バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

続・伝統工芸品を考える 加賀友禅作家・上坂幸栄さんのこと(前編)

2014.07 13

ブログに載せる記事を書くときは、自分の経験したことや知識ばかりでなく、沢山の資料も参考にさせて頂いている。だが、今までの話の中で、「念を入れた」つもりの稿でも、間違った認識のままお話してしまっているものがある。

そのことが、読者の方からのご指摘により、気づかされる。これは、自分の不勉強さが浮き彫りになり、情けなく、恥ずかしいことだが、大変有難いことでもある。正しい認識をわきまえないままに話を進めることは、「間違ったままの情報」を読者に伝えることになり、ブログを書く上では、絶対に避けなければならない。

「公」の場に、自分の文章を晒すということは、その内容に責任が生じるということに他ならない。これからも、読者の方々には、「疑問に感じること」や「間違っている点」などあれば、何なりとご指摘頂ければ、と思う。ぜひ皆様には、このことをお願いしたい次第である。

今日の話は、そんな読者の方からのご指摘でわかったことであり、この内容は、「加賀友禅」という「伝統工芸品」が持つ問題をも含んでいる。前編では、私の「誤った認識」を気づく契機になった、一人の加賀友禅作家のことから、稿を進めていくことにする。

 

 

私は以前このブログで、「加賀友禅」の作家としての「認定基準」は、「加賀染振興会」に「落款」が登録されていることが全てであり、登録されていない人の品物は「ホンモノ」とは言えない、と書いた。もちろん「京加賀」と呼ばれるような、「型」を使い加賀に似せて作ってあるものは、どんな「落款」があるにせよホンモノではないことは言うまでもない。

しかし、今日お話するのは、「ホンモノの加賀友禅」でありながら、「落款登録されていない」作家の品物が存在するということだ。つまりは、「加賀染振興会」が発行する「加賀友禅手描技術者登録名簿」には掲載されていないが、その作家の技術はまさしく「ホンモノ」であり、むしろ下手な登録者を凌駕するような腕を持っている。

 

呉服業界の川下にあたる「呉服屋」は、「加賀友禅」というものを見極める時に、やはり「錦の御旗」ともいえる「落款登録者であるか否か」に重点を置いてきた。そして、加賀友禅に付けられている「伝統工芸品の印である、伝マーク」や、「産地商標」を頼りに「ホンモノ」か否かを判断してきたのだ。「国」が認定してきた基準以外のものを、認めるという意識が私には全くなかった。

つまりそれは、「作品」そのものの技術を見ているのではなく、「証紙」だけでその品物の価値を判断していたということに他ならない。これは、品物を扱う者として、「恥じるべき」ことだ。加賀友禅の場合、一人の作者が全ての責任を持って一点の品物を仕上げていく。分業である織物とは違い、作者の「独自性」が反映されやすい。そのことを考えれば、「証紙」や「落款」だけで品物を決め付けてよいはずがない。

 

私にこのことを気づかせてくれたのは、「上坂幸栄さん」という一人の加賀友禅作家の存在である。彼女は「加賀染振興会」が発行する「落款登録者」ではない。以前の私の判断基準ならば、「ホンモノ」の加賀友禅作家ではないと決め付けてしまうところである。

この方は、一体どのような作家なのだろう、と調べてみたところ、私の想像を越えた「現代の友禅クリエイター」とも呼べる方で、私は自分の不明を恥じる結果になった。

上坂さんの描く作品は、何も今までの「加賀友禅」が描いてきた図案や、色挿しから離れたものではなく、むしろ「花鳥風月図案」と加賀独特の優しい「色挿し」による、いかにも「加賀らしい」また、「女性の描く細やかさ」のある作風のものばかりだ。

もちろん、「加賀」の作家であるので、師匠のところへ弟子入りし、修行するところから、友禅師への道を踏み出している。つまり始まりは、「落款登録者」として友禅作家になっている方たちと、何ら変わりない道を辿ってきたのだ。彼女の絵の力は「日展」入選作家でもあることで、世間的には十分認められる実力の持ち主ということがわかる。「落款登録者」であるならば、当然加賀友禅作家の「若手実力者」として、作品が流通するはずの方である。

それなのに、彼女の作品が、「問屋経由」で小売店に運ばれることはまずない。目にすることが出来るのは、「個展」が中心になる。それも、「意外な場所」でだ。1980(昭和55)年に作家として独立して以来、アルゼンチン、ニューヨークなど海外で個展を開いている。中でも、2005(平成17)年の、ニューヨークの国連本部で展覧会が開催されていることには、大変驚かされた。

もちろん国内での個展も度々催され、2000(平成10)年には、年賀葉書・「石川県版挿絵」として、「兼六園雪吊り」を描いている。石川県を代表する金融機関の「北国銀行」の頭取室の屏風を描いたり、山中温泉の有名旅館の大広間の舞台絵を描いたり、「キモノ」だけではない「クリエィター」としての仕事も目立つ。

そればかりか、加賀友禅の「意匠」を後世に残すべく、描いた図案を「デジタル版画」にしたり、CGを使った舞台映像を製作したりと、従来の「加賀友禅作家」とは、かけ離れたスケールで仕事が成されている。

昨年の上坂さんの代表的な仕事の一つが、「ディズニー社」から依頼された、アニメ映画「モンスターズ・ユニバーシティ」を題材にした「加賀友禅の振袖」製作である。これは、このディズニー作品をPRする企画の一環として、各地方の伝統工芸とキャラクターを「コラボ」する品物が製作されたのだ。

上坂さんの描いた振袖は、主人公の「モンスター」の明るい青色を「地色」とし、柄行きは典型的な加賀友禅にあしらわれる「梅・桜・牡丹・藤・松」の模様の中に、「モンスター」たちが遊ぶ姿が描かれている。加賀友禅の雰囲気を壊すことなく、「アニメキャラクター」を柄に取り込むというのは、大変難しいことだと思うが、作られた作品を見ると、「違和感」がない。彼女が、「グローバル」に自分の作品を発信するという、今までの経験がなければ、とてもこうはなるまい。それこそ、「伝統工芸品」ということだけに捉われていては、とても出来ない仕事である。

 

彼女の仕事振りから、とても既存の「加賀友禅作家」には納まらないスケールで物を考え、作品が生み出されていることがわかったが、最大の疑問はなぜここに至ったのか、ということである。それは、十分な実力がありながら、「加賀友禅作家」としての「お墨付き」ともいえる、「落款登録」をせず、「独自の道」を歩み始めた、「理由」は何かということにも繋がる。

 

私は、高校時代「新聞部」に所属していた。作られる新聞は「高校生」のものとしては、かなりレベルの高いものだったと、今にしても思える。高校生が作るありきたりな「校内の情報」を書くというものではなく、「社会問題」や時には少し「政治的な問題」に対して、それを批評するような「コラム欄」などが多く設けられていた。

私の「文章」は、そんな高校時代に少しだけ鍛えられた。すぐ上の先輩に「偉大な方」がいて、(この辺りのことは、近いうちに「私の文章修行」という稿を起して、書きたいと思う)モノを書く時、一番重要なのは、「現場を踏むこと」と「直接取材すること」だと教えられた。

私は、このことを思い出した。とすれば、今回の疑問を解くには、「本人」に聞くのが一番である。そして、私は、「梨元勝」になる決意をした。

「恐縮ですが」、上坂さん本人への「突撃電話インタビュー」を試みたのである。

 

次回は、この取材の結果、見えてきた「加賀友禅」という伝統工芸品の現状と、それにまつわる流通の問題点、職人が置かれている厳しい現実など、まさにこの稿のタイトルである「伝統工芸品を考える」上で、お話しなければならない様々ことについて、書きたいと思う。

もちろん作家「上坂幸栄さん」の素顔もご紹介してみたい。こう次回予告が出来るということは、「突撃インタビュー」が成功したということである。

 

上坂さんの作品は、HPをお持ちなので、ぜひそちらをご覧になってみて下さい。(友禅・上坂で検索してみて下さい) 私のような、得たいの知れぬ地方の小さな呉服屋の「ぶしつけ」な疑問に答えて頂き、感謝に耐えません。

電話を終えたあと、様々なことを乗り越え、自分らしい生き方を貫いている方の、「懐の深さ」というものをしみじみ感じました。やはり、モノを書くには、「直接取材」することが「何より」でありました。読者の方々にも、その辺りのことが伝えられるように、次回書いていきたいと思っています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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