バイク呉服屋の忙しい日々

むかしたび(昭和レトロトリップ)

孤高の雪見風呂 生保内・孫六湯

2014.08 17

お盆休みも終わりに近づき、高速の渋滞にうんざりされている方も多いだろう。中央道、関越道、東北道など30k以上車が連なり、トイレ休憩すらままならない。また、空の便、新幹線とも、今日の乗車率は100%以上だ。

「行きはよいよい、帰りは怖い」ではなく、「行きも怖いが、帰りはもっと怖い」と言えるだろうか。それでも、新幹線網が全国に広がったことで、列車の所要時間は本当に短縮された。来年には、北陸新幹線が開業し、これで新幹線が走っていないのは、北海道、山陰、四国だけになった。

「仕事が休み」の時に書くブログということで、今日は、「むかしたび・昭和レトロトリップ」の稿。ここ何年も、遠くへ出かけていないせいか、ブログに旅話を書くことで、気を紛らしている。「呉服屋」の話ではないので、読者の方にはご迷惑をかけるが、今回もお付き合い頂きたい。

外は灼熱な暑さなので、気分だけでも「涼しく」なるように、雪に囲まれた小さな温泉のお話。

 

秋田県・仙北市(旧田沢湖町・生保内) 孫六湯 宿全景   1989(平成元)年2月

昭和の頃、東北へ行くといえば、まず思い浮かぶのが「夜行列車」。「夜行」といっても、「寝台特急」ではなく、四人掛け直角イスに座り通しの長旅のこと。それが今や、東北新幹線の「はやて」に乗れば、青森まででも所要時間は3時間を切る。

青森、秋田、盛岡などに行くには、様々な経路と夜行列車があった。私が使ったのは、上野からの「夜行急行」。常磐線(いわき・相馬経由)で仙台まで行き、そこから東北本線に入る「十和田号」。東北本線を直行(宇都宮・白河経由)して、仙台、青森方面に向かう「八甲田号」。東北本線で福島まで行き、そこから奥羽線(米沢・新庄経由)で秋田方面に向かう「津軽号」。上越線(高崎・越後湯沢経由)で日本海側の新津に出て、そこから羽越線(鶴岡・酒田経由)で秋田まで行く「鳥海」号。

(1978・昭和53年8月 交通公社時刻表 東北本線)

上の時刻表で見る通り、ずらりと並ぶ、上野始発の夜行列車。これを見ると「東北」へ行くのには、「夜行」を使うという意味がわかると思う。夜10時すぎから11時台には、青森・秋田・盛岡・酒田・山形・新庄・仙台・会津若松といった行き先が並んでいる。また、「特急」ではなく、「急行」の多さも目に付く。新幹線開業前の「特急」というのは、かなり贅沢なものであり、「寝台特急」などはなおのこと「高嶺の花」で、「バックパッカー」ならずとも、一般の人が使えるような列車ではなかった。

それは、料金をみれば、なお明らかである。例えばこの当時、青森まで寝台特急を使おうとすれば、特急指定席券が3.100円、寝台券(一等A寝台・8.000~10.000円 二等B寝台・3.000~4.000円)だった。つまり、最低でも6.100円で、これに運賃が加わる。では、急行自由席(直角4人掛けイス席)ならばと言えば、運賃の他に700円かかるだけ。実に10倍近くの開きがある。いかに、「寝台特急」が「優等列車」であったかがわかろう。

北海道と東京を往復していた若い頃は、何日続けて「夜行」に乗っても何とも感じない体になっていた。今で言うところの「エコノミー症候群」(狭い場所で体を動かさずに居ると血流が悪くなり、重篤な症状を起すことがある)などどこ吹く風。よく働きに行っていた北海道の斜里(釧網線)までは、二昼夜46時間乗り通しである。「直角イス」における「熟睡の仕方」をお知りになりたければ、いつでもご指南致したい。

 

これからお話する「孫六湯」は、私にとって「癒しの湯」である。一人静かに世俗を離れ、心をリフレッシュしていたところだ。もう20年ほど行ってはいないが、昭和の終わりから平成の始めにかけての7.8年間、毎年訪ねていた。

ここに行く時期は決まっていて、2月初旬のウイークディ。周りが雪に閉ざされ、人の姿もほとんどない頃である。実際に、この時期の孫六湯で、同宿者に出会った記憶がない。いつも、宿でただ一人の客だった。

(田沢湖線付近路線図 交通公社時刻表)

まず、場所を確認しよう。上の地図では、秋田のどの辺りなのかわかり難いと思うが、秋田の東部、岩手との境に近い場所。八幡平や秋田駒ケ岳といった山の麓に当たる。

今、田沢湖へ行くには、「秋田新幹線」に乗れば、乗り換えなしで行け、東京からの所用時間は3時間を切る。近くなったもので、朝8時に出れば、昼前には着いてしまう。私が通っていた頃は、もちろん「夜行」利用である。よく乗ったのは、22時41分上野発の、東北・奥羽線経由「津軽2号・青森行」(上の時刻表の左端にその列車が見える)。秋田の大曲(おおまがり)到着は朝8時。ここで分岐する田沢湖線に乗り換え、接続がよければ、10時前には田沢湖駅に着く。

駅にほど近い「羽後交通」のバスターミナルで、「乳頭(にゅうとう)温泉行」に乗る。直接行けば1時間で着くが、いつも途中で降りて、田沢湖畔に向かう。この湖は、日本で最も深い湖として知られ、透明度も高く、真冬でも氷つかない「不凍湖」である。それゆえ、深い藍色(蒼色)をたたえた冬の湖面は魅力的で、周りの深い雪景色の中に映される色は、何ともいえない美しさがある。

夏は大勢の観光客で賑わいを見せるが、真冬の湖畔は歩く人もなく、静けさに包まれている。いつもこの風景に触れたくて、田沢湖に寄る。ついでに、湖北岸の「御座石神社」にお参りする。この神社は、秋田(当時の久保田藩主)藩、佐竹義隆公が、ここの石に座って田沢湖を眺めたことから「御座石」と名付けられた社である。規模は大きくないが、湖岸に建てられていて、ここから眺める湖面の色もまた良い。夏は湖周するバスがあるが、冬はないので、ここまで歩く。

一軒だけ、真冬でも店を開けている食堂でそばを食べて、改めて乳頭温泉行バスに乗る。田沢湖からだと40分程度である。湖の北は田沢湖高原が広がり、別荘やホテルも並ぶ「リゾート地」がある。ここを通り抜けると急に山深くなる。乳頭山や秋田駒ケ岳が迫って来るのだ。

 

乳頭温泉には、独立したいくつもの湯がある。バスの終点の手前にある「妙ノ湯」と「鶴ノ湯」、終点バス停の前の「大釜温泉」と歩いてすぐ近くの「蟹場温泉」、そして、15分ほど小道を歩かなければならない「孫六湯」とその奥の「黒湯」。

この20年の間、「秘湯ブーム」のおかげで、すっかり乳頭温泉もメジャーになった感がある。特に「鶴ノ湯」と「黒湯」はよくテレビの「温泉番組」などで取り上げられているのを見かける。ここは、若い人達にも、魅力的な温泉に見えるのだろう。また、それぞれの宿も改築、増築して新しくきれいになり、一般旅行者がここに泊まることには、何の違和感もなくなった。

「乳頭温泉」自体は、一部の「マニア的人」の知る温泉ではなく、「観光旅行」の行き先として利用されるような場所になったのだが、そんな中「孫六湯」だけは、いまだに昔の「山の湯」の面影を色濃く残しているようだ。それは、宿の施設に手を加えず、昔ながらの素朴さを大切にしているということだろう。

 

20年前の孫六湯に話を戻す。孫六湯が、未だに「山の湯」であり続けられるのは、その立地にもある。バス終点から、先達川に沿って小道を歩かなければたどりつかない。冬ならば、かなり雪が積もっているが、このわずかな距離により「俗化」を免れている。また奥の「黒湯」は冬季休業なので、孫六湯が乳頭温泉の中でもっとも遠い湯になっていることも要因だろう。

宿までの雪道。画像を見れば、人が一人歩くだけの「一筋」の踏み跡が付いているだけ。こんな道を約15分ほど歩く。

宿の正面に着いた。最初の画像でもわかるように、何棟もの建物がある大きな湯と思われるかも知れないが、この当時の宿泊棟は、トタン屋根の木造二階建て(画像右側の建物)と、藁葺きの「自炊棟」だけで、ほかの建物は「湯小屋」と「倉庫」である。

宿の玄関を入ると、「高山植物監視所」と書かれた標札が目に飛び込む。ここは、乳頭山や秋田駒ケ岳の登山口にあたり、この当時孫六の客のほとんどが「登山者」であった。

宿の部屋はふすまで仕切られていて、一間が4畳半から6畳と決して広くない。また、ここの電気は、「自家発電」(バス停から歩いてきた小道は、「孫六水力発電専用歩道」と名前が付いている)であり、部屋に「コンセント」がない。

夜の10時になると、自然に電気が消える。部屋のあかりは「裸電球」で、もちろん「テレビ」「冷蔵庫」などの「旅館設備」などある訳がない。ということで、冬の暖房は旧式(マッチで点火する)の石油ストーブだけである。

夕方になると、このほの暗い電球の灯りに「趣き」を感じる。「電気製品」がないということは、「音」の出るものがないということで、風の音や獣の声などもよく聞こえる。真冬の夜、雪が「しんしん」と降り積もるのが、窓のほの灯りから見える。孫六の魅力の一つは、この「静寂」だ。

 

宿の前にある露天の「脱衣所」。これでは、男女の別もあるものではない。真冬は震える寒さである。この画像は、これでもかなり雪の少ない年のもの。普段の2月は雪だらけになっている。

右側の「池」のように見えるのが、風呂。この画像に映っていない左側には、「石の湯」という「湯小屋」がある。「パイプ」はこの「湯小屋」から、外の露天に向かって伸びている。

「石の湯」は、小屋の中に大きな石があり、その間から湯が出ている。ここも混浴。この小屋から、直接外の露天にいける扉があり、いきなり露天で脱衣せず、とりあえず「石の湯」で暖まってから、外へ出る。中はほの暗く、湯は熱い。もう一つの「小屋」は「唐子(からこ)の湯」。ここだけは、男女別浴。コンクリート作りの浴槽に、湯が溢れる。ここは「適温」。

 

私は、だいたい2泊して、湯を思い切り楽しむ。着いた日の夕食前と後。翌日の早朝と朝食後。昼食の後すこし横になり、夕方と夕食後。翌日の早朝と宿を出る前。合計6,7回。一回の時間は1時間から1時間半。

早朝、夜明け前に外の露天から見る、雪に映る朝の光の輝きは、すばらしい光景。雪の舞い散る中、入る湯もまた良い。誰もいない湯を「ひとりじめ」にした贅沢さを存分に味わうことが出来る。自然の光や、風の音だけを感じながら、ゆったりと浸かることで、「世俗」から開放され、いっぺんに「リフレッシュ」するのだ。

宿の食事は、贅を尽くすようなものではない。素朴な山の幸が中心である。秋に採って保管しておいた山菜の煮物や川魚(イワナ)の甘露煮や焼き物。そして、小さな土鍋で出される「キリタンポ」。当時宿を切り盛りしていたばあちゃんが作る「家庭」の味。この宿にふさわしい、簡素ながら心のこもった品だ。

 

私がこの湯に惹かれたのは、やはり「ありのまま」、「自然そのもの」が感じられるところだったと思う。宿の施設は整えなくてもいい。食事が特別なものでなくてもいい。電気など「最低限」あればいい。湯小屋などはそのままでいい。

訪れる客の「便宜」など、考える必要はないだろう。孫六湯に来て、「不便さ」や「居心地」を口にする人は、残念ながら「日常」という域から抜けられない人だと思える。ここには、他で感じることのできない、「静寂さ」と「非日常」がある。これが「贅沢」なのだ。

 

今、ネットで「孫六湯」の様子を見ると、少し「新しく」なった建物(例えば「石の湯」の脱衣所がきれいになっている)も見えるが、全体の印象は当時と変わらないようだ。他の乳頭温泉の湯が「俗化」「観光化」する中、この湯だけが今も、「ありのままの素朴さ」を持ち続けている。

今度冬が来たら、久しぶりに訪ねてみよう。誰とも話さず、誰もいない「孤高の雪見風呂」で、日常の瑣末なことから離れる時間を作りたいと思う。皆様も、「心をリフレッシュ」するため、一度訪ねてみたらいかがだろうか。

 

一度だけ、家内を連れて、この「孫六湯」に行ったことがあります。その年は、雪が多く、かなり寒い年だったので、「旧式ストーブ」だけの部屋と、混浴の露天には、かなり「懲りた」ようでした。

さらに、帰ってきて、寒さが原因と思われる「膀胱炎」を患ったことで、「孫六湯」は恐ろしいところという印象しかないようです。ここの素晴らしさが、どうしても理解できず、やはり、「あなたと私は違う人」という意識が一層強くなりました。

やはり、「元ヒグマ使いのバックパッカー」と「都会育ちのカタギの女性」では、「心に感じるもの(ツボ)」に、かなりの隔たりがあります。ただ、これでも何とか、夫婦が続けられるのだから、不思議なものです。

彼女を旅に誘うと、まず、泊まる宿に「コンセント」があるかないかを、真っ先に確認します。「孫六湯でのトラウマ」は、消えていないようです。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

(孫六湯の行き方)

東京から:秋田新幹線「こまち」で田沢湖駅下車。2時間50分。

       田沢湖バスターミナルから「乳頭温泉行」(羽後交通バス) 1時間 

       終点下車後、徒歩15分。(冬季営業)

 

 

 

 

日付から

  • 総訪問者数:483078
  • 本日の訪問者数:107
  • 昨日の訪問者数:700

このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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