バイク呉服屋の忙しい日々

にっぽんの色と文様

聖徳太子と飛鳥文様 中宮寺編(天寿国繍兎文)

2013.11 10

奈良の寺は「修学旅行の定番」である。東大寺(正倉院)・法隆寺・薬師寺・唐招提寺などは、誰もが一度は訪れる。

中学や高校で、事前に「歴史の下調べ」をして、旅行に備えるのだが、実際のところ生徒にはほとんど記憶に残らない。奈良の印象は、「東大寺の大仏」と「奈良公園の鹿」に煎餅を食べさせたくらいのもので、子どもたちに「歴史の中の奈良」を実感させることは難しい。(私も修学旅行の奈良のことはほとんど覚えていない)。古い仏像や寺の伽藍、それに伝わる「御物」などに、「興味を持って見なさい」という方が無理で、やはりある程度「大人になってから」訪ねる方が楽しめる。

「修学旅行」ならば、沖縄や広島・長崎など、「今に繋がる平和」の意味を問う場所の方が、「学習することにふさわしい」ように思うが。

 

聖徳太子に繋がる「飛鳥文様」、今回は「中宮寺(ちゅうぐうじ)」編。

「聖徳太子建立七寺」といわれる寺がある。四天王寺・法隆寺・橘寺・広隆寺・法輪寺・葛木寺、そして今回取り上げる中宮寺。それぞれの寺には、「太子ゆかり」とする様々な事情があるが、この中宮寺の創立は太子の母、穴穂部間人皇女または太子自身とされている。寺の場所は法隆寺のすぐ東隣に位置している。

ここには、二つの「国宝」がある。一つは飛鳥時代の最高美術とされている、木造の日本最古の彫刻「菩薩半跏像」(如意輪観音)。「半跏」とは片足だけ座禅のように組んだ状態のことで、指先をほほに触れるようにして、目を閉じて思索している「優しい姿」の気品ある菩薩像である。

もう一つが今日とりあげる文様の元になっている、「天寿国曼荼羅繍帳」である。

(天寿国繍兎文様 龍村美術織物 光波帯)

この文様が施されている「天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)」は、日本最古の刺繍といわれる帳(とびら)。これを発案したのが、「太子の妃」である「橘大郎女」=「推古天皇の孫」。彼女は太子が没した(630年・推古天皇30年2月22日)後、往生した先にある極楽「天寿国」の有様を「形に表してしのびたい」と考え、このことを聞いた推古天皇が作ることを指示したもの。

この品が「日本最古の刺繍」であることで、その「技法」から見えてくることがある。残されている「帳」を見ると、その縫い取り方法は「返し縫」という技法がとられている。これは、針を縫い進める時、少し下がった位置から針を布の表面に出す方法で、「縫うごとに一旦後退して針を動かす」やり方である。縫いを施した裂(キレ)は「羅」(もじり織り・3~4本一組の経糸を絡ませながら織る技法で、網目のような仕上がりの生地)が使われている。

だが、この「帳」には、別の「裂」が使われ、違う「縫い取り」が施されている部分がある。それは、「綾(経糸、緯糸とも3本以上を一組にして織り、交点が斜めに出る生地)」や「平絹(経、緯一本ずつで組まれた生地)」を裂に使い、「駒縫」「平縫」「束ね縫」など沢山の「縫い」の技法が使われている。

研究によれば、この二つの異なった箇所はそれぞれ製作された年代が違うとされている。前者の羅生地を使い「返し縫」だけで施されている部分は、元来製作された「飛鳥時代」のもの。後者の「多様な縫い技法」を使ったところは、「鎌倉時代」のものと考えられている。

これには次のような理由がある。「飛鳥時代」につくられた「繍帳」は、しばらく見失われていた。それが1274(文永11)年、中宮寺の中興の祖とされる、尼僧の「信如」により、法隆寺の蔵から発見される。その時、本来の「繍帳」に付け加えられたか、または傷んだ箇所があって「修復」したと考えられるからだ。「多様な縫い技法」はまだ、飛鳥時代には発達していなかったことから、このように類推される。

文物の年代を計るということが、「縫い技法」や「繍の台に使った生地」の違いを見分けることで可能になるというのは、興味深いことといえる。

 

文様を拡大したところ。龍村は実際の文様を忠実に使う。だから、この図案もそっくり「天寿国繍帳」の中に見られる。丸紋の中に踊るように描かれている兎と、傍らには花瓶・花をあしらっている。また、「甲羅に四つの文字を背負った亀」の姿が均等に並んでいる。実は、この「亀」の文字こそが、「聖徳太子」を象徴したものなのだ。

聖徳太子の伝記をあらわしたもので、現在重要な資料とされるものに「上宮聖徳法王定説」がある。前回の法隆寺編の「仏教伝来」の年を推定するところでも取り上げたが、この資料の原本は存在しない。ただ、これを写した「写本」が江戸末期まで法隆寺に残されていた。(明治期、京都の知恩院に移管され、現在は国宝となっている)。この資料を調べてみると、同時期に「国により作られた古事記や日本書紀」とその記述に差異が見られた。(先の仏教伝来の年も異なる)。ただ、官製歴史書の日本書紀等で記載された以前の年代の記述も見られることから、信用度は高いものになった。

この「上宮聖徳法王定説」は五部構成になっていて、第一部が聖徳太子の家系、第二部が業績(仏教的なことや政治的なこと)、第四部がその生きた時代に何がおこったかの記録、第五部が欽明天皇から推古天皇までの治世年数とその墓のことがそれぞれ書かれている。

第三部では「法隆寺の御物」の銘文が納められている。その銘文の中に「天寿国曼荼羅繍帳」の記述がある。ここに、上の文様の「亀の甲羅に書かれた文字」の謎解きが隠されている。繍帳で縫い描かれた「亀」は全部で百匹。それに四文字ずつ書かれているので合計400文字ということになる。

銘文では、その文字の内容が「聖徳太子の一族の系譜」と「繍帳製作の由来」だと記述されている。つまり、文様の中に入れ込まれた文字で太子の事と、それにこの品がどのようにまつわってきたかがわかるようになっているのだ。なお、現存する繍帳の断片では、そのごく一部の「部間人公」などの文字しか判別できない。(この部分を銘文から照らし合わせると、「孔部間人公主」という人名に当たる)。

 

このように、今日のこの文様・「天寿国繍兎文」は、前回の「法隆寺編」でとりあげた「太子間道」や「七曜太子」と異なり、「史実に忠実」な「聖徳太子ゆかりの」飛鳥文様と言えよう。文様や色使いまで、裏づけされている文物をそのまま再現しようとすることは、その時代の息遣いまでも現代に伝えたいという強い意志を「製作者・龍村」が持ち続けているという証であろう。

 

ついでに、、「太子建立七寺」で法隆寺・中宮寺以外の寺について、簡単に記しておこう。

「四天王寺」は蘇我馬子の発願で、聖徳太子が建立した寺。当時の二大豪族は蘇我氏と物部氏で力が拮抗しており、伝来した仏教にたいしても、両派は異なるスタンスだった。蘇我氏(蘇我馬子)はもちろん崇仏派であり、物部氏(物部守屋)は廃仏派。この対立の上、馬子は「物部を倒したら、寺を建てて欲しい」と太子に頼んだのである。結果勝利して、約束通り「寺を建立」してもらった。それが、「四天王寺」である。大阪天王寺区の名前の由来は、もちろんこの「四天王寺」から採られたものだ。なお、この寺は「太子の寺」ということで、「所属宗派・宗門」がない。日本における「仏教の総本山」のような存在の寺ということが言えよう。

「広隆寺」は京都太秦の「東映映画村」のすぐ近くにある。この寺は「京都最古の寺」とされており、この時代に活躍した「帰化人・秦(はた)氏」の氏寺。この寺の本尊は聖徳太子で、その理由は秦氏が太子から仏像を譲り受け、それを大切にして仏法を守ったからとされている。この寺の弥勒菩薩半跏像も国宝指定の御物である。

「法輪寺」は斑鳩町にあり、法隆寺に近く「太子が使った井戸」があると伝えられている。建立は太子の子「山背大兄王(やましろおおえのおう)」という説があるが判然としない。ただ、本尊の「薬師如来像」などが、その作りなどから飛鳥年代に遡る古いものであり、「太子」と関りのある寺と言えそうである。

「橘寺」は太子生誕の地とされる明日香村にある。この寺が建立される以前、ここは太子の父である用命天皇の宮があった場所である。寺に変わった経緯は、「太子の誕生」と関連があるようだ。なお、「葛木寺」は現在「廃寺」となっている。

 

二回に分けて「聖徳太子」に関る文様のお話をしましたが、どうも「飛鳥時代散歩」のような内容になってしまったようです。どうしても、文様を見ることは歴史を辿ることになってしまうため、ある程度これはやむを得ないかも知れません。

飛鳥という時代を知れば、「奈良」という場所を違った視点で見ることが出来ます。「修学旅行」で訪れた時には理解できなかった「魅力」を、「大人になって」ぜひみつけて欲しいと思います。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

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