バイク呉服屋の忙しい日々

今日の仕事から

取引先散歩(3) 菱一・神田鍛冶町

2014.01 11

問屋の初市というのは、毎年、正月明けの週明けに開かれる。年の初めなので、挨拶がてらに出かけてゆくことが多い。

仕入れをする目的がなくても、「ご祝儀」の意味もあり、品物を買い入れる。問屋の方でも、「お年玉」価格などと名を打ち、目玉商品を置くことがある。また、年明けの問屋で発表される主な商品は、「単衣や夏モノ」、いわゆる「薄物」と呼ばれるものの新作だ。

浴衣などもそうであり、「竺仙」なども、新柄発表は正月明けのこの時期に毎年行われる。ちなみに、「秋、冬モノ」の新作は、5,6月に発表されており、だいたい半年ほど季節を先取りして、新しい品物が作られているのだ。

今日は、そんな正月の問屋の風景を紹介しよう。このブログでも、多くの品物が登場する、東京神田に本社をおくメーカー問屋「菱一」のお話。

 

(菱一の正面玄関 社是「きものを創る」ののれんが掛かる)

中央線の神田駅の東口に降り、中央通りを歩いて「今川橋」の交差点を東へ50mほど進んだところに、「菱一」はある。駅から歩いても5分ほど、「行きやすい」場所だ。

呉服問屋の集積地といえば、日本橋人形町界隈、小伝馬町や富沢町、それに浜町あたりなのだが、「神田」とはめずらしく、このあたりには呉服ばかりか繊維関係の会社はこの「菱一」以外には見当たらない。呉服業界では、菱一のことを「神田」と呼んでいるほどである。

菱一のある神田の「鍛冶町(かじちょう)」あたりは、その名の通り古くから鍛冶職人の集まる所であった。この鍛冶町の他にも、旧町名に「鍋町」の名も見えて、ここが金属加工や鋳物加工の職人の町だったことがわかる。今でも、駅の北口に「金物通り」と名の付いた通りがある。また、昔の名残であろうか、鉄鋼会社や金属会社関連のビルが多く立ち並んでいる。

 

「菱一」の創業は、1948(昭和23)年と戦後生まれの会社であるが、その母体は1849(嘉永2)年創業の「深田與三兵衛(ふかだよさべい)江戸舗」である。この深田與三兵衛から、現社長の桟敷正一朗氏の祖父である桟敷正太郎氏が伝統を受け継ぎ、会社を興した。

このことは、会社の商標(トレードマーク)に表れていて、上の画像の「菱に一文字」は旧「深田」の商標と同じものであり、菱一がそれを受け継いだことを表しているものになっている。

この「深田與三兵衛」について調べてみると、元々は呉服問屋の町である日本橋富沢町に店を構えていたようである。この界隈は明治から大正にかけて、呉服を始め、様々な繊維製品の問屋街として発展した。その中でも「深田」は古い方であるが、もっとも早く創業したのが、元禄年間創業の「奥田藤八」という店であったようだ。

日本橋の繊維問屋は、明治末にはすでに200社近くが商いをしており、大正期の大戦景気(第一次世界大戦の頃の好景気)の頃には、230社を数えた。「呉服・太物」だけでなく、「モスリン」や「毛織物」、「綿製品」などを専業とする問屋も多く存在したが、これは多用な繊維製品の出現と、その需要の高まりの結果である。

また、呉服に関して言えば、染物や織物の意匠、図案の考案をそれぞれの問屋が独自に行うようになり、その下職として、「賃織」「賃染」の各工場を持つようになっていったのもこの頃である。そして製造された製品には、「オリジナル商品」として「商標」も付けられていった。

呉服に関する問屋は、それまで京都を始めとして各産地に集中していたのだが、ようやくこの頃になって、東京へ支店や出張所を設けるところが現われてきた。

「深田與三兵衛」は、大正期の関東大震災から世界恐慌と続く荒波の中で、経営危機を迎える。1981(昭和56)年に刊行された、深田與三兵衛著の「明治・大正・昭和の呉服経営実録譜」という本がある。これは、「呉服問屋」の経営実態が歴史を追って書かれた大変めずらしく、また貴重な資料でもある。

この中で、與三兵衛自身が書いているところによれば、「震災直後一ヵ年、復興景気解消後、続く不況に累かられ業績挙らず・・(中略) 祖先創業以来八十年、歴史に一大汚点を印たる」とある。これは、1930(昭和5)年に会社が行き詰まり、一旦整理して、債務を株式に振り替えて再出発した時のことである。

このように、長い歴史を持つ「深田」の後継として、戦後の「菱一」が生まれた。旧来深田の扱う品物は、東京の花柳界の人々に熱烈に支持されていた。「新橋」や「柳橋」「神楽坂」「芳町」などの芸者衆を始めとする、いわゆる「玄人好み」の品々だった。

菱一はこの伝統を生かしつつ、「江戸の粋」と都会の洗練された感覚を持ち合わせた「モノ作り」を柱にしたのである。これが、「きものを創る」という社是に表れている。菱一にしか出来ない「オリジナル染織品」の製作は、多くの「染匠」や「工房」による独自な品や、各産地に点在する「織り元」による「別織品」に見ることが出来る。

染めモノに関しては、「北秀」消滅後、江戸友禅の上質な手仕事の品を作り続ける「唯一」の問屋であり、織物は、「菱一ブランド」ともいえる「きのみ織」など、独自の別織製品を生み出している。

さて、前置きが長くなったが、「菱一」の店の中の様子を紹介しよう。

 

(年明けの催し、「一彩会」の看板とビルの柱に付けられた会社銘)

会社のビルそのものは、鉄筋作りの「普通のビル」。一階は受付になっていて売り場は二階。全面畳が敷かれており、いかにも「呉服問屋」という感じである。菱一の取り引き先は「呉服専門店」のみ。デパートや量販店、またNCとの取引はほぼない。これは、「品物の質を理解してくれる」店との取引を第一に考えている証拠といえよう。ある意味、「プロ好み」の問屋ということが出来る。

「メーカー問屋」として、「モノ創り」第一と考えることは、販路を絞ることが必要になる。その品物の良し悪しを見極める所にしか、品物を卸さない。いい加減な売り方をするところや、モノの見方を知らない小売屋には「扱わせない」。「売れれば何でもよい」というところには、そこがいくら売り上げを伸ばしていようとも取引することは出来ない。「品物の格」、「売る店の格」を尊重した生き方であろう。

 

(畳の上に並べられた新作の付下げ。画像の左端に、5反ほど別に分けられた品が小さく見えると思うが、実はこれが今回買い入れた品。)

付下げを客に見せる場合、このように、柄の中心である「上前」を出して並べる。反物の端と端を二人が持ち、それを横に移動させながら、次々に品物を見せてゆく。上の画像を見ると、「四つの反物のヤマ」がある。このヤマの品を右から左に移す。その際客は気に入った品があれば避けて置くように指示し、横に別置きされる。

その品は、一反のときもあれば、数反のこともある。また、まったく気に入った品がなかったなどということもよくある。とりあえず、全部の品を見た後、選りすぐりの中から改めて「吟味」という訳だ。

このとき、品物に施された仕事の細部の話を聞くこともあり、直接的な値段の交渉ということにもなる。値段は反物自体には付いていない。「符牒」で金額が表されていて、問屋側にだけわかる。だから、金額の提示は「算盤」が用意され、それを「パチン」と叩く。それを見て、買い入れる小売屋は、「高いだの、もう少し勉強しろだの」と掛け合う。「金額が品物に付いていない」というのは、面白いもので、その取引の様は「現代離れしている」といえるかもしれない。

(ずらりと並んだ新作小紋のヤマ。全部で100反近くある)

小紋にも、新しい型紙を起して染められたもの、以前染めたもので需要が多かった「売れ筋」のもの、手をかけた「加工着尺」など様々なものがある。やはりまず出来たばかりの「新しい品」から、見ていく。小紋の場合、「この柄また染めたの」などと聞くことがあり、値段を聞いて「昔より安くしたね」などと言う。「売れ筋小紋」なら、すでにある「型」を使えばよいので、作り手の「儲け」が出やすいのである。

(もちろん、このように撞木にかけられ展示もされている)

(本琉球紅型の小紋や薩摩絣がならぶ一角)

(色留袖が並ぶ。周囲には衣桁に掛けられた絵羽モノがずらり。)

これだけの商品から、品物を「選び出す」。買い入れる時の判断は様々であるが、まず現在自分の店にある「在庫」の品を考えてみる。例えば付下げなどは、「色目」や「年合い」、「施しの仕方」など、なるべく「片寄らない」商品構成にしなければならない。「濃い地色」のものが多く店にあれば、「薄地色」のものを仕入れる。といった具合だ。

その上で、柄の施しがどうか。施された仕事と品物に付いている値段の関わりはどうかという点だ。「よい仕事の品を安く」というのが大命題だが、当然「いいモノ」はそれなりの価格が付いている。あとは「交渉」である。ただ、この際「無茶な値切り」を要求するのではなく、「落し所」というものがあり、そのへんは「阿吽の呼吸」で商いが成立する。「お互いが歩み寄れる額」というのが、長くこの仕事をしていれば見えて来るように思う。

「仕入れ」が出来るようになるまでには、時間がかかる。また、それが正しかったのかどうかはいつも悩むところだ。帰りの電車の中で、「あれは買うべきでなかった」とか、「違う色目の方がよかったかも」とか、反省ばかりしている。

「間違った」と思った品物がすぐに売れたり、これは「足が速いだろう」と自信を持って買い入れたものが、いつまでも店の棚に残ったりと、本当に予測が付かない結果になる。つくづく「仕入れる」ということは難しいことである。

 

今回」の菱一さんでの仕入れは、江戸友禅付下げ、型小紋2反、塩沢絣、縞大島、南風原花織八寸帯の合計6点ということになりました。

来週の15,16日は京都の取引先へ行く予定です。一月はこんな感じで毎年過ぎていきます。品物を見るというのは、短時間でも大変疲れます。色々頭を悩ませた末に買い入れたものが失敗などということもあります。

いつになったら、「100%納得のいく」仕入れが出来るのかといえば、それは無理なことではないでしょうか。ただ、自分の予想外の品物が動くことがあり、そういう経験は次の仕入れの際に生かされることになります。

「自分の好み」に片寄りやすい傾向はどうしても否めませんが、専門店であれば、どこかに「自分の色(好み)を出す」必要もあり、それをどこまで追うのかということが極めて難しいと言えましょう。

また「京都」の取引先についても、近いうちにここで紹介したいと思います。メーカー問屋はそれぞれ個性的です。一般の方には、ほとんど目に触れることのない「問屋」の雰囲気を少しでも伝えられればと思います。

なお「菱一」の皆様、写真撮影のご協力など本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申しあげます。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

日付から

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このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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