バイク呉服屋の忙しい日々

ノスタルジア

毎田仁郎 松竹梅に千鳥模様・加賀友禅黒留袖

2013.11 17

「蛙の子はやはり蛙」という諺がある。私も呉服屋を生業とする「三代目」であるが、染織の世界では、その技術を代々受け継いでいる「家」がある。

加賀友禅の作家たちにも、「親子二代」にわたる技術保存者(落款登録者)が何組か見受けられる。今日紹介する「毎田家」も今日まで三代続く「加賀友禅」の家である。

ノスタルジアの稿は品物が「里帰り」して来ないと、書けない。ひと月ぶりに紹介する品は、その加賀友禅の素晴らしい仕事ぶりをお目にかけられる逸品である。

 

(毎田仁郎 加賀友禅 松竹梅に千鳥模様黒留袖 1978年 甲府市Y様所有) 

毎田仁郎(まいだ じんろう)は1906(明治41)年金沢生まれ。若い頃病弱であったため、手に職を付けたいと考え、京都の染め工房に内弟子に入る。戦争の悪化で、帰郷した後、木村雨山に師事し、加賀友禅の技術を身に付ける。

このブログで、先に紹介した初代由水十久や成竹登茂男などが活躍した時期(昭和40年代~50年代)と同じ頃、加賀の代表的作家であった。加賀技術保存協会が出来、落款登録を始めた草創期である、昭和50年代初めに認定された6人の加賀伝統工芸士の中の一人である。

 

毎田仁郎の作品は、繊細な糸目糊置きと、基本的な色「加賀五彩」に忠実な色挿し(特に「藍色」の濃淡)や「先ぼかし」の見事さにその特徴を見ることができる。

では、紹介した作品の細部に、それぞれの仕事を見てみよう。

上前おくみと見頃を近接して写したところ。色挿しのほとんどは「加賀五彩」の中の「藍」と「草」色の濃淡で付けられている。柄の中心の「松」は上に「すっと」伸びて描かれていて、色は「藍色」の濃淡により陰影を作っている。「梅」は「藍色」、「楓」は「草色」でほぼ統一されて挿されている。

「松」の色挿しを大きくして見てみよう。

微妙に色を変える「藍色」。「松」の一つ一つの柄の色が違い、また「先ぼかし」の技法を惜しみなく使い、それぞれの「松」に個性を出している。「濃淡」だけで終わらない施しは、細部にわたって見ることが出来る。素晴らしい作品は、見れば見るほど「手をかけた痕跡」がわかる。また、色挿しだけでなく、繊細な糸目で付けられた「松葉」の自然な模様は「加賀」ならではのものであろう。

「寒色系」の色を連ねながらも、寒々しい印象をまったく見るものに与えない。「松=緑」という既成な色の概念を取り払ったところに、この品の斬新さが見られる。

さらに拡大したところ。「藍」のほかに、「紺」・「縹色(はなだいろ)」・「浅葱色(あさぎいろ)」・「納戸色(なんどいろ)」・「青鈍色(あおにびいろ)」などの「色使い」が見られる。加賀友禅の技術である「先ぼかし」は、柄の外側から内側に向かって「ぼかし」を入れるのだが、この作品にもそれが見てとれる。(京友禅に使われる「ぼかし」は加賀と反対で内側から外側に向かい付けられるのが一般的である。)

わずかに「寒色系以外」でほどこされた「先ぼかし」。大きな画像ではわからないが、細部を見るとこんな施しがある。「若草色」の濃淡でつけられた「楓」の葉の一部に、「僅かに紅葉したように」、葉の先端に「ぼかし」を入れている。「梅」の花も同様だ。

 

群れをなして飛ぶ「千鳥」。「鳥」の種類を特定することが出来ないが、「羽」は「雀」のようにも見ることができる。「千鳥」は図案によっては、「ふくよかな」描き方をする場合があるが、実際は割りとスマートな姿である。

「鳥」も「一様」ではない色挿しと施しが見られる。その一羽一羽に個性が見えるところをお見せしよう。

この千鳥の色挿しだけが「暖色系」を使っている。「黄土色」と「雀茶色」を基本に、羽や体の色を「ぼかし」を使いながら描いている。この「雀茶色」が使われていることで、この鳥が「雀」のように思えてしまうのだろう。

さらに拡大したところ。中には体が「白い」鳥も見えるが、これはまだ、「幼鳥」のようにも感じられる。配色の妙はこんな所にも表れている。

 

この加賀留袖の柄の配置は「道長取り」と呼ばれる、オーソドックスなものだが、全体を見ると、「こんもりとした森」を想起させる。「藍」と「草色」がその静謐感を醸しだし、そこに群れ飛ぶ千鳥の躍動感も表れている。

同系色の濃淡使いの上手さが、本当によくわかる優れた作品といえよう。また、この時代の加賀作家にみられる「写実」の見事さは、まさに一幅の絵を見ているような思いにとらわれる。一つの葉、一つの枝の図案や色挿しにこだわり、妥協と手抜きを一切許さない作者の姿勢が見て取れるのではないだろうか。

最後に全体像をもう一度どうぞ。

独特な毎田仁郎の落款。「仁」のにんべんが立体的に表されているのが印象的。毎田仁郎は1993(平成5)年に亡くなっている。現在使われている「加賀落款名鑑」には物故者のものは掲載されていない。上の画像は、1978(昭和53)年発行のものから転載したものである。

 

毎田家では、仁郎氏の子息である毎田健治氏が父と同じ加賀友禅作家として活躍しています。健治氏は、生来絵を描くことが好きでだったため、「跡を継ぐ」ことに対する迷いがなく、まず「写生」の基礎を学ぼうと、金沢美術工芸大学で日本画を専攻した後、父に師事してこの道に入りました。

その後、順調に腕を磨き、35歳の時(1975(昭和50)年)に、早くも日本伝統工芸展に入選、それからは、着々と作家としての道を歩んできました。2001(平成13)年には、石川県立音楽堂ホールの友禅緞帳を製作し、また母校の金沢美術工芸大で教鞭をとるなど、活躍の範囲を広げ、日本工芸会会員として、現代加賀友禅の代表的な作家といえる存在になっています。

「蛙の子は蛙」と言えども、芸術の世界では力が伴わなければ、認めてもらえません。我々凡人は、偉大な父を師として持つことが、かえって立場を難しくしてしまうように思うのですが、「一流」を受け継ぐ方には、そんなことを一切感じさせない天性の力と、想像以上の努力を惜しまない意思の強さがあるのだと思います。

今、毎田家では、仁郎氏の孫・健治氏の子の仁嗣(ひとし)氏が三代目として同じ道を歩いています。これから、どのように成長していくのが楽しみです。

最後に、健治氏が父仁郎氏から受け継いだ言葉を紹介して、この稿を終わります。

「千紫萬紅(せんしばんこう)」 紫色も紅(赤)色も幾千万の色を持つ。これは、人のあり様により、全部違う色になる。

健治氏はこの言葉を自分の工房に掲げています。それは、常に自分を磨くことを忘れないという「戒め」の意味があるのだと話されています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日付から

  • 総訪問者数:647914
  • 本日の訪問者数:374
  • 昨日の訪問者数:759

このブログに掲載されている品物は、全て、現在当店が扱っているものか、以前当店で扱ったものです。

松木 茂」プロフィール

呉服屋の仕事は時代に逆行している仕事だと思う。
利便性や効率や利潤優先を考えていたら本質を見失うことが多すぎるからだ。
手間をかけて作った品物をおすすめして、世代を越えて長く使って頂く。一点の品に20年も30年も関って、その都度手を入れて直して行く。これが基本なのだろう。
一人のお客様、一つの品物にゆっくり向き合いあわてず、丁寧に、時間をかけての「スローワーク」そんな毎日を少しずつ書いていこうと思っています。

ご感想・ご要望はこちらから e-mail : matsuki-gofuku@mx6.nns.ne.jp

©2018 松木呉服店 819529.com