バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

加賀友禅を見分ける・番外編 フランス人・マリーさんの疑問

2014.08 21

ひと月ほど前、突然パリから質問メールが届いた。ブログを書くということは、世界に情報を発信しているということ。当たり前のことだが、改めてこのことを実感して驚く。

名前は「マリーさん」らしい。フランス語で書くと、「mayishitar」。グーグルの自動翻訳では「マリー」と訳されていたが、本名はわからない。もとより私にフランス語がわかるはずもない。

さて、その質問の内容である。それは、彼女(彼?)が手に入れた「加賀友禅の黒留袖」と、私がこのブログで紹介した「加賀友禅の黒留袖」の柄が「酷似」しているのに、「落款」が違うのは何故かということである。

 

この品物は、昨年11月に「ノスタルジア」の稿でご紹介した、「毎田仁郎」製作、加賀友禅黒留袖「松竹梅に千鳥模様」。マリーさんは、これを読んだために私にメールをしてきたのだ。

「あなたのブログに紹介されている品物」と「私の手元にある品物」は「瓜二つ」。「兄弟のように思える品物」と書かれている。もちろん画像も添付されていて、「何故ほとんど同じ」に見えるのに、「作者」が違うのか、それを教えて欲しい。

これは、「手描き」か「型か」という問題に発展するのだが、「マリー」さんはもちろんその事に気づいていない。「一般の日本人」でさえ、その「見分け方」は難儀することなのに、それをフランス人にどのように説明すればよいだろうか。

「加賀友禅」に似せた、「京加賀」と呼ばれる「型友禅」が存在することはわかっているが、ここまで「作家」の品を「コピー」したものがあるとは、思わなかった。しかも、それに気づかせてくれたのは、「異国」の人である。

今日は、そんな「マリー」さんの品をご紹介しながら、どうして「コピー」された品物が存在するのか、またそもそも「加賀友禅」に描かれている図案というものは、本当に作家自身の「オリジナル」なものなのか、そのあたりを探り、読者の方々にご提示したい。

 

マリーさんという方は、ただの「キモノ好きなフランス人」という訳ではないらしい。彼女は、「CABINET DE CURIOSITES JAPONAISES・Trouvailles et artisanats du japon(日本工芸品の発見)」というサイトの主宰者である。ここを訪問してみると、「染織品」だけでなく、様々な日本の文物が紹介されている。しかも、一つ一つの記事はかなり「専門的」なものだ。ただ、どのような意図でこのサイトが立ち上げられたのか、またマリーさんの経歴がどのようなものかはわからない。今日の稿の最後に、アドレスを書くので、一度ご訪問頂きたい。

 

「マリーさん」がメールに添付してきた、手持ちの品物の画像

一見したところで、「毎田仁郎」の作品と酷似していることがわかる。「兄弟のような品」とマリーさんが言うのも無理なからぬ品である。「構図」「彩色」などほぼ全てが一致したもの、すなわち「コピー」されたものと見ることが出来る。

では、品物の細部を比較してみよう。「似て非なるもの」であることを「検証」してみる。

落款 「崇」 作者不詳 マリーさん所有の「型友禅」黒留袖 裾模様部分

 落款 「仁」 毎田仁郎製作 「加賀友禅」黒留袖 裾模様部分

一見、かなり似ているように思えた二つの品物だが、こうして並べて比較してみると、かなり「違い」が鮮明になってくる。まず、全体の模様の付け方は、「道長取り」で同じように成されてはいるが、挿し色の違いと、中の図案に描かれている花の種類にも違いが見える。

例えば、マリーさんの品には、明るい「黄土色」で色挿しされた「小菊」の花模様が見えるが、毎田作品には「菊」が入っておらず、「松竹梅」だけである。そして、全体を見渡した時、模様の密度が違い、全体として「深み」がかなり違う。また、舞い飛ぶ「千鳥」は、マリーさんの品では、柄の中に埋もれてしまい、存在感がないが、毎田作では、はっきりとした印象が付けられている。

 

柄を拡大して、さらに「違い」を見る。「手描き」と「型」の違いも検証して見る。

マリーさんの品 柄の上部を拡大したところ

毎田作品 上前身頃上部を拡大したところ

単純にこの二か所を見ただけで、図案の立体感や、色挿しの重厚感の違いは明らかだろう。やはり、千鳥や花の一つ一つの構図を見ただけで、歴然とした「差」が見られる。「型糸目」を使っているものと、手で「糊」を置いた品の違いだ。

「型」が使われている品は、その「型」の精緻さにもよるが、手でなされた品に比べて、どうしても「平板」で「単純」な印象になる。つまり、「人の手」による細やかさに欠け、「柄の深み」や「奥行き」というところに行き着かないのだ。

この二つの品物のように、ほとんど同じ図案を描いたものであれば、なお一層違いがわかる。

 

「型」と「手描き」、それぞれの「糸目」の違いと「色挿し」や「ぼかし」の技法などを、もう少し詳しく見てみる。

マリーさんの品 「松」を拡大したところ

毎田作品 「松」を拡大したところ

「松」の中に付けられている「白い筋」=「糸目」に注目して欲しい。上の画像の「筋」は「均一」である。これは、「同じ型」を使って糸目を付けているからである。下の画像では、「松」の中に施されている「筋」=「糸目」一つ一つの形が全て違う。また、「少し筋のブレ」も見える。つまり「不均一」なのだ。人の手で糸目を引くと、自然に違う形になる。たとえたった一つの「松模様」でも、決して同じにはならない。「手描き」か「型」か見分けるのに、一番わかりやすいポイントでもある。

また、「松」の色挿しに注目してみると、上の品の色の挿し方や「ぼかし」の施し方は、「単純」である。「藍色」という色一つでも「単純」に濃淡を付けたものと、一つ一つの松に、「微妙」に濃淡の差を付けると同時に、「ぼかし」にも変化を付けたものでは、これだけの違いが出てしまう。つまり、卓越した技術を持つ「加賀友禅」の作家と、そうでない者との差は歴然としたものがあるということだ。

 

もうひとつ「千鳥」の模様を比較してみよう。ここはもっと「差」がわかりやすい。

マリーさんの品 「千鳥」を拡大したところ

毎田作品 「千鳥」を拡大したところ

それぞれの鳥の図案を比較してみよう。上の画像の鳥の輪郭や中の羽を表現するための「糸目」は大雑把で単純なもの。下の画像の鳥に付けられた糸目は細く、一羽一羽が異なるように施されている。作者が描く「絵心」というものの有る無しが、「鳥」の模様からもわかる。

「型」を使う場合、どうしても柄がありきたりになる。それは、友禅にとっての命ともいえる「糸目を引く」という工程が省略されているからだ。また、先ほどの「松」同様、「色挿し」の技術の差はあまりにも大きい。「鳥の羽」一枚にも、微妙に濃淡を付け、ぼかしをほどこし、アクセントが付けられている。この細やかな仕事が、柄全体となって仕上がった時に、改めて作品の奥行きとなって表れてくるのである。

このように、細部からも全体からも、「型」と「手描き」の違いは、やはり「均一」と「不均一」の違いということが出来るだろう。「人の手」によりほどこされている「糸目」は、同じように付けようとしても、決して同じようにはならないという、「自然な」仕事が、否応無くなく作品の上に表れてくる。それこそが、「手描き友禅である加賀友禅」というものの本質であろう。また、「色挿し」や「ぼかしの技術」の精緻さと、それをどのように柄の中に生かすかということは、「作家」としての生命線であり、ここを見ることで、作品の優劣がわかるように思われる。

「マリーさん」の質問メールのおかげで、改めて、「型」と「手描き」の違いというものを、このブログの上でお話することが出来た。今度のように、ほぼ「同じ」図案の二枚のキモノの比較だと、より一層その「差」は鮮明になり、「違い」というものが、読まれている方にもわかりやすかったのではないだろうか。

 

マリーさんへの返答は、この二枚は似ている図案であるが、その制作過程は大きく異なり、「似て非なる」作品であることを伝えた。但し、「型糸目」と「手描き糸目」の相違を、フランスの方にわかりやすく説明することは私の能力では難しく、単純に「コピーされたもの」としてお話しておいた。

 

だが、返事を送った後、マリーさんの品物が本当に「毎田作品」の「コピー品」と言い切れるだろうか、という疑問が湧いてきた。

というのは、あまりにも図案や挿し色が似ている、この落款「崇」の作品に関った者が、どこかでこの「毎田作品」に出会い、それを見ていなければ「コピー」は作りたくても作れない。果たして、そんな「機会」はあるのだろうか、という疑問である。

もちろん、「崇」という落款が加賀友禅の技術者名簿に載っている訳はない(手描き作品ではないのだから)。色挿しをした人間が、「便宜的」に付けてしまった「紛らわしい落款」である。いわゆる「京加賀」と呼ばれるような、「加賀に似せて作られている型友禅」の範疇のもの。

どこか、「流通の段階」で(もちろん金沢などではなく)、この「毎田作品」が目に留まり、「同じような構図と挿し色」でコピー品を作ろうと思い立ったと考えれば、合点がいく。おそらくその可能性が一番高い。だが、「毎田作品」そのものが、作られるときに何らかの「絵」や「モチーフ」が参考にされたということも考えられる。

つまり、この作品の図案や色は、「毎田仁郎氏」のオリジナルではなく、すでにあったもの(絵画などか?)を、毎田氏が自分の作品に取り入れたと仮定することも出来る。そうすれば、コピー品は、実際の毎田作品を見ないで、この参考にされた「別のもの」を見れば、作ることができるのだ。

先日、加賀友禅作家の上坂幸栄さんにこの疑問をぶつけて見た。「加賀の有名作家」は、自分の作品に描く図案や色について、すべて自分だけの「オリジナル」なものを使っているのかという疑問である。上坂さんによれば、品物によっては、何らかの「参考になるもの」をそのまま利用して、作品作りをするようなことも考えられると言う。

つまりは、この「毎田作品」は、その図案や色使いが、「毎田仁郎オリジナル」ではない「可能性」もあるということになる。もちろん何が真実かはわからない。しかし、「偶然」にもほぼ「同じ構図、色挿しのコピー品」が見つかったことで、「これまで考えられなかったような疑問」も生まれたのは事実だ。

もちろん、この作品における、糸目、色挿しを始めとする、毎田仁郎氏の「加賀友禅の技術」そのものの素晴らしさを否定するものではないことは、言うまでもない。これは、図案の「オリジナリティ」の問題である。

 

マリー(mayishtar)さんが、この自分の持っている品物を紹介しながら、「加賀友禅」について記述したものが、下記のサイトに掲載されています。その文の中には、参考サイトとして、この「バイク呉服屋のブログ」のURLも載せられており、協力者として私の名前も書かれています。

異国の方でも、日本文化に興味をもたれ、自分の持つ疑問を解決するために、労を厭わないという姿勢は、大いに学ぶべきでしょう。

それにしても、相手の言語が全くわからないということは、意志の疎通を図る上で大きな障害になります。「自動翻訳」がもう少しどうにかならないものかと、改めて思いました。「グーグルさん」には、もう少し頑張って欲しいものです。

mayishtarさんのサイトURL

https://curiositasjaponicae.wordpress.com/textile/kurotomesode-kaga-yuzen/

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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