バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

1680年代 江戸で流行したファッションデザイン・花の丸文様

2013.11 26

今年の秋・冬ファッションの流行柄は、「タータンチェック」と「千鳥格子」。流行色は「グレイッシュカラー」らしい。「チェック」模様は私が学生だった1980年頃にも流行っていたような気がする。

思い起こしてみれば、あの当時の大学生達は、「ハマトラ」(横浜発祥の英国トラッド)とか、「ニュートラ」(ハマトラに派生した新しいトラッド)とか呼ばれているファッションスタイルを「流行の先端」として、競って身に付けていた。

女子学生がはいていたスカートの柄に、この「タータンチェック」が多く見られ、「丸いぼんぼり」のようなものが付いたハイソックスとペタンコ靴(横浜のミハマという靴店のものが正統だったらしい)や、「ボートハウス」のロゴ入りトレーナーをポロシャツの上に羽織った姿などが思い浮かぶ。そして、「ヘアスタイル」は伝説の「聖子ちゃんカット」であった。

その頃の「バイク呉服屋」の「トレンド」は、「ハマトラ」でも「ニュートラ」でもなく「軽トラ」であった。(北海道の木彫り屋で働いていたので、材料に使う木材を軽トラで運び込み、加工していたのだ)。もちろん当時の流行のモノなど買うことができなかったのは言うまでもない。「ヘアスタイル」は、金がないので「一年間伸ばしっ放し」の「ナチュラルスタイル」。

 

「流行」というものは、繰り返すもののようだ。「タータンチェック」は16~17世紀、イギリススコットランドのハイランド地方の衣服として使われていたのが始まりとされている。「千鳥格子」も英国名では「ハウンドトゥース(猟犬の牙)」という意味である。

面白いのは、この「猟犬の牙」の和名を「千鳥格子」と付けたことである。「千鳥」も「格子」も古くから日本で使われてきた「文様」である。どちらも、今まで何回かこのブログでも取り上げた柄だ。この「千鳥格子」を遠くからみれば、「無地」のようにも見える。それは、さながら「江戸小紋」のようである。

 

前置きが長くなったが、今日はこの「流行」というものから考えを派生させ、「1680年頃江戸で流行った文様」の「花の丸」についてお話しよう。これを取り上げるのは、「友禅」というものを考えた時、この流行から見えて来る事象があるからだ。

(市松格子に花の丸文様 九寸名古屋帯 西陣 やまくま)

友禅染の発祥は、「宮崎友禅斎」によりもたらされたことは、よく知られている。「友禅」の登場は、色彩のあざやかさと様々な「デザイン」を生み出す結果になった。この「模様染」には、現代まで続く「糊を置いて防染」する技法(糸目糊置き)が用いられ、それにより、多様な文様を描くことができるようになった。

この友禅染の登場以前は、模様を表すのに「刺繍」と「箔」、「絞り」などが用いられていたが、当時とすれば、とても「贅沢」な施しであり、とても、江戸庶民に手がでるものではなかった。

だが、この「友禅染」の出現は、「手軽に様々な模様を楽しむことの出来る技法」として広がり、特に「小袖」には、多くの「デザイン」が施されていった。

宮崎友禅斎(1681~1704)は、もともと「絵師」であり、モノを作り出す「クリエイター」ではなく、「デザイナー」である。だから、自分で糊を置いて品物を作った訳ではない。では、今なぜ「友禅染」の名で語られているのか、ということだ。

それは、彼が「デザイナー」として、「友禅染」を広く宣伝した「立役者」だからであろう。彼は、1687(貞享4)年に「源氏ひながた」という、今風に言えばいわば「デザインブック」を刊行する。この「ブック」は、「柄の見本帳」だ。

ただし、宮崎友禅が初めから「衣装」の模様絵師だった訳ではなく、始めの頃は扇に絵を書く「扇絵師」だった。この絵が評判になったことで、「小袖」のデザインにも足を広げたのである。

(当店にある「友禅ひいながた」の写し 「菱一」の創業記念品として貰ったもの)

「ひいながた」は上の画像(御所車文様に桜)のように、「キモノの形」の上で、どのような「デザイン」になっているのか、すぐわかるように描かれている。「源氏ひながた」が出された翌年の1688(貞享5)年には、「都今様友禅ひいながた」が出され、ここに表された文様は、「小袖」などの衣装だけでなく、風呂敷や文箱などにも用いられた。

「衣装ひいながた」の出現は、「小袖」の多様化に大きな影響を与え、「染め」に関る技法や、模様の意匠化の進化は、現代まで脈々と受け継がれ続けている。その意味で、「宮崎友禅斎」の名が今に残っているのである。

 

さて、この「ひいながた」が作られた当初の1680~90年にかけて、江戸市中に大流行した文様が「花の丸」文様である。江戸の庶民文化が華やいだとされる「元禄」は1688年に始まるのだが、その時代を「象徴」する「デザイン」とも言えよう。

 「花の丸」とは色々な草花を円形に図案化したもの。「花」は特定されることはなく、何を使っても良い。中には一つの花だけでなく、数種類を組み合わせて形作られているものもある。

(梅花・花の丸文)

(撫子・花の丸文)

 

「花の丸」に似た「丸文」を想起する文様に「有職文」がある。この有職文は、平安中期の公家装束に使われていた文様で、男子の「束帯」や女子の「十二単」などに使われていた。この当時、使われていた生地の色目は単色であり、この文様を「織り出す」ことにより、変化が付けられたのである。

(藤の丸 有職文様 九寸名古屋帯 西陣 しづはた)

「藤」は平安時代より、貴族の間で「藤見の会」などが開かれたほど、愛でられてきた花である。「藤」と言えば「藤原氏」を想起させ、摂関政治全盛の頃、藤原氏の象徴とされた「花」でもある。当然この時代に「有職文」として図案化された。上の画像の「藤の丸」の他に、「藤立枠」や「八つ藤」、「巴藤」と呼ばれる文様が存在する。

(藤の丸の拡大画像)

元禄に流行した「花の丸」が、この「有職文」にヒントを得て「形作られた文様」ということが、例を挙げた二つの品を比較してみればおわかりになるだろう。だが、「花の命は短くて」、1692(元禄5)年ころには、この「花の丸」のデザインが「古めかしく、流行に遅れたもの」という評価がある記述が見える。

この当時の江戸における流行の変化が早かったことがわかる。それは、この「草花」を散らすという図案が、「丸」だけでなく、ほかの幾何学文(例えば「菱」や「亀甲」など)にも応用できることから、「発展的」に解消され、下火になっていったのではないかと思われる。

最後に、二つの品を並べたところをお見せしよう。酷似しているのがわかる。

 

この「花の丸」は、「加賀紋」にも見ることができる。この紋は「しゃれ紋」であり、何の花を使おうと自由である。自分の誕生花や季節感溢れる花を使う方も多い。これは、「花の丸」文様そのものが、「自由な発想」で描くことの出来る図案ということの表れと言える。

 

考えてみれば、「タータンチェック」は「格子文様」であり、「黄八丈」や「緯総大島」、木綿の「唐桟織」などによく見受けられます。黄八の格子縞は、以前述べたように江戸の「町娘」たちに流行した「チェック」模様として知られています。

300年の時を越え、「江戸の町娘」にも「現代の若者」にも受け入れられる「スタンダード」な模様、それが「格子(チェック)」という文様なのだと改めて思います。「若い人」の柄を見る「感性」というものは、「不変」と言えるかも知れません。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
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