価」でもあった。

最盛期の生産量は30万反以上、140軒もの織屋が軒を並べていたのだが、多くの織物産地と同様に、「普段着としてのキモノ」が生活から消えていくに従い、衰退していく。そして平成の始めには、織り元は「山崎織物工房」だけになってしまった。

そんな危機的な状況の中で、今もここが残っている訳は、「能登上布」に魅力を感じた若い人達が、工房に職人として飛び込んだからだ。今、モノ作りの中心になっているのは、金沢出身の尾西佐智江さんという30代半ばの女性である。彼女を始めとして、「上布」を次世代に繋いでいこうとする若い意欲により、伝統が継承されている。

以前、「出雲織」の稿のところでも書いたが、「伝統工芸品」を残すためには、どうしても「若い力」が必要になる。それは、大勢でなくても良い、わずか数人でも、意気を感じてモノ作りの現場に入り、技術を学んでもらえれば、品物の命は繋がる。こんな、意欲を持った若者をどのように、積極的に受け入れていくかが、産地の大きな課題と言えよう。

 

さて、ご紹介する品を見ていこう。能登上布の代表的な絣模様は、細かい十字蚊絣や、亀甲、麻の葉などの伝統模様が多い。

絣は、反巾の中に、60~120もの絣が入り、それが細かくなれば価格も上る。能登上布の絣モノの価格は、30万円以上になってしまい、夏の薄物としてはやはり贅沢品である。(宮古や八重山上布に比べればまだ安価だが)

だが、絣ではなく、縞や無地物ならば、15,6万ほどで用意出来るため、小売でも扱いやすい商品になる。もちろん能登上布独特の、滑るような柔らかい着心地、そして風が吹けば舞い上がってしまいそうな、「蝉の羽」のような「軽やかさ」は、十分堪能できる。この「縞」の品も、気軽にそんな着心地を楽しんで頂きたいためのものだ。

より、「墨色」と呼ぶのがよいような地色。反巾が1尺5分もあり、男女どちらにも使える。画像でもわかるように、反物を置いた下の畳が透けて見える。無地物に近いような細縞なので、帯合わせでいかようにも着姿を作ることが出来る。単純な色、模様のものほど、着る人の個性を出しやすい。

 

シルバーグレーと呼べるような、銀鼠色の無地感覚の名古屋帯。単彩な色と模様の上布を、「シンプル」に「涼やか」に見せることを考えてみた。帯は市松模様の織り出しで、所々にわずかな色糸が使われている。

(鼠地色 紙布絣博多織八寸名古屋帯 黒木織物)

ご覧のような紋織の名古屋帯。経糸に二種類の糸、緯糸に使われているのは絣染めをほどこした「紙」が使われている。このことで独特の風合いと軽やかな締め心地になる。黒木織物は、献上縞の平織帯や、半巾帯を作るメーカーとして知られているが、薄物に合わせる帯として、価格も手軽で使いやすいものがある。

帯と上布のコントラストは、こんな感じ。帯の地紋織がはっきりわかる。

 

今日のコーディネートの稿は、もう少し早い時期に書こうと思い、準備していたのだが、とうとう夏の終わりの日まで来てしまった。そして、品物は売れて仕立て上ってきてしまった。

8月も10日を過ぎる頃になると、毎年薄物の価格を下げる。特に浴衣や縮、この上布のような、気軽に着れる夏の普段着は、「来年まで品物を持ち越しても仕方ない」と思うため、かなりいい加減な値段にしてしまう。

これを自分で「バイク呉服屋の特攻価格」と名付けている。「特攻」というのは、暴走族が他団体と「抗争」する時に、特別な攻撃を仕掛けることを言う。もちろん、何とか品物を売ろうとして「お客様」を攻撃するという意味ではなく、「採算度外視」の値段で、「ネット上の価格」と「タイマン」を張るという意味である。「タイマン」というのは、やはり「暴走族用語」で、対立する他の団体の頭目と、「一対一」で勝負することを言う。

私のことをよくわかっているお客様は、毎年、この「特攻価格」になるのを待って、品物を見に来られる。個人経営で、価格に融通が利くと言えば聞こえは良いが、これではほとんど儲けなどは出ない。

それでも、「薄物」の着心地を楽しんでみたいという方には、なるべく価格の負担が少なくすむようにしてあげたいと思う。そうでなければ、中々、手を通すまでには至らないと思えるからだ。うちのような小さい小売は、たくさん品物を仕入れることは出来ないが、売れてしまえば、また買い入れる他はない。来年新しく仕入れた薄物も、おそらく「特攻価格」で売れていくことだろう。

 

仕上がった「能登上布」。「特攻価格」は7万円台。

 

枕草子の中にも、「蝉の羽より軽げなる直衣(なほし)、指貫、生絹(すずし)のひとへなど着たるも、狩衣(かりきぬ)の姿なるもさやうにして、若う細やかなる・・・」という記述が見えます。(30段)

訳:蝉の羽より軽そうな、直衣や指貫、生絹の単衣を着た人、狩衣姿の人も同じように軽い感じだ。

平安時代の「直衣」は、高貴な方が着用した平服で、その素材は普通「絹」が使われていたものですが、この「蝉の羽より軽げなる直衣」の記述を見ると、「麻」素材のものが想像出来ます。能因法師の歌も、枕草子も平安時代のものであり、「蝉の羽」という「着るものの軽さを表す表現」は、随分昔から「比喩表現」として使われてきたものだと知ることができます。

皆様も、来夏は「蝉の羽」の軽やかさをお試しになってみたら、いかがでしょうか。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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