バイク呉服屋の忙しい日々

現代呉服屋事情

呉服業界の「後継者」問題(1) 「モノ作り」現場の後継者難(前編)

2014.03 04

東京の地下鉄に乗ると、「リクルート」姿の学生集団に出くわすことがよくある。おそらく、会社説明会や面接に向かうためなのだろう。彼等(彼女等)ほとんどの手には「スマホ」が握られ、画面を凝視している。その姿には、「後がない必死さ」が感じられる。

一人の学生が提出する、応募するための「エントリーシート」なるものは、平均で数十社、多い人で百社にものぼる。バブル崩壊以降、企業側が人員を押さえているため、採用人数にも限りがある。今年は、「アベノミクス」効果でこれまでより少しは緩和されるようだが、「上場企業」の採用枠は知れたものだろう。

今時、ほとんどの若者は、「安定」を望む。給与や待遇、それに勤務する会社の将来性(安定して存続できるかどうか)で、人生が決まると思い込んでいる。そうなると、少しでも「手堅い」人生を送るには、「名の知れた企業」に「正社員」として入ることで、それを満たすことが出来ると思い込んでいる。

「思い込んでいる」と書いたのは、「人の生き方」はそう直線的なもので判断できない、また、そうはいかない「面白さ」と「奥深さ」があると私が信じているからだ。

 

高度経済成長期では、進学率のよい高校から、有名大学、一流企業に向かい、「一直線」に進んでいくことが、「よい人生」を送る「方程式」のように語られてきた。「親」が「子ども」に望む、最もポピュラー(安易)な人生モデルである。

企業の収益も上がり、国民の収入が増え続けていた時代ならばこそ、この「図式」が通用した。「終身雇用」と「年功序列」の賃金体系があったため、「会社への忠誠心」が増し、その引き換えに「生活の安定」が得られた。

我々「親世代(50歳代)」は、自分の経験から、まだその頃の「残滓」を引きずり、我が息子、娘にも「直線的人生」がいかに素晴らしいか、またそこから「外れる」ことがいかに恐ろしいかを語るのである。

当然「時代遅れ」も甚だしく、こんな「親のアドバイス」など「百害あって一理なし」である。「年功序列と終身雇用」は、「出来高払いと激しい競争」に変わり、「安穏」と「一生会社にいられる保証」などもうどこにもない。また、「会社そのもの」も、国際競争の激化や、社会のニーズの変化、また過度の情報の発達などの荒波にさらされ、「磐石」な企業などありはしない。

今日では、それ以前に「正社員」になれるかどうか、が問題であり、少ない「採用枠」を巡り、「椅子取りゲーム」の様相を呈している。もし不安定な「非正規就労」に就かなくてはならないならば、「将来の見通し」は立たないと考えてしまう。「一直線」な生き方から外れることに、「恐怖」を感じる若い人が何と多いのかと思う。

 

私も「父親」の端くれだが、子どもには「多様な生き方」を認める力を持って欲しいと考えてきた。「自分で自分の生き方」を見つけられる「力」を持つことである。「仕事」というものに、「貴賎」があるはずがない。社会の中で求められている「仕事」は、どんなものでも、「人のため」に役立つものだ。

「生活の安定」というのは、「生き方」の中の一つの「選択肢」にすぎない。「一直線」ではない生き方や「回り道」をする生き方、自分が持つ「価値観」に忠実な生き方をされている人は、実に「味わい深く」、その「生き様」から学ぶことが多い。

 

またまた前置きが長くなったが、これから数回にわたり、、「現代呉服屋事情」のカテゴリーで、「後を継ぐもの」の話をしていこうと思う。これは、「呉服業界」が抱える究極の問題である。「モノを作る人」、「モノを直す人」、「モノを動かす人」、「モノを売る人」、「川上から川下まで」業界の全ての領域で、「後継者」がいない。

「呉服」という伝統産業が、未来に残ることができるかどうか、全てはこの問題に関ってくる。なぜ、若い人がこの業界に生きる「価値」を見出せないのか、また「人を育てる手立て」がどのようになされているか、などを中心に考えてみたい。まずは、「モノを作る」現場から順を追って話を進めてみたい。

 

呉服業界で、「モノ作りの後継者難」に恐怖を抱いているのは、もしかしたらほんの一部の「専門店」かもしれない、という穿った見方ができる。なぜかと言えば、例えば「インクジェット」で作られるキモノには、「人の手」など必要ない。キモノの質など問題にしていない、「振袖屋」のような、「呉服」を単なる商いの道具としか見ていない連中にとっては、「形」さえ残ればよいわけで、「職人の必要性」などない。

伝統にそった「良質」な品物を扱い、それに相応しい作り方を求めるメーカー問屋や小売店にとって、「職人」がいなくなれば、モノは生まれてこない。これは、「恐怖」である。「売るべき品物」がなくなるからだ。

それでは、「モノ作り」の現場と「後継者」について、「京友禅」の仕事で考えてみよう。まず今日の前編では「職人達」が置かれている「厳しい現状」から見ていく。

 

「京友禅」とよばれるキモノを一枚仕上げるのには、様々な工程とともに、そこに携わる職人がそれぞれ存在する。仕事が「分業」でなされてきたことは、このブログでも何度か紹介した。

工程にそって話を進めよう。まず、どんな品物を作るか、品物を依頼する「メーカー問屋」との間で話を進めるのが、「染匠=悉皆屋」の親方である。ここで、「柄行き」や「色目」、どんなあしらいをするか(刺繍や箔、絞りなど)決められる。親方はキモノ作りの「総合プロデューサー」だ。

親方は、自分で品物に使う「白生地」を手配し、どの職人に仕事を出すか決める。最初は、柄の下書きをする「下絵師」に生地を持ち込む。その後は、「糊置き」「色挿し」「蒸」「糊伏せ」「地染め」、もう一度「蒸」。ここまで施した後に、さまざまな「あしらい」が施される。これも「あしらいごとに」職人は異なる。「刺繍」「金彩(箔)」「絞り」「ローケツ」などだ。そして「地直し=いわゆる補正」をして完成である。

一枚のキモノに、最低でも7,8人以上の職人が関っていることがわかる。それぞれの部分を受け持つ職人がいなくなれば、品物として完成しない。

 

では、「後継者難」に陥った原因は何かを考えてみる。それは、とにもかくにも、製作を依頼される品物の量的変化である。以前ブログで、「京友禅」が出荷される量のことを書いた。最盛期の昭和40年代半ばと比較して、現在はその時代の5%にも満たない生産である。

しかも、その生産量には、「インクジェット」で染められたものも含まれる。ちなみに、総生産量の4割は、例の「インクジェット振袖」である。もちろん捺染の小紋や無地モノもこの中に含まれる。「型糸目」を使って手挿しされた品さえ少なく、「手描き友禅(人が糊糸目を引き、色挿ししたもの)」など本当にごくわずかになってしまった。

「型糸目」ならば、糸目を引く「糊置き職人」は必要ない。まず、ここで「糊を置く」という工程の職人が必要でなくなる。この職人は、「手描き友禅」の時のみ仕事が廻ってくる。もちろん「インクジェット」ならば、「全ての工程」の職人は不必要になる。

「量的変化」とともに、重大なのは、「質の良い仕事」を依頼する「メーカー問屋」が激減したことである。呉服業界はご承知のように「フォーマル」で使う品物の需要を当てにして、「飯」を食べてきた業界でもある。冠婚葬祭や嫁入りなど、多くの人が「フォーマルキモノ」を必要とした時代が長く続いた。「晴れの日」のキモノだからこそ、「良質な手を尽くしたほどこし」の「京友禅」のキモノ(黒・色留袖や訪問着、付さげ等)が求められ、その時代の消費者にも「質の良し悪し」を見極める力があったのだ。

つまり、キモノを必要とする人が激減したこと、またそれと共に、「良質」な品物の需要が減ったこと、さらにその結果として、「モノ作りを職人に依頼する側」の「メーカー問屋」の力が衰え(「北秀」のような上物を作る問屋が倒産した)たことで、「分業」に則った「手描き京友禅」の生産は「極端」に少なくなってしまった。

もちろん、これだけ「職人の手」が入った品物ならば、自ずと品物の値段は高額になる。当然、品物に関った職人には「工賃」が支払われなければならないからだ。ただでさえキモノ需要が少なくなったのに、「高額品」を購入できる消費者には限りがある。

では、なるべく「職人」に仕事が廻るようにどのような対策を」立てたのか。職人達の賃金(手間代)を払うのは、「問屋」ではなく「染匠」の親方である。まず、親方と依頼する問屋の間で、品物の価格が決められる。その値段に応じて「モノ作り」をするのであるが、「親方」は、受けた仕事の価格で職人に払える賃金を見積もる。

当然問屋の方では、できる限り「安く」良質な品物を作らせたいと考える。それでなくとも、「本格的手描友禅」は高いもので、作れる余裕は余りない。だから、「染匠」との値段交渉はかなり「シビア」なものになる。

「染匠」も「仕事がまったくない」よりも少しでもあったほうがよいと考える。親方の下にいる「職人の手」を遊ばせておく訳にはいかない。このような理由から、「問屋の無理な値段での仕事」にも応じざるを得ない。その結果、「職人に渡る賃金」は安くならざるを得ない。

 

こうして、分業の世界に生きてきた友禅の職人達は、「仕事も少なく、工賃も安く」、その技術に見合うだけのものが、何も得られないという事態に陥った。ここに至り、この仕事の将来に見切りをつけざるほかない、という事態に至る。

「職人」はそれぞれの仕事一筋に生きてきた方達ばかりである。若い頃、親方の下で修行に入り、何年も我慢して、「仕事をぬすみながら」覚え、ようやく認められ独立する。伝統文化としてのキモノの価値を維持し、守り続けてこられたのも、この「職人達」の存在があったからこそなのだ。

 

「職人」が将来のモノ作りをあきらめた結果どうなるか、いわずと自分の仕事を後に託すということが考えられない。「技術」を伝える、ということをあきらめるということになる。それは、「後継者」を探すことも、育てることも「あきらめる」ということに他ならない。もちろん「職人」を志す若者自体、探すことは困難である。だが、稀にそんな人物にめぐり合えたとしても、現在の業界の状態では、「職人」として生きていけるだけの、「賃金」を得ることは至難であろう。

 

では、この厳しい現状を乗り越えるには、どうしたらよいのか。我々の業界に課された「良質なモノ作り」を継続していくということには、どんなことを考えなければいけないのか。そのことを次回の後編でお話してみたい。それとともに、他の「伝統産業」、例えば「輪島塗」や「九谷焼」といった仕事の現場で、どのような「後継者」の育成がなされているか、そんなことも比較しながらこの難問を少しでも解決する糸口を見つけてみたいと思う。

 

「職人」という生き方は、その人が「自分の腕」だけを信じて、貫いていく生き方です。それは誰にも頼らず、「自分で自分の生き方を見つけて」たどり着いた仕事ということが言えましょう。

「呉服」というものが、日本の誇る美的技術が結集されたもの、また「伝統文化」の象徴である「民族衣装」として次世代に繋げなくてはならないもの、と考えるのならば、友禅に携わる職人の技術を守れるかどうかが、「生命線」であり、この問題を解決しない限り、将来への道は閉ざされると言っても過言ではありません。

「直線的でない」人の生き方にこそ、価値があると、私はこれからも信じ続けたいと思います。

今日は本当に長い文章になってしまいました。お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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