バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

早春に咲く「学問の花」 梅文様

2014.03 09

3月に入り、高校や大学入試も大詰め、各地で悲喜こもごもの合格発表の光景が見受けられる。15の春、18の春の結果次第で、人生が変わっていく。それぞれの「分岐点」になる「春」である。

「困った時の神頼み」というのは、「宗教心」の薄い大多数の日本人の特性をよく表している。「薄い」というより、「いい加減な多神教徒」というべきだろうか。正月は、「初詣」をし、彼岸と盆は「墓参り」をする。また「クリスマス」は年末の一大イベントと化している。

「天照大神」と「釈迦や仏陀」と「キリスト」がごちゃ混ぜになって一年を過ごしている。「宗教の雑貨屋状態」を何のこだわりもなく受け入れているのは、「日本人」くらいのものであろう。

「受験生」の神頼みといえば、「神社」へお伺いを立てるというのが一般的だ。それも、「天満宮」と呼ばれる神社にお参りすると「ご利益」があると言う。有名なのは東京・湯島天満宮、京都・北野天満宮、福岡・太宰府天満宮。この「天満宮」というのは、「学問の神様」として知られる「菅原道真公」が祭られている。だから、「学問の智恵が授かるように=合格祈願」ということになるのだ。

 

東風(こち)吹かば、にほいをこせよ梅の花、主(あるじ)なしとて、春な忘るな (拾遺和歌集)

「菅原道真公」の詠んだ歌として、あまりにも有名な歌。東風が吹く春になり、京の屋敷に咲く梅の花は、芳しい香りを漂わせる。私がそこに居なくても、忘れることなく「春」が来たことを届けておくれ。

この歌が詠まれた901(延喜元)年、道真は当時の左大臣藤原時平との確執の末、九州・太宰府に左遷された。道真は2年後、この地で没するが、彼の愛した梅の花が、その徳を偲んで、京都から太宰府まで飛んできて、この地に花を付けるという「飛梅伝説」が生まれる。太宰府天満宮のご神木の「白梅」は、樹齢千年とされ、この伝説の裏付けともなっている。

ということで、今日は「学問の花」とされている「梅花」模様についてお話していこう。

 

(四君子紋織 銀鼠地色・裾木蘭色ぼかし しだれ紅梅白梅飾り錦模様訪問着 トキワ商事)

「梅」は春一番に咲く花として、もっともポピュラーなものであるが、キモノの図案として、「梅の花だけ」を使い柄付けされているものは、やはり「旬」を感じさせる品物といえよう。特に上の品のように、「紅梅と白梅」を意識して花の色があしらわれているものは、なお「季節感」が強く表されている。

このような品は、「着る時期」を選び、「梅の花」がほころび始める1月から2月下旬頃までが、「お召しになる旬」になる。以前「松文様」について、取り上げたことがあったが、松は、梅のように「季節を限定される」ものではない。「松飾り」を飾るという意味においては、新春1月にふさわしいと言えるが、それでも、一定の季節に「花」を付けることがなく、一年を通して「常緑」色は変わらないので、「秋」に松文様が使われることに違和感はない。

「梅文様」にしても、このキモノのように、単独に「梅だけ」で柄付けされたものだから、「旬」の問題が出てきてしまう訳で、これが、「松竹梅文様」など様々な花や植物と一緒にあしらわれていれば、秋に使われても全く構わない。

花や植物には、それぞれ「旬」の時期があり、その「花だけ」で柄付けされていると、どうしても、「着るのにふさわしい季節かどうか」、ということを考えざるを得ない。だが、裏を返せば、「その季節にしか使えない、贅沢な品」ということも出来る。

 

この「紅梅・白梅」は、「枝垂れ梅」のような柄の付け方をしている。「桜」は「枝垂れ桜」という形の柄付けをよく見かけるが、「梅」ではめずらしい。

この「梅の花」のあしらい方について、見てみよう。見ると気が付かれると思うが、幾つかの花は、「染め」ではなく、「織」のようなもので施してある。上の画像の中では、薄ピンク色や銀色の「佐賀錦」のような「織梅花」、つぼみも二つ、同様な「織」のものが見える。これが、「飾り錦」と名付けられた細工である。

この名前は、キモノを製作したトキワ商事というメーカーが付けたもので、仕事の施しの名前として、一般に広がっているものではない。ただ、この柄付けは特殊な仕事がなされているために、そのように「格好よく」付けられたものだ。

 

では、この「飾り錦」とは、どのような方法で作られているものなのか、少しお話しておこう。先ほど「佐賀錦」のような、と述べたが、これはまさに「佐賀錦」そのものを使った「織」により、作り出された模様なのである。

「佐賀錦」というと、「帯」や「草履・バックの生地」としてよく使われていることは、ご承知であろう。佐賀錦の特徴は、経糸に箔糸(金や銀箔を漆で和紙に貼り、裁断したもの)、緯糸に絹糸を使うことである。織り方も「織機」を使わず、小さな織台に経糸を掛け、網針(あばり)という杼(ひ)を略した針と「竹べら」を使い、緯糸の絹糸を織り込んでいく、という独特な方法が取られている。

そのため、「柔らかく光る」ような特徴ある色の「織り出し」が出来上がる。この「枝垂れ梅」にも、花一つ一つに個性を持たせようとする意味で、この「飾り錦」のほどこしがされている。見てわかるように、花やつぼみの柄模様に合わせて「佐賀錦織」がカットされ、それが刺繍で止められている。

少し話は逸れるが、「佐賀錦」はその名の通り、肥前(現在の佐賀県)鹿島藩で、江戸文政年間(1820~30年頃)に生まれたものである。この時代は、11代将軍徳川家斉の治世で、この後、老中水野忠邦による「天保の改革」が始められた。

「佐賀錦」が生まれた由来は面白いもので、当時9代目鍋島家の藩主夫人である「柏岡の方」が、病で臥せっている部屋の「網代組み」の天井模様を見たことに始まる。この「網代組み(あじろくみ)というのは、竹細工を交互に編みこんで作り出され、美しい幾何学模様で出来ている。

この「美しい模様」をどうにか「織出し」出来ないかと考え、経糸に紙、緯糸に絹糸を使い、手で織り出されたことが、「佐賀錦織」の端緒になった。

 

(昆布茶色 剣梅鉢模様カジュアル向き袋帯 西陣・山城機業店)

梅の図案の中でも、代表的とも言える「梅鉢(うめばち)」柄の帯。先ほどの訪問着と異なり、「梅鉢」という文様になっているため、「旬」という意識が薄れるようだ。家紋として「丸に梅鉢」紋は多く使われ、加賀・前田家の紋所として知られている。

神社にも、それぞれ「社紋」として使われている紋所がある。菅原道真公を祭る「天満宮」の紋所は、形こそ違うがやはり「梅」にまつわるものになっている。「丸に梅鉢」が使われているのは湯島天満宮(湯島天神)、北野天満宮は「星梅鉢」、太宰府天満宮は「梅花紋」。

「梅鉢紋」は、五つの花弁で「梅の花」であることを強調しているが、中心部分のあしらいが異なることがある。上の品のような、「剣状の蕊(しべ)」になっているものを「剣梅鉢」と呼ぶ。この他中心が「小さい丸」になっているものもあるが、これは、「星梅鉢」という名で、区分される。

「袋帯」ではあるが、「紬」などに合わせる「カジュアル向き帯」。梅の色も様々な色糸使いがされている。地色は「昆布」の色に近い「深い茶色」。春先に使われる白系の塩沢紬などによく合いそうだ。

 

詳しい説明は省かせていただくが、もう一つ「梅文様」の品をご紹介しておこう。

(花鳥梅花紋錦 光波帯 龍村美術織物)

龍村お得意の「正倉院裂」から複製された文様。経錦の織り方で織られたこの図案は、六つの花弁からなる「梅花」の周囲に鳥が配されている。この模様は天平期に、箱の覆いや楽服などに多く用いられていたとされている。

 

菅原道真が太宰府で失意のまま亡くなった後、京都では、様々な「不吉」な事件が起こる。左遷した張本人とも言える藤原時平が、道真の死後わずか6年、909(延喜9)年、39歳で亡くなる。その後、宇多天皇の後を継いだ醍醐天皇の皇子達が次々に病死する不幸や、930(延長8)年会議を開いていた「清涼殿」に落雷が落ち、多くの朝廷要人が死傷者するなど、「道真の祟り」ともいうべき事件が連続したのである。

京都の朝廷は、この「祟り」を恐れ、道真の「名誉回復」をする。すなわちそれは、923(延喜23)年、醍醐天皇による「右大臣」への復位であり、993(正暦4)年、一条天皇による「左大臣・太政大臣」の贈位という形になって表れたのである。また、987(永延元)年には、「北野天満宮大神」の称が贈られ、名実ともに、「神様」となった。

道真は、「学者」ともいえる家系の生まれで(特に母方の伴氏は、「大伴旅人」や「大伴家持」など歌人を輩している)、当時とすれば「中流の貴族」であった。道真を太宰府へ追いやった藤原時平は、大化の改新の中臣(藤原)鎌足と次男の藤原不比等以来、政治の中枢を支配し続けてきた「藤原北家」を継承する人物であり、自分の力で地位を築いてきた道真に疎ましさを感じていたのは言うまでもないだろう。

道真が決断した、遣唐使の廃止(894・寛平6年)は、その後の日本の文化にとっての分水嶺ともいえる出来事で、隋・唐あるいは朝鮮半島からもたらされるものに影響され続けてきたことから脱却する契機になったのである。それが、こののちに「かな文字」に代表される、日本という国独自の文化=国風文化が生み出される礎ということになる。

 

今年は雪が多く、梅の花はまだ2,3分咲きで、これからが見頃というところも多いようです。

今日ご紹介した「梅文様」は、植物文様の中でも、もっとも古くから使われてきたもので、キモノの文様だけでなく、絵巻や屏風(特に江戸期の尾形光琳・紅白梅図屏風に代表される)など様々な器や室内装飾のモチーフになってきました。そのため、「梅」の表現方法(デザイン)の数も多く見受けられます。

先にお話したように、「文様」としての梅の柄、例えば「梅鉢」とか「光琳梅」とか、「ねじり梅」ならば、季節にこだわることなく、使えるものになります。ただ、ご紹介した訪問着のように「梅の花」そのものだけで表されている「図案」になると、「旬」の問題が出てきます。

キモノの柄行きとして、「文様」になっているか、「図案」になっているかで、違いがあるということを、確認していただき、「使い分け」をされたらよいと思います。

 

「菅原」で連想する人物といえば、「文太」(東映・仁侠映画の代表的な役者)か「洋一」(シャンソン歌手)しか思い浮かばないバイク呉服屋には、「道真公」が学問の知恵を授けるはずもなく、私の学業成績などは惨憺たるものでした。

せめて、このブログでもう少しマトモな文章が書けるように、今度「湯島の天神さま」にでもお参りして、「智恵を授かり」たいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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